拒絶反応?
「さ、帰るよ。竜神君も家まで送ってあげるからね。確か桜咲町だったわよね」
母ちゃんが俺と竜神の腕を引いて歩き出した。
遠慮する竜神を無理やり引っ張って、ボロ車(軽)に押し込む。
こう言うときのオバちゃんパワーは凄まじいな。母ちゃんより二十センチ近く身長の高い竜神が易々と引っ張られるなんて。
俺が助手席の後ろ、竜神が運転席の後ろだったんだけど、竜神が腰を浮かしたと同時に、俺を運転席の後ろへと追いやった。シートに座ったままの体を、片手で押し出すように軽く動かされたんだ。こいつ、まじで力すげーな!
場所が落ち着くと、竜神の腕が俺の横に回って、シートベルトを付けさせられる。
「シートベルトなんて……」
「交通法規を守るって言ってただろ。ちゃんとしろ」
う、そうだった。つい油断してしまう。
「じゃあ、お前もちゃんとしとけよな」
竜神が俺にしてくれたように、竜神の腰にシートベルトを回そうとするけど届かなかった。なんとなく視線を合わせて笑ってしまった。
俺の手と比べて1.5倍はありそうな大きな手がベルトの長さを調節する。
節くれだって関節が目立つのは喧嘩、じゃない、オヤジさんとお爺さんに鍛えられているからだろうか。
すげえ、男の手だな。
生前の俺の手より随分でかい。そういや、前の体のこと思い出すとき、生前って考えちゃうけどおかしいよな。こうして生きてるのに死んでるみたいな表現して――――。
ぼうっと考え事していると、竜神の手が俺の手に触れた。
握られたわけじゃない。ただ、手の甲と甲が触れただけだ。
それなのに、思いっきりびっくりして手を引いてしまった。
「未来?」
どうした?と問うように竜神が首を傾げた。
「な、何でもない」
なんであんなにびっくりしてしまったんだろうか?
手を握って、開いて、また握る。
今になって拒絶反応が出たとか言わないよな? 頼むから言わないでくれよ早苗ちゃん。
車が駐車場を出る。ふと気になって母ちゃんに尋ねた。
「早苗ちゃんのお母さん見た時、母ちゃん意外と冷静だったな。飛びついて行くかと思ってひやひやしたよ」
母ちゃんはハンドルをきりながら、哀れみでも蔑みでもなく、ぽつりと零した。
「子供死なせた母親に追い討ちかけることなんてできないよ。…………あの人は一生後悔して生きていくんだろうねえ……」
と。
竜神の家は和風の一軒家だった。
鬼瓦がある本格的な佇まいで、黒枠の洒落た引き戸の玄関が見える。
「送ってくださってありがとうございました」
「こっちこそ、いつも未来の面倒を見てくれてありがとうね」
車を降りてからわざわざ母ちゃんに一礼して、玄関に向かって歩き出す。
「ほーんと、今時珍しい礼儀正しいいい子じゃないか。あんな子がアンタの婿になってくれたら母ちゃんも安心なんだけど」
「俺は俺より小さな可愛い嫁が欲しいです。――って、あれ?」
竜神は玄関を開けると、その場に膝を付いていた。
何か落したのかな?
