未来の決断
知ってたんだ。
早苗ちゃんが、あのクソみたいな父親に乱暴されてるってこの人は知っていたんだ。
だから、俺に家に招かれたら友達をつれて来いなんていったんだ。見越して警察も呼べたんだ。
「あんたは――――」
言葉の限り罵ろうとしたが、顔をあげたおばさんは、俺と目が合うと凄惨に笑んだ。そうしてようやく気が付いた。母は、娘の仇を討ったのだと。
「貴方のお陰で、『早苗が生き返ったお陰で』早苗の無念を晴らせるわ」
淡々とした声。
「何もかも遅いけど、何もかも証言するつもりよ。早苗の虐待こともね。ありがとう、未来さん……。辛い目に合わせてごめんなさいね」
罵ろうとしたのも忘れ、俺は頭を下げた。利用されたとは怒れなかった。きっとこれは、俺が支払うべき早苗ちゃんの体への対価なのだ。
「腫れたね。女の子の顔を殴るなんて最低の男だ。あとが残らないようにこれを張っておきなさい」
警察官が眉間に皺を寄せて俺にシップを差し出してくれた。
お礼を言って受け取る。
貼ってやると言ってくれた竜神に甘えて目を閉じた。
傷のせいで熱を持ってた頬に、ひんやりと気持ちいい冷たさが広がった。
目を閉じたまま、考える。
俺は、女じゃねーよ。
俺は、女にはなれない。おばさんの笑顔が頭から離れなかった。俺は、あんな笑い方はできない。女の、母の強み――凄みは、俺には一生かかっても体得できそうにない。でも、俺は男じゃない。どれだけ中味が男でも、外見が女である以上俺は男じゃない。
俺は、何者なんだろうな。
「自分が何者かなんて判るわけねーだろ」
いつの間にか口に出していたんだろう、竜神が俺の体を支えながらいった。
「お前の傍には達樹や浅見がいる。オレだってそうだ。美穂子や花沢や佐野だっているだろう? 皆お前とつるむのを楽しんでる。自分が何者かなんて、どうせ答えなんか出っこないんだ。考えすぎたら、どうして答えがでないんだって自分を責めるようになって、自分がどんどん嫌いになっちまう……と思う。だから、考えすぎるなよ。お前はお前なんだから」
竜神の言葉に視界が開けた気がした。そうだ。俺は俺で。俺は何がしたいんだ? 俺はどう生きたいんだ?
「そうだな。俺は俺なんだ。それ以上にも以下にもなれないよな」
俺は何がしたい?
男として生まれたけど、信号無視なんて馬鹿なことをして死んでしまった。新しく、早苗ちゃんの体を借りて生き返ったのは、この上なく幸運だったからだ。本当は、俺は事故った時点で死んでた。
だとしたら、することは一つ。
「俺は、早苗ちゃんを守って生きる」
辛い思いをして、こんだけ可愛いのに、輝く暇も無く死んでしまった早苗ちゃん。俺は、この子を守る。
早苗ちゃんの体の中で、早苗ちゃんを守って生きる。それが、俺のやることだ。
「いいんじゃねえの? 達樹や浅見は反対すると思うけどな」
「ふふ、欲しがれ欲しがれ。片っ端から袖にしてやるさ。早苗ちゃんは俺のだ」
「人はそれをナルシストと言うな」
「うるせー」
警官の先導でパトカーに乗り込んでいると、眠らされていた面々が玄関から飛び出してきた。
「未来!」「未来先輩!」「未来!」
ドアを開け、我先にとなだれ込んできた。前のドアからも。
「おれがついてたのに、怖い目に合わせてごめん、先輩!」
達樹が俺の手を取ってきつく握り締めた。
達樹を押しのけて、そっと、浅見の指先が俺の頬の傷をなぞった。
「酷い……、痛かったよね。僕、もっともっと強くなるよ。もう二度と薬なんかで眠らされたりしないように。こんな怪我なんかさせないから」
