未来、ステージデビューする(後編)
コンサートの会場は桜月オリエンタルホール。
前述したように入場者数は10000人を超える。
大勢のざわめきが聞こえる。
会場は真っ暗だ。
心臓がサンタコスプレの服まで揺らしそうなぐらいに、ドンドンと音を立てている。
怖い。逃げ出したい。
目に涙が滲む。このまま人前に出たら普通にショック死するかもしれない。
怖い、怖い、怖い。
怖いの字ばかりがぐるぐる脳内に渦巻くものの、大丈夫、何度も練習したじゃないかと必死に自分を落ち着かせる。
忘れろ、忘れろ。
会場には誰も入っていない。
ステージに座るのは関係者席の竜神だけだ。
そうだ、竜神だけに、見せるんだ。
俺が今いるのはステージの真下。
セリの中央に大きなソファが置かれてる。
「未来さん! 出番です!」
誰かの呼び声にソファーの中央に座る。
足を組み、ミニスカサンタの衣装の裾から太ももを覗かせる。
めっちゃ怖い。でも、観客が竜神だけなんだから平気だ。
ダミーの雪が舞い散る舞台の中央に、俺が座ったソファーがゆっくりと上がっていく。
床の高さとセリの高さが同じになる。と、同時に、俺は、リハーサルで繰り返した動作をなぞる。
会場を見渡し、瞼を閉じた。
まずは右手。会場の視線を引き寄せつつ、一つ、ハンドベルを鳴らす。
それから左手。低い音だった右手のベルとは違い、澄んだ優しい音色を会場中に鳴らす。
リン――――――。
小さなハンドベルの音なのに、コンサートホール全体に音が響いた。
メイちゃんが軽い足取りで現れる。
終わった、やった。
両手を広げて現れたメイちゃんに、全力で安堵して満面の笑みで抱き着いた。これで、俺の役割は終わりだ。メイちゃんが会場の中央に立ち、俺はまたセリで地下へと収納されていく。
ゆっくりと床が下がり、天井が閉じる。
「終わったああああ……」
めっちゃ小声で呟いて、自分の顔を掌で覆った。
セリの下に居る俺達にまで、メイちゃんが歌う真夏のクリスマスソングが聞こえる。
俺も大好きな曲だ。
友達に裏切られるなんて辛い思いをしたはずなのに、メイちゃんの歌声は力強い。誰にも負けないし、揺るがない。
凄い。そう感心すると同時に、聞くだけでエネルギーを貰えるようなこの歌声が好きだったから、何年も前から氷室メイのファンだったんだと実感する。
「よっしゃあああ! よくやった!! この子は私の養女にするわ!!!」
「うぼぁ」
力いっぱいに長身の巴社長に抱き着かれ吹っ飛んでしまった。
「いえわたし親がいますから」
(多分)Hカップの胸の重圧に押しつぶされオブオブなりながら必死に腕から逃げる。
「未来」
竜神が階段を下りてきた。
「完璧だった。カッコよかったぞ」
純粋に褒めてくれる竜神に駆け寄り、飛びつく。
良かった!
今更ながらに体が震えてくる。
メイちゃんの――友達のステージを汚さなくて、本当に良かった……!!!
―――☆
アンコールまでばっちり聞いて楽屋に引っ込んだメイちゃんを追う。
ドアをノックすると中から「どうぞ」と返事があった。
「メイちゃんステージ凄かったよ……!」
「お疲れ」
竜神と二人で室内に入る。沢山の花やプレゼントに囲まれてたメイちゃんが立ち上がった。
「あ、あんた達、まだ、居たの」
「? そりゃいるよ。巴さんも居ていいって言ってくれたし、アンコールまでずっと観てた。すっげーカッコよかったよ!」
当然だけど、俺はサンタ服から私服に着替え済である。
両手を広げて大げさな身振りで話していると、メイちゃんが腕の中に飛び込んできた。
アッシュブラウンの柔らかな髪が頬をくすぐる。
俺より数センチ大きいだけ。俺とほぼ変わらない体格だ。なのに、人の心を揺さぶるあのパワーはどこにあったんだろう。
体が震えてる。ぎゅううと俺の背中に腕を回して爪を立ててくる。
は、と、熱い息が俺の首元に掛かった。
「メイちゃん、泣いちゃ駄目だ。裏切った友達の為に泣く必要無い。泣く価値も無い」
俺は、涙をこらえる事がどれだけ辛いかわかっておきながら、そう言い放ってしまった。
「判ってる。泣かない」
メイちゃんの腕に益々力が入り、益々俺の背中に爪が食い込む。
ぎりぎりと薄い夏の服越しに爪が背中を掻きむしる。
痛いけど、こんなことでメイちゃんが泣かずに済むなら全然耐えられる。
「泣きたくない。泣くことは負けだもん。あんな奴に負けたくない。次、会った時、笑って言い返してやる。全然平気だったって。アタシはこんなことで傷つかない。何も変わらない」
「うん」
メイちゃんの体の震えが止まるまで、俺は、背中をずっと抱きしめていた。
「メイ」
いつの間に入ってきていたのか、巴社長がメイちゃんの肩に手を乗せた。音無兄弟も一緒だった。
「打ち上げに行くわよ。そろそろ準備なさい」
「え……、えええ!? もうそんな時間!?」
がばりとメイちゃんが俺から離れた。
「ほら、差し入れ。来る途中に買ったからコンビニのだけど」
竜神がメイちゃんに紙袋を差し出すと、心底驚いたみたいに受け取った。
「あ、あ、りが……と……」
