男が怖い理由
「未来、ちょっといいか。話忘れてたことがあった」
「なんだよ」
ふすまの向こうの声に答えると、兄ちゃんが部屋に入ってきた。
「一つ疑問なんだが……、お前はなぜ男が怖いんだ? 早苗の父に襲われたからだというのは判るが、あの男に襲われたからと言って、男性全般の接触を恐れる理由がわからん。お前は元々男なんだからな」
ちょ、兄ちゃん。
いくら弟相手とは言え、傷抉る真似してくるかよ普通!!
あ、でも俺も、兄ちゃんは結婚できないとか言い放って傷を抉ったんだった……! くそ、因果応報ってやつか。
ううう、話したくないけど絶対突っ込んでくるよな。十五年の付き合いで兄ちゃんの探究心の強さと人の心の傷をやすやすと踏みにじってくる鈍感さはとっくに知っていた。そんなんだから彼女の一人もできねーんだよ!って罵ってやりたい。俺も彼女できなかったから言えないけどな!
「……この体、身長155cmの体重40キロなんだ」
できるだけ遠まわしに俺は話を始めた。
「そんなに軽かったか?」
「うん。胸でかいのに、なんでこんな軽いのか俺も不思議だったんだけどさ、早苗ちゃんの体、同級生と比べても、頭もちっちゃいし肩幅も狭いし、なんか骨も全体的に細いみたいなんだ」
美穂子の腕を思い出しつつ、自分の肱の辺りを掴む。
「なるほど。天性のアイドル体系か。言われて見れば、ひどく華奢に見えるな」
「兄ちゃんの体重と身長どんぐらい?」
「俺は176センチの75キロだったかな」
「俺も大体そんぐらいだったんだよ。でも今は身長が20センチも低くなって、体重は半分になったんだ。見慣れたはずの周りの連中がさ、皆、そんだけでかくなってるんだ。――――想像してみてくれよ。会社の人達がある日突然、身長が20センチも伸びて、体重が倍近く重たくなってんの。体の幅も二倍ぐらいに見えるんだ」
「うーん?」
兄ちゃんが小首を傾げる。
あ、ぴんと来てないなこりゃ。
「ちょっと俺の身長まで屈んで」
立っている兄ちゃんの前に立って膝を曲げさせて俺の目の高さに視線を合わせる。
「これが、今の俺の視界。部屋の中だから判りづらいかもだけどさ、街をこの視界で歩いてるところ想像してみてくれよ。歩幅も狭くなって移動速度も遅くなってるし、男の時は回りが殆ど頭や顔だったのに、今は背中や胸だらけなんだ。周りがいきなり巨人ばっかになった感じがするんだ」
「うーん……」
兄ちゃんが首を傾げてる。やっぱ、想像だけじゃ伝わらないか。
俺は説明を諦めかけたのだが、
兄ちゃんがポンと手を打った。
「お前怖がりだったもんな。お化けが怖いからって夏でも布団被って寝て脱水症状で救急車に運ばれたし。なるほど、怖がりだから女になって怖がりが促進したのか」
「ちげええええ!!!」
ああもう駄目だこのクソ兄貴! 気を使ってたら斜め上解釈される!
もっとはっきり俺の状況を伝えないと!
兄ちゃんの目を睨んで怒鳴り声に近く言う。
「俺、早苗ちゃんの体に入ってから、ナンパしてくる男に車に無理やり乗せられて拉致されかけたこともあるんだよ! 兄ちゃんがさ、道を歩いてるとき身長二メートル体重150kgぐらいのガチムチマッチョな大男二人にナンパされて、断っても付きまとわれて、やらしい目で見られて、嫌って言ってるのに車に引っ張りこまれたらどう思う!? 普通に怖いだろ!?」
「あぁ……それは確かに恐ろしそうだ」
「もし兄ちゃんが早苗ちゃんの体に入ったとしてさ、高校一年生だったとしてさ、クラスの女子達の前で、中年のオッサンに胸揉まれたらどう思う!? 恥ずかしくて死にそうだろう!? 絶対逃げようとするだろう? どんな大怪我してもさ!」
「いや、それはない。大怪我して逃げるぐらいなら、反撃してから逃げる」
うぅ! そっか、普通の男だったらそうだよな。
叫びながら這って逃げるなんて、やっぱり情け無さ過ぎるか。
――――あんな醜態晒したのってやっぱ、俺が根性無しだったからなんだな。
兄ちゃんみたいに普通の男だったら反撃してたんだ。早苗ちゃんの記憶もあるから、多少男が怖くなってたとはいえ、あれは怖がりすぎだったよな。
上田宅でクソオヤジから乱暴された時だって、助けてくれた竜神を殴ってしまったし……。
……これ、なるべく早く精神科にかからなきゃ駄目なんじゃないかな。
名刺が重たいとか言ってる場合じゃないや。
明日のお昼にでも、早速、兄ちゃんが探してくれた先生に連絡取ってみよう。
クラスの女子達の前で泣きながら逃げるなんて醜態、二度と晒したくないしな。