第四十八話 パーティへの誘いと腕輪の秘密
じっくりと湯に浸かってのんびりと心と体を癒そうと思ったのに、『連撃の剣』だったかな、彼らが大声で話をするので、気分はいまいちだ。
「久々の高収入だ。これで暫くは嫁に文句を言われなくてすむよ。」
「はっはは、良かったじゃないか。子持ちは大変だね。」
「ったく、そういう話を聞くと、結婚したくなくなるよな。」
「はは、ジュットゥはそれ以前に相手がいないじゃないか。」
「言えてる言えてる。」
「あんだとぉっ!」
やれやれ仲が良いのは結構だが、子供じゃないんだからもっと静かに話せないもんかね。大物を倒して嬉しいのは解るけどさ。
しかし、なんだろうな。さっきから『連撃の剣』のリーダーかな、やたらとこっちを意識してるみたいだな。視線を感じるし、微妙な《プレッシャー》を掛けられている。
因縁野郎がいるから関わりたくないんだけどな。
「だけど『フレィ』、あのグロゥサングリーの突進をよく躱せたな。」
「本当だよ。空中であの巨体を《スライド》しながら突進してくるなんて反則だよな。」
「ああ、何となくだけど、《スライド》する方向が判るんだよ。」
「やっぱり、《センス》を使えるのが関係してるのか?」
「多分そうだろうね。直感的に感じるだけなんだけど、当たるんだよ。」
「いいよなぁ。《センス》が使えるだけで戦闘が随分と有利になるよな。」
「否定はしないけどね。ただ、僕の場合は使えるといっても感が良くなる程度で、物を動かしたりは出来ないからね。上級クラスの〈超越者〉に比べたら赤ん坊みたいなもんさ。」
「感が良くなるだけでも十分さ。上級クラスなんて人間じゃねーよ。」
「言えてるな。」「そうそう。」
何気に聞いてしまったけど、やはり超能力を使える者はいるんだな。
あの盗賊の親玉は強力な《フィールドウォール》を展開したり《大魔法》を使ったりしてたから、確かに一般人から見たら人間とは思えないよな〈超越者〉や上級クラスとはそういう扱いなんだな。
『連撃の剣』のリーダーはフレィという名前で彼だけが《センス》を使えるようだ。《プレッシャー》を放っている事から《フィールド》も扱えるようだしな。
とはいっても、安定せずに揺らいでいるので、使いこなしてはいないようだ。
フレィは俺が《フィールド》を扱えるのを察知してるんだな。干渉しようとしてるのは感じるけど、一応無視の方向で行こう。
十分に体が温まったので、風呂から上がる事にした。
冷たいシャワーを浴びて体の火照りを落としていく。その間ずっと視線と微妙な《プレッシャー》を感じるが、俺は無視して脱衣場へ向かった。
脱衣場で体の水気を拭き取って、今日買った下着のパンツを穿いてみる。
おおっ!
ボクサーパンツのようにピタッとフィットして、良い穿き心地だ。立体縫製のポケットにジュニアが心地好く収まってくれる。
露店のおばちゃん、良い仕事してるぜ。これは追加を買いだな。
服を着た俺は公衆浴場を出て、裏手にある庭園のベンチに腰かけた。若干肌寒い風が心地良い。
日本に比べるとここは自然が豊かなので、その分虫が多い。蚊を初め、見た事の無いような小さな虫がやたらと目に付く。
が、《フィールドウォール》を張る俺に近づく事は出来ない。
他の者はそのせいで居ないようだ。お陰でゆっくりと静かに一人で涼める。
ここには街灯が無いので、空を見上げると星が良く見える。
日本では山登りに行った時に、夜はだいたい道の駅で車中泊をしていた。温泉が併設している道の駅では、風呂上りによくこうして星を見ながら寛いでいた。
こうして平和な一時を過ごせるようになったんだと思うと、感慨深い。
ここは《女神の庭》とは違い、人間が自分たちの手で作り上げた安全地帯だ。
石とコンクリートで造られた壁は、ざっと見た街の広さを考えると100kmにも及ぶと思われる。どれだけの時間と労力を注ぎ込まれたのか、想像するだけで物凄い事業だというのが解る。
中国の万里の長城と比べると大した事が無いようにも思うが、それでも実際に見た時のインパクトは大きい。こういった物は日本では見られないからな。
突然、磁場の揺らめきを感じた。
次の瞬間、大地が揺れ始めた。
地震だ!
