エッセイ 先生の話
今回の作品『カット・アンド・カット』の主人公は「小学校教諭」です。
本当は執筆にあたり取材をしたかったのですが、私の人脈ではそれが叶わず、書籍やブログ等で調べるに留まっています。
今からでも、取材に協力してくださる方がいらっしゃれば、そう多くは謝礼を渡せませんし、条件によってはお断りするかもしれませんが、もしご協力いただけたら非常に助かります。ゆる募します(執筆への意気込みは決してゆるくないです)
さて、それではなぜ「先生」を主人公に据えようと思ったのか。それは昨今ニュース等で報道される「教員の人手不足、オーバーワーク」に関心を持ったからです。
大好きな漫画作品『女の園の星』(和山やま・祥伝社)で、こんなセリフがあります。
〝我々教師も普通にご飯を食べる人間だぞ〟一見さりげないこのセリフに、和山やま先生は大きな想いを込められているのではないか、と私は考えました。
私たちは学校の先生に、期待をしすぎるが故についつい文句を言ってしまう。しかし、学校の先生は本当に、文句を言われてしまうような存在なのでしょうか……。
私には恩師と呼べる先生が何人もいらっしゃいます。
まあ、まだ両親、お世話になった親戚も存命なのであまり言いたくはなかったですが……。(親戚にとってうちの親はきょうだいであり、私のきょうだいは甥なので)
『家族と折り合いの悪い』私は、自己肯定感も低く、そして問題児でした。
私の世代に猛威をふるった「ヤンキー」とは違った方向の問題児でした。今風に言うと「繊細ヤクザ」に近いかもしれません。(人を妬むことはあまりなかったのですが、繊細さからくる〝配慮〟は無自覚に押し付けていたと思います)
今になって気づいたのが我ながらお恥ずかしいのですが、私は小学生の頃から「選ばれる」ことが多かったです。
コーラスクラブのソリスト、文化祭や学校行事の冊子を飾るイラスト。弁論大会のクラス代表。合唱祭の指揮者や、ソーラン節のリコーダー……はジャンケンだったかもしれないかな?
最近までずっと、いやー多才な私……とか調子をぶっこいていたのですが、やっと気づけました。
これ私、役割を与えられていたんですね。自己肯定感がすっかりなくなってしまわないように。
信頼関係……任される事と達成感、成功体験を与えられるという他者からの肯定。
私はずっとあの家庭環境の中「グレなかった私、エラい」と、笑っていたのですが、先生という「大人の目」が私をグレさせなかったんですね。
これはまさしく「教育」ではないでしょうか。
もちろん、先生だけではなく、前述の親戚も本当に見守って気にかけてくれていたと感謝しています。あんなクソガキだったのに……。いらんこと言うタイプのね。
具体的な例を言うと、コーラス部の顧問の先生。彼女は私にとって「メンター」だったのだなあと思います。
少なくとも私にとってはそうだった。
私がめちゃくちゃ歌うことを好きになれたのは、先生のおかげだと思っています。
NHK全国音楽コンクールに向けて曲を完成させること、ステージで歌い終えた瞬間は、結果はどうあれ成功体験の最たるものを味わった、と言っても過言ではありません。
指導スタイルも私にとってはピッタリで、適度な距離を保ってくれつつ、出来ていないところは「出来ていない」と淡々と指摘して、できているところは「今のは良い」と言ってくれていました。
すると、どうなるかというと、みるみる上手くなるんです。
当たり前のように聞こえるかもしれませんが、四十路を五つも超えた今でも、夫とふたり七時間のフリータイムカラオケをぶっ続けで歌うほど、歌うことが好きになれた。これは最高のプレゼントです。
しかも、このプレゼント「喉が枯れない」という「特典」つきです。喉を開いて、腹筋を使い腹式呼吸で歌うことが体に染み付いているからなんですね。
もう一つは、高校生の頃。クラブ活動の顧問の先生です。農業科の所謂「おじいちゃん先生」だったのですが……さす九という言葉がいま、ネットを中心に囁かれるようになりました。
「さす九のおじいちゃん先生」と聞くとどういった先生を思い浮かべますか? 男尊女卑の価値観をもつ古い男性と語られがちな──。
彼とのエピソードは私がイップスにかかってしまったことから始まります。
アーチェリークラブだったので、最初の時間を使って「いかにアーチェリーに殺傷効果があるか」をたっぷり教わりました。大事なことです。安易なふざけ合いが起こってしまっては、命が簡単に落とされてゆくでしょう。
それを踏まえた上で、最初はアーチェリーを楽しんでいました。
ある日、いつものように弓を引こうとしたら、どうしても指が動きませんでした。
この日、どうしてかは分かりませんが、急に「今この弓を引くと人を殺してしまう可能性がある」という意識が、魚焼きグリルの網にこびりついた頑固な焦げのように、黒く頭にひっついて離れなくなったのです。
「つぎ、射っていいよ」
私はアーチェリーをおろし矢を置くと、笑顔を作りつつ、後輩にこう言ったのですが、アーチェリーに触ったのはこの日が最後でした。
(ちなみにアーチェリー自体にはいまだに思い入れがあり、オリンピックのアーチェリーなども各国の選手の皆様を応援しています)
それから、私はアーチェリーに参加せずに、おそらく暗い顔をしていました。心の中では「射っていないことがバレたらどうしよう」たしか、そんな風に考えていました。
するとある日、先生が「三年女子こっち来て」みたいな感じで私とクラスメイトを呼びました。三年女子はこのふたりだけでした。
