第四十六話 請負人組合
西大通りを街の中心に向けて歩いていると、日が沈んで辺りは暗くなり、営業していた店舗などは店仕舞いをして人通りも疎らになっていった。
通りの両サイドにある街灯がほんのりと青く光りだして、辺りを照らし出す。
照明としては物足りない明るさだが、青く照り返す街並みのシルエットがなかなかに幻想的だ。
多分、これはゴブリンの住処のあった湖の湖畔に転がっていた蓄光石と同じ物を使用しているのだろう。周りが暗くなると、その分明るさが増して見える仕組みを利用している。
まさか街灯まで整備されている街並みがあるとは思っていなかったので、ちょっとした驚きと共に予想以上に進んだ文明度合いに感動を覚えた。
しかし、その先にはそんなほのかな明りをあざ笑うかのように、こうこうと明りを撒き散らしている建物がある。
体育館ほどもある大きな建物で、外見はローマやギリシャで見るような、石造りの柱で囲まれた古代の建築物に似ている。壁は大理石で化粧された豪華な造りをしていて、魔物と戦う人間の姿が彫られている。
正面玄関の上の壁に『請負人組合‐エレベト西支部』と大きく書いた文字があり、その脇に組合のマークが記されている。
マークの内訳は、盾を中心に剣が上を向いていて、それに槍と魔法杖が交差している。クレイゲートの商隊で護衛をしていた請負人が付けていたカードの模様と同じだ。
どうやらここが目的の場所らしいが、荘厳というか何というか、建物自体が発光しているのか、光源が特定できない。まるでこの建物だけが時代を遥かに超えているように感じる。
また、他の建物には見られなかったガラスのような窓があるが、中の様子は窺えない。近くで見るとガラスとも違う素材に思えるが、それが何かは見当がつかない。
まるで、古代と未来が同居しているような感じだ。
しばらく驚きを持って建物を見ていたが、一息つくと俺は建物に向かって歩き出した。
俺は組合の建物に入ろうと玄関の階段に足を掛けると、両脇に立っていた厳つい男の守衛たちに止められた。
「封印を見る限り、この街は初めてか。武器を所持しての入場は出来ない。預からせてもらう。」
「あ、ああ、分かった。」
短剣を差し出すと預かり証を渡された。帰りにこれと交換で短剣を返してもらえる。
簡単な身体検査を受けると、小石の入ったポシェットも没収された。かなり厳しい。防具の下の腕輪を隠す包帯も調べられたが、腕に怪我をしてギブスをしていると言うと、幸いにも信用された。それだけ、請負人には怪我人が多いのだろう。
入館を許され、歴史のあるホテルのような木製の大扉を開けると、開けた空間が目に入った。中もやはり明るくて、日本のオフィス並みの照明が施されている。
電気がある世界とは思えないのだが、いったいどうやって明りを作り出しているのか不思議だ。
一番最初に目に付いたのが、開けた空間の真ん中に大きな柱があり、その前にこちらを向いて置かれた机に向かって座っている筋肉ムキムキのオッサンだ。着ているシャツが今にもはち切れそうだ。
その机には総合案内と書かれたプレートが置いてある。
スキンヘッドのヤーさんみたいなオッサンが受付をしてるなんて驚きだ。オッサンは強面で眼光鋭く俺を睨みつける。思わずビビってしまう。
俺はオッサンから目線を外して周りを見渡した。
オッサンの後ろには受付カウンターが幾つも並んでいて、何人かが並んで順番待ちをしている。その出で立ちから請負人なのが見て取れる。
カウンターの中には若い女性が居て対応している。受付嬢だろう、お揃いの制服を身に着けていて皆美人だ。受付嬢の後ろはオフィスになっていて、多くの人が机に向かって仕事をしている。ぱっと見、銀行に行った時のイメージに近い。
目線を脇に振ってみると、左の壁際はカウンター喫茶になっているようで、何人かが雑談しながら飲み物を飲んでいる。さすがにアニメや漫画に出てくるような酒場は無いようだ。