体感震度は2程度で大した事は無いが、ユラリユラリと揺れが続き1分程度で収まった。
この世界にも地震があるようだが、慣れているのか、誰も騒ぎ出したり外に出てくる様子はない。
そういえば、商隊の移動中にも何度か地震があったのを覚えている。
移動中だったのであまり感じなかったし、誰も騒ぎもしないので、気にも留めなかったが。
この地域は日本と同じように、プレートの境界線が近いのかもしれないな。
揺れが収まって一息ついていると、人がやって来た。
俺の居るベンチから少し離れたベンチに腰かけて、タオルで顔を拭っている。
「くそっ!3発も殴りやがって!なんであんなに速いパンチが打てんだよっ!」
どうやらさっきの守衛の若造らしい。案の定、返り討ちにあったようだ。
やれやれだ。格闘技に素人の俺が見ても全く強いと思わなかったからな。
強くなりたいのだろうけど、先ずは基礎から習った方が良いと思うけどな。
そういえば、ボクシング元世界チャンピオンの〇原〇二氏が運営しているクラブに、ちょっかいを掛けに行ってはスパーリングでボコボコにされてる不良どもがいたな。YOUTUBEで見たけど、あの不良どもと同じ類の人間なのかね、この若造は。
不良どもは有名な元世界チャンピオンに相手にして貰えて嬉しそうだけど、この若造も同じ理由でランクの高い請負人に喧嘩を吹っかけてるのだろうか?
どうにも、俺には理解できない行動だけど、死なない程度に頑張ってくれ。
さてと、すっかり汗も引いて若干寒くなってきたので、食事にでもするか。
すっかり雰囲気が壊されてしまったし、これ以上ここにいて若造に絡まれても面倒くさいしな。
☆ ☆ ☆
俺は宿に戻って、さっき覗き見た食い処に向かった。
『春風と共に』という名前だが、この宿は『爽やかな風』という名前なのにちっとも爽やかじゃないので、ここも名前倒れじゃないのかと用心しながら入口をくぐった。
騒音が耳に飛び込んでくる。
時間帯のせいか、食事よりも酒を楽しむ客が多くて、大声で陽気にお喋りをしている。大衆居酒屋という雰囲気だ。
客層は殆どが請負人の男なので暑苦しいが、忙しく走り回る数人の若いウエイトレスが一服の清涼剤となっている。
が、やはり『春風と共に』という雰囲気ではないな。
「いらっしゃい。一人かい?」
「ああ。」
この食い処の女将さんなのか、40代と思われる恰幅の良い女性が案内してくれる。後ろで纏めた銀髪に狸の耳が乗っていて、そのエプロン姿は何となくロシアの陽気なお母さんという感じだ。
特に差別なども無いようなので安心した。
部屋番の札を見せると、日替わり定食の選択を求められた。今日はオトゥシュパンかサングリーのソテーのようだ。
サングリーは昼間に串焼きで食べたので、ダチョウに似たオトゥシュパンのソテーを頼んだ。これにスープとサラダとパンが付いてくる。
宿泊客には日替わり定食が付いてくるが、それ以外の飲み物や肴などは別料金だ。
この食い処も宿の客専門ではなく、一般客にも解放している。宿からの入口とは別に外へと繋がる出入口がある。
「今の時間だと相席になるけどいいかい?」
「構わない。」
サラリーマン時代に昼食時は何度も相席をしたからな。たまに変な奴と一緒になる時があったけど、上司と一緒よりはずっとマシだった。
が、案内されたのは『連撃の剣』のパーティ連中との相席だ。俺が涼んでいる間に風呂を済ませて食事をしていたようだ。
「さっきの黒か、お前ここに泊まってるのか、生意気な野郎だな。」
「………」
やれやれ、さっきの因縁野郎がさっそく絡んできた。鬱陶しい。
無視して定食を待っていると、ウエイトレスが飲み物を持ってテーブルにやって来た。
すると、『連撃の剣』のリーダーが自分の分の飲み物を俺の前に置いて、追加注文をしていた。
「やあ、お近付きの印に一杯どうだい。」
「えっ!?」
予想もしてなかったので驚いたが、それは他のメンバーも同様だ。
会話が止まってリーダーと俺を見ていた。
「フレィ、こんな奴に何やってんだよ。」
「ジュットゥ、僕は彼に興味深々なのさ。相席になったこの幸運に感謝してるんだ。
彼はついさっき請負人登録をしたばかりなのに黒鉄ランクだ。しかも8番受付でだよ。これが何を意味するか解るだろう。」
「なにっ!」
「「「 !!! 」」」
皆の驚きようから、俺がかなり特殊なケースで請負人になったのが解る。