先生は「お前らは商業科か?」と質問しました。私は「はい」と答えてその場を去ろうとしました。今考えるとそれだけ訊いてどうしようというのだ、そんなわけないだろ、と分かるのがちょっと笑っちゃうんですが。
その質問の意図は、先生が教えている農業科の鉢植えの花を、商業科の棟に届けてほしい、というものでした。
私たちはふたりで、鉢植えを抱え、お花のデリバリーをしました。
どういった風に運んだのかは覚えていないのですが、商業科の棟の準備室、そういったところを回ったと思います。受け取った先生は笑顔で感謝の言葉をくれました。もちろん、それを受け取ると私も嬉しくなります。
商業科の棟を抜け、校長室まで足を運ぶと、間の悪いことに校長先生と一緒に、出前のラーメンを啜っている先生が四人ほどいました。この時は私も完全に笑顔です。
先ほどの『女の園の星』のセリフ通りに、先生も普通にご飯を食べる人間なんですよね。
それからのアーチェリーの時間は、パラダイスのような農業科の敷地を見学させてもらったりして、過ごしていました。
敷地内の小川で釣りクラブが魚を釣り上げます。わーっと歓声が上がる、その横を通って、牛舎へ向かいます。
牛舎にはリーゼントみたいな模様を乗せたホルスタインの牛がいます。部活動(クラブとは別です、〝クラブ活動〟という時間割があったのです)の友達と、そう盛り上がったことがあり、その友達が農業科のお兄さんにその事を言った時「ああ、あいつボスよ」と返ってきたらしいです。
……みんな、あの模様をリーゼントみたいだと思っていたんだ。
そのことを思い出しながら、リーゼントさんに挨拶をすると、広い田んぼの畦道を抜け、合鴨農法に使う鴨の小屋に行きます。愛らしい。
校内の弁論大会で、仕事を終えた彼らがどうなるのかを聞いた時は、切なくなりましたが、私も鴨南蛮そばは美味しくいただくのです。それが、人間にできる供養なのでしょうか。答えは出ませんが、それでも私はいただいた命に感謝しています。
鶏舎に向かうと、茶色い羽毛のニワトリがキャーキャーと鳴いています。羽がふわふわと舞い、素早く首を動かすニワトリは、卵を採取する実習に使っているみたいです。小屋の中の糞の匂いは少しツンとする感じでしょうか。
これらを見学させてくれたということは、私が〝変なこと〟をしないと、信用してくれた上でだよなあ、と本当に何回めか分かりませんが、今になって気づきます。信用を変な形で返すことにならなくてよかった。この学校内を見学できたことは、楽しい思い出としてずっと残っています。
これはクラブのみんなで参加したと思いますが、ある時は足で漕ぐタイプの餅つきにも参加しました。
アーチェリーを射たないのがバレたらどうしよう……そんな気持ちはこの頃にはすっかり消えていました。
先生はちゃんと見てくれていたんですね。
もちろん、悲しいことに「さす九」な先生も……いました。これは事実です。女子生徒に暴力を振るってしまう先生も、悔しいけどいました。それを正当化してしまう風潮も……確かにあったんです、悲しいことですが。それを否定していては次世代により良い未来を渡せないんです。また誰かが、あるいは誰もが同じ傷を負うだけです。
クラブ顧問の先生だって、私はクラブ活動での一面しか知りません。
でも少なくとも、この先生は「アーチェリーの先生」でいる限りは、紛れもなく先生として接してくれたのです。
そして、学校は必ずしも過ごしやすいことばかりではなかった。これもまた事実です。
しかし、学校はまた「私という問題児」が世間からすっかりはぐれてしまわないように、そっと後ろから手を引いてくれていたのです。
高校生の時の担任は、三者面談の時に私ではなく母に「娘さんの机を見てください」と、私の机へ案内しました。
机の中は置き勉の教科書でパンパンだし、プリントもぐちゃぐちゃと教科書の間でプレスされていました。
なぜ、先生は私に注意せずに、母に言うんだろう? と思っていたのですが、母に「お宅の家庭環境に思い当たる節はありませんか?」と、静かに問うていたのでしょう。
また、先生だけではなく中学生の時のコーラス部の部長、彼女にもあたたかい心をもらえました。
私が部活をサボりがちなころ、部長は私とふたりになった時に「セーラームーンのイラスト、ありがとう」そう話を切り出しました。
以前、ひょんなことから部長と私がセーラームーン好き同士だ、と話が合い、私が模写したイラストを渡したことがあるので、そのことでしょう。
まずは彼女は、私のとっつきやすい話題を提供してくれました、そうして私の心をアイドリングさせると、本題である「もっと部活に来てほしい」という旨を伝えました。
私はただただ、面食らっていました。私なんていてもいなくても一緒だと思っていたから。
「ここにいて欲しい」と、居場所をくれることがどんなに嬉しかったか。私はそれから引退まで出来るだけ休まずに部活に顔を出すようになりました。
わたしは信念を持って教職の職務を全うする先生方に明かりを灯したい。それはスポットライトのような派手な光ではなく、たしかにストーブの薪に火をくべるような。力強く、日々を生きていくための糧になるような明かりを。
それが弓美の物語……人生になったらいいな、と思います。職業意識の高い、信念に燃えた、戦う教師像を書けたらな、と思います。名前の通り美しい弓を引いて。……戦うけど、どうしようもない現実に、たまには押しつぶされそうになりながら。
とはいえ、弓美もやっぱり、食べなきゃ生きていけない普通の人間だ。だからこそ、書きたいと思います。
これは独りよがりかもしれないけれど、私から、この時代にあえて「教師」という職業を選んでくださった先生へのエールです。