誰にも解かせない
「ほんと迷惑ですよ。巻き添え事故みたいなもんじゃないですか」
菊池一成が言う通り、彼の身に起きている事は事故と言っても差し支えないだろう。
「被害者ですよね? 加害者じゃないですよね、俺?」
それで周りは納得はしないだろう。
間違いなく彼は犯人ではないが、残念ながら彼を加害者と見なす人間の方が圧倒的に多いだろう。
発端は一人の女子生徒の自殺だった。
名前は田上良美。彼女は菊池と同じ明山高校に通う二年生。
放課後屋上から真っ逆さまに飛び降り見事に脳天から地面に刺さるように落ち、熟れたトマトが潰れたようにぐちゃりどろりと濃厚な血を撒き散らして即死だった。
当然のように学校は騒ぎになったが警察に身を置く自分達からすれば日常的な死の一つに過ぎなかった。まだまだ若いのに可哀想という感情が果たして本心から来るものか、そう思うべきものだからと業務的に立ち上がったものかはもはや自分でも分からない。
遺書は残されていなかったが、丁寧に靴を揃えていた事とその時その場に他に誰も存在していなかった事から早々に彼女の死は飛び降り自殺だと断定された。
しかし問題はここからだった。
それから一週間後、また別の女子生徒が死んだ。
名前は深山美喜子。菊池より一つ下の一年生だったが、彼女もまた田上と同じく飛び降りて頭を潰して死んだ。偶然だろうか、深山は田上と同じ場所に同じように靴を揃え、同じ位置から飛び降りて死んだ。さすがに着地点までは同じとはいかなかったものの、まるでダーツのブルを狙うかのように田上の頭が潰れた場所と同じ場所に落ちようしていたかのようだった。彼女もまた遺書を残していなかった。
深山についても状況的に自殺で間違いなかった。しかし立て続けに自殺が起きたとなると保護者達もさすがにざわつき始めた。
いじめや何か問題があったんじゃないのか。学校側へ抗議する者がちらほら現れたが警察の調べとしても自殺である事に揺るぎはなかったので、その結果をもって学校側も毅然とした態度で問題ない事を保護者達に伝えた。しかしそれを嘲笑うかのようにまた自殺者が出たのだった。
出井静子
藤堂美夏
それぞれ深山が死んだ四日後、六日後。場所や方法は同じ。まるで先の二人の死をなぞるように出井と藤堂も飛び降りて死んだ。
ここまで来るとさすがの警察側も気味悪がり始めていた。全ての死の調査についてもちろん手を抜いてなどいない。どれも紛れもない自殺だ。警察の威信をかけて言い切る事が出来る。
しかし、積み重なった四人連続飛び降り自殺という事実は確かな証拠だけでは各人の心と頭の中は処理しきれるものではなかった。
一体何が起きているのか。これについて実は二人目が死んだあたりで皆それとなく原因のようなものは分かっていた。分かっていたと断言するのは立場上問題があるが、状況証拠に関係してこない点から無視されていた要因だった。
それが菊池一成だ。彼は死んだ四人と強烈な共通点を持っていた。
四人共が自殺する前に菊池に告白をしていたのだ。
田上は彼を放課後の屋上に呼び出し、直接想いを伝えていた。それ以外の三人も同じように菊池に告白をしていた。
菊池に確認したところ彼女達の告白のセリフは皆、「好きです。付き合ってください」だったそうだ。
「モテるの君?」
「いや、別に……」
だろうな。顔立ちは悪くないが決してイケメンと呼ばれる類でもない。可もなく不可もなく。そういった素朴な雰囲気は好ましいが、醸し出すオーラというか男の色気みたいなものも、高校生という点を差し引いても万人を惹きつけるだけのものは感じさせない。
ザ・平均点。そんな人間が立て続けに告白されるなんて事はあまりないだろう。