その隣には仕切りで区切られた女神像が5つ並んでいる。銀行のイメージがあったので、キャッシュディスペンサーかと思ってしまった。
反対側の右の壁際には大きな掲示板が列をなして並んでいて、張り紙が幾つも張られている。
これはアニメや漫画と同じでクエストとなる依頼書が張ってあるのだろう。見ていると、一人の請負人が紙を剝がして受付に並んでいた。
「おい、若造。そんな所にボーっと立ってないでこっちに来い!」
最初、若造と言われてピンとこなかったが、俺の事だと気付きムキムキのオッサンの所へ向かった。
しかし、なんだってこのオッサンは高圧的なんだ。少しムカつくぞ。
「組合に用があって来たんだろう。要件は何だ?」
「登録に来たんだ。」
「ふん、良い体してるじゃねーか。土方仕事なら腐るほどあるぞ。」
「それも悪くないが、魔物を狩る仕事がしたい。」
「フン、お前がか…魔物と戦った経験はあるのか?」
このマッチョオヤジは、どうにも人を小バカにしたような話し方をするので、会話をするのが嫌になる。俺は無言でクレイゲートの紹介状を差し出した。
質問に答えないのでムカついたのか、マッチョオヤジは紹介状を奪い取るように掴んでから、広げて読みだした。文字は読めるんだな。
「なっ、飛竜の単独退治だと!他多数の上級魔物の退治!〈超越者〉を含む盗賊をほぼ一人で殲滅!実力は上級クラス!………嘘だろう。」
マッチョオヤジは呆然としながらブツブツ呟いている。
「信じられん…しかし、クレイゲート商会の会長の紹介だ…嘘ではないはず…」
暫く呆然としていたマッチョオヤジは殺意の籠った目で俺を睨みつける。
「若造、この紹介状は本物だろうな。偽物なら縛り首だぞ!」
脅しのつもりだろうけど、大した《プレッシャー》は感じない。
このマッチョオヤジはそこそこの実力者だと思うが、それなら俺の張った《フィールドウォール》に気付くはずだが…
もしかして、ノイズを拾わないように感度を落としたのが影響しているのか?
俺はそれなりの《プレッシャー》を解放してマッチョオヤジにぶつけた。
「!!!!!」
マッチョオヤジは後ろに飛び退って壁に張り付いた。
全身を硬直させて汗を拭き出し、目玉だけがギョロギョロと俺を見つめている。
俺が《プレッシャー》を弱めると、ホッとしながら席に戻った。
「こいつはスゲーぜ!こんな《プレッシャー》を受けたのは何年ぶりだろうな…」
「不愉快だから人を小バカにしたような話し方は止めてくれ。」
「悪かったよ。これが俺の仕事なもんでな。
ディケードって言うんだな、お前さんには敬意を払うよ。俺は『ゲッシューム』だ、よろしくな。8番の窓口へ行って紹介状を主任に渡してくれ。」
紹介状をマッチョオヤジから返して貰うと、俺は指定された受付に向かった。
何故か7番の受付がある場所から一段高くなっていて、床の作りも絨毯が敷いてあって豪華になっている。
請負人が一人先にいて用を済ましているので、俺はその後ろに並んだ。その請負人はちらりと俺を見た。彼の腕には金鉄ランクのカードが張ってあり、若干の《プレッシャー》を感じる。彼も俺の《プレッシャー》を感じているようだ。
俺は順番を待ちながら組合内の様子を窺う。
若い請負人たちが組合の扉を開けて入って来た。そいつらはギャーギャー騒がしかったが、マッチョオヤジが睨みを利かすと途端に静かになった。
成程、仕事というのはそういう事か。
羽目を外す若者や暴れる請負人の抑止力として、あのマッチョオヤジは存在してるんだな。若い受付嬢だけだと舐められるからな。
前に並んでいた金鉄ランクの請負人が用を終えたので、俺は受付に向かった。
そこにいた受付嬢は思い切り目を引く物凄い美女だ。
ギリシャ人的なはっきりした顔立ちの白人で、艶やかにカールした金髪に淡いピンク色のウサギの耳が乗っている。そのウサギの耳は立っている耳ではなくロップイヤーと呼ばれる種類の垂れ耳だ。
