痴漢は男の敵でもあります。
……電車…嫌……。
竜神が居ないこの日、電車に乗ることになったのですがそれだけで気が重い。
竜神が居ないのは、南の島で起こったわけのわからない事件のせいで、竜神だけが何度も事情聴取に呼ばれてるからだ。
死んだ人たちのツイッチャー投稿やインスチャ、レインとか、SNS関係の記録は残ってるらしい。
なのに、なぜか、c-catの生き残りも津々浦々のごついおじさんも、死んだ人たちの事を覚えていなかった。ムネボーンさんやセクハラおっさん、百合に追い出された二人組の男も、全部がなかったことになってた。
ネット上でのやり取りは、それこそ、十年以上も前から残っているのに、身内とのやり取りも友達とのやり取りも仕事関係のも残っているのに、死んだ人たちの戸籍は一切無かったそうで、一時期は密入国者かと疑われたりもしたみたいだ。でも、どれだけ証拠を探そうとしても何も出ず、犠牲者の家族や生き残りの脱出者達を精神分析しても無駄で、苦肉の策として、竜神だけが何度も呼び出されていた。警察関係者の息子というだけで。
いろいろ大変すぎて同情します。
俺の母ちゃんは普通のパートでよかったよ。
だけど! そのせいで! 竜神が何日も警察署に拘束され、兄ちゃんのお使いに行く俺が、一人で電車に乗ることになってしまったのだ。
男性からすると信じられない話かもしれないけど、痴漢ってマジで容赦ない。平気でスカートの中に手を突っ込んでくるし、ガチで触ってくる。女の子になるまでこんな目に合うなんて考えもしてなかったよ。見も知らぬ男に触られるのめっちゃ怖い上、手汗でべったべたの手で内股を触られる嫌悪感と言ったら!!!!!!
おっさんも触ってくるけど、普通に彼女が居そうな男も触ってくるのも腹立たしい。
絶対痴漢なんかしないだろって年代のお爺さんも。
最初のころは声を上げて追い払ってたのに、自分が非力だと思い知るにつれ声もだせなくなった自分自身も腹立たしい。
痴漢、と、叫ぶことは簡単だけど、殴られるかもしれないから何も言えない。痛いのは怖い。
おじいさん相手に「痴漢」なんてもっともっと言えるはずない。周りの人から見たら、完璧に俺が悪人になる。お爺ちゃんが痴漢するってあり得ないもん。絶対信じてもらえない。俺が、痴漢冤罪を作ってる極悪人だと思われて警察に突き出されるかもしれない。
太ももを抓られても、スカートに手を入れられ腰を撫でるみたいにパンツをずらされても、何も言えずに息を止めて体を固くすることしかできなかった。
痴漢と言えない範囲で体を押し付けてくる人も厄介だ。
ギリギリ文句言えない範囲で体を押し付けてくるの。電車が混んでるわけでもないのに、腕を押し付けられ胸をぐりぐりされたり、足を必死で閉じてるのに、無理やり足の間に足を突っ込まれたり! これ、痴漢じゃない!? でも、直接触られてないから痴漢じゃない! っての。
どの向きに変えても、車両を変えて逃げても、追いかけてくるのがほんとに怖すぎる。つか、おっぱいって結構痛いんだぞ! 雑に扱うな!!! 男の体に触られるだけで足が震えて、涙が出そうになるのに……。
泣きそうな俺の顔を見て相手がにたにたしてるのが本気で悔しい。やめろ! せめて睨みつけたいけど、相手の顔を見るのさえ怖いのが悔しい。顔を覚えられたと知られたら殺されそうだから……!
電車の痴漢の進化系で電車の外に出てからまで付きまとってくるのもいた。
さんざん俺の体を触った後に、
どこの道に進んでも後ろに付いてくるの。
家を知られたくないからコンビニで暇を潰しても、ずっとずっと、後ろに居る。
このまま家に帰っても誰もいない。
母ちゃんはパートだし、兄ちゃんは9割家に帰ってこない。家に逃げ込んでも誰もいない。後ろを付いてくる男が家に踏み込んでくるのが怖くて足が止まる。
でも、良太にも美羽ちゃんにも助けてなんていえるはずもなく。
最終兵器的に、普段仲良くしてる近所のおばちゃん家の前で立ち止まり(叫べば絶対助けてくれるから)玄関の階段前で鞄を置いて中身をチェックするふりをして、痴漢が通り過ぎるのを待とうとしたら、付き纏ってきてた男が後ろに座ってスカートの中を覗き込んでた。でも、叫べなかった。怖くて。結局、誰も居ない自分の家まで逃げ込むしかなかった。
痴漢は、家に押し入ってはこなかったけど、体を触られまくって、家まで知られたのに、母ちゃんにさえ一言もいえなかった。
痴漢に触られたなんて話せるはずない。痴漢に触られた俺が汚いと思われる。情けないと思われる。
そして、当たり前かもしれないけど、その男は、電車の中で俺を見つけるたびに近づいて揉んできた。嬉しそうに、まるで、俺が待ってたかって言うぐらいの勢いで。俺が、恋人だってぐらいに喜んで!!!!
