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モブ君(ある朝突然)絶世の美少女になる  作者: イヌスキ
三章 みんなで大騒ぎ
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お化け屋敷とか肝試しとか(後編)

未来が失神したので、三人称視点になります。

「先輩、どうしたんスか!?」

 

「失神してるな」

「なぜ今更失神してるんだ? 特に驚かされたわけでもないのに」

 百合が不思議そうに首を傾げる。

「何か想像したんだろ」

 床に落ちないよう支えていた体を、竜神は子供を抱っこする要領で抱え上げた。


 また移動音がして道が動き出す。ゆっくりとスライドして現れたのは、ベニアのような質素なドアだった。

「出口っスかね」

「これだけの仕掛けのお化け屋敷が、ただ道を歩いただけで終わりになるとは思えんが……」

 百合がドアを開く。やはり出口ではなかった。

 眼前に広がるのは朽ちた洋館のロビーだ。

 天井からは裂けた赤いカーテンが垂れ下がり、中央に置かれたテーブルにはヘビの這った髑髏のオブジェが置かれてある。

 窓はあるものの全面ステンドグラスで、見るからに開閉不可能なはめ殺しの窓だ。


 広間奥には階段と玉座があり、今にもドラキュラ伯爵がマントを靡かせながら降りてきそうだ。


『諸君、ゴールへ到着、おめでとう』

「ヒィ!」

 冷泉の声が大音響で響いた。驚いた達樹が浅見の背中にタックルをかます。

 いつもは先輩先輩と未来にまとわり付いて行く達樹が、先ほど、あっさり竜神に譲った理由がわかる。この勢いで飛び掛かっては、少女の軽い体は簡単に飛ばされてしまう。浅見にとってはいい迷惑だが。

 これまでと違い、冷泉の声が部屋全体に反響していた。スピーカーが複数の場所に取り付けられているのだろうか。


「しかし次から次へと。随分凝った作りになってるもんだ」

「ゴール? あれが出口か?」

 先ほど見た冷泉家の屋敷のものと似た両開きの重厚なドアがありはしたが、ノブには幾重にも錆びた鎖が巻いてあって開きそうにない。


 うぅ……。


 竜神の声を否定するかのようにドアの奥から地を這う呻き声が聞こえてきた。一人二人ではない。無数に聞こえてくる。


「え、何? 何何?」


 テーブルの上の髑髏を撫で回していた美穂子が、百合の腕に飛びつく。

 うめき声は徐々に小さくなって、聞こえなくなった。安堵に体から力を抜こうとした。

 その時を待っていたかのように、


 ――バンバンバンバン!


 鎖の巻いてあった両開きのドアが叩き付けられ、衝撃に揺れた。


「ぎゃあああ!! ひょっとして入ってこないっスよね!?」


 達樹の願いも虚しく鎖が衝撃に緩んでいく。



 バン!



 一気にドアが全開になり、鼻も目も無く、口だけが赤黒く大きい、グロテスクな肌色のゾンビが、うめき声を上げながら無数になだれ込んできた。

 緩慢な動きではない。入ると同時に、こちらに向かって全力で走って来る。


「きゃああああああああ!!」

「うわあああああああ!!」

「わああああ!」

 美穂子、達樹だけでなく、比較的冷静だった浅見も悲鳴を上げて階段に逃げようとしたのだが、


「すいません、友人を病院に連れて行きたいんでスタッフ用の出入り口を使わせてください」

 竜神がその場を動かないまま、走ってきたゾンビに話しかけた。

 ゾンビは「うぅ……」と言いかけたまま立ち止まり動くことができなくなっている。

「失神してるだけかもしれないんですけど、手術したばかりなんで心配なんでお願いします」

『こら! 竜神強志! ゾンビに普通に話しかけるな! 雰囲気が台無しだろうが! しかも微妙に断り辛い言い方をするな!』

「人が倒れてんだよ。遊んでる場合じゃねーだろ」

「ぅ……ん」

 ゾンビの立てた喧騒と悲鳴に、未来が目を覚ました。


「未来、大丈夫か?」

「りゅう……」

 泣いたせいか未来の目元は赤い。

 桜の花びらのような精錬な印象を持たせながらも肉感的な唇が力無く上下する。

 意識が戻ったばかりの少女の動作は、目を離せないほど無防備でしどけない。

 ゾンビの中の人(山本堂心さん(劇団員28才))も仕事を忘れてガン見だ。


「――――――――!!! ………ぅ」


 が、せっかく目を覚ましたというのに、ゾンビを直視してしまい、未来は再び失神した。


「……………………」

「……………………」


 竜神は怒りに顔を歪め、ゾンビの襲来に無反応だった百合も顔半分を掌で覆って首を振る。

「ゾンビスタッフの方々はお帰りいただけないだろうか。お仕事なのに申し訳ないが、このとおり、失神した友人を抱えてるので、事故になっては危ない」

 百合の言葉に、ゾンビは顔を見合わせて、「どうする?」「いや、俺に聞かれても」と言いたげな(多分)視線を交わしていた(といっても、ゾンビメイクのせいで目が無いように見えるが)。


