まさかの一人暮らし(中編)
学校の昼休み中に、マナーモードにしてた携帯が震えた。メールだ。
誰だろ。こんな時間に珍しいな。
携帯を開いて確認する、と、表示された名前は――――。
「あ、やっと来た! よかったー、忘れられてるかと思ってた」
メールだったっていうのに携帯に答えてしまう。
机から立ち上がって教室を抜けて、階段を駆け上がっていく。
この学校、昔はマンモス校だったんだけど今は生徒数が半分以下に減ってしまってて、最上階の教室は全部無人だった。
どの教室も物置や資料室になって施錠されている。目指すのは一番奥の教室だ。
ドアノブからじゃなく蝶番から開くこの教室は、屋上へ続く秘密の出入り口があった。
出入り口って言うか、単なる天窓なんだけど。
ピラミッド状に詰まれた机をなんとかよじ登り、丸い天窓の縁に手を掛けて、ジャンプして窓枠に体を預ける。
逆上がりも出来ない非力な体だから、よじ登るのも一苦労だ。足をじたばたさせてからようやく屋上に上がれた。
給水塔の影に男子生徒が寝転がってる。
竜神――――! って、あれ? 竜神にしては身長が……?
見慣れたサイズより一回り小さい。誰だ? まさか他の連中にもこの場所がばれてしまったのか?
恐る恐る近づいていく。
「あ」
寝ていたのは達樹だった。
なんでこいつまでこの場所知ってんだよ。
横に座って、「おい」と体を揺する。
達樹はすぐに目を覚ました。
「……未来先輩?」
寝ぼけた声でぼーっと呼びかけてくる。
「なんで、ここに居るんだよ」
達樹はふわ、とあくびしてから答えた。
「竜神先輩の後、尾けてきたんですよー。こんな良い場所秘密にするなんて、ひでーじゃねーっすか」
そんなことだろうと思った。竜神がこいつに此処を教えるはず無いしな。
「他の連中には絶対に言うなよ! ここ、竜神の秘密の場所なんだから」
「わかってますって。それよか先輩、パンツ見えてますよ」
「ななな何見てんだ!!」
がばっと後退しつつスカートを押さえてしまう。
「だから、パンツ」
「パンツパンツいうな! 言っとくけどな、俺のパンツは百均のパンツなんだからな!」
「言っとく必要ねー。先輩ってほんと無防備っすね。しゃがむなら気をつけないと、マジでもろ見えでしたよ。全開だった」
「寝転がってるから見えただけだろうが、全開って言うな変態!」
「目を開けたら視界に入る場所にパンツ広げる方が変態っすよー。きゃ、セクハラされたー」
と、鳥肌がああああ! こいつ本気でバカだな!
「そ、そんなことより、竜神はどこに行ったんだ?」
「ヤボヨー。もうすぐ戻ってくると思いますよ」
パンツを見られないように、ぺた、と屋上に座りこむ。正座を崩した女の子座りで。
風が噴いて達樹の髪が靡く。母ちゃんがツインテールにしてくれた俺の髪もふわふわ風に浮いた。
「なー達樹。俺が、自分のこと私って言ったら笑うか?」
「? 笑いませんよ?」
「変じゃねえ? 俺が私なんて言ったり、女の子っぽい喋り方するの」
「?? 何で? 先輩女じゃねーっすか。別に変って思いませんけど」
忘れてた。こいつこんな奴だったな。会った瞬間から俺を女扱いして何の違和感も持ってなかったんだった。
「そだったな、お前、俺がカメレオンの体に入ったら「あんた爬虫類じゃん」とか、俺が魚の体に入ったら「あんた魚類じゃん」とか言っちゃいそうな馬鹿だったな……」
「??? 見た目変わったらあつかい変わるの当然じゃねーの? 魚になっちゃったら、ちゃんと水の中で水温とか管理して飼わないと病気になるしさ。人間あつかいして陸に上げてどうすんの? 死ぬでしょ? 魚類あつかいで間違ってねーと思いますけど?」
「え……?」
な、なんか論点ずれてないか? え? あれ?
「未来先輩、すげー可愛い女の子に変わっちゃったんだから、すげー可愛い女の子としてあつかうのも当然でしょ。先輩の理屈、よくわかんねーよ」
「お、お前自身が、いきなり、可愛い女の子に変わっちゃったって想像してみろよ! はいそうですかって女の子っぽく生きていけるのかよ!?」
「生きていけるわけねーっすよー。ガチで引きこもりますよ。借金してでも性転換します」
「だろ!?」
「あんたはしないんでしょ?」
「え」
「性転換。しないんでしょ? 引きこもってもねーし。女の子として生きていく覚悟があるんでしょ? ならおれの話なんかしてもしょうが無くねっすか?」
そ――――そうだけど。
達樹が足を振り上げて立ち上がり、俺を手招きした。
「こっちこっち」
「何?」
「ほら、あそこ、先輩っすよ」
達樹が屋上の柵に持たれかかって、下を指差した。
指差した先は向かい側の校舎の一階。三年生の出入り口だ。
竜神が三人の男に囲まれていた。
って、でか! 190に届く竜神より、縦にも横にもでっかい男ばっかじゃねえか! この学校のどこにあんな巨人が居たんだよ!
