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モブ君(ある朝突然)絶世の美少女になる  作者: イヌスキ
十五章 ようやく夏休みです!
180/239

十数年後、オリンピックの会場に立った正吾が

 列車から降りてくる彼氏の目の前で未来をさらってやろうと、男たちは列車の到着を待ち侘びた。

 バリイイと落雷のようなエンジン音に正吾が肩をビクつかせる。 


「正吾、今のうちに向こうから出て行け」


 この駅のホームは田舎の癖にやたらと長かった。

 未来にホームの先を指さしながら促されたけど、正吾はサッカーボールを抱えたまま「嫌だ」と言い放った。未来を見捨てることなんかできない。自分が居ても何も出来ないのはわかってる。でも、逃げたくはなかった。


 いつの間にか未来と正吾は手を繋いでいた。

 正吾にとって、好きな女の子と手を繋ぐなど生まれて初めての体験だ。なのに、ドキドキする心の余裕も無い。恐怖に未来の華奢な指を握りつぶすぐらいの強さで手を繋ぐ。


 未来はおれが守る、と、叫びたかった。でも、正吾では周りを囲む大人を一人も倒せない。

 それが悔しい。


 虚勢を張り、ベンチに座ってはいるが、背後で排気音を鳴らす男たちの存在に背筋が冷える

 暴力をふるおうとする大人に囲まれるなど初めての経験なのだから当然だ。

 一般的な家庭に育ち、暴力の被害者になったことなどない小学生の正吾にとっては、大きな男達はテレビの向こうの殺人犯と同等の存在だった。


「正吾、逃げろって」

 重ねて未来に言われるけど、正吾は立ち上がらなかった。

「嫌だ! 絶対にげねー」


 正吾の言葉に未来が驚き、そして笑った。


「お前すげーな。こんな状況なのに逃げないなんて。そんだけ根性あるなら、将来すっげープロ選手になりそう。今のうちにサイン貰っちゃおうかな」

 未来の柔らかな指先が正吾の額を撫で、

「大丈夫だよ。竜神はあんな連中に負けないから」

 汗で張り付いた正吾の前髪を剥がした。


 竜神?


 正吾が未来を見る。立っていると10センチ以上の身長差があるのに、ベンチに並んで座ると視点の高さはほとんど同じだった。


「竜神って、誰だよ……、さ、さっき、あの男が言ってた、恋人、か?」

「――うん」

 恥ずかしそうに視線を右往左往させ、頬を赤らめてから未来は答えた。

 ギシリと正吾の胸が痛む。


「どんくらい好きなんだよ」

「ど、どんくらいって……自分自身より大切……かな……?」


 胸の痛みが強くなった。自分自身より大切だなんてよっぽどだ。

「……どんな奴?」

「すっげーカッコイイよ。頼りになるし。あんな連中に絡まれても平気だって思えるぐらいに強いんだ」

 顔を真っ赤にして今度こそ正吾から顔を逸らし、言う。

 7人も居る暴漢に囲まれても平気だなんてあり得ない、でも、未来の表情は揺るがなくて、どう足掻いても正吾には太刀打ちできないのだと思い知らされた。淡い恋心が小さく砕ける。


 電車が止まりドアが開いた。


「……!」


 目を合わせるのも怖いと思えるほどの大柄の男が、ドアに頭を打ち付けないよう身を屈め、ホームに降り立った。


 歩いているだけでも人が避けていくぐらい人相の悪い男だ。

 咄嗟に目を逸らした正吾を他所に、未来が満面の笑顔で立ち上がった。


「りゅー!」


 弾かれたみたいに駆け寄って、どす、と腰にしがみつく。

 正吾は硬直に硬直した。


(あいつが竜神!?)

 未来のような可愛い女は美形の男と付き合ってるのだと勝手にイメージしていた。

 なのにバイクにまたがる男達より物騒な顔をしている男が出てくるだなんて。


「未来」

 続いて降りてきた男に更に驚いた。

 (浅見虎太郎――!!!?)


