女になったせいで、小学校からの親友に着信拒否された
兄ちゃんに頭を撫でられてからというもの、妙に人肌が恋しくなった。
小学校低学年ぐらいまで、怖い思いするたび、兄ちゃんにくっついてたの思い出しちゃって。
十五歳も離れてたから、昔は結構懐いてたんだよな。兄ちゃん友達いないから、しょっちゅう家に居て俺と遊んでくれてたし。
ちゃぶ台の上には同じ教科の教科書が二冊とプリントの束が二つ。
俺と、隣で畳の上に転がっている竜神の数学の宿題だ。
午前中から取り掛かった宿題は順調に終わって、竜神は今、座布団を腕の下に敷いて、本棚にあったマンガ、エンジェル伝説を熟読中だ。
ずり、と隣に這い寄り、広い背中をぺしと叩いて掌を乗せる。
竜神は無反応だ。
人肌の温もりが恋しいとは言っても、さすがにこの歳で兄ちゃんにくっついてくのは寒いしキモイ。
となると、残るは友人達だけど、美穂子にくっついていくなんて出来ないし、百合は触りやすいけど、必要以上にくっついていったら襲われそうだ。
例え女の子相手でも、襲われたら怖くてショック死するから、百合も却下。
……自分で言ってて情け無い……でも俺のビビリは尋常じゃないからしょうがない。
早苗ちゃんになりたての頃はまだ大丈夫だったってのに。
体が非力なのを知れば知るほど怖くなるって、悪循環だ……。
達樹や浅見にくっついていくなんて、もっとできない。となると残るは一人。こいつだけだ。
こいつ、同じ歳だけど兄ちゃんって感じするし丁度いい。ウチのコミュ障の兄とは全然違う、頼りになる兄だけど……。
そういや兄ちゃん、人としての器が竜神より小さくないか? こいつ、兄ちゃんの半分しか生きて無いぞ? あれ? 兄ちゃんまじ大丈夫か? いやいや、あれでも天才だから食うには困らないし……。
ごちゃごちゃ考えながらジャンプ片手に寝転がる。竜神のわき腹のあたりに背中をくっつける感じで。
ずい、と竜神が体重をかけてきて、俺の体を二センチほど動かした。と思うと、またもとの位置に戻っていく。
……押しのけられた……。
「寄るな。あちい」
ピ。クーラーの設定温度を下げてから、押し退けられた仕返しに、竜神の背中にうつ伏せに寝転がった。うわ、こいつやっぱでけーな。ベッドになる。背中にほっぺたを付けて全身から力を抜く。
「乗るな。胸押しつけんな」
今更だな。結構押し付けてきたってのに全部スルーだったくせに。お前は覚えてないだろうけど、思いっきり上に乗られて押しつぶされて窒息死するかと思ったこともあったんだぞ。
まぁいいや。じゃあ、裏返しで。仰向けになって天井を見上げる。
「重たくない?」
「重てぇよ。骨が砕けるから降りろ」
「こんなぶっとい骨が砕けるわけねーだろ」
竜神の腰骨をぺしぺし叩く。
薄いシャツ越しに体温が滲んでくる。うん、気持ち良いな。暑いけど。
「ほかの男にもこんなくっついて行ってんじゃねーだろうな。襲われるぞ確実に」
声が直接体から響いてくるのが面白い。
「くっついてないよ。家に呼ぶ男、お前と良太しかいないし……って、そだ! 良太呼んでいい!? 美羽ちゃんも来るかもしれないけど!」
一回転して竜神の上から転がり降りて(予想より高くて結構痛かった。べちんって畳に叩き付けられた)並んで寝転びつつ竜神の顔を覗きこむ。
「美羽ちゃんが俺と良太が話すのすげー嫌がっててさ、ここ一ヶ月間ぐらいまともに話してないんだよ。小学校からの親友だってのに、ひでーよな! お前がいるなら、男2、女2で美羽ちゃんも安心だろうし、久しぶりに良太と話せるかも! 呼んでいいかな?」
「あー、いいぞ」
やった! 良太と遊べる!
メールするのもまどろっこしくて、電話するんだけど――――――。
『お掛けになった電話番号は、お客さまのご希望によりお繋ぎできません』
無機質な機械音声が返ってきた。
同じ言葉が、何度も、繰り返される。
え、これ、
ち、
着信拒否――――――!!?
