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南国パラダイス島へ旅行に行きます!!!



 翌朝。



 美穂子ちゃんにがっちり抱きかかえられた体制で目を覚ましてしまいました!

 思わず悲鳴を上げるところだった!

 む、胸、胸! 当たってる当たってる!

 美穂子ちゃんがう……と呻いて、睫毛でびっちりした目を開く。と、同時に俺は咄嗟に遠くに逃げ出してしまった。


「おはよお、未来…」

「お、お、おはよー」

 なぜか美穂子ちゃんが俺の手を繋いで引っ張ってくる。なぜ手を繋ぐ。手って神経めっちゃ集中してるから他人に握られると変な感じになるんですけど。

「うーおはよーございまーす」

 同時に眠そうに頭をふらつかせた達樹も部屋から出てくる。

「おはよー」

「おはよう、達樹君」

 挨拶しながら階段を下ると、


「降りてくるな!!!!」


 叩きつけるような百合の声が響いた。


「な」

 美穂子と達樹と同時に足を止めてしまう。

「早く隠すものを持ってこい! ブルーシートでも毛布でも何でもいい!!」

「は、はい」

 ガイドの山本さんがどたばたと走り出した。その靴跡に、血、血の跡が!

「な…!? 何があったの!?」

 美穂子と俺が同時に叫ぶ。

「人が食い殺されている。絶対に見るな」


 続いて言ったのは竜神だった。

「く、くい……!!?」

 三人でいっぺんに息を飲んでしまった。


 浅見君が登ってきて、俺たちを階段の踊り場まで下げさせる。


 山本さんが持ってきた毛布を広げた。俺達にはまったく見えなかったけど、ひ、人が、食い、


「だ、誰が!?」

「諸星さんだ。姿が見えないはずだよ。まさかこんなことになっていたなんて」

「諸星さん!!?」


 どこに行ったか分からなくなってたシェフの人だ。なぜ、今更、ここに運ばれてきたの? 食い殺されたのはいつ!?

 熊ってそんなややこしいことするの? いったん連れ出して食べてから元の場所に戻す性質があるの!?


 ぐるぐると頭に疑問符が回る。


「り、猟銃はないのか? このままではここにいる全員に危険が及ぶぞ!!」

 アル中三人組の一人がガイドさんの首元を締めてヒステリックにがなり立てる。朝っぱらから酔っぱらってるのでろれつが怪しいけど。


「あ、ありません、その、大型獣の出現などは予測してなかったもので」


「ど、どうしてくれるんだ、このままじゃ俺たちまで食い殺されるかもしれない」

「全くだ。旅行者の食事どころか安全にさえ気を配れないとは!!」

 続いて社会人サークルの男の人達が詰め寄っていく。

「早くこの島から出せ! 船を呼べ!!」

「れ、連絡は、通信機が」

「何とかしろ! ガイドの癖に!」


「う……」

 百合の指示でご遺体は空いた個室に移され、腐敗防止のために最低室温でエアコンが稼働する。血を吸った絨毯の上にタオルケットが敷かれる。

 毛布が掛けられているのが広範囲すぎる。どれだけ無残な食べられ方したんだろ。ご、ご冥福を。

 できるだけ見ないようにして調理場に向かう。ご飯作らなきゃ。どんな時でも食事は基本だ。俺にできることはこれだけなんだから。


 ロビーとは別になったダイニングに飛び込む。


「熊が出るなんて怖いね……。何年か前にも熊がたくさんの人を殺す事件があったし」

 美穂子ちゃんが料理を作りながら眉を下げる。

「うん」

 人間と熊って昔から戦ってきた相手だもんな。

 三毛別事件とか、福岡の大学生の事件とか、いつ俺の身に起こってもおかしく無い事件だから怖い。

 俺が殺される分にはいいんだ。いっぺん死んだから。でも、俺の目の前で美穂子ちゃんや百合や竜神が被害にあったら。


 ばちんと目の前が弾けて両手で顔を押さえてしまった。


「どうしたの、未来、大丈夫?」

「あ、う、ん」

「大丈夫か? 日向さん」


 いつの間にかキッチンに入ってきていた竜神が俺の前で膝を折ってのぞき込んでくる。

「へ、いき。大丈夫だから」

「……無理すんなよ。美穂子も大丈夫か? こんなことが起こったってのに、飯を作らせてわりいな」

「気にしないで。私に出来ることをやってるだけだから。……止めてくれてありがとう。ご遺体を見ちゃったら、多分、平気でいられなかった」


 美穂子ちゃんが魚をさばきながら、言う。

 いい子だな。俺も見習わなくちゃ。って、あれ? 俺は日向さん呼びなのに美穂子ちゃんは美穂子なの? ち、ちょっとショック。こんな時なのに。


 昨日美味しいお吸い物を作ってくれたおばあちゃんはショックが大きくて朝食にも降りてこれなくなっていた。代わりに、俺がお味噌汁を作ろう。おばあちゃんのお吸い物より何倍も劣るけど。


「自分たちだけ食事を作るのか? 俺たちにも寄越せよ」

 アル中おっさんたちが詰め寄ってきた。


「え」

「う」

 俺と美穂子ちゃんが同時で下がってしまう。詰め寄ってくんな! 怖いから!