蹲った体がぐらりと傾いた。
「竜神!?」
車を飛び出して竜神を支える。片手をついてて倒れこみはしなかったものの、姿勢を戻せないでいる。
「わり、……薬が、ぬけねえ、」
そうか、こいつ、俺といるからか気を張ってたみたいだもんな。家に入って安心した途端一気に回ったか。
「そうか。俺の肩に捕まれ」
「……じょうぶ、お前は、かえれ」
「いいからほら!」
竜神の腕を肩に回して、片手で手首を引っ張って、もう片手を竜神の背中に回して立ち上がらせる。
う、おっも、
「大丈夫かい、未来」
「うん、平気。部屋まで送ってくるから、母ちゃんは待っててくれ」
靴を脱いで玄関に上がっていく。築40年の俺の家とは違い、玄関のたたきがバリアフリーだ。
「お前の部屋どこだ?」
「二階の、上がってすぐの、」
玄関に入り、中ドアを開けると、吹き抜けの階段とリビングになっていた。カバンは玄関先に置いたまま、竜神を支えて歩き出す。竜神はもう半分以上眠ってしまってた。
こいつ、こんだけ薬にやられてたのに、弱音も漏らさず頑張ってくれてたんだな。
なんか俺情けないな。全然気が付かなかったよ。
せめて部屋までは責任持って運んでやろう。
どうにかこうにか階段を上がり、竜神の部屋に入る。俺の部屋と大差ない、ごく一般的な高校生の部屋だ。
「よし、ついたぞ、ベッドに上がれるか?」
「う……」
さぁ寝かせるぞと踏ん張った瞬間、思いっきり転んだ。そして何がどうしてそうなったのか、俺と竜神は一緒にベッドに倒れこんだ。仰向けになった俺の上に、竜神が倒れこむ形で。
うわあああああ!
なんだこれなんだこれ! なんだこの嬉しくないエロハプニング! どうせ上に乗られるなら可愛い女の子がいいです!
「ちょ、りゅう、おい!」
ベッドの上に倒れた、とは言っても、倒れこんだのは上半身だけ。
竜神は完全に眠ってしまっている。
体格のいい男の全体重(しかも寝てるので超重い)は半端じゃない。
「うぐ……!」
必死になって這い出ようとしてみたり、振り落とそうとしてみるものの、ほんとに、ほんっとに全然動かない! なんだこの状態!
ちょ、まじ苦しい、苦しいって!! 無駄に出っ張った胸が潰されて肺が圧迫されてる!! 腹にも体重が乗ってて、ひふ、ひふ、って息しかできない。
「――ちょ、起きろ竜神! がちで呼吸が、くるし、」
おきろー! 叫ぶ声もほんの小声しかでない。呼吸圧迫されてんだから当然だけど。
背中を拳で叩くが帰ってくるのは健やかな寝息だけ。
くそ、もう一度全力で――――!
「帰ってきてたの? おにいち」
開きっぱなしにしてたドアから、女の子が入ってきた。
凍った。
本当に時が凍った。
こんなことってあるんだな。
俺もだけど、女の子も笑顔で固まっている。
「いやああばか兄貴の変態いいい!!!! 」
叫ぶと同時に女の子は竜神を飛び蹴りして、俺の上から叩き落した。
「女の子押し倒して何してんのよこの変態!! 犯罪者!! ばかあああ!!!」
床に叩き落した竜神に馬乗りになって、がんがんと後頭部を床に叩き付けはじめる。
「ちが、違う! そいつ寝てるから、俺は竜神を運んできただけだから! それに俺、男だから襲われてないから!!」
「男……? ひょっとして……日向未来さん?」
半泣きで竜神を攻撃していた女の子が俺を振り返る。
「そう! その、今日色々あって睡眠薬盛られてこいつが助けてくれたんだけど警察に行くことになっちゃって俺の母ちゃんが迎えに来てくれたからこいつ送ってきたんだけど玄関先で寝ちゃってここまで運んできたんだけど転んじゃって下敷きになっちゃっただけで何もされてないからところで竜神の妹さんですか!?」
もう怒涛のごとく声を吐き出して竜神の潔白を訴え続けた。
自分より二倍は大きい男相手に、容赦なく飛び蹴りをかましてきたのは綺麗な黒髪の女の子だった。ボブカットって言うのかな? 肩に付くか付かないか程度の長さの髪型で、竜神とは全く似てない大きな目をした、俺よりも小柄な可愛い子だ。