「失礼します」
彼の話を聞く為に借りていた生徒指導室に菊池の担任である橘鏡花が入室してきた。薄いフレームの眼鏡をかけた黒髪で細身のスタイルは男子が思い描く最高の女教師像を体現しているかのようだった。
「もう一時間程たちますが、まだ続けますか?」
「いえ、とりあえず今日のところは」
まだ確認したい事は色々あったが、橘が発するあからさまな圧に負けた事にしておいた。
「また連絡させていただきます」
そう言うと少し会釈をして橘は菊池と部屋を後にした。出る間際に彼女が私に向けた視線は敵意そのものだった。
ーーそうですか。
その後すぐに私は違う事件を担当する事となった。連続飛び降り自殺は尚もおさまらなかったもののやはりどれもが自殺でそれ以上の報告は上がってこなかった。
事件でもないので仕事として深追いする意味も必要もない。体力と時間の無駄だ。
ただ個人的な趣味が疼いて仕方がなかった。警察として解決に至らずとも、枠組みを外せば思考は自由だ。
だからここからは、あくまで私の趣味の範疇だ
*
「最近学校はどうだ?」
「行けるわけないじゃないですか」
「絶賛引きこもり中か」
他の事件を処理しながらも、合間の休日や時間を利用して菊池との距離は保ち続けていた。そうでなくともその後の明山高校の事は嫌でも耳に入ってきていたが。
「まだ死んでるんだろう。とんだ迷惑だな」
「……炎上しますよ、その発言」
「晒すのか?」
「いや、別に……」
明山高校での自殺はまだ続いていた。自殺者は全て女子。そして、すべからず死ぬ前に皆菊池へ告白をしていた。
「まるで死神じゃないか。色男君」
「喧嘩売ってます?」
「買ってくれるのか?」
「あんたマジなんなんだよ」
出来る限りの強面で凄んだつもりだろうが、日頃犯罪者と相対している者からすれば何の威力もない。意地らしく可愛くて仕方がない。
「自分は被害者だと言ったな」
「そうだよ。俺は何もしてねぇ」
「本当にそうか?」
「どういう意味だよ」
「田上から始まった告白と自殺の連鎖。田上の告白はどうしたんだっけ?」
「断りましたよ」
「どうして?」
「好きじゃないから」
「それだけ?」
「……しつこかったんですよ。見た目も好きじゃなかったし、そんな喋った事ない人間に一方的に近づかれるのって、なかなかキツイですよ」
「嫌っていたわけだ」
「告られたからって絶対にOKしないとダメなのかよ」
「そんな事はないが、傷ついてはいただろうな」
「俺が殺したってのかよ!」
「いやいや、彼女は勝手に死んだだけだ。ただな」
「ただ?」
「彼女以外の人間。それも君は全て断っている。それはなぜだ?」
菊池の目に動揺が走ったのは明らかだった。
「田上と同じ理由か? 違うよな? 同じ学校内とはいえほぼ接点がないような女子にまで急に告白をされている。中には君の好みの子だっていたんじゃないのか?」
「それは……まぁ……」
ーーくだらないな。
心底思う。警察の思考の枠から出た所でこの程度だ。
「呪われたな」
「は?」
「呪いだよ。君に起きている事は」
ぽかんと菊池はだらしなく口を開ける。間抜けな顔も悪くない。
「田上は君に振られた腹いせに呪いを起こしたんだよ」
「……あんた警察だろ? 本気で言ってるのか?」
「これは趣味。だからこういうのもアリ」
「悪趣味過ぎんだろ……」
「悪趣味なのは田上だ。君だけを呪えばいいものの、自分と同じ人間を増やして失敗を薄めようとしてるんだから」
田上がやった事は、菊池を宿主としたウイルスを仕込み、誘き寄せ感染させる事だった。
