第五十四話 ハルバード
《天柱》の観光を終え、貴族街を取り囲む内壁を出発した俺は、そのまま西大通りを駆けて外門を目指す。
この街をもっと見てみたい気持ちはあるものの、まずはハルバードを取り戻すのが先だと思う。ずっと持ち歩いていた物なので、手元に無いとなんとなく不安に感じてしまう。
中壁の西門で封印された短剣を受け取り、そのまま駆けていく。
外門までは10km近くあるが、俺の脚なら1時間もかからないだろう。
日が昇ってから大分経ったので、街には人通りが多くなってきた。洗濯に向かうのだろうか、バケツやタライをもった主婦と思われる女性の姿が目立つ。
俺的にはストライクの、30歳前後の女性が多くて目のやり場に困ってしまう。
不味い事に性欲が沸々と滾りだしてきて、どうしても目が追いかけてしまう。まだ午前中だというのに困ったもんだ。
取り敢えず、今は我慢するしかないが、何事も起こらなければ良いけどな。一度やらかしているだけに不安だ。
いい加減、早歩きにうんざりしだした頃、外壁の西門が見えてきた。
西門の脇に兵宿舎が見えており、そこの待機所にハルバードが保管されている。
ここの検査官には良い印象が無いので、灰色のレンガ造りの兵宿舎は胡散臭げに感じる。曇っているのも相まって、どんよりとした雰囲気が漂っているように見える。
兵宿舎の門で守衛に止められたが、預けた武器の受取証を見せるとカードの提示を要求された。
カードを剥がして差し出すと、外来名簿に押印するように促されたので、説明されるままにカードを握りながら名簿欄に押し当てた。そして、カードに記載された自分の名前の部分を指先でなぞった。
すると、カードの裏面の一部が盛り上がって、現在の日付と時刻及び俺の名前と登録ナンバーが押印された。
凄すぎるだろう!
ある程度原理を知っている俺が見ても魔法にしか思えない。
呆然としたまま、俺は兵宿舎の門を通された。
このカードには俺のあらゆるパーソナルデータが登録されおり、俺以外の人間の使用は原則不可能になっている。よって、確実に俺がいつここを訪ねたのかが正確な記録として残る。何かあった時にはアリバイが成立する。
しかし、本当に凄すぎるというか万能だな、このカードは。
日本のマイナンバーカードもこれくらいやって欲しいもんだ。
ディケードの記憶を深く探ってみると、この押印の機能はただ単にムードを盛り上げるためのもののようだ。
本来はカードのリードセンサー機を使えば済む話だ。日本でもクレジットカードを使用する際に、リーダーにタッチしたり差し込んだりするだけで済んでいる。
しかし、こうやってわざわざカードを紙に押し付けて押印したりすると、ファンタジー世界の魔法らしい雰囲気が出るために、そういった機能が備わっている。
西洋の歴史映画だと、封書に蝋を使って家紋入りの指輪で封印するシーンがあるが、そういった事も可能らしい。
高度な技術の無駄遣いというのか、遊び心に溢れているというのか、ディケードたち異星人は、この世界を徹底的にファンタジー世界に見立てて作り上げたようだ。
気を取り直して、俺は兵宿舎の受付でハルバードの預り証を渡した。
そのまま暫く待たされたかと思うと、若い兵士に兵士長の部屋へ案内された。殺風景な部屋だが、壁には様々な武器が展示するように飾り付けてある。門で守衛に武器と防具、荷物を預けたので俺は丸腰だ。
10畳程の部屋の奥に、机に向かう三十代半ばの逞しい男がいた。
案内をした若い兵士よりも立派な兵服を着て、胸には階級章らしきものが付いている。部屋の中には他に三人の兵士が帯剣して立っている。
何やら不穏な空気が漂っているので、うんざりすると同時に気まずい緊張感を強いられた。
「私はエレベゥトー王国エレベト西区外壁守備隊一等兵士長の『オウフェル』だ。」
「はあ、俺はディケードです。」
オウフェルという兵士長は高圧的に挨拶してくるので、取り敢えず下手に出ておく。国家権力の一員だからな、逆らっても良い事は何もない。
なんか取り調べを受けるような感じだな。簡単にハルバードを返してくれるような雰囲気ではない。
《フィールド》を淡く広げて探りを入れるが、これといって目立つ《プレッシャー》を放つ者は居ない。