「では、ベッドかソファありませんか? こいつ、ちゃんとした所に寝かせたいんで」

 帰るのを諦めた竜神がゾンビに案内を請う。

「あ、その、俺、ただ追いかける役なんで、そこらへんはちょっとわからないです」

 とうとう頭を下げたゾンビ(山本堂心さん)に冷泉の放送が重なった。

『もういい! ゾンビはお帰りください! 二階にベッドがあるから使え!』


「うわああもう、超怖かったっスよおおお! なんであんたら平常心のまんまなんだよ! 鉄の心臓にも程があるだろ!」

「バンバンやってたんだから、何か入ってくると心構えは出来ただろう」

「あれで!? あれで心構えすんの!? 怖くてそれどころじゃねーだろ普通!」

「うるさい、叫ぶな」


 階段の上、玉座の奥にはドアが三つ並んでいた。二階は体育館のギャラリーのような回廊だ。正面に一部屋、左右の壁に二部屋ずつ、二階には合計八つの個室があった。


 未来を抱えている竜神の為に、浅見が先導して部屋のドアを開く。

「うわぁ……!」

 中は見事なほどホラー仕立てになっていた。


 ベットは蜘蛛の巣の張った天窓付きベッド、赤い血糊の絨毯、こちらを覗く化物の絵画、包丁の突き立てられたソファ。

「これって、全部屋こんな作りなのかな」

 達樹が右のドアを、百合が左のドアを開く。どの部屋も全く同じ作りをしていた。

「これじゃ、目を覚ましてもまた気を失いそうだな」

 百合が溜息を吐いた。

「撤去するしかねえだろ」

 竜神は未来をベッドの上に下ろすと、てきぱきと小物を部屋の外に移動させていった。玉座の後ろに、ホラー的小物が次々に積み上げられていく。


『あの、セット壊さないで欲しいんですけど』


「知るか。怖がって失神した奴を変な部屋に寝かせられるわけねーだろ。浅見も達樹も手伝え」

「り、了解っス」

「手際がいいから、ついボーっと見ちゃってたよ」

 男三人がかりでベッドも動かして血糊のカーペットを剥がし、天窓を撤去してしまう。竜神の働きは徹底したもので、トイレの水まで確認して(案の定、血の様な赤だった)タンクの中に入っていた着色料を処分する。