紹介状を持って金鉄ランク専門の受付に行かされたからな。俺が思ってる以上に驚く事らしい。
「こ、こいつは最初から金鉄ランクの実力有りと見なされたのか。」
「そうさ、どんな武器や技を使うのか知らないけど、《プレッシャー》の強さは僕の比じゃないからね。」
「マジ…かよ…」
「「「 ……… 」」」
そういう事か。7番の受付から一段床が高くなっていたけど、あれはランクによる差別化なんだな。そして、あのマッチョオヤジは俺をそう評価したんだ。
皆が驚きに固まる中、追加注文の飲み物が来て、リーダーは再度俺に勧めた。
「僕はフレィ。『連撃の剣』という、主に魔物を狩るパーティのリーダーをやっている。よければ、僕の奢りを受け取ってくれないかな。」
「あ、ああ、せっかくだ、頂くよ。ありがとう。俺はディケードだ。」
「ディケードか。僕たちの出会いに乾杯。」
飲み物が入っているジョッキを俺が持ち上げると、フレィは自分のジョッキを勢い良くぶつけた。飲み物が跳ね上がってお互いのジョッキに混じり合う。飲み物は激しく泡立ってジョッキから溢れる。
俺は一気に飲み物を半分ほど飲み込んだ。
独特の苦みが口に広がり、シュワシュワと弾ける刺激が喉を通り過ぎていく。それは紛れもなく、キンキンに冷えたビールだった。
クウ~~~~~~~っ!
最高だ!堪らんな、この喉越し。
ラガービールのような強い苦味が、俺の好みに合っていて言う事なしだ。
まさか、この世界でキンキンに冷えたビールが飲めるとは思わなかった。冷蔵庫があるのかどうかは分からんが、物を冷やす事は出来るようだ。
この世界では『ベーエル』というらしい。
実際、日本に居た時は痛風を患ってからビールを飲めなくなっていたからな。
若い体に感謝だ。
「良い飲みっぷりじゃないか。若いのにいける口だね。」
「まあ、程々にね。」
この世界では15歳から成人と見なされるようだが、飲酒に関して特に年齢制限は無いようだ。とはいっても、子供に勧めはしないようだが。
俺は残りを一気に飲み干すと、お替りを注文した。
「ディケード、君はこれからどんな活動をするつもりなんだい。やはり魔物を狩っていくのかい?」
「そのつもりだよ、フレィさん。今日この街に来たばかりでまだ右も左も分からないけど、取り敢えずは狩りで生計を立てようと思ってるよ。」
「フレィで構わないよ。それはお誂え向きだね、出来れば僕はディケードにパーティに加わって欲しいと思ってるんだ。」
「はっ!?」
「なにーっ!?」「「「 !!! 」」」
まさか、いきなり誘われるとは思わなかった。
それはメンバーも同様で、皆一様に驚いている。
「唐突な話だね。まだお互いに何も知らないというのに。」
「確かに。判っているのはディケードの実力が並じゃないという事だけだね。」
「お、おい、フレィ、本気なのかよ?」
「ああ、本気だよ。僕たちのパーティは限界を迎えている。今のままではこれ以上のランクアップは望めない。違うかい?」
「確かにそうかもしれないけどよ…」
メンバーにも寝耳に水の話だったようだ。戸惑いが伺えるが、自分たちのパーティの現状を理解しているようだ。
「リーダーが常々言っている、レベルの頭打ちだね。」
「危険区域への進入は阻まれているからね。」
「あの区域の魔物は強すぎる。」
「そうさ、今の僕たちではあの境界線が限界なのさ。だからこそ、新たな力の導入が必要なんだ。」
最初、『惨殺の一撃』の時のように俺を利用するつもりなのかと思ったが、『連撃の剣』のリーダーはパーティの底上げを考えているようだ。
マッサージ師のトフティッコリーの話しだと、このリーダーの剣技は一流らしいけど、随分と向上心が強いようだな。全然現状に満足してないのが伺える。
「そうかもしれないけどよ、本当にこんな奴でパーティが強くなるのかよ?」
「それは間違いないだろうね。さっき組合でディケードの《プレッシャー》の煽りを受けたけど、僕よりも実力は確実に上だよ。」
「マ、マジかよ!フレィより上って、そんなこと有り得るのかよ!」
「嘘だろう…」
「それは流石に…」
「………」
フレィの実力は他のメンバーからも図抜けたものとして認識されているようだ。ランクも皆より上なので、相当の腕前なのだろう。
ジリアーヌやルイッサーも元だけど金鉄ランクだったな。あのランクだと確かに腕利きだと思われるんだろうな。
因縁男は反対のようだけどな。