美穂子が竜神を押しのけて、俺のぶかぶかの制服をきつく掴んだ。
「未来、大丈夫!? 怖かったでしょう、酷いよね……!」
「皆、薬切れたんだな」
「ううん、まだしぱしぱする! 気抜いたら倒れそう! でもびっくりして、一気に目が覚めちゃった」
「大丈夫だったか? 酷い目にあったな」
良太と花沢が同じ様な口調で同じことをいい、車の外から覗いている。傍らには美羽ちゃんもよりそって。
「平気だ。ただ、俺と竜神は警察署に行かないとならないけど」
「おれ達もここで事情聴取させられるんです。でも、警察署まで迎えに行くから、先輩待っててくださいね。一人歩きしちゃ駄目っすよ」
「必要ねえよ。竜神に送ってもらうからさ。先に家に帰ってゆっくり寝てろ」
「先輩を助けたのって、警察じゃなくて竜神君だったの?」
じっと達樹と浅見が竜神の顔に注目した。
「未来は任せてろ」
竜神が答えると、二人は再び俺に詰め寄ってきた。
「未来先輩、ひょっとして、こいつに惚れたとかいわないっすよね!? 駄目だよ、こんなヤクザに惚れちゃったら先輩の人生真っ暗ですよ!」
「そうだよ。そのうち体に刺青とかしちゃったりさせられちゃったりするんだよ。温泉にもいけなくなっちゃうんだよ」
どこか外れた心配をする達樹と浅見に、俺は心の底から苦笑してしまう。
「ヤクザ? 待て、誰がヤクザだ」
「え? 違うの?」
きょとんとその場の全員が竜神を振り返る。
「だって、一人だけ睡眠薬が効かないなんて、普通じゃないし」
「ねぇ。私もてっきりやくざの八代目跡取り息子だと思ってた。だって見た目が」
どっから八代目を引っ張り出してきたんだ美穂子。でも俺も同感だ。
「ヤクザじゃねえよ。全然逆だ。オレの家は昔っから警備隊員を排出してる家で、見た目がごついのは、オレも警備隊員目指してて現役の父親に鍛えられてるからだよ」
そ、そうだったの!?
警備隊員って確かSPのことだよな!?
ぜ、全然知らなかった。完全にヤクザだと思い込んでた。なんか悪いことしたな。
「それなのにオレは何をやってるんだ同級生一人守れなかったなんて」
竜神が物凄く落ち込みだした。いや、それはもういいっての。父親が薬盛ったり襲ってくるなんて神様でも予測できないし。
「あぁ、どっかで見たと思ったら、竜神さんの息子さんか! 昔一度お邪魔したことがあるんだけど、君はまだ小さかったからぴんとこなかったよ」
運転席で達樹たちの剣幕に閉口していたお巡りさんが振り返って笑った。
「父がいつもお世話になってます」
「とんでもない、お世話になっているのはこっちだよ」
おー、お巡りさんに知り合いもいるのか。なんか凄いぞ。
「未来先輩! 竜神先輩に惚れたら駄目だからね! 先輩はおれのなんだから!」
「達樹君のものじゃないでしょ! でも竜神君のものでもないよね、ね、未来」
「落ち着けよお前等……」
制止しようとする俺を他所に、
「こらこら、この子は竜神君の彼女なんだろう? 綺麗な子だから、横恋慕するのもわかるけど、彼氏の前でがっつくもんじゃないよ」
お巡りさんが灯油缶に松明を放り投げた。
この後の騒ぎはとりあえず置いとく。
心の底から心配してくれる友達がとてもありがたい。
この先も襲われたり痴漢にあったり怖い思いをすることがあるかもしれない。
好きな女の子が出来て、でも恋人にはなれなくて苦しい思いをするかもしれない。
一つ一つ乗り越えて頑張っていこう。早苗ちゃんを守りながら。
あ、そうそう、今後何があろうと絶対、絶対、交通法規だけは守るぞ!