 見る間にこざっぱりとした、ビジネスホテルのような部屋に早変わりした。


『あぁもう……せっかくの演出が台無しだ……』

 冷泉の声ががっかりしてしまう。同情する人間はここにはいなかったが。


『まあいい、楽しみはまだまだあるんだ。今日、君達には、この館で一泊してもらう』

「ああ?」


『このお化け屋敷の最大の特徴は、宿泊できることなんだ。是非、隅から隅まで楽しんでいってほしい』

「えと……それはできないよ? ウチに何の連絡もいれてないし……」

 美穂子が困り果てた声を出す。それも当然だろう。女の子が無断外泊は不味い。

『君達の手荷物を返却している。全員、携帯はお持ちなんだろう?』

「あ、本当だ。椅子の上に俺らのカバンがありますよ」

 達樹が階段を大股に降りテーブルに向かった。たしかに、椅子の上には六人のカバンが乗せてあった。


「一泊など聞いて居ない。契約違反だ。追加料金が発生するぞ」

『いくらでもどうぞ』

「ならば十倍だ」

『振り込んでおこう』

「よっしゃ、お前達にもバイト料を弾むからな。迷惑料込みで一人七万だ」

「え!? 七万!? マジでか!?」

 達樹が目を丸くして両手を拳にする。

「マジだ」

「すっげー百合先輩大好きっス! 愛してます!」

「百合ちゃん、本当にいいの? 七万円って大金じゃない」

「それだけの報酬を受け取るからな。遠慮はしないでいい」

「七万もあったら、皇国ホテルバイキングに行けるなあ……」

 呟いた浅見に、美穂子が頷く。

「あそこ、行ってみたかったんだけど六千円もするもんね。良かったら一緒に行かない? 浅見君」

「おれも! おれも行ってみたいっス! ――あ、竜神先輩も一緒に行きましょうよ! 皇国ホテルバイキング」

 個室から出てきた竜神に、達樹が手を振る。

「確かそこ六千円ぐらいしなかったか? 金無いから行けねえよ」

「百合先輩がバイト代出してくれるって。なんと七万っスよ七万!」

「マジか。すげーな」

「ふふふ、敬え竜神」


 階段を降りていた竜神が突然後ろを振り返った。

 長身に見合った長い足で段飛ばしに階段を掛け上がり、たった今出てきたドアに手を掛ける。


 ガチャン! 鍵に阻まれた音が階下にまで聞こえてきた。


 鍵? このドアはオートロックではなかった。オートロックなら、そもそも最初から開いていない。自分達は鍵を持たないのだから。

 中から未来が鍵をかけたのか? なぜ?

