(小話)釘を打てそうなフランスパンと、固いステーキ
★去年11月、未来の誕生日後の話。
「み、未来さん、こ、これ、処分できませんか?」
花ちゃんが両手一杯に抱えた「それ」を、俺に差し出してきた。
「完全に鈍器じゃねーか。いらねーよ。持って帰れ」
竜神が差し出されたそれを付き返す。
「家にはこの倍以上の量があるんだもん!! 腐らせるのも勿体無いでしょ! お兄ちゃん、人の三倍食べるんだからこのぐらい軽く食べられるでしょ!」
「人間が食える硬さ越えてるじゃねーか。無理だろ」
竜神がそれを拳で軽く叩く。こん、といかにも硬そうな音がした。
言い合う兄妹を横に差し置いて、俺は、紙袋に入った「それ」を受け取った。
「あ、ありがとう花ちゃん……! 大事に食べさせてもらうよ!! 久しぶりだから嬉しいよ……!!」
「は?」「え?」
「おい、未来、無理して受け取らなくていいぞ。釘が打てそうなぐらい硬くなってるじゃねーか」
「ほ、本当にいいの? 持ってきておいてなんだけど……、気を使わなくてもいいんだよ未来さん……」
花ちゃんが持って来たのは、かっちこちになったフランスパン四本。
確かに、釘でも打てそうなぐらい硬くなってしまっている。
「気なんか使って無いよ! 竜神、明日の朝食はふわふわフレンチトーストだ! 久しぶりだから楽しみー」
「え?」「え?」
どういうこと(だ)?と戸惑ってる二人に説明する。
「卵と牛乳と――……とにかく、硬いフランスパンって卵液に一晩漬けたら、中はふわふわなのに外側はしっかりした歯ごたえの美味しいフレンチトーストになるんだよ! あまーいフレンチトーストつくろー! シナモンかけても美味しいよな!」
きゃふー!
はしゃぐ俺に花ちゃんがしがみついてきた。
「レシピ! 教えて!」
「うん、いいよ。すっごい簡単だよ。今から作るからあがって」
「ありがとう!」
翌朝。
ゆっくり弱火で焼いたフレンチトーストはやっぱり美味しかった。
外側しっかりなのに中はプリンみたいにふわふわの食感は、硬いフランスパンが手に入った時しか味わえないんだよなー。
ジャム、メープルシロップと、つけ合わせも色々に朝から贅沢な気分だ。あり合わせの品ばっかりだけど。
「うまい……」
「美味しいなー! まだまだ残ってるから四日間は楽しめるぞ! お弁当にもいれちゃおうかな。フランスパンのフレンチトーストって冷めても硬くならないし……」
「却下」
「え? どして?」
「オレの食う分が減るから」
「気に入ったのか……」
その日の夜、花ちゃんから電話が掛かって来た。
『未来さん、教えてもらったフレンチトーストめちゃくちゃ美味しかったよー! ありがとうー!』
「よかった。――あ、こら」
竜神が俺の手からスマホを取り上げた。
ソファに座ってた俺の後ろに無理やり座って、俺を抱え込んで話し出す。
「まだフランスパン残ってるなら持ってきていいぞ」
『……お兄ちゃん並みに食べるお爺ちゃんとお父さんいるのに余ると思う?』
「…………」
『あ、そだ、未来さんを逃がしたら、打ち込み千発じゃすまないから覚悟しとけってお父さんとお爺ちゃんが言ってたよ。死にたくないなら未来さんに逃げられないように頑張ってねお兄ちゃん。それと、お母さんに殴られた傷は大丈夫? 女の子の誕生日に金券なんて贈るからだよ……。しかも、彼女の誕生日に妹呼ぶなんて本気で信じられない。殴られて当然』
「…………」
竜神がぷつん、と電話を切った。
しっかりと聞こえてた俺は、ショックのあまり竜神のズボンをきつく掴んでいた。
「な、殴られましたか?」
「……ちょっとな」
俺が金券貰ったなんて余計な事言ったからだ……!
