母
「こんなのって、ねえよ、可哀想過ぎるだろ!!」
早苗ちゃん、父親に襲われて、俺でさえも無力感と絶望で恐くて仕方なかったのに、早苗ちゃんはどんなに怖かったんだろうか。どんなに辛かったろうか。
涙が全然止まらない。
「未来」
「男が体に触るなっつってるだろう!」
再び手を上げる。まだ朦朧としている俺のビンタなんか簡単に避けきれただろうに、竜神はあえて避けなかったようだ。
「なんで避けねえんだよ……」
体に残り続ける恐怖で、情けなく震えながら抗議する。
「オレは頑丈だから叩かれたぐらいじゃどうってことないからな。気が済むまで殴っていいぞ」
ぽんと頭を撫でられて、一気に正気に戻った。男がみんな、そこで半裸で伸びているおっさんみたいな屑ばかりじゃないと、この世にいる女性の中で一番良く知っているのは、元男の俺じゃないか。
竜神の優しさに、逆立っていた神経が一気に撫で下ろされた気がした。
竜神は眉根を寄せて、苦しげに言った。
「助けられなくてすまなかった。オレのせいだ」
「…………助けてくれたじゃねえか。殴ってごめん。ありがとう」
パトカーのサイレンの音が響いて、庭先で止まった。
「なんで……?」
来るのが異常に早いというだけでなく、誰も通報してないのに、竜神だってそんな暇は無かったはずなのに、誰が呼んだんだ?
「この家に俺たち以外に誰かいたらしいな」
玄関の開いた音がする。足音が近づいてくる。
「大丈夫ですか……って、うわ、ひどいな」
部屋に踏み込んできた警官は、前歯を叩き折られて失神している半裸のおっさんに、蔑みと驚きと同情をミックスした声を上げる。
「オレがやりました」
竜神は聞かれる前に答えた。
「友人が襲われそうになったんで加減ができなくて」
「あーあー、いいよ、話は聞いているし、この状態をみれば何があったか一目瞭然だ。大丈夫かい?」
優しく尋ねる警官に、こくりと頷いて答えた。話は聞いたって誰に聞いたんだろうか。ボタンを飛ばされた制服を掻き寄せる。竜神は自分の制服を脱いで貸してくれた。
「わりい」
Tシャツ姿になった竜神に圧倒される。服を着ていても筋肉質だとは分かり切っていたが、想像以上にしっかりとした筋肉がついていた。
「おぉ、いい体してるな。卒業したら警官にならないか?」
「お誘いは嬉しいですけど、今回ので前科持ちになりそうだから警察に就職するのは無理ですよ」
「いやいや、正当防衛が成り立つよ。そのガタイじゃ多少のやりすぎは仕方ないだろう。ただ警察署に来て貰うことになるが、まぁ、形式的なものだし。……強い彼氏がいて良かったね」
俺は黙って俯いていた。こいつの彼女のフリしとけば、情状酌量の余地も広くなるだろうし。ただ、一つだけ、気になることがある。
「通報したのは、誰なんですか?」
「あぁ、それなら――――」
警官がもう一人入ってきた。伸びている男に呼びかけるが意識は完全に無く、救急車を呼ぶか、と相談している。一人が変態を見張り、もう一人が無線機で通報した。その人に先導され、俺と竜神は連れ立って部屋を出た。
「薬を盛られたんです。友達が六人、その部屋で眠ってます」竜神が説明しながら、応接間のドアを開く。皆はソファの上に座り込むように眠っていた。達樹のバカがよだれまで垂らしてて、ちょっとだけ笑った。
二階から警官に連れ添われて、女性が下りてきた。おばさんだった。
この人が警察に通報していたんだ。