 浅見、達樹、美穂子、百合は顔を見合わせる。

 竜神は片手を壁に付き鍵に阻まれたドアを力任せに引っ張り出した。

 見るからに硬そうな、黒塗りのドアがミシミシと悲鳴を上げる。


「先輩、どうしたんっスか?」

「竜神」


 中に声をかけようともせずに、ドアを破壊しようとしている竜神のただならぬ様子に、荷物を置いて駆け寄っていく。

 竜神の馬鹿力に耐えられずドアがノブから裂けた。

 ドアの先に、部屋はなかった。ぽっかりと開いたコンクリートの空間があった。


「なんだこれ! どうなってんだ!?」

「部屋も移動するようになっていたのか……!」


 部屋自体が巨大なエレベーターのような作りだったのだろう。

「おい、冷泉!! 今すぐ未来を戻せ!!!」

 百合が姿の見えぬ相手に叫んだ。

『体に傷を付けるような真似はしないからご心配なく。すぐに帰すよ』


 竜神は穴に身を乗り出して、下を覗き上を覗いて何かを確認すると、踵を返し脇目も降らず走り出した。





 約三週間ほど前。

 冷泉三郎は街を歩いていた。

 街に出た理由は、なんとなく。その程度だった。


 特に何の目的も無くふらふらと歩き回って、最終的にたどり着いたのはこの街で一番大きな建物の前。

 夢屋とか言う、どんな街にもありそうなごく普通の百貨店だ。

 子供の金切り声、女達の笑い声、男のさざめく声、何もかもが鬱陶しくて店内に入ろうとは思えなかった。

 六十も越して居そうな老婆が引いている小さな屋台で、アイスクリームを売っていた。

 いつもはミルクアイスクリームだけだけど、今日はチョコミントもあるらしい。価格は百円。

 これを購入したのも、また、なんとなく。


 木陰に座り一口食べる。

 アイスクリームなんて食べようと思えばいつでも食べられる。

 お抱えのシェフに一言告げるだけでいいのだ。それだけで、舌もとろけるアイスクリームが出てくる。

 百円のアイスは甘いばかりでちっとも美味しくない。


 そんな冷泉の前に、以下にも頭の悪そうな男女四人組が足を止めたのは、些細な不運だ。


「うっわ、なにあそこの男。マジきめえ」

「いいじゃん。可愛そうな男と話してお小遣い貰おうぜ」


 冷泉のサイフの中には万札が数十枚も入っている。

 これで満足して消えるだろう。後は、離れた場所でこちらを伺っているボディーガード達が警察に引き渡して終わりだ。

 カツアゲはれっきとした恐喝罪であり、相手に怪我をさせれば強盗扱いになる。

 力はないが金だけはあるので、こういう連中にはそれなりに報復できた。

 だから、抵抗なんてする気はなかったし逃げるつもりもなかった。

 むしろ、金があり、ボディーガードを付けているからこそ害虫駆除のボランティアをするつもりで居た――のだけど。


「遅くなってごめんね。噴水の前でみんな待ってるから、早く行こう!」


 優しい色の、ふわふわした上着を靡かせて、見たことも無いような可愛い女の子が走ってきたときは何の冗談かと思った。

 陽光に照らされて髪がキラキラと輝いている。健康的な印象を与えるホットパンツから伸びた足は細く白くて、幼い頃聞かされた童話の世界から飛び出してきたお姫様のようだ。


「アイス美味そう! 何味? チョコミント? お……私も食べたいから、早くいこう」


 少女が足を止めた途端、コロンでも香水でもない、優しい香りがふわりと漂う。

 直視出来ないぐらいのまぶしい笑顔に硬直する。

 女の子の細い指が、二の腕に絡んできて、引っ張り起された腕に柔らかい体がくっついてきて、


「うっわ、超かわい……」

「マジで? なんで? あんなのに? なんで?」


 男達の言葉を背に受けながら、ふわふわ漂ってくる甘い香りと、腕に当たる柔らかな感触に全神経を傾けつつ、導かれるまま歩いた。


 後ろからは男が追いかけてきている。

 ここらに交番は無い。少女はどうするつもりなのか。

 絡まれている自分を助けてくれたのはいいが、このままではこの子まで絡まれてしまうだろう。

 男達に無理やり引っ張っていかれる可能性すらある。

 今すぐにボディーガードを呼んで追い払わせてもいいが、どうするのか興味があった。


「連れてきたよ! 竜神、達樹!」


 少女が向かった先には、男が居た。

 友人か、彼氏か、定かではないが、一睨みするだけで大抵の男を追い払えるだろう長身の男と、幼いが、幼いだけに敵対する相手を徹底的に叩き伏せるだろう金髪の男が居た。


 ひょっとしたら、この少女が自分に一目ぼれをして助けてくれたのではないか。そんな妄想もしたけれど、少し安心した。

 こんな可愛い子の周りには、それなりの男がいてほしかったのかもしれない。

 自分が負けを認められるような、そんな男が。


 きっと、二人とも強い。自分には財力があるけど、それに匹敵するような、人生に置いて力となる強い生命力を持っている。

 上流階級と呼ばれる階層に生きている人間を見ながら育ってきた。ほんの子供の頃から、一瞬の油断さえ許されない立ち振る舞いを要求されていた。人を見る目だけは確信が持てていた。

 おそらく、この少女が二人の男の運命を変える。なんとなく確信した。

 気が付いたら逃げ出していたのだけど、これは、戦略的撤退という回避行動だったということにしてほしい。男が自分にまで絡んできそうだったからとか、この距離で殴られたらボディーガードが間に合わないとか、怖かったからとかではないと強調しておきたい。


 笑顔が目に焼き付いて離れなかった。自分も、あの子の人生の片隅に触れて見たい。そう思ったらもう、止められなかった。


 身辺調査を入れ、家族構成、友達構成、全て調べ上げた。怖い物が苦手なのも調べた。

 だからこんな大掛かりな屋敷を買いつけ、大至急建設して、獲物が飛び込んでくるのを待っていたのだ。







 未来は、ソファの上で目を覚ました。


「竜神……?」

 さっきは多分、竜神に抱えられていた。それから、ゾンビが横に立っていたのを思い出して、思わずソファから跳ね起きる。左右を見るが、妙にこざっぱりとした部屋があるばかりで、ゾンビは居ない。未来は胸に手をやって安堵の溜息を吐く。


 ここは医務室かな? 出口は? 皆はどこに行ったんだろう。

 ベッドの横にあった靴を履いて、出口がありそうな方向に辺りを付けて歩き出す。


 あれ? 未来は足を止めて小首を傾げた。


 出口らしき場所はあった。

 だけど、ドアがあるべき場所がコンクリートの壁面になっている。

 一体どういう作りの医務室なんだろう?

 手当たり次第にドアを開けていく。トイレ、風呂、出口が見つからない。


 キィ。

 部屋の奥から、蝶番の鳴る音が聞こえた。

「竜神?」

 そちらが出口だったのか。未来は何の警戒も無く進んで恐怖に息を呑んだ。


 そこに居たのは竜神でも、友人達でもなかった。

 肌色のゾンビが立っていた。

 髪も目も鼻も耳も無く、口ばかりが大きくて、血のような真っ赤な口内には巨大な歯がいくつも並んでいる。


 恐怖に体が固まった。このまま彫像のように動かなければ、気付かれることはないのではないかなんて考えてしまう。そんなはずはない。逃げなければ。


 でも、動いた途端飛びかかられそうで怖くて一歩も動けなくなる。

 ゾンビが近寄ってきてからようやく、未来は悲鳴を上げて走り出した。

 狭い部屋だ。どこにも逃げる場所は無い。

 すぐに角まで追い詰められてしまい。背中をぶつけそのまま地面に蹲った。

「うぅ……」

 ゾンビが苦しげに唸る。生者に対する恨みのような声に怯え、未来も悲鳴を上げた。

 低く掠れた呻きは止まず、それどころかゆっくり、ゆっくりと近づいてくる。

 息が触れそうなぐらいまで近寄られ間近から顔を覗きこまれて、未来はまた叫んで立ち上がろうとしたのだが――――。

 とっくに、足は未来の言うことを聞かなくなっていた。

 横向きにどさりと倒れ、それでも、這って逃げようと腕を伸ばしたのだが、その先に見慣れない黒塗りの靴を見つけ、未来は怯えて手を引っ込めた。


「久しぶり、未来君。君は僕の顔を覚えて無いかもしれないけど」

 そこにいたのはアイス男、こと、冷泉三郎だった。


 ゾンビを下がらせ横向きに倒れこんだままの未来の正面に立つ。


 指先で口元を隠し、全身を振るわせながら、未来は冷泉を見上げてきた。


(これは……)