「どうした?」
竜神が体を起こして聞いてくる。
無言で携帯を差し出す。
竜神は俺の手の上から携帯を掴んで耳に押し当てた。
「ち、ちゃくしんきょひ、されてるみたい」
あは、と、笑おうとしたんだけど出来なかった。
「――――――!」
自分でもびっくりするぐらいに悲しかった。
ぶわって涙が出てきて、一気にぼたぼた顎から落ちて行く。
「お、おい、泣くなよ」
泣き顔を見られたくなくて慌てて手で顔を隠す。
「う――――」
声なんて出したくないのにどうしても抑えられない。
震える歯をこじ開けて、唇に思いきり噛み付く。
「未来、やめろ!」
竜神の指が口の中に入ってきて、歯をこじ開こうとした。
首を振って振り払う。
「あ、う――――」
俺より二倍は太くて筋肉質な腕が背中に回ってきて、軽く体が浮いた。
引き寄せられ力強く抱き締められて、涙に濡れる顔を肩に押し付けられた。
「切れるだろ、ほら、オレを噛んでいいから、自分に傷付けるのやめてくれ」
噛めるわけねーだろ、押し付けんな、涙でお前の服が汚れるだろ!
抵抗するけど、デカイ掌で頭を撫でられてもう駄目だった。
すっぽり包んでくれる竜神に力一杯しがみついて泣いた。
「うぐ……ぅ、うう……」
「もー泣くなよ……。オレまで心が痛むだろ」
「ん……れ、お。まえ、が」
何で、お前が。
「お前みたいな小さいのに泣かれたり怖がられたりすんの、本気で駄目なんだよ……。どうしていいか判らなくなる」
「っちゅう、こわが……れてる、ぐぜ」
しょっちゅう怖がられてるくせに!
「だからしょっちゅうどうしていいか判らなくなってるっての……。顔に出ないだけで……」
なんだそれ、超意外だ。少しだけ笑ってしまった。まだ涙も止まらないのに。
笑った声に竜神がほっと安心したのが判る。本気で、泣いてるの駄目なんだ。人が苦しんでるの見るのが駄目なんて優しい奴だよな。見た目ヤクザのくせに。
クーラーを付けてるとは言えどもくっついてると暑い。
だけど、泣きながらくっついたまま、いつの間にか眠ってしまっていた。
…………?
ベッドの上で目を覚ました。慌てて体を起こす。部屋はすっかりと暗くなってしまってた。
今何時!?
目覚まし時計を光らせて確認する。もう九時になっていた。
「竜神……!」
思わず部屋を飛び出して、一階に下りてしまう。
竜神、妙に責任感強いから、家を空けたまま出ていけるとは思えない。
「あら、目を覚ましたの。ご飯できてるわよ」
「か、母ちゃん」
明かりがついてた居間に飛び込むと、母ちゃんがテレビを見ていた。そ、そうだった、今日、母ちゃん仕事休みで朝から家に居たんだった!
「竜神は……?」
「もうとっくに帰ったわよ。あんた、強志君にあんまり迷惑掛けるんじゃないよ。子供じゃあるまいし、大声でびーびー泣いて。何事かと思って部屋まで見に行っちゃったじゃない」
「うっ――――!!」
うわぁああ! 母ちゃんに聞かれてたなんて……! は、恥ずかしすぎる……!!
一気に真っ赤になったのが自分でも判る。ぶるぶるしながら柱に凭れ掛かって両手で掴む。
「ひ、ひょっとして、部屋、覗いたのか!!?」
「覗きなんてみっともない真似してないわよ。フスマを全開にして全部見たに決まってるじゃない」
「余計悪いじゃねえかああ! プライバシーの侵害反対! り、竜神に変な事言って無いだろうな!? あいつ何も悪くないんだからな!」
竜神に抱きついて泣いてるの、母ちゃんに見られてたなんて全然気が付かなかったああ!
もう恥ずかしすぎて死にたい!