「襲われてないって本当?」
「本当本当!」
「でもほっぺた赤くなってます。兄貴に殴られたんじゃないの?」
「竜神が女殴るわけないよ! ほら、そいつ寝てるだろ?」
俺が八つ当たりで殴っても、竜神は反撃するどころか避けようとさえしなかった。そんな奴が女を殴るなんて考えられない。
女の子は胸倉を掴んでいた竜神を見た。
多分後頭部にはコブが二三個出来てしまっただろう。それでも竜神は目を覚ましてない。
寝ているのだと確認できたのか、女の子は深い深い安堵の溜息を吐いて竜神を離した。中途半端な高さから離したせいで、また床に後頭部をぶつけてしまい、ごつ!と痛そうな音がした。
「よかったぁ……」
竜神の上に跨ったまま、女の子は全身から力を抜いた。
すぐにはっとしたみたいな顔をして、慌てて立ち上がる。
「はじめまして。強志(つよし)の妹の、花(はな)と申します。私どもの親類の不注意で貴方の体を害わせてしまい、心よりお詫び申し上げます」
多分中学生だろう女の子に深々と頭を下げられてしまい、俺は慌てて両手を振った。
「いえいえいえいえどうかお気になさらずに! そもそも俺が信号無視して道路に飛び出たのが悪かったんだから! こちらこそごめんなさい!」
すげえ丁寧な挨拶をする子だな! 私どもだなんて俺、生まれてこのかた使ったことないや。
花さんは顔を上げると俺を心配げに見上げてきた。
「兄が失礼な事してすいません。お怪我はありませんか?」
「うん、俺が転んじゃっただけだから、竜神を責めるのは止めてやってくれな。こいつ、なんも悪くないから。ベッドに上げたいから手貸してくれよ」
「はい」
俺が頭側に回って上半身を、花さんに下半身を持ってもらって、竜神をベッドに上げようとしたんだけど……
「うー!」
「おもいー!」
「ちょ、ちょっとまって、もう一回……、せーの!」
「うー!」
駄目でした。
俺と花さんは息を切らせつつ、二人して床に両手を付く。
「このばか兄貴! 起きろ起きろ起きろー!」
べちべちべちべち! 花さんがまたも竜神の腹の上に跨って、容赦なく頬を乱打する。
やめたげてよお! 妹ってもうちょっとこう、可愛い存在じゃねえのかよ。いきなり飛び蹴りしたりビンタしたりってちょっと容赦なさ過ぎじゃないか!?
「あーもう全然起きない! このまま寝かせときましょう。馬鹿は風邪引かないから心配しないでください!」
「え、あ、う、うん」
「こんなむさ苦しい部屋じゃなくて、居間に降りませんか? 私、紅茶入れるの得意なんです。よかったら……」
「お気持ちは嬉しいけど、外で母ちゃん待たせてるから。ごめんな」
「じゃあ是非、お母様も御一緒に!」
「それが、車だからさ」
ここいらは駐車禁止だから、路駐はできないんだよな。
「そうですか……」
花さんはしょんぼりと頭を下げてしまう。なんか元気をなくした犬耳だか猫耳だかが見えるようながっかりっぷりに、こっちまで心が痛くなる。
「あ、あの、また遊びにきてもいいかな? よかったらその時に紅茶飲ませてくれたら嬉しいんだけど」
「本当!? また来てくれるの?」
「うん」
腕を回して飛びつこうとする花ちゃんを、掌でやんわりと押しとどめる。抱き付いて来たとは言え、竜神の大事な妹を抱き締めるなんて出来ないからな。つか、この子人懐っこすぎじゃね。
「絶対、また遊びに来てくださいね!」
玄関で頭を下げて見送ってくれた花さんに挨拶をして、竜神の家を後にする。
しっかし、ヤクザの八代目跡取りみたいな竜神に、あんな小柄で可愛い妹がいたなんて意外だな。姉妹がいるって想像さえできなかった。俺も下の兄弟欲しかったなあ。できたら女より男がいいけど……。
「遅かったね。何かあったのかい?」
「ごめん母ちゃん。竜神の妹さんと話をしてたんだ」
待ってくれていた母ちゃんに謝りつつ車に乗り込んで、俺達は帰路に付いたのだった。