なんか様子が不穏だ。まさか、喧嘩になったりしないよな――――? なんて考えた矢先に、巨人が竜神に殴りかかろうとした!
「竜神!!」
いくら竜神が喧嘩に強いとはいっても、あんなデカイ奴を三人も相手して勝てるはずない。思わず身を乗り出してしまうけど――。
竜神は飛びかかってきた一人目を腕を引いて投げ飛ばし、二人目に蹴りを入れて、三人目を腹パンで鎮めた。ほんと、あっという間だった。
起き上がってきた一人目を再び蹴って、もう、それで終わりだ。
相手が戦意をなくしたのを確認して、校舎の中に消えていく。
「うわ……、竜神って本気で強かったんだな……」
「そこ?」
「喧嘩してるとこ、始めて見たから……」
「あー。竜神先輩ってその辺気ィ使ってそうですもんね。女の前で喧嘩したら勝とうが負けようが大抵引かれっし。……喧嘩の理由、判ります?」
理由? なんだろう。竜神は見た目怖いけど、人に暴力を振るうような男じゃないし人当たりも良い。そんな男が喧嘩する理由って何だ?
「あんたっすよあんた」
「――――はぁ? 俺?」
「未来先輩がスゲー可愛いから、傍にいる竜神先輩がしょっちゅう呼び出し食らってんですよ。言い寄ってこようとする連中の防波堤もしてるから逆恨みもされてるし」
え。
「やっぱ竜神先輩、何も言って無かったんですねー。未来先輩ももっとちゃんと自分が「スゲー可愛い女の子だ」って自覚持たないと。あんたが可愛いせいで竜神先輩が毎日みたいに呼び出し食らってんだからさ。男の前でパンツ広げてたら、竜神先輩のあの苦労が何の意味も無くなっちゃうじゃないっすか」
「広げてねーって言ってるだろ!」
かた、と小さな音がして、振り返る。
竜神が上がってきたとばかり思ったんだけど、そこにいたのは百合だった。
「なぜ達樹がここに居る」
「竜神先輩の後を尾けてきたんですよー。って、百合先輩も知ってたんですね。ひでー、おれだけはぶるなんて」
「くそ、竜神のバカが……。達樹ごときに尾けられるなんて……。なんて粗忽な男なんだ……」
「百合は何しに来たんだ? 竜神に用?」
「外の空気を吸いに来ただけだ」
「あ、先輩、来ましたよ」
達樹が天窓を指差した、竜神がひょい、と上がってくる。じたばたしてどうにか上ってきた俺とは大違いだ。
「……なんでこんな一杯居るんだよ。百合、達樹、教室に戻れ」
「ひでぇ」
「むしろお前と達樹が戻れ。図体のでかい男がうじゃうじゃ鬱陶しい」
百合お前……、ここは竜神の場所だってのに……。
睨みあう百合と竜神の間に慌てて割って入る。ここにきた目的も果たしたいしな。
「竜神、俺、来週の日曜に早苗ちゃんの友達と会うことになったんだ」
俺の部屋に飾った写真立ての中で、困ったように笑う早苗ちゃんと一緒に写った、二人の女の子。西村さんと東原さん。
早苗ちゃんのお母さんを経由して、八月の上旬頃に連絡を取ってもらったんだけど、とうとう夏休み一杯連絡がなかった。
俺、西村さんと東原さんの友達の体を乗っ取って生きてるようなもんだから、会うの、嫌なのかなって思ってほとんど諦めてた。
それが、さっき、ようやく連絡を貰えたんだ。
「そうか。やっと連絡があったんだな、よかったな。どこで会うんだ? オレも一緒に――」
「いや、いいよ。早苗ちゃんの友達って大人しい子ばっかだから、お前が来たら怖がっちゃうだろうし」
百合がほう、と呟いた。
「上田早苗の友人か……。興味があるな。私が同行してもいいだろうか?」
「えー……」
百合がくるのー……?
「随分と不満そうじゃないか」
ほっぺたを容赦なく抓り上げられてしまう。いひゃいいひゃい!
「だって、お前も見た目怖いんだもん! 相手が怯えちゃうだろ!」
「わかった。可愛く見えるように化粧してくるからそれでいいな」
「化粧でどうにかなるの?」
「だてに探偵屋の娘はしてない。印象を変えることぐらい簡単だ」
化粧で変えられるもんなのか?
まぁ、百合を信用するしかないか……。相手は二人だし、一人で行くの、ちょっと心細かったから丁度いいし。
「んじゃ、来週の日曜の一時に桜咲町の駅前で待ち合わせでいい?」
「判った」
百合が頷く。
生前の早苗ちゃんの話し方、しっかり聞いてこないとな。
一人称はきっと、「私」だったんだろうな。
俺と同化してしまったかもしれない、上田早苗ちゃん。
存在を完全に消してしまわないように、見た目ぐらいはちゃんと早苗ちゃんであり続けないと。
「私、は、日向、未来」
呟いてみた。誰にも聞こえないぐらいの小さな声で。
ツインテールの髪型をした華奢な超可愛い子が、女の子座りで首を傾げながら「俺が、自分のこと私って言ったら笑うか?」って聞いてきて、達樹は心の底から「? 笑いませんよ?」ってなってます。