無題
あれ?
俺、何やってんだろ。
ゆらゆら、ゆらゆら、海を漂っているみたいに体が揺れる。
重たい瞼を開く。重たいといえば重たいが、事故った時と比べれば、空気みたいに軽いけど。
視線よりちょっと高い場所におじさんの顎がある。あぁ、俺、おじさんに抱きかかえられてんだ。
姫だっこの体制に、恥ずかしくなって「下ろしてください」と訴えてみる。だけど、自分の足で歩けないのは瞭然だった。
「大丈夫だからね」
おじさんは俺ににっこりと笑いかけた。そうか、大丈夫なんだ。ってなにが大丈夫なんだ?
ぽすり、と柔かい感触が俺の全身を包んだ。白い布と知らないシーツの匂い。ベッドに下ろされたようだ。
「寂しかったよ、早苗」
ベッドサイドに座ったおじさんが結んでいた俺の髪を解いた。それから、自分の服を脱いでいく。
体が動かない。正直、おじさんが何をいってるのかさえ、聞き取れはするけど言葉の意味が頭に入ってこなかった。
「まさか、初めてをする前に自殺するなんてね。馬鹿な子だ。こんなに、こんなにお父さんはお前を愛していたのに」
太腿を撫でられた。いつかの痴漢への怒りを思い出して意識が覚醒する。
「さわ、るな……!」
手を振り払う。
「早苗……」
おじさんが伸し掛かってきた。制服のボタンが弾き飛ばされ、掌が滑り込んでくる。
嘘だ。なんで触ろうとするんだよ、なんで伸し掛かってくるんだよ。
俺は、早苗ちゃんは、あんたの娘なんだぞ!
「どけ、変態ヤロウ……!」
閉じよう閉じようとする目をこじ開いて睨みつけるが、目に映る映像は古いフィルムみたいにコマが抜け落ちていた。
「下品な言葉遣いだ」
体が動かない、重い、苦しい、だるい。
それでも必死に、この汚い男を引き剥がそうと躍起になった。容赦なく腹に蹴りを入れる。
一年生でレギュラーをもぎ取ったキックのはずなのに、男はさしてダメージを受けていなかった。
――――――!!! この体じゃ、前みたいな力が出せないんだ!
「悪い子だ」
余裕綽綽といった様子で、ベッドから降りようとした俺の体を自分の下に引きずり込んだ。
「い……いやだ、変態、離せ――」
泣き声に近く叫ぶ。情けない、みっともない。四肢に力が入らない。
怖い、怖い、怖い。どうなっちまうんだよ!
「うるさい!」
バンッ! 衝撃が脳まで揺らした。殴られた。頬が激しく痛み、眩暈までしてくる。
「お前はいつもそうだ。父さんの言いつけを無視して。初めてをする時にはお利口さんに静かにしてなさいと教えたはずだろう? 体中を殴って。なのに」
足をこじ開かれる。いやだ……!
悪夢から逃げ出したくて、目を硬く瞑り、体を強張らせた。
ドゴッッ! ドカドカガシャ。
蹲った俺の上から、唐突に男の重みが消えた。
――――――――。
「大丈夫か!?」
「竜神………………!」
竜神だった。
「やべぇな。変態相手だったとはいえ、やりすぎた」
視線を落とすと、サイドボードを吹っ飛ばして、花瓶やら本を散らばした床の上に、おじさんが仰向けに倒れていた。
鼻が潰れ口元は血塗れで、前歯が上下とも折れている。
「お前……なぜ……目が……。睡眠薬を一番大量に飲ませたはずなのに…………」
変態は信じられないとでもいいたげに竜神を指差すがすぐに気を失って床に伸びた。
「立てるか?」
覗き込んで来た竜神の顔を、反射的に平手で打った。
「触るな!」
頬を水が下っていった。俺は泣いていた。泣くなんて何年ぶりだろうか。
「あっち行け! 傍にくんじゃねえ! 触るな! この体なんなんだよ! 男相手じゃ一対一でも勝てないし、そ、それに、なんで、父親が、そいつが」
なんで、どうして、頭の中に今まで聞いてきた早苗ちゃんの話がぐるぐる回る。
襲われそうになって、
それが怖くて自殺して、
俯いて歩いてて、
こんなにかわいいのに、地味で、