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「これなんだけど」
部室にやってきた星野は、挨拶もそこそこにさっそく例の物をカバンから出した。それはレジ袋に入っていて、今回もたまたまや偶然ではないことを主張している。
「ちょっと拝見しますね」
岩崎はレジ袋をひょいと拾い上げると、中身を取り出し、机の上に広げる。そいつは、
「大学ノートが三冊……」
どこでも売っていそうなノートだ。しかもそいつは、新品ではなく現在進行形で使われているもの。今までと同じく、他人の所有物である。
「どれどれ」
麻生はその中の一冊を手に取ると、中を見る。俺も一つ拝見することにしよう。
中を開くと英文がぎっしり。どうやらこれは英語のノートみたいだな。どうやら真面目に授業を受けている様子。板書を写すだけではなく、教師のちょっとした発言も書いているようだ。ま、工夫は見られないし、ただ書いているだけで他人から見たらどうにも分かりにくいノートだが、本来なら自分しか見ないものだし、自分が分かれば問題ないだろう。その辺りは俺が苦言を呈するところではない。好きにすればいい。ただ、一点。どうしても言ってやりたいことがある。それは、
「何だよ、これ。字汚すぎるだろ。読めねえわ」
麻生の発言の通り。字が汚い。
「あぁ、これはひどいですね……」
残りの一冊を手に取っている岩崎も、呆れた様子で呟く。
俺とてそこまで字がきれいなほうではない。丁寧に書いても、きれいとは呼べないものだ。しかし、誰が見ても読むことはできるだろう。少なくとも、読めない、と言われたことはない。
「これはひどいわね。自分でも読めないんじゃないかしら」
麻生からノートを受け取った姫も同様の発言。ま、誰が見ても『汚い』という事実は変わらないだろう。
俺は一通りノートを眺め、個人が特定できるような情報がないことを確認すると、隣にいる真嶋に手渡す。
「えー……」
心底残念そうな声で言った。誰だか知らないが、もう少し丁寧に書いてもらいたいね。確かに自分が分かればいいと思うが、万が一他人が見たとき、これでは無駄に不快感を与える。字が汚いと、それだけでよくない印象を与えるからな。努力して損はないだろう。
「一応一通り確認しましたが、個人を特定できるような情報は乗っていませんね」
岩崎が言う。俺も同感だな。高校生ともなると、自分の名前を記述することもなくなる。もしかしたらと思ったが、ここはある程度予想できた。
「たぶん、男子でしょ」
字が汚いイコール男子、というのは、少し言いすぎだと思うが、今回に限って言えばおそらく正解だろう。これは男子の字体だ。なぜそう思うのか、と問われると、返事を窮するが、ある程度はみんな理解してくれると思う。
「それで、これはいつごろ見つけたんだ?」
「見つけたのはついさっき。タオルを取りに部室に帰ったら、これがカバンの中に」
部室か。そうなると、男子である可能性は、ぐっと低くなるな。
「最後にカバンを確認したのはいつですか?」
「えっと、ジャージに着替える時だから、放課後になった直後。部室で見たよ」
となると、やはり部室で入れられた、ということになる。星野芹香は女子である。ということは、当然女子の部室で着替えている。男子がそこに忍び込むのは、相当の覚悟と運と精神力が必要になるな。
「じゃあ犯人は同じマネージャーじゃねえのか?」
「そう考えるのは早計だと思いますが、一番可能性が高いのは確かですね」
何となく不満そうに呟く岩崎。
「星野さん、同じ野球部のマネージャーの方には聞いてみましたか?」
「うん。最初に相談したのはマネージャーのみんなだし。みんな心当たりないって言っていたけど」
ま、当然そう言うだろうな。そこで自白していたなら、事件は終わっている。
「ちなみに、女子マネの皆さんは、放課後から今まで何をしていたんですか?」
「え?普通に部活だけど」
ま、当然だな。だが、岩崎が聞いているのはそんなことではない。
「ずっとみなさんでグラウンドにいたのですか?」
「まあ私たちも仕事があるから、部室に行ったり、体育教官室に行ったり、いろいろするよ」
部室に行くことがあるらしい。当然、一人で動くこともあれば、複数また全員で動くこともあるだろう。つまり、女子マネには完璧なアリバイがあるわけじゃないようだ。ま、これも当然だけどな。
「つまり、誰でも犯行可能、ということだね」
「え?女子マネのみんなを疑っているの?」
ま、妥当な考えだと思う。現状一番実行しやすい立場ではある。部室にカバンがあったのは事実だ。そのカバンに対して何かを仕掛けようとした場合、まず部室に入らなければならない。それを考えると、女子マネの誰か、というのがまず最初の容疑者になるのは当然だろう。しかし、それは状況だけを考慮した場合だ。