何の気持ちもなかったはずの女子達は急に前触れもなく順番に菊池に吸い寄せられていく。そして想いを伝えるも、菊池はそれを振ってしまう。それにより気持ちを踏みにじられた恥ずかしさや悔しさといった感情が呪いの力により爆発的に身体の中へ広がる。
そしてその感情は彼女達を田上が死んだ場所へと導く。自分と同じように潰れていく女子達。彼女の死が自分の死の上に重なっていく事で、自分が死んだ事の理由も意味も薄められていく。そんな所だろうか。
私の憶測を聞いた菊池は真っ青になっていた。だから皆納得しないのだ。彼は確かに被害者だが、結果的に加害者でもあるのだ
「ふざけんなよ! 全部田上が悪いんじゃねぇか! なのにお前のせいで皆死んだって悪者にされて、学校に居場所もなくなって、こうやって家にいてもくだらない悪戯とかしてくる奴らもいる。無茶苦茶だよ。理不尽過ぎるよ」
「味方は一人もいないのか?」
「……橘先生が、たまに連絡とか、家に来てくれます」
「優しいんだな」
「唯一の救いです」
ぽんと私は彼の肩に手を置く。できるだけ優しく、暖かく。
「信じてくれなくてもいいが、一つだけ覚えておいてくれ」
「なんですか?」
「私も君の味方だ」
「え?」
「私が全て終わらせてやる」
*
「えげつない事しますね、今時の先生は」
「何言ってるんですか、あなた」
眼前にいる橘は敵意をまるで隠さなかった。
「菊池君が可愛くて仕方ないですか?」
「生徒として大事に思っています」
「男として、の間違いでしょ?」
「うるさい口だな」
「あ、素が出た」
「何? あんたは何がしたいの? うちの自殺は今でも続いているけど、おたくら警察は何かしてくれるわけ?」
「いいえ、何もしません。ていうか出来ません。事件じゃないので」
「これだけ人が死んでいても?」
「学校の教育や環境に問題があるんじゃないですか?」
「私達のせいだと言うの?」
「お前のせいだろうが」
「はぁ?」
「まぁいいんですけどね。認めなくても。趣味なんで今私がやっている事は」
「趣味? どんな趣味よ。そんな時間があるならちゃんと働けよ」
「働いてますよ。事件もいっぱい解決してますよ。でもこれは事件として扱えないし今日は休日。休日は趣味を謳歌しないと」
「警察が聞いて呆れるわ」
「あなただって時間外や休日は菊池君と会って私欲を満たしているじゃないですか。それと一緒です」
「ふざけるな! あんたの趣味なんかと一緒にするな!」
「ごめんなさい、菊池君はあなたの趣味の一環なんかじゃないですよね。あなたの愛する人ですもんね。誰にも奪われたくない大事な大事な人ですもんね」
「あんた、全部お見通しってわけ?」
「さあ、どうでしょうか。趣味だから普段の仕事に比べればだいぶ甘いですけど」
「普段の事件みたいに徹底した方がいいんじゃないの?」
「警察はオカルトを扱えないんで」
「それもそうね」
「最初は田上の呪いだけが原因かと思いましたけど、あの子、呪いは今回が初めてね。中途半端で失敗してる。だからそれだけじゃここまでの死人は出なかったはず。あなたのせいね」
「カズ君が困ってたのよ。しつこくてキモいのがいるって」
「じゃあ田上だけをどうにかすればいい、って事にはならなくて?」
「三十手前のおばさんと十代の女子。敵は少ない方がいいじゃない? だからカズ君にはそもそも別の仕込みをしていたの。私以外の女性の想いを受け入れないように。そしたら田上の出来損ないの呪いと上手く連動しちゃったってわけ」
「田上の不完全な呪いだけでは、女子が彼に好意を抱いて近づかせる事までは出来ても、彼が告白を受け入れてしまえばそれで終わり。でもあなたがそれより前にかけていた呪いによって、彼は自分の意思とは別に呪いの力で受け入れる事が出来なくなっていた。そして振られた女子達はもとの田上の呪いにより負の感情が増幅。結果として田上の呪いが完成してしまう。二人の呪いが組み合わさる事で告白と自殺の連鎖が引き起こされた」