無理も無いか、黒だと侮っていた奴が実力が上と言われても納得できないだろうし、面白くないだろうな。
なんにせよ、こっちに話を持ってくるならメンバー同士でコンセンサスは纏めておいて欲しいな。目の前で揉められても鬱陶しいだけだ。
「誘いは有難いけど、俺はまだ誰とも組むつもりは無いんだ。暫くは一人で活動しようと思ってるしね。それに請負人に登録したばかりなんでね、まだ装備もまともに整ってないんだ。」
「そうなのかい…」
「けっ、すかしやがって!どんなに実力があるのか知らねーけど、一人で戦えるほど魔物は甘くねーんだよっ!」
「その通りだ。」「まったくだよ。」「うんうん。」
まあ、普通はそう思うよな。
やれやれだ。話をすればするほど因縁男がヒートアップしてうざさが増すだけだな。こんな奴が居るパーティとは関わらない方がいいな。
俺の雰囲気を察したのか、リーダーの表情が険しくなった。
「ジュットゥ!少し黙っててくれないか。」
「フレィ!…お、おう…」
温厚なリーダーが声を荒げたので、因縁男を初め皆驚いている。リーダーが怒りを露にするのは珍しいんだろうな。
このやり取りはクレイゲートとルイッサーを思い出すな。
ルイッサーは付き合いを重ねるうちに良い奴だと解ったけど、この因縁男はどうなのかね。
「ディケード、すまないね。」
「まあ、彼の言う事も尤もだしね。気にしてないよ。」
とは言ったものの、あんなケンカ腰でしか話しが出来ない奴がいるんじゃあ、他のパーティからも疎まれてるんじゃないのかね。リーダーも苦労してそうだ。
「それじゃあディケード、一度僕たちのパーティに付き添って狩りに参加してみないか。この街に来て登録したばかりじゃあ、狩場の事や請負人の事など分からない事が多いだろう。」
「う~ん、そうだね…」
確かにそうだな。
護衛についてはある程度解ったけど、狩りをする請負人については知らない事だらけだしな。狩場がバッティングした時とかの、暗黙の了解みたいな不文律とかあるんだろうな。
付き添うだけなら、因縁男には一時我慢すれば良いだけだからな。経験を積む意味では良いかもな。悪い話じゃないと思う。
それに、一流の剣技と言われるフレィの腕にも興味があるしな。
しかし、フレィはどうしても俺の戦いを見たいらしいな。
多分、自身も《プレッシャー》を放つ事から、《センス》や《フィールド》について知りたいんだろうな。自分の剣技に活かしたいと考えているんだろう。風呂場では自分の能力の低さを嘆いていたからな。
「そうだね、それじゃあ一度参加させてもらう事にするよ。」
「ありがとう!きっと良い経験になると思うよ。」
俺はフレィの申し出を受ける事にした。
が、その前にやる事が沢山あるので、2〜3日待って欲しいと告げた。
検査官に没収されたハルバードを受け取りに行くのもそうだが、いつまでも死んだ請負人の防具や服を着たままでいるのも嫌なので、この機に新調したいと考えている。それに、早く《天柱》を間近で見たいとも思っている。
フレィはそれに同意してくれた。
フレィたちも今日大物を仕留めたので、明日はオフにする予定らしい。メンバーには妻子持ちが居るらしいし、家族サービスも必要だろう。
取り敢えず、明後日の夜にこの『春風と共に』で落ち合う事にして、その時に詳細を詰めようと決めた。
因縁野郎は難色を示したが、最後には「お前の実力を見てやろう」と、上から目線で言いながら自分を納得させていた。他のメンバーはリーダーの意見に従うようだ。
話がまとまると、フレィは喜んで追加のベーエル(ビール)を奢ってくれた。
その後食事をしながら話が弾み、装備を整えるならと武器屋や防具屋の情報を教えてくれた。
ちなみに、オトゥシュパンのソテーはあっさりした味ながら、コクがあって美味しかった。
☆ ☆ ☆
結局、フレィたちとは閉店まで飲んで話をした。
俺はこの宿の上に行って寝るだけだが、フレィたちはアパートを借りて生活しているとの事だ。俺もこの街で暫く過ごすつもりなので、それも考えておいた方が良さそうだ。
良い感じに酔っぱらって俺は部屋へ引き上げた。階下の食い処が閉店したので、もう音は響いて来ない。
扉に閂を掛けて、ベッドに横たわる。
今日起こった事を思い返すと、環境の変化が著しくて、目まぐるしい一日だったなと思う。
