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モブ君(ある朝突然)絶世の美少女になる  作者: イヌスキ
二章 安心できる場所
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セクハラ教師

 月曜日の四時間目。


 お昼前のこの時間は、週で一回だけの体育の時間だ。

 隣のクラスと合同で男女別れてグラウンドに出る。

 女子の担当教師はまだ20代前半の女性教師、若竹先生で、男子の担当は、そろそろ50に届こうかという男性教師の辻先生。


 辻は中年真っ只中の癖、趣味が筋トレらしく妙にマッチョな先生だ。

 身長は竜神に届かないものの、横の広さは比べるべくもなく辻が遥かにでかい。

 竜神は同世代と比べればでかい男なんだけど、やっぱり年齢が年齢だけあって、いろいろと発展途上なんだよな。


 もう一つ付け加えると、辻は女子に蛇蝎のごとく嫌われている教師でもある。女の子って一部例外を除いては大抵マッチョ嫌いではあるのだが、辻が嫌われるのはもちろんマッチョだからじゃない。女子に異様に密着するところにある。


 肩に触るってのは序の口、肩に手を置くフリをして胸の上の辺りを触ったりもするらしい。

 廊下の窓から外を見ていた女子に、背中から覆う感じに密着して「何を見てるんだ~?」って言ってたのは俺も見た。あれで良く問題にならないもんだ。


 なんて悠長に教師の素行を心配してる場合じゃない。

 俺は全力で廊下を駆け抜けていた。体育館裏の女子トイレへと。


 さっさと着替えて、また教室へ戻らなくちゃいけないからな。

 前に一回、女子更衣室に連れていかれたことがあったけど、他の女子に気が引けて、やっぱり着替えは体育館裏のトイレを利用していた。

 体操服に着替えるのもそこのトイレ使用だ。


「授業前から息が切れてるじゃない。大丈夫? 未来」

「だ、大丈夫」


 着替えてダッシュで教室に戻り、制服を置いてからまたダッシュでグラウンドに出るせいで、体育前から息を荒くして地面に座り込んでしまう。


 今日は50m走のタイムを計測するんだ。

 男子の方も、グラウンドの逆側で同じ事をする予定になっている。


 竜神も浅見も足早そうだよな。タイムどれぐらいなんだろ。


 浅見はすぐに見つかった。良太と何か話してた。

 丁度目が合って、青と茶色の目を細めてふわっと笑って手を振ってきた。目付きは凶悪なんだけど、なんつーか可愛いやつだよな。

 竜神は……いないのか。サボってんなあいつ。くそ、この学校のどこにサボれる場所があるってんだよ。後で聞いてみよっと。


 女子は女子、男子は男子で縦列に並んでストレッチをしてから、名前順で計測開始だ。


 走り出すのは二人同時で、どんどん計測されていく。

 俺、日向未来は花沢と一緒に順番待ちしていた。美穂子は先生と一緒にストップウォッチ片手にタイムを取っている。


「お前の50mのタイムってどれぐらいなんだ?」

「私は……確か8.2秒だったかな。お前はどうだったんだ?」

「7秒ぐらいだったかな。生前の体で」

「その体のタイムは?」

「初めて計るからわかんねえ」


 いよいよ俺達の番だ。ゴール地点で若竹先生が片手を上げた。

「はい、次、いきますよー! 位置に付いてー、よーい、


 スタート!」


 花沢と俺はほぼ同時に走り出した。

 おかしい、足が回らない。

 邪魔な胸が揺れて痛い、スピードが出ない。

 体が重い、嫌になるぐらい空気の抵抗を感じてしまう。

 全然体が動かない!


 花沢の背中が遠くなっていく。


「未来、11.8秒」

 ゴールから数歩進んで、告げられたタイムに愕然とした。


 11.8?


 なんだよそれ。50mだろ?