その耳のためにおっとりした印象を受けるが、目の作りと瞳の輝きが肉食獣を思わせる生気に満ちている。そのアンバランスなギャップが何ともいえない絶妙な魅力を醸し出している。
年齢はまだ20歳位で若干幼い顔立ちをしてるが、似つかわしくない貫禄があり、フェロモンを振りまく女の魅力に溢れている。
思わず見とれてしまったが、そんな男の対応には慣れているのだろう。さも当然という風に俺の視線を受け止めている。
日本にいた時に撮影ロケ現場に出くわした事があるが、若い売れっ子女優がそんな感じだった。一流の男の中で揉まれて来ただけあって、自信に満ちたその態度は同じ年頃の一般の女の子には持ちえない魅力に満ちていた。
この受付嬢もそんな雰囲気を漂わせているので、思わず気後れしてしまった。
「初めて見る方ですね。ここは金鉄ランク専用の受付ですよ。お間違いでは?」
「あ、そうなのか?総合受付のマッチョオヤジに8番に行けと言われたんだが。」
「ゲッシュームさんに?そうですか。それで、どんな御用でしょうか?」
受付嬢は言葉こそ丁寧だが、俺を見下すような態度で対応し、その視線は氷のように冷たい。
しかし、それが似合っているのが何ともいえないな。「ありがとうございます」とでも言えばいいのかね。
良い気分ではないが。
「請負人登録をしたくて訪ねたんだが。」
俺は紹介状を出して主任に渡すように言われたと付け加えた。
受け取った受付嬢は紹介状を読み始めた。
あれ、もしかしてこの受付嬢が主任なのか?確かに貫禄はあるが、他の受付嬢に比べてもこの娘は若い方だぞ。だからここは他よりも一段高くなっているのか?
紹介状を読んでいる受付嬢の瞳に驚愕の色が表れる。が、それでも表情を変えないのは流石だな。仕事ができるタイプの女性だ。
紹介状を読み終えた受付嬢はマジマジと俺の顔を見る。垂れ耳がピクピクしている。
「少々お待ち下さいませ。」
受付嬢は俺に一礼すると、席を外して奥へと歩いて行った。多少の焦りは感じるものの、その動きはキビキビしていながら優雅だ。バリバリのキャリアウーマンという感じだな。《プレッシャー》から見て取る戦闘力は皆無のようだが。
受付嬢は部屋の奥でデスクに向かう男に紹介状を渡して話をする。
その男は中年に差し掛かりつつある黒人で、細身の体にパリッとしたチョッキを身に着けている。彼が主任なのだろう。
しかし、受付嬢が勝手に紹介状を読んでいいのかね?この世界の常識は分らないので何とも言えないが。まあ、総合受付のマッチョオヤジも読んでいたからな。
受付嬢が戻って来ると、カウンターの脇にある扉から出て来て俺の前に立った。
さっきまでの氷の表情が氷解して、親愛の籠った笑顔を浮かべている。
「ディケード様で宜しいですね。主任がお話をお伺いしたいとの事ですので、応接室までお越し頂けますでしょうか。」
「はい、分かりました。伺わせて頂きます。」
受付嬢の笑顔と卒の無い態度に、思わずサラリーマン時代の腰の低さが出てしまった。
さすがに今回は受付嬢の表情にも驚きが表れた。垂れ耳が跳ね上がる。
無理も無いか。請負人風の使い古した野暮ったい格好でそんな態度を取れば驚いてしまうよな。スーツでも着ていれば様になるんだろうけどな。
しかし、表情が崩れた美人は実に良いな。ジリアーヌのポカンとした表情を思い出した。まあ、この受付嬢の驚きの表情はツボらないけどな。
受付嬢は俺を案内しながら先を歩く。
貫禄があるから大きく見えたが、実際にはかなり小柄だ。160cm無い位だろう。しかし、スタイルは悪くない。正面に立った時Eカップはありそうな胸をしていたし、こうして後ろ姿を見ると体形が分かる制服なので、ウェストの括れが見事だ。
裾広がりのハーフスカートを履いているが、尻尾の位置にある小袋がキュートだ。そこにはどんな尻尾が隠されているのか気になってしまうな。
俺の視線に気付いているのか、階段を上っている時にお尻を小さく振って俺の目を楽しませてくれた。
さっきまでの冷たい雰囲気は何処へやらだ。紹介状のお陰か?