「表面だけを見れば、容疑者筆頭だと思うけど……」
「最初の難関である部室への侵入を考える必要がないからね」
「女子マネの部室が事件現場なら、男子は相当ハードルが高いぞ。何せ、見つかったら学校中で変態扱いだからな」
言うことは分かる。とりあえず意見としては妥当だ。だから、星野も軽々しく反論していない。ただ、そんなに簡単なものではない。岩崎の言うとおり、早計だろう。
「じゃあこのノートはどう考える?」
意見が傾きかけたところで、俺は一石投じる。
「それは、」
「どうなんでしょうね……」
熱くなり始めた議論が急激に冷める。
「このノートの持ち主は、おそらく男子、ということでさっき意見がまとまったと思うが、何で女子マネが男子のノートを使う必要があるんだ」
「えっと、犯行を男子と見せかけるため、とか?」
疑問に対して、疑問で答えるな。
「だったら部室で犯行を行う意味がない。教室でやれば、自然と男子に目が行く。そもそも女子マネが犯人だったとしたら、真っ先に自分たちが疑われるような場所を犯行現場として選択しないだろう」
俺の投じた一石は、瞬く間に全員の頭を冷静にした。これで議論は振出しに戻ってしまったが、先入観で冤罪を増やしては元も子もない。
「では、成瀬さんはどうお考えですか?」
「まだ犯人像は見えないな。動機もさっぱり分からない」
「あんた、あれだけ偉そうに意見したのにそれ?否定するだけなら議論とは言えないわよ」
先ほど麻生に言われた言葉をそっくりそのまま使いやがった。そんなに悔しかったのか?確かに否定だけではよくないだろう。一応俺の意見を言っておくか。
「犯人かどうか分からないが、女子マネがこの事件に関わっていることは間違いないと思う。麻生が言うとおり、男子が女子の部室に侵入するのはやはりハードルが高すぎる」
「自分で言ったことはどうやって説明するのよ。何で男子のノートを使ったの?わざわざ女子マネの部室を犯行現場に選んだ理由は何?」
やれやれ。俺が意見を言うとどうしてここまでムキになるんだろうな。それほど俺は信用がないのか。それともただ嫌われているだけか。
「そいつに関しては、考え中だ」
先ほど言ったばかりだが、本来犯罪はばれないように行うものだ。そもそも自分に矛先が向かないようにアリバイを作るはず。だとしたら、女子マネが自分たちのテリトリーであるところの部室で犯行を行うのは考えにくい。
もちろん女子マネが犯人だと思わせるための演出だという可能性もあるが、その演出は、リスクの高さにリターンが比例していない。無関係の人間が部室の前でうろうろしていたらそれだけで怪しいし、それが男子ならなおのこと怪しい。その状況を誰かに見られていた場合、間違いなく容疑者になるだろう。誰にも見られることもなく、鍵も何とか突破したとしても、女子マネ全員にアリバイがあれば、その努力は無駄になる。女子マネにアリバイがない時間を事前に調査するにしても、そんなことに時間を取るくらいなら、もっと違った策を講じることをお勧めする。
男子にできない行為だが、女子マネがやるにしてもリスクが大きい。だが、事件はこうして起こっている。つまり、女子マネの部室を現場にしたのも、男子のノートを使用したのも、どちらも故意だ。どちらに関しても、それを選んだ理由があるのだろう。
「うーん、いまいち分かりませんね。確かに成瀬さんの言うとおりですが、そしたらなおさら犯人の動機が分かりません」
それに関しては同感だ。
「じゃあ今回も進展なし?」
残念そうな表情で、今の議論を総括する星野。
「いや、そんなこともないぞ」
今回の件は収穫ゼロではない。少なくとも、活路が見えた。
「え?本当に?」
「確かにそうですね」
岩崎の言葉に同調し、麻生と真嶋が頷く。
「今回は二つ調査対象が見つかりました」
岩崎は顔の前で人差し指を立てる。
「まず一つ。野球部女子マネの皆さんです」
「え?まだみんなを疑っているの?容疑者から外されたんじゃないの?」
「いえ、容疑者ではなく、重要参考人です。成瀬さんの言うとおり、正直女子マネの皆さん以外にはこの犯行は少々難しいでしょう。犯人とは言いませんが、十中八九今回の事件に関わっていると思います」
そこに異論はないらしい。そもそも部活中は鍵を閉めている。その鍵を突破することがまず不可能だろ。
「そして二つ目」
岩崎は続いて中指も立てる。
「このノートです。前回までの物とは違って、これは個人を特定できます。このノートの持ち主が犯人、とは言いませんが、先ほど同様確実にこの事件に関わっていると思われます。重要参考人です」
岩崎は立ち上がると、
「明日からはこの二つを重点的に調査いたしましょう」
高らかに宣言した。やれやれ。これで本格的に調査に赴くことになってしまった。やることが決まっている分、楽ではあるが、気は進まないな。