「やめろ!」

 真っ先に立ち上がったのは達樹だった。

「あんたら缶詰持って行っただろうが! その魚はおれが釣ってきたんだよ! 食いたいなら頭下げてこい!」


 だんと床を蹴って噛み付かんばかりにおっさんたちに詰め寄る。


 おっさん達はぐだぐだいいながらも、炊き立てのご飯と味噌汁を持って行ったのだった。

 ご飯持っていくなら缶詰わけろよ。いっぱい炊いてるから三人分ぐらい減っても平気だけどさ。


「ほ、本日は、その、島内を周回することとなっておりますが」


 食事が終わると、ガイドさんがバインダーを手にそんなことを言い出す。

「観光してる暇などないだろう!! 熊が出るかもしれないんだぞ!」

 プロレスラーさんが怒鳴った。


 俺も、もう観光という気分じゃない。

 ソコトラ島の植物を見たいけど危ない目に合うのは怖いからカギを掛けて籠城したい。

 大勢でいれば熊も襲ってこないだろうし。

 と、上着を掴みながら俯いた時、2階からガラスと木が壊れる破壊音が響いた。

 え?


「ギャアアアアア!?」

「く、くるなああああ」


 部屋に立てこもっていたアル中三人組の部屋から裏返った悲鳴が響く。

 な、なに!?

 構える暇もなく、ドアがはじけ飛んで、四足歩行の獣が現れた。

 明らかに首の骨を砕かれた男性を一人口に咥えて。


 だけど、獣だと思う余裕さえなかった。


 顔が、薔薇だったんだ。

 花弁の一つ一つに目玉がついてる。目玉の数は10以上、四足歩行と言ったけど足だって四本じゃない。触手みたいなのが数えきれないほど大量に生えている。花びらの中央には牙の生えた巨大な口が存在し、触るだけでも切れそうな鋭利な牙が首に食い込んでいた。


 なんだ、これ。


 理解の範疇を超えすぎて、叫び声を上げるという反射行動さえ起らなかった。

 化け物は口にしていた獲物を捨て、吹き抜けの上階から俺の前に飛び降りる。

 触手が振り上げられ、鞭のようにしなったそれが俺に振り下ろされる直前に、

 ドン、と、竜神君が化け物を蹴飛ばした。


 「下がれ!!」続いて、百合ちゃんが前に飛び込んだ。

 薔薇に向かってバッグから取り出した棒状の何かを振り下ろした。化け物に当たると同時にバリバリと音が響く。スタンガンだった。


 化け物の動きが止まる。だが失神するには至らず、何個もある目が百合の姿を映す。

「ぐ……!」

「もういい、百合!」


 竜神の声に百合が横目で竜神を見、竜神にすべてを任せると言うかの如くダンと地を蹴って下がる。同時に、竜神の手に握られた光が一閃し、薔薇の化け物の首が落ちた。

 俺や百合の前に立った竜神の体に、噴き出した青黒い血が飛び散る。


 竜神は日本刀を構えていた。床の間に飾ってあったものだ。


 化け物の首を落としても剣を構えてた竜神の前で、また、化け物が動き出す。枝にも似た先のとがった触手を横に薙ぎ、竜神の足を切り落とそうとする。

「――――」

 同じく剣を構えた浅見が触手を切り落とした。

 顔は一つだけじゃなかった。化け物の体にはいくつも薔薇の花が咲き、そのすべてに目玉と長い牙を持つ口があった。


「きゃあああ」「うわあああ!」

 たくさんの悲鳴が上がり、後ろにいた連中が他人を押し倒し踏みつけながらダイニングキッチン側の出口へと殺到していく。 踏まれた人も踏まれた痛みに気が付いてないのかすぐに立ち上がって逃げ出していく。


「先輩!」

 達樹も日本刀を構え化け物の体に振り下ろした。

 だけど、ワンテンポ遅れた。触手を切り落とせはしたものの、残った触手が空気を切り裂き、達樹の体を貫こうとする。

 達樹が悲鳴を上げる暇すらない、わき腹にえぐりこもうとする寸前で、竜神が下から上へと刀を走らせ、触手が宙に高く舞う。


 激戦だった。


 3人が一瞬でも連携を崩せばやられる。


「ララララ―――」

 聞き覚えのある声で化け物が啼いた。携帯から響いたあの歌声だ。ひどい金切り声で耳が痛い! 鼓膜が破れる…!!