二階にある応接室の一つに通されると、さっきの細身の主任と思われる男がソファに腰かけていた。
男に促されて、俺は向かい側のソファに腰かける。
応接室に窓は無く、応接セットと部屋の隅に観葉植物があるだけの簡素な部屋だ。蠟燭による照明なので、明るさに乏しい。
「わたしは請負人組合、エレベト西支部の狩人課の主任をしている『ホッシュイー』だ。よろしく。」
「ディケードです。」
「クレイゲート会長からの紹介状を見させて貰った。素晴らしいというか、にわかには信じられないような活躍をしたようだね。」
「まあ、そうですね。自分でも驚いています。」
どうやら紹介状の内容に相違ないか確かめるための面接らしい。
そりゃそうか、誰の紹介だろうと紙に書かれた内容だけでは簡単には信じられないよな。
しかし、この主任は真面目を絵に描いたような男のようだ。身だしなみや話し方に神経質そうな感じが表れている。
日本でも黒人とは面と向かって話をした事が無いので、新鮮な感じがすると同時に、少し気後れしてしまう。外人慣れしてない日本人あるあるだ。
ノックと同時にさっきの受付嬢が入ってきて、お茶を出してくれた。
それも驚きだが、受付嬢が自分の分のお茶を応接テーブルに置くと、俺の隣に腰かけたのにはもっと驚いた。
この受付嬢も面接に参加するのか?と思っていると、主任の眉がピクリと吊り上がるのが見えた。受付嬢の独断による行動のようだ。
やれやれという感じで主任は受付嬢の紹介をする。
「先に紹介をしておこう。彼女はディケード君の担当受付をする事になる『カーミュイル』君だ。彼女の非番の日以外は専任担当になるので、よろしく頼む。」
「カーミュイルです。ディケード様の専任担当になれて光栄です。どんな事でも受け付けますので、困った事分からない事、相談事がある際には気軽にお声がけ下さいね。」
カーミュイルという名の受付嬢は大輪の花が咲いたような笑顔を見せた。特上の美人なので、その笑顔は天使が微笑んだかのようだ。
ふわりと漂う良い匂いと共に、その笑顔は俺の心臓を跳ね上がらせた。この魅力的な笑顔を向けられて、無視できる男はいないだろう。
もっとも、最初の冷たいイメージがあるので、心を鷲掴みにされる事は無かった。
しかし、冷静に考えてみれば、まだ請負人になってもいない俺に担当が付くというのもおかしな話だ。それもあって、主任はやれやれと困った顔をしているのだろう。
どうやら、この受付嬢は独断専行で先走っているようだ。
先ほどの紹介状を勝手に読んだ事といい、将来的に有望な者には積極的に自分を売り込んでいくのだろう。
それが自分の成績アップのためなのか、個人的な繋がりを得ようとしているのかは判らないが、組合への貢献という意味では実績があるのだろう。それ故に主任は気に入らないが黙認しているというところか。
まあ、その魅力的な笑顔のためなら、男は必死になって働くだろうよ。
「オホン」
咳ばらいを一つして、主任はもういいだろうとカーミュイルの行動を抑制する。
カーミュイルも引き際は心得ているようで、厚かましい女という印象を持たせないようにスッと引き下がる。
「それで話しを戻すが、ディケード君にはその活躍を裏付ける証拠となるようなものはあるかな?」
「そうですね。証拠となるかは判らないですが、自分が倒した魔物の魔石が有ります。」
俺はナップザックから魔石を取り出してテーブルの上に並べた。
それを見た途端、主任と受付嬢の表情が驚きに変わった。
「この割れた魔石は、もしかしてレジョンティーゲルの物かな?」
「そうだと思います。上顎から長い牙を生やした虎ですね。」
一通り魔石に目を通した主任は魔石の目利きなのか、クレイマート同様にレジョンティーゲルの物に目を止めた。