朝に『女神ジュリの庭』を出発して、ライーンとの問題があったりしてエレベトの街に到着した。ジリアーヌやクレイゲートたちと別れて街を歩き、スリの子供との一件もあったりした。それから請負人組合に登録をして、この宿へとやって来た。風呂や食い処でも人々との出会いがあって今に至る。
『女神ジュリの庭』での事なんて、随分と昔の事に思えてしまう。
サラリーマン時代にも忙しくて目まぐるしい一日は何度もあったけど、これほど密度の濃い一日はなかなか無かったように思う。
若くて体力のある身体だからこそ熟せたのだろう。以前の老体なら、とっくにへばって風呂も入らずに寝ていただろうな。
しかし、今こうして独りで部屋に居ると、ジリアーヌはもう居ないんだと実感する。
昨日までは当たり前のように居てくれて、いろいろと尽くしてくれたのに、もうあの笑顔を見る事が出来ない。あの体を抱けないのかと思うと、急激に寂しさが込み上げて来た。体だけじゃなく、楽しい会話も安らぐ一時も、もう戻って来る事は無い。
喪失感に襲われて、ポッカリと心に穴が開いたような感じだ。
それなのに、性欲だけは相変わらず滾っている。
体と精神は疲れ切っているのに、ジュニアだけは元気だ。
それが余計に俺を落ち込ませる。
ふう~…
自分で処理しても、それは応急手当にしかならず、余計に女が欲しくなるだけだ。今はまだなんとかこれでも我慢できるが、また直ぐに女体への欲求に悩まされるようになるだろう。その解消方法も考えなければいけないと思う。
寝ようと思ってベッドに横になるが、なかなか寝付けない。
気持ちが落ち着かないのだろう。なんとか寝ようとするが、酔っているのもあって取り留めのない事ばかり考えてしまう。
ふと、腕に張り付けた請負人組合のカードが目に入った。
パーソナルデータが入っているこのカードなら、もしかして腕輪にアクセスできるんじゃないか、と思えた。
どうせ寝れないのならと、俺は腕に着けた防具を外して包帯を解いていく。
包帯を解き終えると《神鉄の腕輪》が現れる。
それは俺を何度も窮地から救ってくれて、今や掛け替えのないラッキーアイテムとなっている大切な物だ。
現在は、この腕輪自体が貴族の当主の証となっているようなので、見られないようにしておかないとならないが、自分しか居ない今なら大丈夫だろう。
俺は腕からカードを剥がして、腕輪の模様の上にかざす。
すると、カードに反応が現れ、腕輪に刻まれた模様に沿って光が走り出した。
そのまま少し間を置くと、フオォンという微かな音と共に空中にモニター画面のような像が浮かび上がった。
「うおぅっ、な、なんだぁ!?」
これには驚いたが、ディケードの記憶が蘇って補填してくれる。
そうだ。これは情報デバイスで、空間にモニターを作り出す機能を持っていると。
真っ黒だったモニターには宇宙が映し出され、映像が流れ始めた。
徐々に惑星と衛星と太陽が一直線に並んでいる映像がフレームインしてくる。
カメラは惑星に焦点を当ててクローズアップし、そこから地表へ向かって迫って行くと、大洋に浮かぶ一つの大陸が映し出される。
その映像をバックに心地よい男性の声でナレーションが始まる。
「大陸『グリューサー』、それは女神が住まう世界である。
そこには人類の想像を絶する神秘の力、豊かな生命が満ち溢れている。
これは、アバターを使ってその大陸に降り立ち、脅威に満ちた世界を体験する君たちの物語である!」
力強いナレーションの終了と共に、地表すれすれにシュパーっと一条の光が走っていく。
これって確か、この世界の『グリューサー時空』を紹介するオープニング映像だよな。腕輪を初めて装着した時に見られるものだ。
この腕輪は情報デバイスであり、グリューサー大陸で行動するために必要なものだ。レジャー施設やゲームをプレイするための情報を得たり、各種手続きを行ったりする。
また、同時にこの惑星上で行動するためにアバターを操る操作デバイスにもなっている。
アバターにこの腕輪を装着する事で、異星人は遠く離れた惑星から、さも自分の身体を扱うかの如く行動する事が出来る。
オープニングが終わると、グリューサー大陸とそこに作られたグリューサー時空の紹介映像が流れる
壮観な音楽をBGMに、大陸の地表に迫ったカメラは画面いっぱいに広がる雲の壁を抜けて、大陸の自然豊かな地表の風景を映し出していく。
巨大な山脈と雪原のパノラマ、どこまでも続く草原や奇岩が織りなす岩の大地、巨木の群れが続く森林地帯、永遠に続くかと思われる砂浜に打ち寄せる波の列、かと思えば岩の岬を狂ったように襲う嵐のような波の渦。苛烈で美しい自然の営み。