「ぐぅ……」


 戦ってない俺まで目の前が明滅して眩暈がする。

 立っても居られないぐらいの大音響を真っ向で浴びた達樹が、青い血で足を滑らせ体勢を崩す。

 達樹は格闘能力など一切ないし刀を使ったこともない。

 戦いなれた竜神や浅見とは違い、持ち前の反射神経と足の速さだけが達樹の能力のすべてだった。

 その達樹が、足を取られた。


「達樹!!!」


 歯を食いしばり、ダイニングキッチンから小瓶を持ち出す。

 酢の、瓶だ。

「やめろ――――!!!」


 達樹の頭を食いちぎろうと大きな口を開いていた化け物の口に酢を投げ込む。

 犬も猫も酢を嫌がるから少しだけでもひるめばいい、程度のつもりだったんだけど、


 化け物がガシャンと酢の瓶を食い砕く。


「ラ――ラ――」歌声じゃない。叫び声に近い悲鳴が上がる。


「竜神、虎太郎、達樹、逃げよう!!」

 浅見が達樹を片手に掴んで走る。達樹はすぐに自分の足で走り始めた。


「りゅう!?」

 竜神は動かなかった。


 そのままがちゃりと手の中で刀を構えなおし、返し刀で力任せに横に化け物を切り裂いた。

 縦に切るのではなく、地面と水平に。血が噴水のように噴き出し、やがて化け物は動かなくなった。


 逃げようとしていた俺たちも足を止める。

 百合ちゃんもその場から動いていなかった。

「なんなんだこれは…」


 百合ちゃんが花びらを持ち上げるようにし検分していく。花びらについた目玉がだらーんと垂れ下がるのが怖すぎるのに全然平気そうにしてるのはなぜ!? つ、強すぎるぞ!


 大きい。


 ライオンぐらいに大きい。なのに、顔は薔薇? 皮膚が弛んで薔薇に見える、とかじゃなく、完全に薔薇だ。

 目が花弁から生えてるのはなぜ? 視神経はどこから繋がってるの?


「触手は18本、花弁から生えている目玉は10、顔の数はざっと見るだけでも15以上か。この世の生き物とも思えんな」

 百合ちゃんが検分しながら、は、と笑い捨てた。


「この島独自の動物なのかな。マダガスカル島の動物みたいに異質な進化を遂げた」

 浅見が言う。


「ここまで大型の生物が今まで発見されずに進化してきたというのか? …いや、こんな議論をしても意味などないな。存在する以上、否定しても無意味だ。一匹しかいないというのはあり得ないだろう。ほかにも複数体いると考えたほうがいい。全員で迎え撃つ体勢を―――」


 ペンション内を見渡して、百合ちゃんがはぁああと深いため息を出した。

 大人たちは誰一人として残っていなかった。全員、逃げ出していた。


「ここから出るぞ。とどまっていては化け物どものいい餌だ」


「う、うっす」

 百合ちゃんに促され、達樹が動く。

 竜神と浅見虎太郎は手にした刀を振った。ひゅん、と、空気を切り裂く音がする。

 右に立った竜神は右で、左に立つ浅見虎太郎は左利きなのか左に剣を構えている。青黒い血を空気で拭い、鞘に刀を収める。


 今のうちに距離を稼ごう。

「竜神君、虎太郎君、血を拭いて。どんな病気を媒介するかわからないから」

「ありがとう」

 美穂子が引っ張り出したタオルで体を拭きながら、外に出る。



「どこに逃げればいいのか見当もつかねえな。海に行きたいところだが、海じゃ逃げ場がなくなっちまう」

 明日の昼には船が来る。俺も、一秒でも早く海に行きたい、けど、

「明日まで持ちこたえることができるなら背水の陣でもありだろうが、敵の戦力も分からない状態じゃ無謀としか言えんな」

 短時間の戦闘だったのに、達樹と浅見も肩で息をしている。竜神だっていつまでも戦えるはずが無い。百合ちゃんの言う通り、背水の陣で戦うことなどできない。


「とにかく、ここから離れるか」


 行く先には、見たことのない植物が乱立していた。上手く説明できないんだけど、シイタケを巨大化させたみたいな形の木とか、峯だけが驚くほど太くて細い枝を伸ばし、先っぽにだけピンクの花をつけた木とか。それが、緩い岩山の斜面に聳え立っている。


 ソコトラ島の植物達だ。


「足元に気をつけろよ。岩は全部転がり落ちるもんだとと覚悟しながら進め」

 竜神が全員にそう注意した。

「う、ん」


「なんかすっげーすね。ちゃんと観光したかったですよ。こんなん初めて見た」

 地面から扇状に枝を広げ花を付けた植物を横目に達樹が感心する。


「ん? あれは」

 しばらく歩いたころ、百合ちゃんが足を止めた。山から少し下がった場所に屋根が見えたんだ。


「民家か?」

「ここは無人島だろ。作業小屋じゃねえか?」

「ふむ」


 近づいて判ったんだけど、窓ガラスは全部砕け散り、窓枠さえ無残に破壊されていた。全ての窓が。

『ここもあの化け物に襲われていたか』

 小声で百合が呟き、掌で俺たちを押しとどめ、一人だけで足音もなく近づいて行く。聞き耳を立てそっと覗き込んでから戻ってきた。


「中に人が寝てる。竜神、来い」

「わかった」


 バンッと派手にドアを蹴り開け、スタンガンを手にした百合と刀を構えた竜神が部屋になだれ込む。

 しばらく、反応がない。


「竜神君、百合ちゃん……?」

 不安になって近づくと、「来るな!」と百合ちゃんの怒声が中から響いた。


「人じゃない。死体だった。とっくに白骨化してるが」

 は、白骨化!?