「棚ぼたよね、私からすれば」
「全くとんでもない人間が教師をやってるものだわ。死んだ生徒の呪いを流用して担任として菊池君の世話を妬く事でまんまと彼を自分だけのものにした。大成功ね。彼、あなたの事を唯一の救いだって言ってたわよ」
「光栄ね。でも一つ腑に落ちない事がある」
「何?」
「どうしてあんたはまだ生きてるのよ」
「女性であり、菊池君に近づき続けているのに私の頭は潰れず綺麗に保たれてるのがそんなに不満?」
「カズ君にずっと馴れ馴れしく近づくだけならまだしも彼を怯えさせている。許せるわけがない」
「それなら手っ取り早く刃物でぐさっと、もしくは鈍器でガツンとやっちゃえば?」
「警察に動かれたらカズ君と一緒にいられなくなるじゃない」
「便利よねオカルトって」
「答えなさいよ。なんであんたはまだ生きてるのよ」
「同業者なら分かるんじゃない?」
「どういう意味?」
「呪い返し」
「……は?」
「田上と、あなたの呪い、全部あなたに返してあげたの」
「は、そんなでまかせ。全部私に? って事は、私はどうなるのよ?」
「丑の刻参りがバレた人間はどうなる? 簡単な話よ」
「……嘘よ」
「人を呪わば穴二つ。あなたがどうなるかは私も楽しみ」
「嘘、嘘よ!」
「もう自殺者は出ない。呪いもあなたも消えるから」
「ふざ……ふざけるな!」
「趣味じゃなきゃ出来ないのよね、こんな事」
「嫌、嫌! カズ君! カズ君っ……ぐっ……!」
「あら? 思ったより早いみたいね」
「あ、が……っ!」
「さようなら先生。年齢を気にされてましたけど、あなたほどの見た目なら不自由はなかったはずよ。生徒に手を出すなんて禁忌を犯しさえしなければね」
*
「先生の事、残念だったわね」
「はい……でも、おかげさまでもう自殺する人はいなくなったみたいなんで、それは良かったです」
「言ったでしょ、私は味方だって」
「本当に、あなたが止めてくれたんですか?」
「信じるか信じないかはあなた次第」
「まぁ、終わったならなんでもいいです」
「呪いなんてくだらないわよ、ほんとに」
「かけた事あるんですか?」
「あら、そういうの信じるの?」
「いや別に」
「私は今、君に呪いをかけた」
「え?」
「今言われてどう思った?」
「なんか、嫌な気分になりました」
「そういうものよ、呪いって」
「気の持ちよう的な事ですか?」
「解釈は任せるわ」
「はぁ」
「それより、あんまり外食も出来てないでしょ。何か美味しいものでも奢ってあげるわ」
「ほんとですか?」
「何、嬉しそうな顔して可愛い」
「からかわないで下さいよ」
「可愛いから可愛いって言っただけよ。ほら行きましょ」
「あの……」
「ん?」
「ありがとうございます」
「どうしたのよ」
「色々と。自殺も告白も止まったし。本当に終わらせてくれたのなら、あなたに僕は助けられたから」
「あなたじゃない。早川岬」
「え、と……早川、さん」
「よくできました」
「全部、早川さんのおかげです」
「モテなそうだってのは訂正かもね」
「え? 何ですか?」
「なんでもないわ。ほら、行きましょカズ君」
「はい」
趣味じゃなきゃここまでしない。わざわざ呪いを突き止めて排除するなんて。
全ては私の趣味。好きなものには妥協しない。
あなたはきっと、これからも呪いに縛られた人生を歩む運命なんだろう。
初めて会った時からあなたが欲しかった。
ーーカズ君。
私の呪いは、誰にも解かせない。