安眠できる場所
『明日、学校終わってから俺の家に来ねえ?』
「え?」
これ、竜神からのメールだよな? ついつい発信者を二度見してしまう。間違いない、竜神からだ! すげー、初めて竜神から誘われた!
「なんだろう、めっずらしー。家に誘ってくれるなんて、竜神って俺のこと友達だって思ってくれてんのかなー!」
竜神って毎日俺の送り向かえしてくれてる。学校行くときも、帰るときも。
スーパー寄りたいって言ったらスーパー付いてきてくれるし、ハンバーガー食べて帰りたいって言ったらバーガー屋まで付いてきてくれる。
会話もちゃんと続くし、ジャンプとかサッカーとか共通の話題も結構合って、一緒にいて楽しい。
だけど、竜神から、どっか行こうって誘われた事は無い。
あいつの親戚が俺を撥ねたから、俺が変な男に絡まれたりしないよう、律儀に傍に居てくれてるってだけで、友達とは思ってないんだろうなーって薄々感じてた。
家に誘ってくれるってことは、俺のこと、友達だって思ってたってことだよな?
早く返事しないと!
『行く行く!(掌の絵文字)めずらしいな、何かあったのか(動くハテナ)』
返事はすぐに来た。
『花が会いたいって』
あ……、そうですか……。なーんだ……。
…………テンション下がった。
はー。
深く溜息をついて、携帯を閉じた。
花ちゃんの紅茶のお誘いって社交辞令じゃなかったのかー。
気が重いなあ。あんな可愛い子と何を話せばいいんだろ。
初対面では話せても、改めてお邪魔するとなると緊張するのって俺だけか?
翌日放課後。昇降口で靴を履き変えながら竜神が改めて言った。
「時間取らせて悪いな。花がどうしても会いたいってうるさくてよ」
「気にしないでいいぞ。どうせ俺、暇だし」
どうでもいいけど、俺の靴箱、生前の俺が使ってた場所そのままなんだよな。男の方にある。竜神と話しながら出られるから地味に便利だ。
――――
桜咲駅で電車を降りてすぐに、竜神の携帯に着信があった。花ちゃんからだった。
通話を繋いで、二、三言葉を交わしてすぐ、竜神の眉間に皺が寄った。
「は? お前、人呼んでおきながらそりゃねーだろ。ちょっと待て。未来、呼んでおいて悪いが、花に急用が出来た」
「え、そうなの?」
「友達二人が喧嘩して、仲裁に呼ばれたらしい。どっちもあいつの小学校時代の親友らしくてな」
「そっか。んじゃ仕方ないな。気にしないで仲裁頑張れって伝えてくれよ」
竜神は俺の言葉を伝えて、通話を切った。
「悪かったな。わざわざ来てもらったのに」
「気にすんなって。あんな可愛い子と何話せばいいか悩んでたし。緊張してたからほっとしたよ」
「緊張? 花相手にか?」
「お前みたいにコミュ力ある奴にはわかんねーかもだけど、俺みたいな男が可愛い女の子と話すときは緊張するんだよ」
「別にコミュ力なんてねーよ。お前、美穂子や花沢と普通に話してるじゃねーか」
「あいつらも慣れるまで一ヶ月ぐらいかかったの。お前にコミュ力ねーなら俺なんか虫以下だぞ。俺の近所の人ともいつの間にか仲良くなってたくせに」
俺の家の近所に住んでるすっげー変人で有名な爺さんと、こいつ、普通に話をしてたからな。まじでびっくりした。うちの母ちゃんでさえてこずるジジイだってのに。
「あれはたまたま仲良くなっただけだ」
コミュ力無い俺にはその「たまたま」さえ無いんだよ! 基本的に逃げるコマンド使用だからな!
「菓子は焼いてるそうだから食って行けよ」
「え、花ちゃんが焼いたの?」
「あぁ。美味くはねーけど普通に食えるから」
「手作りの菓子食ってみたかったんだよ! すげー嬉しい! 何作ってくれたのかな。楽しみ」
手作り菓子ってなんつーか、こう、ロマンがあるよな!
調理実習で貰うイベントに憧れ続け早十五年。死ぬまでいただくことはありませんでしたけど。
花ちゃんが不在ってことは判っても、竜神のお父さんやらお母さんやらが出てきたらどうしよう、俺、ちゃんと挨拶できるかな……。と、どぎまぎしつつ入るが、竜神宅は無人だった。よかった!
竜神の部屋に通されて、「菓子を持ってくるから座ってろ」とクッションを指差された。触り心地のいい低反発クッション。うわ、気持ち良いなあ。俺の部屋にも一個買っちゃおうかなー。
俺の部屋にあるのは、近所のオバちゃんから貰った葬式の時に使うみたいなでかい座布団です。小遣い月五千円で貧乏だから、使えるものは遣い倒してるんだよな。
ふにゃんふにゃんとクッションの感触を楽しんでから、なんとなく、室内を見回す。
机とベッドと本棚。テレビとゲームと詰まれたジャンプ。
なんつーか、まじで俺の部屋と大差ないな。
本棚のマンガは超有名なマンガばっか、ゲームも超有名なソフトばっか。面白くねー。エロ本でも探したろか。
ん?
机の上に、見慣れない本が積まれてる。
警察官の手記や指南書だった。
あいつ、本気で警官を目指してるんだな。
子供にも好かれるし変人にも好かれるし警察向いてるよな。俺みたいな一般人としては、竜神みたいな男には是非お巡りさんになってもらって、この街の治安を守って貰いたい。頑張って欲しいな。
「未来、ドア開けてくれ」
声に促されて、ドアを開く。
お盆を抱えた竜神が入ってくる。盆に乗ってるのは冷えた紅茶と――――、皿の上に、色んな形のちっちゃくて可愛いクッキーが乗せられていた。
「わー、かわいーなー」
憧れの、女子の作ったクッキー……!