 小屋の中から竜神君と百合ちゃんの声が漏れる。


「スーツを着ているな。関係者なのか? …足が片足、無いな」

「食われたか襲われたかしたんだろ。ん、紙を握っているぞ。血で読みづらいが……、森の奥の神殿がすべての原因だと書いてある。全てを止めたいなら、神殿を破壊するしかない、と。どういう意味だ? 神殿に化け物の巣があるってことか?」

「ふむ……全くわからんが……どうしたものか」


 百合ちゃんだけが中から出てくる。

 そして、俺と美穂子を見て眉を潜めた。


「化け物の存在は脅威だが、だからこそ私たちが命を賭して止める必要はない。まずは美穂子と未来の安全が第一だ」

「全面的に大賛成っす! 先に逃げた人たちと合流しましょうよ!」

「あの足手まといたちと合流する意義を感じないがな。まぁ、それが最善か。肉壁は一枚でも多いほうがいい。だが、竜神、虎太郎、全員が私に従ってもらう。お前らはクソ程度の他人にまで甘すぎる!」


「百合ちゃん? 何を言ってるのかな?」

「大丈夫だ美穂子。全て私に任せておけ。私の辞書に不可能という文字はないからな。ついでに献身や忍耐、謙遜、譲り合い、和平という文字もない」

「人類の美徳が結構な数で消えちまってるな。普通の辞書を買ってこい」


 小屋の中から竜神が突っ込みをいれる。


「もう一枚紙があったぞ」

 百合ちゃんが持っている紙とは明らかに材質の違う封筒を手にし、竜神が小屋から出てきた。

 封蝋で厳重に閉じられている封筒だった。

「これは…紙じゃないな。皮だが……牛でも馬でも豚でも無いな。人か?」


 ひ、ひ、ひ、ひ、人!?

 百合の言葉に俺と達樹が全力で逃げる。


「おい、やめろ。推測で無駄に怖がらせるな」

 竜神が何の躊躇いもなく封筒を開いた。

 中に入っていた紙も封筒と同じ材質だった。まさか本当に人の皮だったらどうしよう!


「……? なんだこれ」

 不思議そうに紙を俺たちに向けた。

 そこに書いてあったのは何語かもわからない言葉が書かれた複数の円と、円と円を繋ぐ線だ。

「『生命の樹』だな」

「なに、それ」

「手っ取り早く言えば、密教で使われる魔術の図だ」


 百合が端的に言う。

「入ってるのはこれだけか。特に意味は無さそうだな」


 竜神と虎太郎がバッと急に顔を上げ、中空を睨んだ。

 視線の先には小山の稜線があった。

 遠いけど、そこに、あの薔薇の化け物がびっちりと並んでいた。


「な……!?」

「くそ…!」


「ラ――――」


 化け物たちが一斉に鳴く。音がそのままぶつかってくるみたいで耳を塞いでその場にしゃがみこんだ。

 爆音を聞いたら体を丸めてしまう、って、漫画で見たことあるけど、絶対嘘だと思ってた。でも、嘘じゃなかった。何も出来ずにうずくまってしまう。立っているのは竜神と虎太郎だけだ。


 ビキン、と、足元の地面が割れた。


「日向さん!」

 竜神が俺を抱え込む。と同時に、俺と竜神、虎太郎と百合と美穂子と達樹の間の地面が割れ、 虎太郎側の地面が急激に隆起し、こちら側の地面が下がった!


 その落差おおよそ10メートル。たった数秒で、俺達は分断されてしまった。

 背後にあった家までも、包丁で切ったみたいに真っ二つになっている。


「虎太郎! そっちは頼んだ!!」

 さっきまで地続きだったのに登れもしないほど高所になってしまった場所を仰ぎ、竜神が言う。

「うん! 無事で!!」

「未来いい」

 崖っぷちで両手を付き、覗き込んでいた美穂子ちゃんの腕を掴んで虎太郎が走る。


 竜神も俺の手を引いて走りだした。

 遠くにいる化け物たちもこちらに向かって走り出す。

 怖い。足が震える。でも、ここで立ち止まるわけにはいかない。だって、俺が止まれば、竜神も絶対止まりそうだから。絶対に道ずれにはしたくない。


「日向さん、こっちに」

 森の奥に小さな岩の裂け目があった。中は暗く、二人が座ってギリギリ入れるぐらいの空洞だ。一緒に中に入り、化け物の姿を見たくなくて、竜神にしがみつききつく目を閉じる。

 竜神も、俺をきつく抱きしめてくれるけど、怖くて怖くて体が震える。


『心配するな』

 大きな掌が頭に乗る。

 なぜか、それだけで体の震えが無くなった。

 包み込んでくれる大きな体が気持ちいい。竜神の心音が気持ちいい。匂いも、よくて、安心してしまう。

 岩の先にはさっきの化け物たちが列を作って進んでいるのが見える。

 竜神は片手で俺を抱きしめているけど、もう片手には刀を握っている。こんな状態なのに、怖くない。


「よし、行ったな。もう大丈夫だぞ」

「え」

 いつの間に、居なくなったの?


「虎太郎たちと合流しないとな。海に行ったか、それとも森か……」

「森の神殿を探してると思う」

 こうなってしまった以上、百合ちゃんは絶対に元凶を叩くはずだ。やられっぱなしでいられる性格じゃない。化け物たちを一族郎党とも根絶やしにしようとするだろう。


「あぁ、確かにな。とりあえず、森に―――」


 突然、竜神の服が光った。いや、ズボンのポケットが。

「なんだ?」

 ポケットに手を突っ込み光の元を取り出す。荒れた小屋で手に入れた、皮で出来た封筒だった。

「どうして光ってるんだ?」

 不思議そうに封筒を開く。

 生命の樹が描かれている紙を開いた、その瞬間に、

「え?」


 景色が、変わった!

