未来が作り出した、『本物の女の子』の役目の終わり
「な、泣くな。別に襲ったりしないから。とにかく服を着替えてこい。それじゃ寒いだろ」
ぽん、と撫でられて抱き上げられベッドの横に下ろされた。
「三分以内に戻ってこいよ。それ以上掛かったら着替えの途中でも部屋に入るからな」
「うん」
竜神にぎゅって抱き付いてから部屋を出て、人感センサーで灯る足元の照明に照らされながら脱衣所に走りこむ。
今何時だろ。
リビングも脱衣所も冷え切っていた。
ささっと着替えて、竜神の服を胸に抱いて部屋に戻る。
「未来だよな?」
「未来です」
ベッドの上に正座で乗り上げて、うつ伏せになってた竜神の頭に服を被せた。
うつ伏せのまま器用に服を着る竜神の背中に倒れ込む。
怪我に触らないよう気をつけながら。
「りゅー」
「ん?」
「すきだー」
「オレも好きだぞ」
「りゅー」
「うん」
「だいすき」
「大好きだ」
「もし、さ、日向未来が埴輪の中に入っちゃったらどうする?」
「埴輪と結婚する」
「土偶だったら?」
「土偶と結婚する。……土偶でも埴輪でも指輪交換が大変そうだな。薬指ってどこにあるんだろうな」
「じゃあ、りゅうがカンピロバクター菌とかになっても絶対見つけ出してやるからな!」
「あぁ。頼んだぞ。電子顕微鏡買わねーとな」
「シャーレに入れて『これが私の夫です』って」
「紹介されても見えねーだろ。増殖させたらやっぱオレが増えるのかな。気持ちわりい」
「りゅうが一杯!? て、天国だ!」
「喜ぶな。お前の取り合いになるだろ」
うつ伏せに寝てた竜神の下に引きずり込まれて、冷たい体が柔らかい温もりに包まれる。
ぎゅーって抱き締められて、ずしっと上に乗られた。
重たいのと苦しいので「ぐぎゃ」って変な悲鳴が出た。
「おもいー」
笑ってジタバタしながらも、俺も竜神の肩に腕を回した。
「未来だよな?」
「みきだよー」
「何があって、不安定になってたんだ?」
う。
「その……。母ちゃんと兄ちゃんに、中身がバカで99割幻滅させるって言われて」
「…………!!!」
竜神の顔は俺の横にある。表情は見えないのに、低い呻きと一緒にいらっとした気配が伝わってきた。
「もー駄目だ。これからおばさんや猛さんと一人で会うの禁止な。オレも絶対付いて行く」
「うん。付いてきて」
「頼むから、二度と居なくなるな」
「うん。大丈夫。もう、ほんとうに。」
大丈夫だと思う。
俺の中にいる偽者の、『本物の女の子』の役目は終わってしまったから。
向かい合って胸に潜りこんで、竜神の腕を枕に眠る。
朝はいつも通りの朝だった。
竜神は俺が心配だからって日課にしてるジョギングをやめて、朝ごはんとお弁当の準備を手伝ってくれた。
皮向きはピーラーで、包丁さばきはゆっくりと。
手付きはたどたどしいながらも、大きな失敗もなく料理が完成していく。
「よし。と。後はご飯だな」
竜神にはバカ面のクマ。浅見にはバカ面のゴールデンレトリバー。百合にはバカ面の猫。達樹にはバカ面のハスキー。俺にはバカ面のヒヨコ。そして美穂子のは可愛いバンビちゃん。それぞれのタッパーに冷ましたご飯をつめる。仕上げは桜でんぶのハートだ。
「待て、オレがやる」
「え!?」
ハートは型を使ってるから、料理初心者の竜神でもできるけど……。
「オレの分と……そうだな、美穂子のはお前が書いてくれ」
「う、うん」
竜神が作ったハートを百合や浅見、達樹が食べるのかと思うと複雑である。
って、そっか。竜神も複雑だったんだな。