主任はルーペを取り出すと、レジョンティーゲルの魔石に当てて覗き込む。
「むう、これは凄い。網状パターンの発達具合が並じゃない。ああ…これで割れていなければな…」
主任は独り言を呟きながら魔石の価値を惜しんでいる。
俺には魔石の価値というのが今一ピンと来ないのだが、高値で取引されるところを見るに、重要な使い道があるのだろう。魔法アイテムのエネルギー源になるのは分かっているので、そういった分野の需要があると思われる。
魔石の中に見える網状の模様にもパターンが有り、解析は進んでいるようだ。俺も興味が湧いたな。
クレイマートも使っていたが、この世界にルーペがあるんだな。
作りの粗さからアーキテクチャでは無いみたいなので、ガラスを作り研磨する技術があるようだ。
そういえば、ジリアーヌが持っていたグラスがそうだったな。
「ディケード君は一人でこのレジョンティーゲルを倒したのかな?」
「ええ、独りで魔の森の中をさ迷っていたのでね。」
「独りで?」
俺はクレイゲートに話したように、記憶を失って森の中をさ迷い歩いていたと説明した。勿論、研究所っぽい場所の事や精霊の事は伏せておいた。
それからクレイゲートの商隊と合流してこの街へ来たと話した。紹介状に書いてあるのは合流以降の事だと。
主任は話を聞いて感心しながらも、やはり記憶が無いという事に胡散臭さを感じているようだ。記憶喪失の人間なんて、まずお目にかかれるもんじゃないしな。
クレイゲートは俺が外国の人間で、〈冒険者〉をやっていたのかもしれないと考えていたようだと、最後に付け加えた。
成程ねと、主任は考え込んでいる。
受付嬢のカーミュイルが口をはさむ。
「素晴らしいですわ、ディケード様。それでは元々上級クラスの〈冒険者〉だったのかもしれないのですね。もう、あなたの活躍は約束されたようなものですね!」
「確かにな…」
カーミュイルは感心しながら俺を持ち上げる。
その勢いに押される感じで主任は肯定する。
カーミュイルは俺が並々ならぬ実力者だと知った時、瞳を欲望に輝かせた。
俺はこの時、この受付嬢はジョージョと同じ類の女だと理解した。男を肩書や稼ぎで評価するタイプだ。
ジョージョはまだ直情的だったので対応しやすかったが、この女は頭が切れそうなので厄介だなと感じた。
「それじゃあ様子見として、ディケード君には中級クラスの請負人として、黒鉄ランクから始めて貰おうか。実績を積めば程なくして金鉄ランクにランクアップ出来ると思う。
自分及び請負人組合のため、強いてはこのエレベトの街のために活躍を願っている。」
「ありがとうございます。」
「ディケード様なら、上級クラスの魔鉄ランクや天鉄ランクにだってあっという間になれますわ。わたしは専任受付として鼻が高いです。」
カーミュイルが嬉しそうに俺に接するのとは違い、ホッシュイー主任は俺の人となりを測るように見つめる。
「クレイゲート氏が後見人という事なのでディケード君の過去は詮索しないが、くれぐれもクレイゲート氏の迷惑になるような行為は慎むように願う。」
「ええ、彼の顔に泥を塗るような真似はしませんよ。」
それから魔石の売買をして面接は終わり、俺は請負人となった。
通常は下級クラスとなって教えを乞うところから始めるのだが、それを免除されたのはありがたい。しかも、本当なら様々な適正テストがあるようだが、それも免除となった。
しかし、ホッシュイー主任はカーミュイルと違って手放しで喜んではいない。俺が信用できると思えるまで用心深く様子を窺うだろう。まあ、それが当たり前の対応だよな。
強いてはこのエレベトの街のため…か。
クレイゲートの後ろ盾があるとはいえ、相当の実力を持つ記憶を失った外国人。
怪しい…よな?