 日の光の下にいたはずなのに、遥か高い天井から差し込む仄かな光しかあたりを照らしてない、薄暗い場所に移動してしまった。


「ここは……!?」

 天井から差し込む光は人工のものじゃない。岩と岩との隙間から辛うじて差し込んでくる天然の光だ。


「な、し、瞬間移動!?」

「もう何でもありだな。ここは、廊下…か?」

 ずいぶん広いが、竜神の言う通り廊下のようだった。左右には教科書で見たギリシャ神殿のような柱が天井を支えている。


「ここが森の神殿なのかも」

「とにかく進んでみるか」

 竜神が俺の手を引いて歩きだした。


『うおお…こええ、やっぱ戻りましょうよ先輩…』

『戻るなら一人で戻れ』


「あ!」

 廊下の曲がり角から聞きなれた声が聞こえてきた!


「ゆ―――」

 小走りになった俺に抜身の刀が突き付けられた。咄嗟に竜神が鞘に入ったままの刀でガードしてくれたけど!

「ゆ、ゆ、百合!!」

「未来か! 無事でよかった。驚かせるな。危うく切りつける所だぞ」

「ちょっとは確認してから刀を抜いてくれよ、死ぬかと思った! でも、みんな、怪我が無くてよかった……」

「先輩いいい! 無事でよかったっすよ!」

 達樹が俺に飛びついて来ようとした。腕が体に触れる前で竜神君が達樹の頭を押さえて無理やり止める。グキ、と首から変な音がした。

「ぎゃー!」

「日向さんに触るな」

「な、なんで竜神先輩がんなこと言うんですか」

「日向さんがオレの彼女だからだよ」

「う、嘘!? いつの間に!? 手ェはええ!」

「や、やな言い方すんな!」

 まだ何もされてないししてないってのに!

「まじかー…虎太郎さんばっか警戒してた…! 未来先輩、好きです! 竜神先輩と別れておれと付き合ってください!」

 達樹が俺に飛び掛かるみたいに告白してきたが。


「オレの目の前でいい度胸してんな」

「イデデデデデデデ!!」

 ギリギリと竜神が達樹の頭にアイアンクローを掛けた。


「しかし合流するのが遅かったな。ここを見つけられなかったのか? かなり目立つ建物だったというのに」

「遅かった…? 百合ちゃんたちと離れていたのはせいぜい一時間ぐらいなのに?」

「一時間? 何を言ってるんだ。もう19時だぞ」

 え!?


 百合ちゃんが自分の手首につけた時計を叩く。

 確かに、時間は19時を過ぎていた。

「ど、どうして」ペンションを出たのは朝だった。こんなに時間が経ってるはずないのに…!!

 竜神が腕時計を確認して眉を潜めた。

 竜神の時計の針は午前中を指していた。それが急激に回転して百合の時計と同じ時間で止まる。

「時間もめちゃくちゃか」

 うっ、うっ、


「今更驚くほどのことでもないな。行くぞ。竜神、先陣に立て。虎太郎は殿しんがりだ」

「おー」「うん」


 二人とも何一つ反論せず、一番危険な先陣と最後尾に付く。

 俺と美穂子は全力でくっついてしまった。

 怖い。怖すぎる。


 回廊をぐるりと回ると、大きな扉が眼前に現れた。

 竜神の身長より五倍も大きい。

 こんなん、開くの無理すぎる。土木工事に従事してるおっちゃんを2、30人連れてこないと無理なぐらいのでっかい扉だった。


「これは…開けるの無理っすね」

 達樹が言うが、竜神の指が扉に触れると同時に、重々しい轟音を上げ、扉が開いていった。


「え、な、なんで!?」

 驚く俺達を前に、黄金色が広がった。



「触るな! それは俺の金だ!」

 え。

 遠くから聞こえた男の怒声に顔を上げる。


「うわ………!?」

 さっきはぐれた、ムネボーンさん、タル男、主婦さん、社会人さんたちが居た。誰もが、床で僅かな光を反射して黄金色に煌いている物体をかき集めている。


「金…!?」

「すげー! こんな一杯」

 どのぐらい広さがあるんだろう。奥のほうは暗くて見えないけど、ざっと推測するだけでも体育館四個分はありそうだ。

 その空間全てに、大小さまざまの金の像や壺、装飾品がひしめき合っていた。

 観光客たちがそれを奪い合っている。ネックレスを何枚も首に掛け、一際大きな像を両手に持ち、一つでも多くかき集めようとして。


 達樹が目を輝かせて身を乗り出す。

「す、すげー! 金!? 本物!?」


 騒ぎで転がってきた小さなコインを百合が手に取る。薔薇が装飾されたコインだった。

「本物のようだが…これだけの量を一気に持ち出せば、金相場がパニックに陥りそうだな」

 金って、全世界に存在する全部を集めても、プール一杯分しかないって聞いたことある。持って帰れば、一気に大金持ちになれるぞ! でもこういうところの品って持って帰っていいのかな? 所有権は市町村とかになるんじゃないの? 泥棒になるのは嫌だな。