「何年母親してると思ってんの。あんたが迷惑掛けたって事ぐらいちゃんと判ってるわよ。だから最初から、強志君に迷惑掛けるなって言ってるでしょうが」
「そう断言されるのも微妙だけど……! 竜神、何か言ってた?」
「言ってはなかったけど、珍しく疲れた顔してたわよ。晩御飯食べて行きなさいっていったのに、遠慮して帰っちゃったし。ちゃんと謝っておきなさいね」
「うん……」
二階に戻って、携帯を手に取る。
あれ、竜神からメールが着てる。
開いて確認する。絵文字の無い、いつもと同じそっけないメールだ。
『佐野は着信拒否してないって言ってたぞ。美羽が勝手に設定したんだろ。あんま気にすんな。』
「そだったのか」
良太が着拒してたワケじゃないのか。良かった。
『ありがと。迷惑かけてごめんな』
そんだけ返事する。
メールを閉じてアドレス帳を開く。
(残してたらまた掛けちゃうし、繋がらなかったらまた泣きそうだしな)
観念して、一息付いてから、
「えい!」
この携帯を一緒に買いに行って、一番初めに登録した良太の名前をアドレス帳から削除した。
バイバイ、親友。
何となく携帯を閉じることができなくて、アドレス帳を開いたままぼんやりしてると、メールの着信画像が表示された。
竜神からだ。
『迷惑じゃねーよ。なんかあったら連絡してこい。すぐそっち行くから。バイクあるから時間も気にしないでいいからな。絶対一人で泣くなよ!』
……泣き声聞くの苦手のくせに……。
ベッドに寄りかかって、伸ばした足をじたばた動かす。あー、なんか会いたいなー。また思いっきり抱きつきたい。
ついでに、どれぐらい力込めたら痛いって言うか極限まで試してみたい。いくら頑丈なあいつでも、全力で締め上げたら痛いって言うよな?
試しに枕を全力で締め上げてみる。
そして抱きついたまま枕をベッドに叩き付ける。駄目だ、枕じゃ胸囲?が足りない。
よし、今度会ったら、とりあえず抱きついて締め上げよっと。
二日後。
「おはよう! 竜神――――!」
今日はいつものメンバーで水族館へ行く約束をしていた。
竜神は約束の時間ぴったりに、玄関のチャイムを鳴らして入ってきた。
挨拶をしつつ、早速、竜神に飛びついて行く。
玄関のたたきが30センチぐらい高さがあるから、玄関に立つ竜神と、たたきの上の俺の視線の高さは殆ど一緒だった。
両手を広げて飛びついていって胸に腕を回し、力一杯抱きつく。
「!?」
抱き付いてるので顔は見えないけど、竜神が驚いたみたいに息を呑んだ。
こいつが驚くなんて珍しい。けど、構わずに、両手で力一杯締め上げた。
「……な、何してんだ」
「痛いか?」
「痛くはねーけど……?」
そうか、痛くないか。更に力を込めて締め上げる。
「い、いたいだろ……!?」
「痛くねー……お前、何がしたいんだよ……?」
まだ痛くねーの!? くそ、もっと力を――――!
「このバカ娘が! あんた、人を痛がらせようとするなんてどういうつもりだい! 人様に暴力を振るうような育て方してきたつもりはなかったのに恥ずかしい!!」
母ちゃんが怒鳴り声と一緒に拳を振り上げてきた。
「おばさん!?」
竜神が慌てて俺を抱え込んだ。竜神の頭に母ちゃんのげんこつが落ち「あいて」っと小さく声を上げる。
「あら、ごめんなさい」
「母ちゃんも今! まさに今! 俺に暴力振るおうとしたぁあ!」
竜神にしがみ付きつつ母ちゃんに叫ぶ。
俺の身長は155。母ちゃんは170cm。母ちゃんもでかいからゲンコツが超怖い!!
「口答えするんじゃないわよ!」
また振り上げられた手刀を竜神が再び受け止める。
「お、オレなら平気ですんで、こいつに暴力振るうのは勘弁してください」
「甘やかすんじゃないわよ強志君! このバカ娘はちゃんと言って聞かせないと覚えられないんだから」
「わかりました言って聞かせますんで、ほら、さっさと靴履け、出るぞ!」
靴に足を突っ込まされ、抱えられるように玄関から出てしまった。
「おい竜神……、俺、サイフも携帯も持ってないんだけど……」
全部バッグに入れて、キッチンのテーブルに置きっぱなしだ。
「今日はオレが出すからとにかく行くぞ」
「お前……暴力振るわれるの見るのも駄目なんだな……」
「うるせえよ……」
早く竜神を監視者から開放しないと何も話が進まない!
竜神は好きな女に泣かれるの苦手で、例え身内とは言えども殴られるの見るのも駄目な男です。未来に怯えられたり怖がられたら、立ち直れなくなるというでかい弱点があります。