応接室を出て、俺とカーミュイルは受付に戻り、事務手続きを始めた。
請負人にはなったが、決まり事の説明や身分証カードの発行などするべき事は多々あるようだ。ここら辺はお役所仕事と変わらないな。
「新規登録」
カーミュイルが20cm程の、水晶玉のような透明な球体に向かって話しかけると、その球体は淡く発光して内部が万華鏡のように模様を変化させた。
その後もカーミュイルは球体に向かって話しかけるが、何かで遮断されたように声が聞こえなくなった。球体内部の模様が変化を続ける。
まるで何かのトリックを見せられているように感じる。
ぼんやりと元のディケードの記憶が蘇る。
そうだ。あれは初めてアバターを使ってこの惑星に降り立った日の事だ。ゲームに参加するために『旅立ちの街』にやって来て、そこの『冒険者ギルド』で経験した、『冒険者登録の儀』だ。
あの時、ついに自分もこのRPGゲーム『グリューサー時空』を始めるんだとワクワクしていた。
あの時の冒険者ギルドはもっと古めかしくて、中世文明時代の怪しいムードを漂わせた木造建てだったので、期待感が半端なかった。
そんな少年らしい記憶が垣間見えた。
「ディケード様、この《女神の瞳》に手を添えて下さい。」
そうだ、その球体は《女神の瞳》という名前だったな。
俺が記憶を辿っている間に、カーミュイルの声は聞こえるようになっていて、《女神の瞳》を俺の前に差し出した。
あの時もそうしたように、俺は《女神の瞳》の上に手を乗せる。
すると、手を乗せた部分に人間の瞳のような模様が現れてキョロキョロと周りを見だした。まるで目玉そのものだ。
その瞳が、上に乗せた俺の手に焦点を合わせるとビームを放った。
まったく痛みは感じないが、俺の手から滲み出た血液が《女神の瞳》の球体の中に広がっていく。それは水中で拡散していく色水のような動きだ。
俺の血液が完全に攪拌されると、《女神の瞳》が一瞬だけ鋭い光を発した。
その眩しさに、思わず目を背けてしまった。
「女神様より『登録の証』が授けられました。」
見ると、《女神の瞳》から排出されたと思われる一枚のカードが台座に乗っていた。まるで魔法か手品でも見せられたような気分だ。
カードは厚さが1mm程で、大きさは日本で使っていた免許証やキャッシュカード等と同じくらいだ。
黒鉄ランクを表すために、そのままくすんだ緑の黒に近い色の鉄色をしている。
このカードは請負人組合のメンバーの証となるのは勿論の事、他にも様々な機能と用途があるのだが、それはその時々に体験していこう。
「おめでとうございます。これでディケード様も請負人組合の正式な組合員です。
このカードは女神様によって証明された身分証となりますので、常に見える所に所持されるのを推奨いたします。服か肌にでも張り付けておけば紛失する事もないでしょう。」
試しに服に張り付けてみると、まるで生地の一部になったように一瞬で馴染んだ。しかも、生地の動きに合わせて自由に曲がったり折れたりする。
これにはビックリだ。
指先で摘まんで引っ張ると、殆ど抵抗もなく簡単に剝がれた。
腕の肌に張り付けてみると、皮膚の一部になったような感じで、張り付けている感触が無い。
魔法か! 魔法なのか!!
カーミュイルをはじめとしたこの世界の人々は、女神の奇跡として魔法のように認識しているようだ。
まあ、これを見せられてはそう思うのも無理はないな。
実際には2万5600層以上からなる多重複合ハイパーポリマー製らしい。
詳しい事は解らないが、その時々必要に応じて高分子結合が変化するようで、位相変化や分子配合変化を行うらしい。それによって形状変化を行ったり情報記憶媒体となったりするようだ。
ようするに、元のディケードの記憶によると、とっても便利で役立つ物だそうだ。
俺は全く解らんが、ディケードもあまり理解していなかったようだ。異星人のスーパーテクノロジーの一端という訳だな。まあ、使えればOKという考え方だ。
しかし、《女神の瞳》は古代の《聖遺物》のようだが、当たり前のように使われているんだな。
もしかして、この請負人組合は大昔の冒険者ギルドの女神システムをそのまま流用しているのか?
大昔のゲームシステムがそのまま今の実生活に使われているとしたら、それはそれで便利で面白いが、摩訶不思議な文化に発展してそうだな。
そもそも、システムをちゃんと理解して使用しているのだろうか?
それとも、使える部分だけを利用しているのか?
カーミュイルの説明によると、女神様の奇跡の一端を、請負人組合は王命の下に貸与されているという。
成程、女神の奇跡という名のシステムは王の管理下に在るという事だな。
という事は、一般的には女神が王にその権利を授けていると考えられているのだろう。
それなら、王は女神の庇護下にあると考えられる。絶対王政の体制は盤石というところか。
カードを手に入れた俺は、その後組合の規約や利用方法の説明を受けた。特に難しいと思うような事も無く、常識的に理解できる範囲のものだ。
ただ、貴族と揉め事を起こした際は速やかに連絡を行うようにと、厳重注意を受けた。この世界では随分と貴族は恐れられているようだ。特権階級以外にも何か特別な存在なのだろうか?