「未来、どうした?」

 足を止めてしまった俺に花沢が問いかけてくる。

 返事をすることが出来ないまま、その場に立ち尽くしてしまう。


 50m、11.8。

 それが俺のタイム。


 なんだか、今更に、思い知った。

 本当に、もう、二度と、男の、日向未来の体には戻れないんだ。

 サッカーしたり、良太と馬鹿やって遊べる男の、日向未来の体は、もうどこにも無いんだ。


「ほら、次がくるぞ」

 花沢に手を引かれて、トラック横の待機列に座る。

 連れて行かれた場所に機械的に体育座りをして、膝に顔を埋める。


 11.8

 11.8

 11.8


 頭の中に何度も数字が浮かんできて、情け無い事に、俺はグラウンドの真ん中でガチ泣きした。


 静かに泣けてたはずなのに、吸った息が喉に詰って「ひ」と音が漏れるともう駄目だった。

 掴んだ二の腕に爪を立て歯を食いしばるのに、小さな嗚咽の声が消せない。


「未来、どうしたんだ」

 爪を食い込ませる掌の上に、花沢が掌を重ねてきた。やめろって言外に伝えられているのが判るのに、力を抜くことなんて出来そうにない。

「何かあったの? 日向君」

 焦った若竹先生の声が近づいてくる。

 すいません、恥ずかしいからちょっとだけそっとしといてください。それだけの言葉が声に出せない。一言でも発してしまえば絶対泣き声が押さえられなくなる。


「辻先生、日向さんが……」

「どうした、具合が悪いのか日向」

 具合が悪いわけじゃない。膝に顔を埋めたまま、首を振る。


「具合が悪くないなら、体を起こしなさい」

 辻が後ろから手を回してきた。

 そして、あろうことか、俺の胸を鷲掴みにして、無理やり体を起こさせた。

 胸に指が食い込んで、周りに聞こえたんじゃないかってぐらい、鼓動が跳ねた。


「ひっ――――!」

 駄目だ! 叫ぶな! みっともない! 恥ずかしい!

 女の子みたいな声、出したくない!


 情けない泣き顔が女子達に晒されて、胸に食い込んでくる指が得体の知れない触手みたいな、何匹ものムカデみたいな、凄まじい嫌悪感があって、俺は完全に動けなくなった。


「やっぱり具合悪いのか?」



 太腿と胸の横に辻の掌が差し入れられて、横抱きに抱え上げられて、

 もう、駄目だった。



「ゃあああ……!」

 抱き上げられてるってのに、両手両足で暴れ撒くって辻を突き飛ばした。

 体が宙に浮いて、急速に迫ってくる地面に反射的に掌を付く。

 手首に、肘に、肩に衝撃が走る。姫抱っこされた状態、横座りするような体勢で落ちたので足は左側面が太腿からふくらはぎまで酷い激痛に襲われた。

 体中にグラウンドの砂や小石がいくつも食い込んでいる。砂をはらう事も、立ち上がる事もできなくて、四つん這いにもならない変な体勢で必死に膝と手を動かす。


「おい、ひゅう……」


 砂の上を這って逃げる肩を辻に掴まれた。

 男の手、だ。


「いや――! いや、だ、いや……! いやだ……!」

 


 暴れて、前のめりに倒れる。今度は太腿と膝と手首から肱までの皮膚が砂で擦り切れた。


 嫌だ、怖い、怖い、もう嫌だ!


 怖くて怖くて、完全に恐慌状態に陥った。

 それでも、あいつの声だけは聞こえた。


「未来!!」


 竜神!


 竜神、竜神、竜神!!



 校舎から走ってきた竜神は体操服に着替えてもなくて、靴も上履きのままだった。

 差し伸べられた腕にしがみついて体をささえ、首をうな垂れる。


「やだ……やだ、いやだ……!」

 体が震えるぐらい怖くて胸の中が苦しくて、何か喋ってないと呼吸ができない。でも何も言葉が考えられなくて、ただ嫌だ嫌だと繰り返すしかない。

「大丈夫だ、もう、大丈夫だから。オレがいるから」

 そうだ、竜神がいる。大丈夫、助けてくれる。もう、大丈夫なんだ。


 泳ぎ続けてないと死ぬ魚みたいに、喋り続けないとできなかった呼吸が、ゆっくりと出来るようになっていく。


「落ち着いたか? 体に触るからな」

 頭の中も心の中もついでに泣きまくった顔もぐちゃぐちゃだけど、なんとか頷いて見せる。竜神はそれを確認してから、俺を抱え上げ、校舎に向かって走り出した。俺の意識はそこまでしか持たなかった。







 眠りから覚めて、一番初めに脳に飛び込んできた情報は、「布のにおい」それから「見慣れない天井」「知らない感触のベッド」

 トラウマになってる上田宅での体験がそのまま再現されていた。

 う、ぁあああ!