「いただきます!」
早速一つ口に入れる。うわ、美味い。
普通に食えるどころじゃない。
「超美味い! なんだこれ、すっげー美味い! おっまえ、家族にこんな美味しいクッキー焼いてもらえるって幸せ者だなー」
「褒めすぎだろ」
「すぎてねーよ! どんだけ口が肥えてんだ。あ、これ超美味い! この、ゼリー乗ったの全部俺のな」
竜神が手を伸ばす前に寄せてしまう。
「こんな美味しいクッキーを褒めすぎとかいう舌馬鹿にはやらん」
「そんな気に入ったんなら、また焼かせるぞ」
「簡単に言うなよ。お前、菓子作ったことないだろ。菓子作りって金も時間も掛かるんだぞ。クッキーなら一回作るのに二三千円掛かるっての。俺、小遣い月五千円だから材料費も出せないもん、いらねーよ」
「そんなもんか?」
竜神がクッキーを咀嚼して首を傾げる。
あー、こいつ、駄目な兄貴だ。花ちゃんがあんな態度なのもわかるわ。
それにしても美味しいなぁ。食ってるだけで顔がにやける。
食べまくってる俺の顔を見て、竜神はちょっと眉根を寄せた。
「お前、クマあるな」
う、ばれたか。
やっぱ、一緒にいる竜神にはわかるよな。
「早苗ちゃんのクソ親父に襲われた日から、あんま、寝れてないんだよ」
ベッドに寝ても、布団に寝ても、なんかデジャブしてしまうんだよな。あのオッサンがのしかかってるのが。
だからいまいち熟睡できない。布団に入っても、午前三時までゴロゴロしてて、五時か六時に目が覚めるって生活をしてる。
「あんな目にあって、熟睡できる人間なんかいねーか……。オレが」
言葉の先に続くのは、竜神が自分を責める言葉のような気がしたんで、俺は咄嗟に竜神の口を押さえてしまった。
「助けてくれてありがとうな。今日も家に誘ってくれてありがと。このクッションもフカフカだしなー、俺も買おうかなー」
低反発クッションに寄りかかってごまかす。
クッキーを次々に口に入れてたんだけど……。
とうとう限界が来た。
「う……もっと食べたいのに、もう食べられない……! くそ、前の体だったら、完食なんか簡単だったのに……!」
まだまだクッキーは残ってるのに、俺の腹が限界を向かえてしまった。早苗ちゃんの体になってから、食事の量が四分の一になっちゃったんだよな。本気でそれが悲しい!
「キッチンペーパーでいいなら、包むぞ」
「いいの!? すげー嬉しい!」
皿を運ぶ竜神についていって、キッチンペーパーを頂いて包む。
ふふふふふ、明日のおやつにしよーっと。
頬ずりしつつ階段を登る俺を、竜神は本気で呆れた目をして見てた。くそ。美味しいお菓子を作れる妹のありがたさがわからん男はこれだから。
「何か観るか?」
竜神がDVDの束を指差す。
ホラーが苦手なんでちょっと警戒してしまう。よく吟味して、怖い要素が全くないバラエティ番組のDVDを選んだ。
クッションを腕の下敷きにしつつ床にうつ伏せに寝そべる。
あ、このクッション、竜神の匂いがするな。
そりゃそうか。竜神の部屋にあるもんな。
あのクソジジイに乱暴されて制服のボタンを千切られた俺に、竜神が服を貸してくれた。あの服と同じ匂いだ。
うー、ふかふかクッションの触り心地いいなー。
――――なんて満喫してる間に、俺は、いつの間にか眠りに落ちていた。
「おい、そろそろ花が帰ってくるから起きろ」
「んぅ……」
なんか、遠くから声が聞こえる……。
「起きろって」
あ! そっか、俺、竜神の家に来てたんだ! なんで寝ちゃったんだよ!
意識は覚醒すれども、体はまだ緩慢にしか動いてくれない。
「うぅ…………ごめん、すげー熟睡してた……。お前の匂いがしたから……」
あれ、今、俺、変態みたいなこと言わなかったか?
ちょ、今、俺、変態みたいなこと言ったぞ!
「いやいやいや、その、俺が男の匂いが好きな変態とかじゃねーぞ! 襲われた時お前が助けてくれたから、安心したってだけだからな!」
竜神が傍にいれば二度とあんな目に合わない。だから本能的に安心しちゃって、不眠だったせいもあってついつい爆睡しちゃったと言いますか、その!
「変態なんて言ってないだろ」
「そだったな。変な事言ってごめん、今、俺、超キモかった。お邪魔しました、おいとまいたします」
いつの間にか寝せられていたでかいベッドから降りる。
「おい、ふらふらしてんのに動くな」
「だって、花ちゃん帰ってくるんだろ? 俺がいたら、またお前怒られるだろ。帰るよ」
お兄ちゃんと女が二人っきりで部屋にいたら、やっぱ妹は嫌だろう。しかも俺、見るからに寝起きだし。
「家まで送ってく」
「いいよ。気にすんな。一人で帰れるから」
「俺はお前の護衛だって言ったろ」
生真面目だなあこいつ。
……今の時間なら電車にも座れるだろうし、座席に座って、もうちょっとだけ眠らせてもらおうかな。こいつの傍だとよく眠れるみたいだし。