訪ねても詳しい説明はされなかった。話せないというより、カーミュイルも知らないようだ。記憶に留めておこう。
「それではディケード様、今後のご活躍を期待していますね。何かの際にはわたし、カーミュイルをご指名ください。」
「ありがとう、カーミュイルさん。お世話様でした。」
ニッコリと微笑んで握手を求められたので応じた。女性と握手するというのは、日本ではあまり経験が無かったな。
この世界では指相撲のような形で握手をするが、女性が相手の場合は親指が触れ合わないのがルールらしい。
のだが、カーミュイルはもう片方の手を添えるように被せてきた。
親愛の情を込めているらしいが、美人にそうされるとドキリとするし、いやが上にも期待してしまうよな。
これが仕事に関してだけなら良いのだが、カーミュイルの目は明らかに獲物を見付けた肉食獣のものだ。
ふう…怖い怖い。
俺が受付を去る際に、後ろに並んでいた若い男に思い切り睨まれた。随分と待たせてしまったからな。
申し訳ないと思いながらその場を離れると、若い男はニッコリ笑いながら猫撫で声で「カーミュイルちゃ〜ん♪」と受付に向かった。
「あら、モーブさん、今日もご活躍ですね。ステキですわ。」
笑顔で対応するカーミュイル。男を手懐けるのはお手のものらしい。
しかし、実際に接してみて思ったが、請負人組合は思った以上にきっちりと組織化されて運営されているようだ。
もっとワイルドなイメージを抱いていたが、受付嬢の対応を見ても現代日本と変わりないように事務的に見えた。
文明の度合いから考えると驚きだが、女神が実在する世界なので、教育を受けた者は道徳観念や倫理観といった精神面が発達しているのかもしれないな。
その分、俺もサラリーマン時代のように対応してしまった。
請負人登録を終えた俺は、カードを持って女神の像が並ぶブースに向かった。
ここに来た時にキャッシュディスペンサーのようだと思ったが、あながち間違いではなかった。
この女神の像はカードに記録された個人情報や仕事上の情報を表示したり、現金の預け入れや引き出し、送金等も行える。更には貸金庫の借り受け機能まである。
今手元にはかなりの現金があるので、預金しておこうと思う。
なお、この女神の像は《女神の財布》という。
一体の《女神の財布》の前に来ると、目に見えないスクリーンの様なものに囲まれる感じがした。
これはさっき受付でカーミュイルの声が聞こえなくなったのと同じだ。隣で《女神の財布》を操作している者を見ると、ボンヤリとピントがずれたように見える。
これは個人情報を盗まれないための処置によるものだろう。凄いな。
差し出された女神像の手の上にカードを乗せる。
すると、女神像の胸の前にスクリーンが現れて案内の文字が浮かび上がる。その文字を音声が読み上げてくれる音声ガイダンスとなっている。
「利用者はディケードで相違ないな?」
「ああ、間違いない。」
画面上には『1、違います』『2、違いありません』の選択項目が表示される。
文字の上をタップしてもいいが、音声で答えても大丈夫だ。勿論選択肢の番号だけでも大丈夫だ。なので、文盲でも利用できるようになっている。
さっき受付で俺の音声が登録されていたようだ。
他にも血液型、指紋、網膜パターン、遺伝子情報などあらゆる個人情報が登録されているらしい。凄いというか恐ろしいな。
それはそうと、女神像は上から目線というか、上位者としての振舞いをする。答える方が敬語になっているのが、なんともはやだな。俺は利用者なのに下手に出なければならないようだ。
何とも理不尽というか違和感を覚えるが、元々はゲーム用のシステムなのでこういう仕様になっているのだろう。
カードの所有者が俺で間違いないと認識すると、画面上に俺のプロフィールが現れる。
1013年05月14日現在
登録№13051432005959150
氏名ディケード
年齢17
住所未登録
職業請負人 エレベト西支部所属 ランク 黒鉄
へえ、俺の体って17歳だったのか。