 冷泉はこくりと喉を鳴らした。

 夢屋で見た未来は、陽の光に愛されたかのように笑顔も所作も眩しかった。

 そんな彼女が、童話から飛び出してきた姫のようだった彼女が、ただただ恐怖に震えている。

『遅くなってごめんね。噴水の前でみんな待ってるから、早く行こう!』

 打算など無く助けてくれた女が。

 笑顔が嘘だったように涙で大きな瞳を揺らして、スカートから伸びた白い足の先まで振るわせて、完全に怯えきって倒れている。何をしても抵抗などしてこないだろう。


 睫に掛かっていた涙が落ち、瞳から瞳へと涙のあとを残していく。

 柔らかそうな胸、細い体、丸く曲線を描く腰。

 どこにどう触れようとも自由だ。


 興奮しすぎて冷泉の体まで震えそうになる。どうにか自分を落ち着かせる。


 綺麗だ。どこもかしこも。

 床に広がる髪も小さな手も濡れる瞳も胸も腰も足も。

 

 冷泉は片足を上げた。

 そっと、ゆっくりと、広がった美しい髪を踏みつける。硬い靴底の下で、髪はしゃり、と小さく音を立てた。


「口から、手をどけて」

 未来は抵抗などせず、小さく泣き声を上げながら、指先を胸の上に移動させる。


 形の良い鼻の下の、柔らかそうな、艶めいた桃色の唇に、そっと、そっと爪先を寄せていく。

「流石に、可愛そうかな」

 爪先にキスをさせてやろうかと思ったが、いくらなんでもやりすぎかと諦める。足を上げて、今度は未来の肩に足を下ろしていく。


(柔らかい……)


 靴越しなのに、柔らかな未来の体の感触が伝わってくる。靴で触れる肩は、想像してたよりずっと小さく華奢で、このまま体重を乗せたら踏み潰せてしまいそうだ。

 絶対的な強者になったような、この世で一番の力を持ってしまったような、おかしな錯覚に襲われて悦楽にゆらりと眩暈がした。



 その時。


「てめえ……!」


 猛獣が飛び込んできた。


 冷泉は一気に夢から覚めた。本物の力を持つ人間の前では、自分など塵芥に過ぎないと痛感した。

 「うひゃああ」と悲鳴を上げて未来から飛びのいて、部屋の逆隅へ逃げる。


「いかん、達樹、浅見、止めろお!」

「先輩、洒落にならねええ!」

「竜神君! 駄目だ!!」


「ひいい」


「早く消えろ!」


 百合が冷泉の尻を蹴り、男二人がかりでも押さえられて無い竜神の前に手を広げて立った。


「落ち着け竜神お前は警官になりたいんじゃないのか! 冷泉家の御曹司に手を上げればどうなるか判るだろう! というか殺意的なものを感じたぞ殺すつもりか!!」


「あんたも何大人しく踏まれてんスか! みそこなったっスよ先輩!!」

 達樹がいまだ力の抜けていない竜神の体にしがみついたまま、未来を責める。


「ここここ怖かったんだからしょうがないだろ!! ゾゾゾンビが、ゾンビがゾンビが……!!」

「バカじゃねーのプライドねーのかよ! おれらは嫌なの! 悲しいの! 抵抗してくださいっスよ!」

「ううう、そだよな、ごめん……」


 未来が消沈した声を出す。自分でも情けないのは充分に承知してはいるのだろう。恐怖を克服できはしないだけで。


「やめろ達樹。下手に抵抗して怪我するよりマシだ」

 怒りに揺れそうになる声をどうにか押さえて、視線は逃げた背中を追ったまま、竜神は達樹を止めた。


「あ――――! それもそっすよね、おれ、馬鹿だ超馬鹿だ! 先輩グッジョブっス!」

 お前、元気だなあ。未来が苦笑した。


「もういい、頭冷えたから離せ」


「うっす」「あ、ごめん」達樹と浅見が離れる。

 冷えたなんて嘘だ。怒りが収まらない。意識しなければ声どころか呼吸まで乱れる。筋肉が痙攣する。

 怒りはあの男に会った時爆発させるために今は沈めておかなければ。



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