そして、それらの景色の中で野生を謳歌する動物たち。
原野を走り回る馬の群れ、サバンナで草食動物を狩って食らう猛獣たち、氷の大地の上を歩き回るペンギンのような鳥の群れ、月夜に砂浜で産卵する海亀、深海の神秘的な生き物たち、ジャングルに生息する昆虫たちの生態が映し出されていく。
そんな自然の中で、グリューサー時空の住人となったアバターたちは思い思いに動物と戯れたり、自然を相手にしたレジャーを楽しんでいる。
また、古代都市国家を模したり、中世時代を模したようなコロニーでは、文化的活動や商業的活動を営んだりして過去の時代の生活様式を謳歌している。
凄いな。
殆ど人の手の入っていない大自然を楽しんでいる。
《センス》や《フィールド》、《魔法》を駆使して、超越した能力で通常では到達できないような厳しい自然環境でさえ遊び場にしている。
BGMが幻想的なものへと変化する。
カメラは更に、自然の中で鼓動するかのように回転しながら輝きを放つクリスタルを映し出す。
それは美しい女神の姿へと変化して、一気にズームアップしていく。
女神の全身から顔のアップへ、そして瞳へとアップになると一瞬だけ真っ暗になり、突然未知の大地が広がりを見せる。
それは、大陸の各地に造られたダンジョンの一場面を映していた。
見た事の無い巨大植物が生い茂り、遠くにある山は噴火して噴煙と溶岩をおびただしく溢れさせている。
そんな大地を、大型の恐竜が地響きを伴って闊歩しており、空には翼竜が悠然と飛んでいる。
かと思うと、森の中で暮らすエルフの里があったり、海辺で戯れる人魚の群れがいたりする。
他にも様々なファンタジー世界の住人たちの生活を営む様子が映し出される。
その一角で、魔物やモンスターと戦う人たちがいる。
人間や獣人、二足歩行するトカゲのような人型生物や陽炎のように佇むエルフなど、種族を超えたパーティだ。
彼らは超人的な怪力やスピードを発揮したり、風や火の魔法を駆使してドラゴンや魔の生物を打ち倒していく。
そして、ついに最後の敵となる邪神が倒される。
勝利のファンファーレと共に、多くの女神たちが現れて祝福を与えてくれる。
パーティ一行は笑顔で女神の住まう世界へと進み、光に包まれて消えていく。
暫くして、再び大陸グリューサーの映像が映し出される。
同時にナレーションの時とは別の女性の声が誘ってくれる。
「ようこそ、ディケード。女神が住まう『グリューサー時空』へ。
あなたの来訪を歓迎し、女神の祝福として超越力を授けましょう。
この世界でのあなたは英雄であり、時間の旅人です。
様々な世界を往来し、過去から現在へと旅をしながら冒険を楽しみ、あらゆる苦難を克服していくでしょう。
わたしたち女神は、あなたの栄光を信じています。
さあ、一緒に輝かしい未来へと向かいましょう。」
ナレーションが終わると、大陸グリューサーから光が弾けるように飛んで、惑星から放たれた一条の光跡が銀河を貫いていく。
そして、その光は宇宙全体を満たしていった。
余韻を残すように、暫くは星々が煌めく宇宙の映像が続いてからゆっくりとフェードアウトした。
ふう…
オープニングが終わると、思わずため息が出た。
かつての、この惑星の自然やダンジョンの風景など、見応えのある映像に圧倒されてしまった。
同時に、このオープニングを見た時のディケードのワクワクした気持ちが思い出された。
人工的な自然しかないディケードたち異星人にとっては、原始の自然が広がる世界は驚異そのものだ。
しかも、大昔に滅びた生物までも復活させて、その時代の生態系を復元させている。
さらには、架空の生物までも造りだして、ファンタジーワールドすらも形成している。
生物学、化学、地質学、物理学など、自然科学の極致ともいえる科学力の産物だ。
そんなとてつもない物を、レジャー施設として作ってしまうんだから、異星人の技術力には脱帽するしかない。
勿論、ディケードは『グリューサー時空』への登録を行った。
本来ならここからアバターを使って、この惑星で活動を始めるんだよな。
俺の場合は、突然目覚めたと思ったら大熊に襲われていて、命からがら逃げて森をさ迷い歩く羽目になったからな。
ディケードたち異星人は、自宅に設置したバーチャルユニットに入り、アバターに装着された腕輪を通してその身体を操る。そのため、なんの違和感もなく自分の身体を動かすのと同様に、自宅に居ながらにしてこの惑星で行動ができる。