兵士長は俺のハルバードを持ち出して質問してきた。
「この武器をどこで手に入れた?」
「えっと、ゴブリンの住処の中に置いてあったんだけど。」
「ゴブリンの住処、それは本当か?それは何処にある?」
「魔の森をさ迷っていた時に見つけたんで、はっきりと場所は分からない。」
「魔の森をさ迷っていた?どういう事だ?」
兵士長は途端に胡散臭そうな顔をする。
まあ、そうだよな。皆同じ反応をする。
さて、どうしたもんかね。正直に話すしかないんだろうけど、相手は国家権力だ。しかも、これはどう見ても取り調べだよな。あのハルバードには何か曰くがあるみたいだけど、厄介な事になりそうだ。
俺はクレイゲートに話した同じ内容を説明した。
記憶を失い、森の中をさ迷い歩いている時にゴブリンに捕らわれた女性を見つけ、助けるためにホブゴブリンと戦った事。ホブゴブリンを倒した後で住処になっている洞窟を調べたらハルバードが有ったと。
その後、クレイゲート商会の馬車隊に拾って貰ってこの街へやって来たと。
「その女性の名前は?」
「リュジニィと名乗っていた。」
「!」
言葉こそ発しなかったが、息を吞んだ兵士長の瞳に動揺が伺えた。
リュジニィは単なる一般女性ではなかったようだ。
それはそうか。一般女性が魔物の徘徊する場所を移動するなんて普通はありえないよな。クレイゲート商会の馬車隊には護衛や娼婦、奴隷といった女性がいたが、それは名も無き女性たちで、兵士長が反応を示すような存在じゃないだろう。
すると、ハルバードの持ち主はリュジニィの縁者か護衛という事か。
「その女性はどうなった?それと、女性の側にはこの武器を持った男は居なかったか?」
平静を装ってはいるが、兵士長は緊張感を漂わせ、前のめりになって質問する。
これは込み入った事情が絡んでいそうだ。単なる職務質問という感じではない。また、賄賂でどうにかなる人物でも事情でもなさそうだ。
俺は兵士長の目を見ながら、視線を他の兵士へと移す。故人の名誉に関わる話だ。知る人間は少ない方が良いだろう。
俺の視線の意味に気付いた兵士長は、人払いをしていいものか躊躇いを見せた。
俺は右手を肩の位置まで上げて、手の平を兵士長に向ける。
「《女神ミトーィレ》様に誓って、兵士長に真実を話します。」
「《女神ミトーィレ》様に誓って、了承した。」
兵士長は俺の態度に驚きを見せたが、この世界では女神の威光は絶対だ。立ち上がって俺と同じポーズを取ると受け入れた。
兵士長は他の兵士に退出するように命令した。
一人は拒みかけたが、兵士長は威圧で黙らせると命令に従わせた。
「さて、それじゃあ話を聞かせて貰おうか。」
兵士長は立ったまま話を続けようとする。座ってお茶を飲みながら、という訳にはいかないようだ。厳めしいな。
俺はリュジニィが妊娠していて、ゴブリンの赤ん坊を産んだ際に死んだと話した。また、ハルバードの持ち主と思われる人物については全く分からず、死体すら無かったと告げた。
俺が話をする間、嘘は見逃さないという感じで兵士長は俺を凝視し続けた。
「そうか…」
全ての話を聞き終わると、兵士長は大きく息を吐いて、弱々しく呟いた。
兵士長の感じからすると、リュジニィよりもハルバードの持ち主の方を気にしている様子だ。
「この家紋については何か知っているか?」
「いや、全く分からない。」
「そうか。」
ハルバードの穂先の根元に刻印された模様を見せながら兵士長は尋ねる。
探りを入れるような訊き方だったが、俺のあっさりした答えに少しだけ落胆した様子を見せた。
兵士長は俺の言葉を信じたようだが、先ほど《女神マウローン》に貰った雄弁のスキルが役立ったのだろうか。
まあ、どちらかというと《女神ミトーィレ》への誓いが効力を発揮したように思うが。
女神に誓いを立てた話を終えたので、部屋の外で待機していた兵士を呼び戻した。
その後、地図を持ってきて見せられた。
俺の話の整合性を取るためなのか、またはゴブリンの住処へ行くためなのかは判らない。しかし、その地図は余りに大雑把で、はっきり言って子供の落書きレベルのものだった。