「ここの線の中にあるものは全部俺のものだ! 触るな!俺のものだ!」

「こ、こっちはあたしのよ! 写真に撮ってるから、触ったら泥棒だから!!」

 ムネボーンさんが一眼レフで写真を撮りながら叫ぶ。


「!」

 竜神が持つ紙から光の束がいくつも流れてきた。

「な、何!?」


 異常な事態が起こっているのに、周りの人が異常に一つも気が付かないのが異常で怖い。

 俺たちの足元に生命の樹が光る。円がぐるぐると周り、なぜか、生きてるみたいだと思った。


 俺と竜神の間に文字が浮かび上がる。


「これは…ラテン語か?」


 百合ちゃんが光る文字に指先を当てつつ呟いた。

 ラテン語ってわかるの? それだけでも凄いな。俺なんかじゃ何語かさえ全然わかんないのに。


「貪る…、者は、罰、受ける」


 百合の隣から浅見虎太郎が言う。

「よ、読めるの?」

「勉強の合間の息抜きに、少しだけやったことがあるんだ」

 べ、勉強の合間の息抜きにラテン語!?

 勉強の息抜きに勉強!?

 浅見って頭いいんだな。勉強の間の息抜きといえば、漫画、ゲーム、部屋の片づけ、そしてそのまま勉強そっちのけで何時間もやっちゃう俺とは別次元の生き物だ。


「無欲な者は、永らえる……だと思う」


「貪るものは罰を受ける、無欲な者は永らえる、か。おい! 全員金を置いて出ろ! 何が起こるかわからんぞ! ここまで何度も異常な体験をしてきただろう、命が惜しければ欲を捨てろ!」


 百合がフロアに向かって声を張り上げた。


 が、誰一人それを聞き入れる者はなかった。手を止め、こちらを見て足元に回る生命の樹や文字にぎょっとした人もいたけど、上を見て、特殊な投影機だとでも思ったのか、疑問を口にしないまま脱いだ服に包んだり両手いっぱいに黄金を抱えていく。


「無駄か。まぁ、無理もない。私たちだけでもさっさと抜けるか。このままここにいては何が起こるかわからん」

「う! うん!」


 百合について走り出そうとする寸前に、倒れた黄金像が目に入った。さして大きくもないけど、胸元に綺麗な宝石がはまり、頭に王冠を乗せていた。顔は、薔薇だ。

 あの薔薇達の王様なのだろう。


 倒れた、その像を立てた。


 貴方の同族を殺してごめんな。でも、この世は弱肉強食だから許してくれ。貴方たちが俺たちを食べようとする以上、俺たちは反撃するしか手段がないんだ。


 人間同士だって日々食われたり食おうとしたり忙しい世の中なんだもん。

 物理で食おうとしてるんじゃなく、世の中的な意味でも。

 少しでも出世したいと思う人、少しでもSNSで目立ちたいと思う人、少しでも自作の売り上げを伸ばしたいと思う人、競合店とやりあってる人。人間だって様々なジャンルで食い合い、戦ってる。生き残るために。

 負けたら、自殺という死を選ぶ人までいる。


 でも、ごめん。


 超小声で言い捨てる。



 俺たちがピラミッドを出るより早く、出口傍にいた連中が走り出した。

 それを見てほかの連中も慌てて両手に持てるだけ持ち走り出す。

 山ほどの黄金を抱えた人たちが出口を抜けようとする瞬間。

 カコン、と足元の石が少しだけ下がり、どおん!!! と地響きになるほどの音を立て、立方体の巨石が俺たちの眼前に降ってきた!!!


 物凄い風圧と砂埃が舞い上がる。

「う、げほ、げほ」

 目に、口に、砂が入り込み、涙がにじむ。

 ようやく目を開くことができた俺が見たものは。

 入り口に走ってた沢山の人たちが、一気に押し潰されてしまった光景だ。

 降ってきた石と足元の石にまるで隙間がない。ただ、血だけがゆっくりと流れてきた。


「ひぁ」

「ぐ」

「きゃ…」


 俺、達樹、美穂子が叫ぶ。

 巨石は太いロープでつながれていた。

 ゆっくりと上に上がっていく。

「見るな」「下がれ」

 百合と竜神と浅見が俺、達樹、美穂子を後ろに押し出す。


 前を見れもせずに竜神の背中に隠れ固まってしまうのだが、浅見が前に踏み込んだようだった。


「不浄は、流す」


 また、ラテン語の文字が浮かび上がったんだろう。重々しく浅見が通訳をした。


「もう大丈夫だぞ」

 竜神の声に、恐る恐る前に出る。

 相当数の人が押しつぶされたはずなのに、石は、まるで何事もなかったかのように綺麗に洗浄されていた。どういう仕組みなんだ。訳が分からないけどじっくり観察したいとはとうてい思えない。