その後竜神が傍にいてくれるようになって、壁になってくれて助かったけど。
竜神がそばについてくれるより先に、美穂子と百合が女友達みたいな立ち位置に立ってくれてたものの、痴漢の事は相談できなかった。言いたくなかった。
俺が男だから相談できなかったのかもしれない。
でも、女でも、女友達相手に、痴漢にあったと相談はできなかったのかもしれない。
俺が本物の女だったらどうなんだろう。話せたのかな? 相談できたのかな? ……良太に相談できなかった時点で、俺が女だったとしても、女友達にも相談できなかった気がする……難しいな。
竜神が傍にいるというのに、痴漢男はなぜか俺を見るたびにニタニタしてた。けど、あくまで竜神が俺のそばにいると知ってからは裏切り者をみるぐらいの怖い視線で睨み始め、知らない間に消えていった。
昔、母ちゃんとの待ち合わせの時、竜神不在で電車に乗ったら、電車がガラガラだったにも関わらず、会社帰りのサラリーマンっぽい人にドア近くまで追い詰められた。体には触られなかったものの、逃げ場のない場所まで追い詰められて頭や髪を何度も撫でられた。
髪に指を通して毛先まで触る。それも、何度も何度も。その時の俺も何も言えずに『早く駅について早く駅について』と心の中で叫びながら縮こまるしかなかった。
情けないんだけど、涙が零れた。もっと強くなりたい。男から体を押し付けられても平気で笑えるように。ほんと、情けない。自分が恥ずかしい!!
そんな、諸々の経験を踏まえ。
今日の俺の服は母ちゃんから九州でもらった侍シャツとボーイフレンドデニム。髪も一つ結びにしてる。可愛いポニーテールじゃなく、襟首に垂れ下がったみたいな一つ結びだ。竜神が居ないから涼しさもかわいさも捨て、完全防御した。ついでに母ちゃんから貰った分厚い眼鏡も装備した。
どっからどう見てもダサイ!!!!
誰が見てもダサい。多分4、5歳の男の子が見てもダサいと言うレベルの格好で電車に乗る。
ふふふ、勝った。
これなら男のほうから俺を避けるぞ。
半径1メートル以内に近づきたいとも思わないはずだ。
と思いつつ、電車の隅に立つんだけど。
電車に乗った数分後に、服の上からお尻を掴まれてしまった。
(ひぃ、ふ、)
指が埋まってくる。
怖くて、声が出ない。
離せって叫びたいのに口が固まって声が出せない。
耳元で荒い鼻息がスーハーと俺の髪を揺らす。
胸に、太ももに、触る腕が伸びて、俺を触るのが一人じゃなく二人だと知った瞬間、百均で買ったスライド式のベルトがかちんと外された。
悲鳴を上げたいのにのどが閉じる、怖い、体が震えて何もできなくなる。
それを察したのか、手のひらがジーンズの中に入ってくる、
(ひぃ、ひぃ)
胸まで掴まれた。痴漢は文句を言えない女が相手だと、どこまでも容赦がなくなる、だからこそ怖い。
(や、やめて)
声が、出ない。呼吸音しか漏れない。
嫌だ。
必死に逃げようと体を動かす。母ちゃんが用意した伊達メガネは俺には大きくて、分厚いレンズの眼鏡が耳から垂れ下がり、足元に落ちた。
涙を滲ませる俺と男たちの視線が絡む。
「おおおおおお」
俺の顔を見て、男たちが抑えた小声で叫ぶ。
肌に触る汗ばんだ手のひらだけじゃなく、一気にハアハアと上がった男たちの息がかかり……恐怖に呼吸さえ止まった。
ぶわっと涙が流れ、お願いですからやめてくださいと哀願しそうになった瞬間に、
「やめろ!!!」
どがん、と男たちが蹴り飛ばされた。
「大丈夫ですか!?」
俺の二の腕を引き寄せ背中に庇う人の声に、全身から力が抜ける。
斜め後ろから見える見慣れた姿は虎太郎だったから。
「こ、虎太郎……」
「未来!!!?」
俺だと気が付いてなかったのか、ただでさえ物騒だった虎太郎の顔が猛獣のように変わる。
俺の顔に流れた涙をグイっと拭い、痴漢たちに飛び掛かる。虎太郎は全く容赦しなかった。それドクターストップかかるぞ!! と思うぐらいの暴力で叩き伏せ、駅員室に叩き込んだ。
「なにか文句があるのなら、ここに連絡してください」
と、自分の名刺を残して。
おっさん達は反論一つしなかった。それもそうだよな。俺の体にめっちゃ触ってたから証拠いっぱいのこってるだろうし、虎太郎は巴さん(自分が所属する事務所の社長さん)に連絡して顧問弁護士まで呼んできたし。
「あいつらの傍にいるのは怖いよね。いこう、未来」
「え、う、う、うん」
確かにおっさんたちと一緒にいるのは怖いから、嬉しいけど……。
虎太郎君、普段はめっちゃ大人しい人間のくせ、相変わらず性暴力に対しては攻撃的だな。
おばあさんのことがこいつのトラウマになってるんだろうな。
俺としては助かったし、あのおっさん達には一ミリも同情はしないけど、虎太郎はいつになったら身内の呪縛から解放されるのかな。
……次、電車に一人で乗るときは、もっともっと地味な恰好しよ。