メイちゃんが嬉しそうに袋を開いてそっと指を差し入れる。
そしてゆっくりと中身を出し――――。
出てきたのは4個入りおはぎだ。
メイちゃんは時が止まったかのように硬直し、いつも通りの元気いっぱいの騒がしい感じで叫んだ。
「若頭アアアアおはぎって何よ! スイーツ期待した気持ち返せ!!」
「急いでたから選んでる暇なかったんだよ。つーか、おはぎだってスイーツだろ。あめーし」
「選んでる暇なくてもクレープぐらいあったでしょ! なんでおはぎなのよ! 墓参りか!!」
「メイちゃん、こいつプレゼント外すんだ。期待しちゃだめだ」
こんな所でもプレゼントのセンスの無さを発揮するとは、さすがの竜神である。何度も俺をがっかりさせた手腕は衰えを見せない。
「あら、メイ、食べないならが貰っちゃっていい?」
麗さんがおはぎに手を伸ばすものの。
「だめ! 食べるもん!」
と4個入りおはぎを死守した。食べるんだ。でも食べるといったことが恥ずかしかったのか、真っ赤になって竜神を睨みつけ「せっかく貰ったから食べるけど、次からは違う差し入れにして!」と食って掛かった。
「分かったよ、次は串団子にする」
「何で和菓子縛りなのよ!?」
ぎりぎりとメイちゃんが竜神の首元を締め上げる。
「ほら、そこまで」
パンと巴さんが掌を打ち鳴らした。
「強志も未来ちゃんも打ち上げに来なさい。美味しいものを一杯食べさせてあげるから」
「え!? いいんですか!? やったー竜神一食浮いた!」
しかもプロの打ち上げに交じれるなんて超嬉しい! 有名人になった気分!
「とりあえず、強志は外に出てて頂戴」
またも竜神が部屋から蹴り出された。
「打ち合わせに参加するんだから、メイと未来ちゃんはサンタ服に着替えなさい」
巴さんが腕組みしつつバーンと言い放つ。
「ええええ!? さ、サンタ服!?」
全力で拒絶したかったんだけど、衝立で仕切られた影に押し込められた。
一人で脱げますから着替えられますからと言い放つ俺に構わず、巴さんが上着をガバアアアとたくし上げ、俺の体を裏返した。
裸の背中がモロに巴さんの前に晒される。
必死にじたばたもがく俺を他所に、巴さんの指先が俺の背中を触れるか触れないか程度に辿った。
「ごめんなさいね」
「?」
なぜ謝られるのか意味がわからなかったんだけど、巴さんの指がぐ、と、背中を押すと、ビリリとした痛みに背筋が仰け反った。
メイちゃんが爪を立てた場所が、傷になってたみたいだ。
「平気です」
平静に答え、ミニスカサンタの衣装に腕を通す。
俺の背中の傷はメイちゃんが裏切りに耐えた我慢の結晶でもある。
こんなもん、痛く無い。
俺とメイちゃんのサンタ服は完全にお揃い状態だ。
衝立から出てきた俺にメイちゃんが飛びついてくる。胸が当たりそうになって咄嗟に後ろに避けてしまった。どうして女子って無駄に距離が近いんだよ!?
竜神は打ち上げの準備の手伝いをしてほしいからと、巴さんにさっさと引っ張られていってしまった。俺も一緒に行きたかったんだけど、メイちゃんのプレゼントの仕分けにと残された。
なんとか分別を終え、メイちゃんと一緒に楽屋を出る。
丁度、メイちゃんのバックバンドの人たちと同じタイミングだった。
「おー可愛いねぇダブルサンタ!」
「いいねー、サンタコスっていつみても可愛いわ」
「サンタコスが可愛いというか……中身が可愛いというか……」
大人の男の人たちが口々にからかってくる。無視である。
「未来、若頭から聞いたんだけど……イクラ好きってホント?」
メイちゃんの質問に身を乗り出すぐらいの勢いで答える。
「好き、好き、大好きだよ! カニも好き! ウニもタイもトロもホタテも大好きー」
「今日の打ち上げは板前さんが握ってくれるお寿司もあるから、カニもイクラも目一杯食べられるわよ」
「ほんと!? やったあああ! 早く行こう!」
安直に喜ぶ俺の手に、メイちゃんの指が絡んできた。
手を繋ごうとしてるみたいなのにおどおどして、ちっとも繋ごうとしてこない。
俺からきつく指を掴んで手を繋ぐ。
……。
ちょっと前なら自分から女の子と手を繋ぐなんて考えもできなかったはずなのに。しかも昔から大ファンだったアイドルと手を繋いでるなんて不思議。
ガッチリと手を繋いだまま、メイちゃんをブーンと振り回す。
「きゃああ!?」
振り回した勢いが良すぎて、池上さん(31歳ドラム)の腹にボンっとぶつかってしまった。
「み、未来……よくもやってくれたわね!!!」
メイちゃんがめっちゃ俺を睨む。やばい。やりすぎた。
反省する間もなく、メイちゃんに滅茶苦茶回された。
ようやく放された俺が突っ込んだ先は、ベースのマーちゃんさん(28歳)だ。
「ご、ごめんなさ、」
「うっわー、未来ちゃんのぽよぽよおっぱい超気持ちいー」
「まじかよめっさ羨ましー」
「ご褒美かこのやろー」
周りからからかいの声が上がりまくる。
は、恥ずかしい……! 竜神がいなくて良かった……!!!」
「メ、メイちゃんのアホ!」
「最初にやったのは未来でしょ!」
責任を擦り付け合いつつも、俺とメイちゃんは手を繋いだまま、通路を歩いたのだった。