第一話 だって現実の男って、私の脳内設定に比べて、圧倒的にスパダリ成分が足りないんですもの!
「ああ、尊い……!冷徹無比な氷の王太子殿下が、私の細い手首を掴んでベッドに押し倒し、『……もう、限界だ。私をこれ以上、焦らすな』って、耳元で低音掠れボイスを囁くシチュエーション……!最高、最高すぎて語彙力が消失するわ……ッ!」
どん、と激しい音を立てて机に両手を突いた。
目の前には、禍々しい漆黒の魔力が渦巻いている。そこは地獄の最深部、すべての悪魔の頂点に君臨する魔王ルシファーの執務室だ。
普通なら、恐怖で魂が消し飛ぶような空間。
けれど私は、手にした『理想のスパダリ語録・第百一巻』を胸に抱きしめ、うっとりと頬を染めて身悶えしていた。
「おい、サキュバス」
地響きのような、低く冷酷な声が頭上から降ってくる。
玉座に腰掛け、眉間に深い皺を刻んでいるのは、超絶美形の魔王ルシファー様。
漆黒の翼を広げ、絶対的な威圧感を放っている……はずなのだが、今の彼の目は完全に『限界を迎えた上司』のそれだった。
「……お前、私が何を言っているか分かっているのか?」
「はい!今月の『人間の男を誘惑して精気を吸い尽くしたノルマ』の報告ですよね!……あ、すいません、今ゼロ件です!だって現実の男って、私の脳内設定に比べて、圧倒的にスパダリ成分が足りないんですもの!」
私は胸を張って言い放った。
そう、私は夢魔。
人間の夢に侵入し、淫らな夢を見せて精気を吸い取る、淫靡で危険な悪魔――のはずだった。
なのに、どうしてこうなった。
理由は簡単。私が『重度の夢女子』だったからである。
「聞いてくださいルシファー様!夢魔の仕事って、ぶっちゃけ効率が悪くないですか?行きずりの男の夢に入って、適当にエロいことするなんてナンセンスです!恋愛とは、もっとこう、丁寧なビルドアップが必要なんですよ!最初は冷徹な政略結婚から始まって、徐々に絆を深めて、ある夜ついに理性が決壊する……その『ギャップ』にこそ、至高の栄養が詰まっているんです!」
「知るか。お前の解釈など聞いていない」
ルシファー様が、ドサリと私の足元に大量の紙束を投げ捨てた。
それは、私が夜な夜な書き殴っていた『理想の王太子殿下との激甘新婚生活・全百巻+外伝』の妄想ノート。
「あぁ!私の大切なノートっ!」
「お前が毎晩、人間の夢に侵入しては精気も吸わず、ただ自分の理想のシチュエーションを人間に押し付けて『尊い……ッ!』と悶絶して帰ってくるせいで、地獄の精気備蓄量は過去最低だ。しかも、お前の妄想に付き合わされた人間の男たちが、現実の女性に興味をなくして少子化が進んでいるぞ。人間界の繁殖効率が過去最低にまで落ち込んでいる」
「えっ、それはご愁傷様です」
「お前のせいだ!!」
「ひぇっ」
ルシファー様の怒号が響き、魔王城がビリビリと震える。
おっと、これはガチで怒っているやつだ。
「もういい。お前の顔を見るのも、その薄汚い妄想ノートの解説を聞かされるのも限界だ」
ルシファー様が、冷酷な笑みを浮かべて右手を掲げた。その指先に、次元を切り裂くほどの凄まじい魔力が集束していく。
「ヒッ……!お、お許しを!これからはちゃんとノルマ分、普通のえっちな夢を見せますから!」
「遅い。そこまで『完璧なスパダリと政略結婚から始まる焦らし愛』とやらをやりたいのなら……望み通り、お前が現実でやってこい」
「え?」
「お前を、今から人間界へ転生させる。夢魔の能力だけは残しておいてやる。その身一つで、お前の理想とやらを現実にしてみせるがいい」
「ちょ、ちょっと待っ――」
引き止める声は、激しい光の中に掻き消された。
身体がバラバラになり、次元の狭間に吸い込まれていく感覚。
意識が遠のく直前、私の脳裏に響いたのは、ルシファー様の邪悪で、しかしどこかすっきりとした捨て台詞だった。
『せいぜい、現実の厳しさに絶望して泣きつくがいい、サキュバス!』
――そして、私の意識は完全に暗転した。
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