観覧車
私、百瀬糸は都内のごく普通の一人娘として生まれた。両親には蝶よ花よと愛されていたと思う。お手伝いをするとお小遣いが貰えたり、たまの散歩の帰り、お菓子とジュースを買ってくれたり、可愛いお洋服を作ってもらってた。誕生日には遊園地に遊びに行って、帰ってきたら手作りの華やかなホールケーキがあって、両親から欲しかったお人形さんやぬいぐるみを貰った。誕生日は私にとって、最高に幸せな日だった。でも、それらの幸せは9歳の時に灰となった。父が事故に遭って死んだ。電話がきて病院に向かったとき、父は見るも無残な姿と化していた。「なんで…」私は呆然とする事しかできなかった。これは、父の死後に母から聞いた話だけど父は、帰宅中に信号無視したトラックに衝突されたらしい。そのトラックは灯油を積んでいたらしく、衝撃によってタンクが破損して炎上したとの事。いくら謝られても法で裁かれても「返せ」と起こっても父は戻らない。その現実はどれほど辛いか。いつもニコニコしてる母は私の隣で泣いてた。私も泣いた。それから時は経ち、18歳になった冬のこと。母が癌を患った。私にとって、それは信じたくない出来事だった。私は母と約束をしていた。「今度、一緒に遊園地に行こうね」と。遊園地は誕生日の思い出であり、両親が初めてのデートで行った大切な記憶。そこにある観覧車は父がプロポーズした場所らしく、幼い頃に母がゴンドラの中で幸せそうに話してくれてた。その時の父は照れくさそうにしてたけど。母は、入院してすぐの頃はまだ話す事も歩く事もできていたけど、次第に悪化して遂にはベッドに寝たきりとなってしまった。ほどなくして、桜が咲く季節にその約束は守られないことが決まった。皮肉にも、桜は思い出のゴンドラの色によく似た色をしていた。葬式の時、母は私と対照的に穏やかな顔をしてた。多分、父に会えたからなのか少し微笑んでいるようにもみえた。私は小さくなった母を抱え、帰路に着いた。母が生前に書き残したレシピを基に大好きだったオムライスを作った。こんなに味がしないご飯は父のとき以来だった。時の流れは残酷だ。誕生日や幼稚園のお遊戯会、小学校の音楽会など宝石のような思い出には必ず両親がいた。でも、今はもう居ない。もし元気になったら、亡き父との結婚記念日に観覧車のピンクのゴンドラに乗って、家で手作りのケーキを食べてお祝いするつもりだった。当たり前に両親はずっと一緒に居てくれるものだと思ってたから後悔しながら、私は広く感じる寂しい家で、静かに眠りにつこうとしたけどその日、眠ることはなかった。
それから9年、私は両親の元を訪れた。伝えたいことがあるから。
拝啓、お父さん、お母さん
天国で元気に私のこと見守ってくれていますか?
私は猛暑に負けず、無事に27歳の誕生日を迎えました。実はその時に私、プロポーズされました。彼どこでプロポーズしてくれたと思う?あの遊園地の観覧車、ピンクのゴンドラの中、頂上に来たとき!お父さんと同じプロポーズで偶然とはいえ驚いたの。二人が居なくなってから寂しくなって辛い事もあったけど私は彼と幸せになります。幼い頃のビデオで話してたお母さんのような最高に幸せな花嫁に。だから、どうか結婚式を笑顔で見守ってね。綺麗なドレスを着て堂々と歩いてみせるから。あと今度来る時は、彼も連れてくるね。
まだ、話したいことは沢山あるけどそれはまた今度に。
左薬指に光る指輪を見せて、私は両親のもとを去った。