「ゴメン竜神、余計な事いって……。と、ところで、誕生日に花ちゃんを呼んだのは竜神じゃないのに、どうして竜神が怒られたのかな?」
「うーん……まぁ、気にするな」
「あの時はまだお付き合いしてもなかったのに……、なんかほんと、ごめん……」
「いいから気にするなって」
★ある日の夕食(三人称視点)
「りゅうー、ご飯できたぞー」
未来の声に、竜神は手にしていた中国語の参考書を机に戻した。
SPを目指すにあたり、会得しないとならない言語は中国語、ロシア語、英語の三ヶ国語。
幼い頃からSPになりたいという一念だけで努力を続けているが、単語、文法の羅列にうんざりするのもまた人情だ。
だが、未来と暮らすようになってから、勉強が随分と楽になった。
突然妹が部屋に押しかけてきて同級生(男)の愚痴をまくし立てることも無い。母親に呼びつけられ手伝いを要求されることもない、祖父に呼びつけられ竜神家の長男たるやと説教をされることもない。夜中に酔っぱらって帰ってきた父親にたたき起こされ酌を強要されることもない。祖母と母の喧嘩の真っ最中に呼び出されどちらが正しいかと言う究極の二者択一を迫られた挙句、どっちを選んでも二人から説教されるといった不条理な目に合うことも無い。竜神にとって、未来との暮らしはとても安らかだった。
進んだ参考書を片付け部屋から出る。
ドアを開けた途端、腹を刺激する匂いが鼻腔を擽った。
テーブルの上に並ぶのは、皿の上でジュウジュウと音を立てる厚いステーキだった。
にんじんグラッセにポテト、インゲン、マッシュルームのガーリック炒め。
つけ合わせも様々だ。
「どうしたんだよ、今日は随分豪華だな」
「竜神が体を鍛えるの頑張ってくれてるからな。半月に一回ぐらいは豪華なご飯食べてもらいたくて奮発したんだよ。どうぞ召し上がれー」
「あぁ、あり」
竜神は、礼を言い掛けて口を噤んだ。
「――――――――――」
いただきますの挨拶もせず、フォークとナイフを取り上げ自分の分のステーキを切った。
未来の前にある肉も同じように切って、自分の皿の肉を咀嚼し、そして未来の皿の肉をひと欠片口に入れて――――。
がっつりとテーブルの上に倒れこんだ。
あきらかに、全然違ったのだ。味も肉汁の量も柔らかさも。
竜神のステーキは柔らかく脂肪と肉汁たっぷりだった。
それに比べ、未来の皿のステーキは硬くて、何度も噛まないと飲み込むのさえ困難な筋張った肉だ。
いうなれば、竜神の肉は一枚千円の国産牛ステーキで、未来の肉は一枚三百円程度の外国牛ステーキ。
竜神は声を振り絞った。
「こういうの、やめてくれ……! オレ本気で凹むから。甲斐性なくてゴメンな。お前に美味い食事をさせる金も無いなんて……」
テーブルの上に伏せたまま唸るように言う竜神に、未来が慌てて飛びついた。
「か、甲斐性ってなんだよ! お前まだ学生なんだから甲斐性無くて当然だろ!」
「オレ、バイト入れる。お前にも上手い飯食わせたい。オレばっかりいい肉食うなんて嫌だ」
「違うよ! 食費は足りてるって! ちゃんと貯金もできてるぐらいなんだぞ! ただ……竜神が一杯頑張ってくれてるからたまには良いものを食べて貰いたくて、でもあんま贅沢したくなくて……!」
未来が言葉を紡ぐ。ぱたぱたとスリッパの鳴る音がするのは、無駄にじたばたと動き回っているからだろう。未来の焦ったときの癖だ。
「ごめん、竜神の気持ち考えてなかった……。俺は安い肉でも平気だからついこんなことしちゃった。嫌だよな……」
未来は想像する。
もし、これが逆だったらどうだろう。
竜神が安くて硬い肉を食べて、未来に柔らかい高い肉を食べさせてくれていたら。
確実に、ショックで食事どころじゃなかった。
自分だけが美味しいものを食べるなんて絶対に嫌だ。それなら、公園の砂でも噛んでたほうがましだ。
「ごめんなさい」
重ねて謝ると、竜神の掌が未来の頭をぐりぐりと撫でてくれた。
許してくれたのだと安心したのは束の間だ。
「バツだ。お前がこの肉食え」
竜神が肉の乗った皿を入れ替えてくる。
「嫌です!! 半分こでお願いします!!」
「却下」
「ごめんなさい、ほんっとごめんなさい! 一人でこの肉食べるの無理! なら、晩御飯抜く!」
「駄目だ。食え」
未来は本気で抵抗したのだったが、竜神の本気の怒りには勝てずに、泣く泣く美味しいステーキを完食したのだった。
二度とやらないと誓うしかなかった。