 圧し掛かってくる男の幻覚が見えて、ベッドから転がり降りた。いや、落ちた。

「ど――の――――――丈夫!?」


 しゃっとカーテンが開く音がする。

 誰かの声が聞こえる。

 おんなのひとだ。こわくないはずだ。

 頭が働いてくれない。

 良く知らない人間が怖い。


「ちょっと――――てね、すぐ――――から」

 言葉が理解できない。

 襲いかかってくる男の姿が幻覚だってわかっているのに、体が竦んで五感が遮断される。

 胸に、辻に掴まれた感触が蘇ってきて、自分の両手でぎゅって触って感触を上書きする。

 気持ち悪い。忘れたい。簡単に忘れられたら楽なのに。


「未来」


 静かな呼びかけに、一気に意識が覚醒した。

「――――竜神」

 竜神が、一歩離れた場所で床に膝を付いていた。

「おう」

「………………竜神」

「おう」

「……全身痛い……」

「そりゃそうだろうな。掌も肱も膝も足も腕も擦り傷でボロボロだ」

 改めて自分の体を見る。確かに、あちこち包帯が巻かれていた。

 そっか、俺、変態糞爺(辻)の腕から飛び降りたっけ――――

「ってまじいてえし。手首とか肩とかすげえ痛ェ。どんな落ち方したんだよ……。くそ、あの変態、俺の胸思いっきり掴みやがって、痛かったし素でムカツク」

「あぁ、お前が胸触られたの見たらしくって、女子全員ドン引きしてたぞ。花沢や美穂子が本気で切れたの初めて見た。つくづく女は怒らせるもんじゃねーな」

「マジでか。あの二人が怒るなんて想像できねー。怖かったのか?」

「すげぇ怖かった」

 竜神も怖がらせるってどんな怒り方してたんだろう。見たかったなぁ、俺も怖いけど。

「浅見にも礼を言っとけよ」

「浅見?」

「辻に飛びかかって止めてたんだ。普段大人しい奴怒らせると怖いってのも本当だな」

「えええ! なにそれ超意外。肉体派に見えないのにな。今授業中なのか? 礼、言わなきゃ」

 竜神がちょっと苦笑した。

「今は無理だな。生徒指導室にいるから」

「え、なんで?」

「辻がな。救助の邪魔したとかなんとかイチャモンつけてんだよ。俺も、お前が起きたから保健の先生に呼ばれただけで、もういっぺん行かなきゃなんねーんだ」


「――――――ごめん! 俺のせいで!」

 まさか、そんなことになってたなんて。

 ここに居ない浅見にも竜神にも申し訳なくて、顔が見れなくて深く頭を下げる。


「謝るのはオレだろ。こんな怪我をさせちまって。ちゃんと、防げなくて――悪かった」


 またこいつはんな事言ってんのかよ。

 防ぐなんて無理だろ! 俺だってまさか先生が胸触ってくるなんて思ってなかったもん。

 俺が元々男だったせいだろうか。同級生も先生も体に触るハードルが低くなってるんだよ。

 背負わなくてもいい責任を背負ってる竜神に言ってやろうとした時。


「さっさと来んか! 竜神!!!」


 辻が保健室のドアを開けると同時に絶叫した。

「せ、先生、寝ている子もいますから、声を押さえてください」

 保健の先生の制止も聞かず、床に座って話す俺と竜神の横に立つ。

 カーテンは閉めて無かったから、俺達がどこにいるか入り口から丸見えだったんだ。


「またいちゃついてるのかお前らは! 怪我人や病人が使うこの場所で恥ずかしいとは思わんのか!」


 なんかもう、駄目だった。一気に頭に血が上った。

 だって、こいつが俺の胸触ったのが悪いのに、浅見や竜神が文句言われてるなんて耐えられなかった。

 勢い良く立ち上がって、辻に向かって言い放ってた。


「いちゃついてなんかいません。竜神君は変質者から助けてくれたんで頼りにしてるだけです。先生みたいに助けるとき胸触ったりもしてこないし、抱き上げる時もちゃんと俺に確認してくれるし! そもそも俺、男ですから。いちゃ付いてるみたいに見える先生の目がどうかしてるんじゃありませんか? ぶっちゃけキモイです」


「お、おま、お前、先生に向かってその口の聞き方はなんだ! 胸を触ったのも救助活動の一環でたまたま」

「救助活動? 救助活動で胸? 保健の先生、救助活動で俺の胸両方とも後ろから鷲掴みにされたんです。なんの救助なのか教えてください」

「日向!!!!」


 ぐ。

 怒鳴られて、立ち向かっていたいのに、体が勝手に一歩下がった。

 自分でも情け無いんだけど、俺、もともとモブ的度胸と喧嘩力しか無いから、ここまで言えただけでも大健闘だった。

 元々根性無しの上に、今はちっちゃい女の子の体。

 辻が滅茶苦茶でかく見えるしこれが限界だ。


 しり込みする俺と辻の間に竜神が立った。


「先生が日向君の胸触ったのは否定しようもないんですから、そんな怒鳴らないでくださいよ。日向君が初めての脳移植成功例で、マスコミに追われまくったのは知ってますよね。初めての成功例の男が、先生にセクハラされたなんて、すげーネタっすよね。いくらで売れんのかなぁ」

 どこか人を食ったような喋り方で竜神が言った。

「竜神……!!」

「いやいや、冗談っすよ冗談。冗談ですから――――浅見君と日向君は今回だけ大目に見てくださいよ。授業サボったオレはいくらでも説教受けますから」


「――――――――こい! 竜神! 反省文を書き上げるまで帰れると思うな!」

「えー、作文苦手なんすけど……、お説教で勘弁してくださいよー」

「ふざけるな!!」

「竜神!」

 名前を呼ぶと、辻の後ろに続く竜神が、まるで引っ込んでろとでも言わんばかりに掌を向けてきた。


 

 体育の授業をサボったっていう、歴然とした「生徒の悪」を落しどころにして、浅見と俺に向いていた辻の怒りを、竜神が一人で持って行ってしまった。


 あーもう、本当に俺は情けねえな! 無駄に辻の怒りに火をつけただけじゃねーかよ!

 いつかあいつに借りを返すことができるんだろうか。必ず返したいな。してもらった以上のことを。

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