 母親が家中に飾ってる雑誌や写真と同じ顔をした男だった。


「あれ? 虎太郎も一緒だったんだ!」

「うん。九州で撮影があって……邪魔してごめん……。竜神君がこっちに居るって知ったマネージャーに無理やり電車に乗せられたんだ……。ほんとにごめん、竜神君にも未来にも申し訳ないよ……」


「邪魔じゃねーって言ってるだろうが。一々遠慮すんな」

 竜神と呼ばれた男が言う。

「うん。邪魔じゃないよ! むしろこっちの方が迷惑掛けるぞ! 見ろ! ホームの外を」


 ババーンとでも言いたげな仕草で未来が駅を囲むバイクや車に乗った男達を掌でさした。


「変なのに目をつけられちゃった! 喧嘩になるかも! ごめん竜神、こたろ!」

「謝らなくていい。絡まれる前でよかったよ……。今後はお前一人で出歩くな。オレが居ない時はお母さんと一緒に行動しろ」

「うん。そうする。でも今日は友達が一緒だったんだぞ。ここで出来た初めての友達の正吾だ」

 そこでようやく、未来が繋いだ手を上げた。


「ん」

「え」


 竜神と虎太郎に見下ろされ、正吾は息を止めた。


 物騒な顔をしている竜神に睨みつけられる恐怖はいわずもがな、浅見虎太郎も実物は写真よりずっとずっと迫力があった。


 だけど。

「サッカーやってんのか。未来の傍に居てくれてありがとうな」

「初めまして、浅見虎太郎といいます」

 竜神も浅見虎太郎も、どこにでもいる兄ちゃんと同じように挨拶をくれた。

「とりあえずは厄介払いからだな」

「うん」


 竜神と虎太郎が正吾に背中を向け、バイクに跨った男達に全く億しもせずに歩き出す。


 正吾の前に立つ背中がやたらと大きく見えた。


――――☆


 喧嘩の勝敗はすぐについた。

 竜神も虎太郎もほぼ一蹴りで襲い掛かってくる男達を沈めていった。

 虎太郎が蹴り倒した友孝の髪を鷲掴み、バイクのマフラーに顔面を押し付けようとした。


「やめろ」

 寸前で竜神が友孝の顔面とマフラーの間に足を入れる。


「やりすぎだ。オーバーキルすんなって毎回言ってるだろうが」

「――――……」


 虎太郎は困ったみたいに顔を歪めたが、大人しく友孝の髪から手を放した。

 触るだけでも火傷するマフラーで顔を焼かれかけた友孝が「ひいぃ」と手で後ずさる。


「あの男は主犯格なのに」

 友孝を横目で睨みつつ虎太郎が言う。

「それでもだ。お前が傷害罪で捕まったら未来が悲しむ」

「…………」

 虎太郎は逃げようとする友孝の足首を踏みつけ、言った。

「二度と未来に手を出さないでください」

 友孝は目の端に涙を零し、鼻水を垂らしながら「はひ、はひぃ」と返事にもならない返事を返した。


「すげえ……」


 声変わり前の幼い正吾の声が静まり返った場に響く。

 正吾にとって大人の顔に大差はなかった。

 友孝と浅見虎太郎の違いさえ分からなかった。そっくりだと思っていた。だけど今は全然違うと言えた。

 まず身長差が20センチあるが、それだけじゃない。喧嘩の強さもオッドアイの瞳の輝きも全然違う。母親が「カッコいい」と言うのも当然の強い男だった。

「な? 虎太郎とあいつは全然似て無いだろ?」

 未来が笑って正吾を覗き込む。


「……うん」


「面倒掛けてごめん。助かりました」

「お前が謝る必要ないだろ。ちょっかい掛けてくる方が悪いんだから」

 謝る未来の手を竜神が握る。

「せっかく虎太郎が来てくれたしミートボール作ろうかな。正吾はご飯食べた? まだならウチで食べてけよ」

「うん」

「ぼ、僕はいいよ。夕方には迎えが来ることになってるから、どこかで適当に食べるから……」

「遠慮するなって。かーちゃん目一杯ご飯作って待ってるから、2,3人増えても全然平気なんだ! 合いびき肉くーださい」

 丁度通りがかった肉屋に駆け込む。

「はいはいどうぞ。さっきの喧嘩見てたよ。お兄さん達強いねえ」

 肉屋のおじさんが身を乗り出して小声で言う。


「あの連中、昔っから悪さばっかりしてたからスーッとしちゃったよ。オマケしとくからね」

「わぁ、ありがとうございます」