しかも、身体能力が向上し、《センス》と《フィールド》による超能力を使う事ができる。更にはアイテムの使用で魔法すら扱えるようになる。
後は、レジャーや観光を楽しんだりゲームに参加したりと、それぞれが様々なアクティビティを行う。
まあ、年配の人々は多くがレジャーや観光を楽しんだようだけど、若者は大半がゲームに興じたようだ。
無理もないな。実際に肉体を使って猛獣や恐竜、果ては遺伝子操作で造り出した魔物やドラゴン等のモンスターといった架空生物とだって戦えたんだからな。
身体能力を向上させて、超能力や魔法を手に入れれば、誰だって試してみたいと思うだろう。それはスーパーヒーローそのものだからな。
本当の自分は死なないと分かっていながら、肉弾戦を実践できる。こんなにスリルと興奮を楽しめるゲームはそうないだろうしな。
しかも、異星人の科学力を駆使して造られたダンジョンという舞台では、様々な世界のいろいろな時代を体験しながら冒険できるようになっていた。
勿論、気に入った相手が見つかれば、ロマンスだって楽しむ事ができた。
異星人たちが夢中になったのも理解できる。
俺も、若い時にそんなプレイシステムがあったなら、ぜひ体験してみたいと思っただろう。冒険映画の主人公のような体験ができるんだからな。
動物愛護の観点から言えば残酷と思うかもしれないけど、実際には人工的に作られた生物だし、死んだ時点で死体は消滅するようになっていた。
なので、血生臭さは余り無く、罪悪感を持ち辛いように配慮をしてあった。
まあ、それでも生理的に受け付けない者が居たのは確かなようだ。
しかし、ゲームへの学生の参加は学校のカリキュラムに取り入れられた。
ここでは母星で体験できない自然を経験し、様々な時代の生活様式を学びながら想像力と実行力を養う事を目的としていた。
そこには、不便さを感じ、理不尽な状況に置かれた際の状況判断を下す能力を身につける精神的強さも学ぶ理由もあったようだ。
これは脆弱化していく種族の活性化を目的として、惑星共同体を挙げて推奨されるプログラムとなった。
内気なディケードは、最初は不安を感じて参加に消極的だったようだが、ガールフレンドのトモウェイに説得されたみたいだ。
勿論、アバター研究を仕事とする父親の影響があったのも確かなようだ。
始めてみると、見事に嵌ったようだけどな。
☆ ☆ ☆
ふう…
俺は高揚した気持ちを抑えて大きく息を吐き出した。
今紹介した世界を、あくまでゲームでバーチャルとして体験できるなら確かに面白いだろうけどな。
しかし、なんの因果か、原因は不明だが俺はアバター本人になってしまった。
未知の世界を楽しめるのは確かだが、死んだらそれで終わりだろう。アバターとは別に本来の自分が居た異星人たちとは違う。
多分、俺の肉体は日本で熊に襲われた時に死んでしまっただろうからな。もう替えは利かないと思う。
今の体が死を迎えれば、その時点で俺の命は尽きてしまうだろう。
俺はカードを腕輪から外して自分の腕に貼り付ける。
腕輪の模様を指先でなぞるように3度動かしてからタップした。
すると、腕輪が拾った時と同じ大きさに広がって腕から外れた。
俺のパーソナルデータを登録したので、取り外しが可能になったのだ。
腕輪を取り外した状態でも、俺は俺の意識を保っていられる。
俺がこの身体で目覚めた時から腕輪をしていなかったからな。当たり前といえば当たり前だ。この事からも、俺がアバターを操っている訳ではないと判る。
本来は持ち主が別にいるアバターだと、腕輪を装着していない場合は持ち主と意識がリンクできなくて、元々の野生の原人に近い状態になってしまう。
なので、腕輪を外してリンクを解く時はアバターの肉体を休養カプセルに戻すことが義務付けられていた。
アンフェルオゥスだったか、アバター研究所で暴れ回っていた大熊だよな。
あの大熊がディケードのアバターが眠っている培養カプセルを壊したのが原因だろう。
その時になんらかの歪みが生じて、俺の魂というか意識がディケードのアバターにリンクしたか入り込んでしまったんだろうな。
余りに荒唐無稽な考えで、自分でもなんだかな~と思うけど、そう考える位しか思いつかないんだよな。俺がディケードになってしまった理由を。