しまった。自分がやられるまで気が付かなかったぞ。ハートはハートマークって記号としか考えてなかったよ。もうちょっと恋愛力を磨かないと。そだ。今月のガールズPOPまだ買ってない。買わなきゃ。
あ。
窓に母ちゃんの影が写った。
今から九州に帰るんだ。
「ごめん、ちょっと母ちゃん見送りに行って来るな」
「オレも行くよ」
昨日の宣言通り一緒に来てくれた竜神と玄関を出る。
「あら、未来、強志君、お早う」
「おはよ。かーちゃん、気をつけて帰ってね」
愛車である軽自動車の後部座席に荷物を置いて、母ちゃんが笑う。
「あんた達も仲良くね」
「はい。一ヶ月間も手を貸してくださってありがとうございました。お世話になりました」
「気にしないでいいわよ。まだ完治してないんでしょ? 言うまでもないでしょうけど、未来、強志君をちゃんと助けてあげるのよ」
「うん」
俺はそれだけで、話す言葉をなくしてしまった。
「未来、強志君と話があるからあんたは家に入ってなさい」
「え!? へ、変な事話すなよ! 子どもとかなんとか」
予想外の母ちゃんの言葉に取り乱してしまう。
「判ってるわよ。もうその話は終わったでしょ」
ちょっと不安だったけど、母ちゃんを睨みつつ大人しく玄関の中に入った。
とはいえども、ドアは完全に締めずにこっそりと盗み聞きさせてもらう。
母ちゃんはさて、と一息ついてから話始めた。
「未来の傍にいてくれてありがとうね強志君。あんたのお陰で、未来は一年も掛からずに自分の性別を受け入れることができたわ。もし、あんたがいなかったら、今頃、性の葛藤に苦しんでどうにかなってたでしょうね。あの子はへんな所で遠慮がちだから、早苗ちゃんに遠慮して一生性転換なんかできなかったから」
……! まさかの真面目な話題に驚いてしまう。母ちゃん、心配してくれてたのか。
「いいえ。オレが出来たことなんて何もありません。未来が自身の性を受け入れられたのは、強い人間だったからですよ」
り、りゅう……! 俺のこと、ビビリだとか怖がりだとか、世の中全部怖がってるとか言ってたのに、そんな風に思ってくれてたの……!!
「未来が強いだって? 笑わせるんじゃないわよ。この世で一番怖がりのどうしょうもない子なのに」
母ちゃん……!
掌を上下に振りながらあっはっはと笑う母ちゃんに殺意を覚えてしまう。こ、この世で一番怖がりじゃないぞ! ワースト10ぐらいには入るかもしれないけどいくらなんでも一番じゃないぞ多分!
「そんなことありません。おばさんが育ててくださった未来さんは、優しくて、気が利いて、素直で、オレには勿体無いぐらいの素敵な子なんです……ですから」
うな!?
ほ、ほめごろ、褒め殺しだ……!
「未来のことをどうしようもないって言うのは止めてください。謙遜なさっての事とは重々承知していますが、未来自身が傷ついて不安定になるんです。自分の存在さえ否定するぐらいなんです。あと、誕生日には電話の一本でもよこしてやってください」
――――――!!!
「あら。誕生日にわざわざ息子に連絡するなんて面倒だわよ。だいたい、毎年気が付いてたら過ぎてるしねえ」
「では、当日にオレから連絡させていただきますのでそのまま折り返してやってください。お願いします」
「ほんと、あんたは過保護よねえ。頭叩くぐらいで毎回必死になって止めようとするし。でも、あんたぐらい人畜無害の男だと安心して娘を預けられるわ。一生、大事にしてやってちょうだいね」
「はい。必ず幸せにします」
運転席に座った母ちゃんが手を振って車を出して、竜神が頭を下げる。エンジン音に紛れてそっとドアを閉めて、俺は聞かなかったフリをするために室内に走りこんだのだった。