エレベトの街があり、クレイゲート商会が商いをしているラックの街がある。この二つの街をグニャグニャに結ぶ線が引かれているが、それがクレイゲートたちと辿って来た街道なのだろう。途中に幾つかの《女神の庭》が記されている。
まあ、そこまでは良いとして、街道の周りには魔の森と山が適当に描かれているだけなので、それぞれのポイントの位置関係もスケールも滅茶苦茶だ。なので、距離感も全く把握できない。
後、遠くにこの国の王都『シッチデュロアン』が記されている。
この地図を見て、ゴブリンの住処が有った場所を示せと言われても、無理難題も甚だしい。ある意味、とんちクイズよりも酷いぞ。
せめてゴブリンの住処があった湖でも描かれていれば、まだ示しようはあるだろうが、それすらも描かれていない。
多分、これは一般人向けの地図で、わざとスケールや位置関係を曖昧にしているのかもしれない。昔は、地球の各国で地図は重要な軍事機密だったようだしな。
取り敢えず、俺は街道上の『女神プディンの庭』を越えた所を示し、自分が歩いて来たルートを逆算しながら説明した。
森の中に入り山脈を縦走して、そこから見える湖の畔にゴブリンの住処があったと。そのような事から、多分ここら辺だろうと、適当に目星を付けた場所を指さした。
「う~む…」
兵士長は唸りながら考える。
頭の中に有る、ある程度正確な地図と照らし合わせているのだろう。しかし、その表情から察するに、正確な位置は分からないようだ。やはり、魔の森や魔の山というのは殆どが未知の領域なのだろう。
しばらく考え込んだ後、兵士長は話しを切り上げた。
「大体の事は理解した。協力に感謝する。」
「いえ、お役に立てたなら何よりです。」
「いずれ、また話を聞く事になると思うが、その時は協力を願う。」
「はあ、分かりました。」
「それと、すまないがこの武器は接収させて貰う。」
「えっ!」
これだから国家権力は嫌なんだ。
話しをさせられた上に、取りに来た物を取り上げられる。これじゃあ何のためにここへ来たのか分からんではないか。
思わず《プレッシャー》でも掛けてやろうかと思ったが、兵士長が机の引き出しから金貨を取り出して渡してきた。
「これは協力に対する私の気持ちだ。」
そう言うと、威圧感を漂わせて俺を睨んだ。
周りにいた兵士の驚いた態度からも、異例の行動というのが伺えた。
多分、この金貨は兵士長のポケットマネーなのだろう。やはり、ハルバードには兵士長の個人的な思惑が関係するようだ。
俺は止む無くハルバードを諦める事にした。元々は偶然手に入れた物だ。
多分、それは兵士長に所縁のある者が所有者だったのだろう。家紋が記されている事からも、名の在る家の者が所有していたと思われる。
俺は兵士長の意を汲んだ。
俺はリュジニィについて知りたいと思ったが、兵士長は「この件に関しては口外無用」として俺を追い出した。
釈然としないが、リュジニィと繋がりがある者がいるかもしれないと判っただけでも良しとすべきだろう。
俺は兵宿舎の門で退出の記録を済まし、その場を後にした。
その際に、預けた荷物と一緒に封印が解かれた短剣を返して貰った。これで街の中でも武器を所持できるようになった。
しかし、ハルバードを失ったのは痛いな。
俺はあれと一緒に魔物との激戦を潜り抜けて生き延びてきたからな。すっかり手に馴染んで、体の一部のように使い熟せるようになっていたのにな。
何度失っても手元に帰ってきて、運命みたいなものすら感じていたんだけどな。
その代償が金貨1枚だ。多いのか少ないのか、なんとも言えんな。
ふう…
やれやれ、なんにしても武器は必要だ。新しいのを手に入れないとな。
すっかり考えていた予定が狂ってしまった。ハルバードを手に入れたら、そのまま西門から外に出て、様子を見ながら試しに狩りの一つでもしようと思っていたんだけどな。
しょうがない。今日は武器屋と防具屋を巡って装備を整えるとするか。服も新調したいしな。
やれやれ、また10km近い道を戻るのかと思うとうんざりだな。
バス代わりになる乗合馬車とか無いのかね?
読んでいただき、ありがとうございます。
感想や誤字脱字を知らせていただけるとありがたいです。