ディケードの記憶だと16歳だったので、対外用にそれよりも1歳上に設定しておいたんだけどな。正しかったようだ。
しかし、どうやって算出してるんだろうな?謎だけど、生体情報から読み取っているのかね。
請負人の文字をタップすると、その詳細が表示される。
勿論音声も流れる。透き通るような美しい声だ。
登録日は今日になっていて、退治した魔物が記載されている。
登録日前ではあるが、飛竜やレジョンティーゲル等がカウントされている。
飛竜はクレイゲートの紹介状からで、レジョンティーゲルなどは俺の持っていた魔石でカウントしたようだ。
さっきの面接の時に主任に魔石を買い取って貰ったので、それが成績となって反映されている。
画面を基本画面に戻して銀行をタップする。
残高が表示されていて、1,456,800ヤンとなっている。
入金明細を見ると、レジョンティーゲルの魔石が割れていたにも関わらず、百万ヤン(金貨1枚)近くになっている。
クレイゲートが割れていなければ金貨30枚はするだろうと言っていたが、やはりレアなのだろう。
それに対してグロゥサングリー(猪もどき)の魔石は大した金額ではなかった。あれは図体がデカかっただけなんだな。他の魔物はさらに安い。
まあいい。俺は本来の目的の預金を行った。
女神の像が腰に携えたポシェットに硬貨を投入していくと、金額が画面に表示される。
持っている金貨16枚を預けると、17,456,800ヤンとなった。
凄いな、日本円に換算すると1千7百万円以上ある。
今一つ実感が無かったけど、俺は1千6百万円に相当する現金を持ち歩いていたんだな。日本にいた時だって、そんな大金を持ち歩いた事は無いぞ。
しかも、金貨110枚分の証文もあるからな。これを換金すれば1億1千万円相当になる。もう働かなくても食っていけるが、ダラダラと生きていてもしょうがないしな。
世界中を見て回ろうと思ったら、これでも足りないだろうからな。地道に働いて資金を貯めていこう。
俺は確認の意味も込めて、端数の金額を引き出してみた。
すると、女神の手にトレーが現れて硬貨が乗っていた。
まあ、それは良いのだが、この時女神の顔が一瞬だけ悔しそうになったのは、気のせいだろうか…
そういえば、預金した時には笑みが深まったような気がしたな。なんだかなぁ。
最後に俺は貸金庫の機能を使って証文を預ける事にした。
銀行にある貸金庫と同じで、個人の貴重品や大切な物を保管するためのスペースを利用する事が出来る。
この機能の凄いところは、預けた時の状態のまま保存できる事だ。
例えば、書類を預けたとすると、100年経っても紙は傷まないし文字のインクも色褪せずにそのままの状態を維持できる。つまり、経年劣化しないのだ。
これは持ち運びが出来ないだけで、クレイゲートが持っていた空間収納機能を持った《魔法函》と同じものだ。
物質をエネルギーデータに変換して、クラウドシステムのデータバンクに保存しておく事が出来る。
請負人組合は、これを組合員となった請負人に貸し出しをしている。
勿論有料だが、利用料金は収納スペースの大きさと使用期間によって異なる。
俺は証文を女神のトレーの上に置いて、貸出金庫→小スペース→10日→預け入れの順で画面をタップしていく。
トレーの上の証文が消えて、画面上に明細として現れる。
これで証文を盗まれる心配は無くなった。
10日間の借入期間が過ぎても延滞料金を払えば取り出す事が出来るので安心だ。
日本の銀行にある貸金庫なんかよりずっと高性能で便利だ。
ここにいると未来世界にいるような錯覚を覚えるな。
ふう…
やれやれだ。これで取り敢えず最低限のやるべき事を終えた。
さすがに今日は疲れた。
後は受付嬢に紹介してもらった宿を訪ねるとしよう。
出口に差し掛かった時に、マッチョオヤジの声が背中に掛けられた。
「これからの活躍を期待しているぞ。」
俺はカードを腕に貼り付けると、請負人組合を後にした。
読んでいただき、ありがとうございます。
感想や誤字脱字を知らせていただけるとありがたいです。