「行くぞ」


 百合ちゃんが出口に向かって足を進める。




 竜神と虎太郎が同時に出口に歩いた。

 巨石が落ちてきた下を歩いても、何事も無く無事に通り過ぎていく。


 百合と俺と美穂子も続く。

 なぜか達樹は最後まで出てこず、俺たちが全員通過してからピラミッドを出てきた。


「これ、持ってきちゃいました!」

 達樹が黄金像を手に俺たちに見せびらかしてきた。

「え、おま、どうして!」


「あそこで潰されるのは入った時の重さと出るときの重さかなって思ったんすよ。だから刀を捨ててこれを貰ってきちゃいました」

「馬鹿かお前は! 刀は唯一の武器だというのに捨ててきてどうする!!」

「か、過程が外れて潰されたらどうするつもりだったんだ!! そんなちっちゃな金塊のせいで死んでたかもしれないんだぞ!!」


 百合ちゃんと俺が同時に叫ぶ。


「金がないと命なんか何の意味もありませんよ! この世は金がすべてなんですから」

「命が無ければ金があっても意味がないだろうが!!! この馬鹿が……!」

 百合ちゃんが達樹の胸倉を掴む。


「うあああ!?」


 突然、俺の体が宙に浮いた。

 1メートル、2メートルなんてレベルじゃない。大きな木がブロッコリーみたく見えるぐらいの高さにまで浮き上がった。

 多分、地上から10メートル以上高い。

 足が恐怖に震える。


 怯える俺の前に薔薇の化け物が現れた。

 これまで見たどれとも違う、白、黒、灰色、赤、青、黄色、オレンジ、紫、緑、そして虹色。様々の花弁を持った薔薇だ。今まで見たのちは違い、花びらに目玉は無く、顔も一つだけだ。

 触手を伸ばし、俺に、王冠が載せられる。

 これ、なに?


「未来――!!」


 木を登り、蹴飛ばし、大きな手が伸ばされてきた。竜神君だ。

「竜神……!」

 伸びてきた手を我武者羅に掴む。


「下がれ!!」


 日本刀を構えた竜神君が、薔薇の化け物たちに刃を向ける。

 薔薇は、竜神に手を出そうとはしなかった。だからこそ竜神も刀を振るうことはできず手を止める。そんな竜神に、薔薇の化け物は、俺と同じ王冠を乗せ、口を開いた。


『ラーーーララララーーーーーラーラララーーーー』

 男のものとも女のものともつかない声。どんどん金切り声に膨れ上がる、声、


「わかんないよ、ごめん」


 言葉が聞き取れない。


 俺と竜神を中心にして地面に降り立つ。

 虎太郎も、達樹も、スタンガンを構える百合でさえ動かなかった。

 薔薇の化け物たちが反時計回りで俺と竜神の周りをまわり、甲高い歌声を残して霧のように消え去った。


 残されたのは同じ王冠をかぶる俺と、竜神だけ。


「な、何だったんですか!?」

 柔らかく地上に降りた俺と竜神に、達樹が声を漏らす。

 俺も、竜神も、頭にのせられた王冠を取る。さっき見た怪物と同じ花弁の色の宝石が散りばめられた黄金の王冠だった。


「わかんねー……けど、あいつらはあいつらで人間の存在を認めたってことなのかもしれねーな」

 竜神が王冠を取り、苦い顔つきでにらみながら言う。


 神殿の中は時間の進み方が違ったのか、港に着くと同時に船が入ってきた。


「よかった……!」

 これで帰れる!


 安堵して船に入るのだが、ボートに足を踏み込むと同時に竜神や浅見が持っていた剣が粉々に砕けていく。蒸発していく。

「えっえ、え、」驚く浅見の手のひらの中で、刀は完全に霧散して空気に溶けた。


 一番傍にいた俺にしか聞こえないぐらいの小声で、浅見が「ありがとう」と呟いた。蒸発した刀を悼むように手を握り、少しだけ瞼を閉じる。


 船に乗り込むものの、数は少なくなっていた。

 アル中も、木之元さんも、モチラリアンさんも、いない。


 残っているのは、おじいちゃんとおばあちゃん、C-catの男の人2人、そして、アル中三人組に文句を言った大きな男の人だけ。


 半分も残ってない船内で、ガイドの山本さんがマイクを取った。


「今回は、南国パラダイス島への旅行にご参加ありがとうございます!! 日本では見られない不思議な植物と、動物にご満足いただけたことでしょう! また、次のご来島もお待ちしております。2回目、3回目でもまた新たな魅力が発見できる島ですので!」


 まるで、まるで、何事も無かったかのように、放送した。


 何人死んだかもわからないのに、なぜ!?


「な、なに、平気に放送してるんすか!? あんだけの人が死んだのに!!!」」

 最初に食いついたのは達樹だった。


「え?ええ? 死んだ?何を仰ってるんですか?」


 山本さんが目を白黒とさせる。


「10人以上が死んでるじゃないか。スタッフである諸星もだ。お前こそ何を言っている」


 続いて百合が訴えるものの、


「死者など出てるはずありませんよ! 何か勘違いをしてらっしゃるのでは」


 まるで、装飾のような笑顔を顔面に張り付け山本さんが言った。

「おい! お前の仲間も三人死んだんだぞ、なぜ文句を言わん!!」

 百合が津々浦々の生き残りのおっさんの胸倉をつかみ上げる。

「なにをいっているんだ? 私は最初から一人旅だぞ」

「あんたたちは!? 胸でけー女の人は!?」

 達樹がc-catの男2人組にがなり立てる「ぼ、ぼくたちは二人旅だけど」「うん」


 唖然とするしかなかった。


 それ以上何を言おうと訴えようと、山本さんも、周りに座る人間も、おじいちゃんとおばあちゃんまで俺たちの言葉を何も聞きもしなかった。


 最初から、これだけの人数だった、と、むしろ俺たちがおかしいのだと言われえるぐらいに、周りのみんなが不思議そうに答えた。


 船が進み、山本さんが、「もうしばらくで港に到着します。みーなさーん、お疲れ様でしたー!」大げさに手を振り上げ笑う。



 この旅は、なんだったんだ。


 あれは、全部俺たちの妄想だったっていうのか?