まあ、それに関しては考えるだけ無駄なんだろうな。
俺は腕輪に腕を通す。
すると、拾った時と同じように腕輪の形が変わって腕に吸い付くようにフィットする。
「インフォメーション」
腕輪の起動を促す言葉を唱えると、もう一度モニター画面が現れてPCが起動したときのようにアイコンと思わしいものが並ぶ基本画面が映し出された。
俺のパーソナルデータを入力したので、声紋に反応を示すようになった。
「ステータス」
そう唱えると、ディケードの個人情報や身体の様々なバイタルサインが表示される。個人情報に関しては、おおむね請負人組合で表示されたものと一緒だ。
しかし、本当に空中にステータスが表示される様になるとはな。
以前に森の中でさ迷っている時に何回か試した時は、全然現れなかったのにな。
腕輪の機能が解放されたためなんだろうけど、ファンタジーゲームみたいになってきたな。
レベル表示は無いようだが、ランクによって使用できる機能に制限があるようだ。アイコンがグレーになっていて、タップしても反応しない。
俺の今のランクは黒鉄ランクだけど、ランクアップすると他の機能も使えるようになるのかな?以前のゲームシステムではそうなっていたみたいだが。
もっとも、今の請負人のランクが連動しているのかどうかは判らないけれど。
色のついたアイコンをタップすると、こちらは反応した。
試しにバイタルサインのアイコンをタップすると、俺の身体の状態を示す様々な数値が表示された。
脈拍、呼吸、体温、血圧、意識レベルの基本的生命徴候が大きく表示され、他にも小さく血中の様々な成分も示す事が出来る。
これによると、俺の脈拍は35になっている。通常は60〜80くらいなので、随分と少ない。いわゆるスポーツ心臓というものだろう。
以前から少ないとは思っていたけど、これ程とはな。これでも今は少し興奮してドキドキしている状態なんだけどな。酔ってもいるしな。
他にも脳波や磁性波レベル、それに霊波の値も表示されている。
磁性波レベルというのは、項にある神経束の値を数値化したものかな?
俺の値は基準値よりも高いようだが、それがどのレベルにあるのかは判らない。
軽く《センス》を発動させると、数値が急上昇した。
この霊波というのはなんだろう?
元のディケードの記憶でも、シンクロがどうとかっていう、曖昧な理解しかしてないみたいだしな。
俺の身体には霊力みたいな力があって、その測定値なんだろうか?
女神の言葉や夢に何度か出てきた言葉だけど、全く分からないな。ほぼ基準値の中央に位置しているけれど…
多分、現在の地球人レベルでは理解できていないバイタルサインの一種なのかもな。
『ん?そなた、一千年程前と五百年程前に訪れた『セイバー』と同一人物か?
遺伝子構造が一致しておるようだが、『霊波』に差異が視られるな。これは面妖な、そなた時空と幽玄の狭間に堕ちし者か?』
そんな事を女神プディンは言っていたな。
それから推察するに、霊波というのは魂のようなものを指しているようにも思える。もしそうだとすると、異星人たちは身体に宿る魂の状態を数値化できている事になる。
魂らしきものが実際にあるのも驚きだけど、それをバイタルとして扱ってる異星人の生命への理解度の深さが凄いよな。
俺がディケードの身体を操れるようになったのも、その魂が入り込んでしまったからなのかもな…
まあ、地球から遥か彼方にあるこの場所へどうやって飛んで来たのかは不明だけどな。
そんな事を考えていると、モニターに映る通話のアイコンが点滅している事に気づいた。
これって、誰かが腕輪の持ち主に連絡してるって事だよな。
相手は女神か、女神システムを管理している者ないしは組織くらいしか思いつかないけど、本当に繋げて良いのだろうか?
一瞬、『女神ジュリの庭』で見た神様のお告げを思い出した。
嫌な想像が脳内を駆け巡り、不安が押し寄せてきた。
俺は躊躇うが、いつまでもアイコンの点滅が止まらないので、恐る恐る通話アイコンをタップした。
しばしの静寂の後、低く張りのある威厳に満ちた男性の声が響いた。
「我は『グリューサー』、この世界の創造神なり。」
そのセリフと同時に、モニターの中から一人の男が出てきた。
あまりにも予想外の出来事に酔いも吹き飛んで、俺は呆然としながらその男を見つめた。
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