 たっぷりオマケして貰った合いびき肉を手に、ホクホクと家に帰った未来達を、母は喜んで迎えた。


「あらぁ虎太郎君も来てくれたのね!! いらっしゃい! 泊っていくわよね!? お布団無いから未来と同じ布団でいいかしら。未来は小さいから邪魔にならないと思うし」

「いえいえいえ!! 仕事が入ってて夕方には迎えの車がくることになってますのでお気遣いなく! み、未来さんと同じ布団に寝るなんて絶対に無理です!」

「遠慮しなくていいのに。竜神君と同じ部屋なんだし」

「え、遠慮じゃありませんのでお構いなく」


 真っ赤になって手を振る虎太郎に、正吾は浅見虎太郎ってイメージと違うなと思ったが口には出さなかった。


 未来と未来の母親が作った料理は、家の料理よりずっと美味しかった。


 食事が済むと「せっかくだからサッカーで遊ぼう!」と未来が言い出した。

 未来自身ワンピースからホットパンツに着替え、楽しむ気満々だ。


 畑の傍にあった広大な空き地でボールを蹴って遊ぶ。

「ひゃふー!」

 フェイント合戦で戦っていた未来が正吾からボールを奪った。


「まだまだ青いな。少年よ」

「お、女に取られるなんて……!」

 愕然とする正吾に竜神が笑った。

「年季が違うんだから落ち込むなよ。未来はこう見えて強いしな」

 竜神が未来の頭を撫でる。未来が背伸びをして、頭を撫でる竜神の手に自分からぐりぐりとすり寄って行った。


「虎太郎、この高さにボール上げてくれ」

 竜神が空中を掌で指す。

「うん」


 寸分違わず言われた高さに虎太郎がボールを上げる。

 そのボールを、空中で回転した竜神が蹴った。見事なオーバーヘッドキックだ。

 ドン、と爆音を上げボールが飛ぶ。


「すげええええオーバーヘッドキック!!」

「初めてみた……!!」

 ザシュ、と土煙を上げ着地した竜神に正吾と未来が駆け寄る。

「なんで出来るんだよ! すげーな竜神!」

 未来よりも早く正吾が詰め寄った。


「お前ぐらいの頃に練習しまくったんだよ」

「え? りゅーってサッカーやってたの!?」

 未来が目をきらめかせるものの、

「やってたわけじゃねーけど……カッケーから練習した」

 竜神の返事はがっかりだった。


「………………」

「竜神って意外と行動原理がアホっぽいよな」

「意外か?」

 そもそもSPを目指してるきっかけが「父ちゃんカッケー」だった竜神自身としては、意外でもなんでも無かった。


「……竜神になら、未来をやってもいい」


 正吾はそう呟いて、自分よりはるかに身長の高い男を見上げた。

 喧嘩に強いけど、意外と優しくてオーバーヘッドキックまでできるとなれば、認めるしかない。母親が大好きな浅見虎太郎もこの男の言う事を聞くのだから。


「でも、でも、ちゃんと未来を幸せにしろよ!!!」

「あぁ。約束するよ」

 竜神が笑って正吾の頭を撫でる。

 掌の大きさに、勝てないのだとさらに確信して涙が滲んだけど、ぎゅっと瞼を閉じてこらえた。


 散々遊んで、母親へのお土産にと虎太郎のサインを貰って未来達と別れた。


 サッカーボールに掛かれたサインを見せながら「浅見虎太郎と遊んだ」というと「どうしてお母さんも呼んでくれなかったのおお!!! 虎太郎君と話したかったのにいいい!!!」と鬼の形相で怒られてしまった。

 しかもボールは没収されリビングに飾られることとなった。報酬として新しいボールをお母さんのお小遣いから買ってもらったものの、未来との思い出が詰まったボールが『絶対触るな!』になってしまったのが少々悲しい。


 だけど、年を取るにつれ、そのままの形で残るボールに愛着が湧いていった。


 十数年後。この当時の未来や当事者である正吾自身でさえ到底知りえるはずもないが。

 プロになり、オリンピックの会場に立った正吾が「未来の為に勝つ!!!」とテレビカメラに宣言し、「未来とは誰だ」と大騒ぎになる一悶着があったりしたのである。

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