 平気にしているこの人たちと、騒ぐ俺たちと、どっちが正しいんだ。


 青緑の海域から、真っ青の海域に入る。


 その途端に、「り、竜神?」

 竜神との記憶が頭に走った。

 一緒にデートしたり、辻から助けてくれたり、痴漢から守ってくれたり、球技大会の時に守ってくれたり、いろんな思い出が、一気に。


「うぐ…!?」「ぎ…!!」「痛い…!」「ぐぅ…!?」

 俺とは違い、みんなは痛そうに頭を抱える。


 竜神もだ。

 けど、頭を上げて、俺を見て、言った。


「未来……」

 日向さんじゃなく、未来、と。


「竜神、大丈夫か? 薔薇の化け物のこと覚えてるよな!?」

 ガイドの人が忘れていたんで不安になって聞いてしまう。

「覚えてる……なんでお前のことを忘れてたんだ…!」


 竜神に抱きしめられ、一気にいろんな不安が消し飛んでいった。

 俺も力一杯に竜神に抱き着く。


 すぐに離れ、俺は苦しむ美穂子の肩を、竜神は虎太郎を支える。


「百合、美穂子、達樹、虎太郎、大丈夫か」


「う、ん……、一体、なんだったの、あれ…! どうして私たちまで、記憶喪失みたいなことになってたの…!? 未来や百合ちゃんのことまで忘れるなんて……!!」

 初めに言葉を絞り出すのは美穂子だった。

「しかもガイドや同行者まで被害者連中を忘れるほど壊れているのか。あの島は幻の世界か、人を惑わす異空間だったのか」

 百合が額に汗を滲ませ、不吉に笑みながら呟く。

 虎太郎はただ蹲って口を閉じ、達樹は馬鹿面で気を失っていた。



 数日後。


 持ち出すこともできないまま放置してしまった、俺たちの荷物が主催者から送られてきた。着払いで。


『こんなにお忘れ物を残した方は初めてです』という嫌味かと言いたくなる手紙と一緒に。


 恐る恐る自分のバッグを開くと、薔薇の芳香が香った。中に入ってたのは最初から入れていた俺の着替えやカードゲーム、ポーチだったけど、バッグの内側にはラテン語で書かれた文字がびっちりと並んでた。半分気を失いそうになりながらもネットで翻訳してみると、「また会いましょう、我が王」だった。

 ぎゃあああ捨てたいけど呪われそうで捨てられない! どうすりゃいいんだよ寺にお払いにいけばいいのか!?? お祓いって神社だったっけ!? その前に王ってなんだ! 女王だろ! いやそこは関係ない!


 もー俺らが遠出するとろくなことが起こらなさすぎる! 霊的なあれそれに出会うのは二回目だぞ!! いや、これ、霊じゃないかもしれないけど……って霊じゃないのも怖いいい!! どうなってんだよ一体……!


 思わず同じく荷物を漁っていた竜神の側面にくっつき、ぎゅうぎゅうと体を押し付けてしまう。


「ひどい目にあったな」

「うん」

「でも、一個だけいいことがあったよ」

「え、なに!?」


 あの島でどんないいことがあったんだ!?

 竜神は少しだけためらってから、続けた。表情が全然変わらないから違うかもしれないんだけど、ひょっとしたら、照れたのかもしれない。


「お前が、オレの告白を受けてくれたことだよ」

「はひ!?」

「あの時は絶対フラれるだろうなって思ってたぞ。あそこまでダメ元で動いたのは生まれて初めてだ。東さんとの試合だって、1%ぐらい勝てる確率があるかもしれないって程度の自信はあるのに」


 竜神は更に「お前は、記憶を失ってもお前なんだな」と続けた。

 あの時と同じ困った顔で笑われ、頭をぐりぐり撫でられる。


 言ったら絶対引かれそうだから言わないけど、一生口に出さないけど、多分、何千回、何万回生まれ変わっても、竜神を好きになるよ、絶対。竜神の手の届く範囲が俺の安心地帯だし。


 あの薔薇の怪物は、俺を殺そうとした。だからこそ、竜神は反撃して薔薇を殺した。なのに、なぜ王冠を与えられたのか、王と言われたのかがわからない。


 でも、それがあいつらの価値観なのかも知れない。

 強いものにこそ王冠を与える。そして、強い存在である竜神が俺を守るから、俺を王だと思っているのかもしれない。


 だとしたら、怖すぎる。

 俺たちのことは忘れてください、お願いですから!!!



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― 新着の感想 ―
[一言] オカルトホラーが大好きなので、ミステリーハウスや今回みたいなお話が一番お気に入りです!
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