M-1 惑星ナチュア
幕間です。
この物語のバックグラウンドとなる世界をちょっとだけ書きました。
静寂な宇宙空間に漂う、リングのような形状をしたワープゲート。
突然、そのリングに輝きが走る。
超光速航行を行う宇宙船がワープアウトする兆候だ。次元境界面にマイクロブラックホールが生成され、ホーキング放射によって質量減少が起こり一瞬で蒸発するためだ。
その直径が1万kmを超えるリングの中心部から、光の幕を突き破るように宇宙船が姿を現した。
宇宙船は円柱状のコンテナを幾つも連結させたような単純な形をしており、銀色の鈍い輝きを放っている。
宇宙船は全長が10kmに及ぶ巨体をしているが、ワープゲートの大きさに比較すると、芥子粒のようにしか感じられなかった
メインブリッジの中央に座る船長のわたしが真っ先に目覚めて、宇宙船の管理コンピューターに現状を窺う。
「メイド01、状況報告。」
『船体及び周囲の状況オールグリーン。危険な兆候無し。
予定通りに『コーラプリンク恒星系』のラグランジュポイントにワープアウト。通常宇宙空間を減速しながら『惑星ナチュア』に向けて航行中。
恒星間ハイパー通信、感度良好。予備ユニットとの接続を解除。』
「全て予定通りだな。良好良好と。」
わたしはホッとしながら、ブリッジを見渡す。
次々と目覚めたメインクルーがそれぞれの仕事に取り掛かる。
宇宙船自体は殆どが自動で操作されるが、クルーはそのチェックを行う。
一通りのチェックを済ませたわたしは、後ろにあつらえたオブザーバー席で未だに眠り続ける男性に声を掛ける。
「Mr. 、Mr. ファンター、ワープアウトしましたよ。」
「う、う~ん…そうか、ワープアウトしたか、意外とショックがあるのだな。」
「そうですな、初めてだとそう感じるかもしれませんね。ワープ中は意識が薄れますからね。アバターとの再接続時に脳にショックが起きますから。」
「そういうもんかね。」
Mr. ファンターは軽く頭を振りながら覚醒を促す。
一通り周りを見渡してから、ワープイン前の状況と変わらない様子に安堵し、前面の大型モニターに視線を移す。
「船長、あの中央に映っている恒星がコーラプリンクかね?」
「そうですな、スペクトルがG型に分類されるありふれた恒星の一つですね。我々の太陽とよく似ている。」
「似たような生命体が存在する『惑星ナチュア』を従えているからな。必然的にそうなるのだろうな。」
「そうですな。」
Mr. ファンターはつまらなそうにコーラプリンク恒星を見つめる。
それもそのはずで、モニターに映るコーラプリンクは黄色に輝く点にしか過ぎず、一緒に映る他の星々とあまり変わり映えがしないからだ。
「船長、ここから惑星ナチュアを見る事は出来るかね?」
「現時点では恒星と同じように点にしか見えませんね。0.5光速から減速中で障壁防護粒子を放出中ですからね。拡大してもピンボケにしかなりませんよ。
補正画像で良ければ見る事が出来ますよ。」
「それなら、現地の監視衛星からの映像の方がマシだな。じゃあ、到着までの楽しみにとっておく事にするよ。」
「そうですな、それが宜しいかと。」
わたしは事務的に答える。
正直なところ、わたしはMr. ファンターを快く思っていない。今回の航行に強権を発動して無理矢理同行した経緯があるためだ。
ゲストを同乗させるのはよくある事なのでそれは構わないのだが、Mr. ファンターはメインブリッジに自分の席を用意させて居座っている。しかも、ことある毎に船長のわたしに質問してくるので、いい加減辟易していた。
お陰で、宇宙船の運航に関しては副長が取り仕切っている。わたしの職務を妨害されている気がしてしょうがなかった。
まあ、そうは言っても相手は『惑星ナチュア女神計画』の幹部の一人であり、わたしの雇用主なので従うしかない。止む無く感情を殺して事務的に対処するしかなかった。
この宇宙船は、惑星ナチュアの軌道上に建築機器及び建築物資を運ぶ仕事を請け負っている。
現在、惑星ナチュアの上空約36000kmの静止衛星軌道面には通称『アイゲースト』と呼ばれる、惑星全体を丸い籠状に覆う構造物を築造しており、不安定な状態にある惑星を崩壊から防ぐ手立てを講じている最中だ。
正式名称は『プラネットシールドN-01』というのだが、惑星ナチュア女神計画にちなんで、神話に登場する戦いの女神が持っている盾のアイゲーストを通称名にしている。
惑星ナチュアは随分と久しぶりに発見された自然豊かな惑星で、生命に溢れている。
しかし、複雑な状況の宙域に存在するために、惑星の自転が安定せず、まもなく生命は死滅すると予想されていた。
その自転軸を安定させるために、アイゲーストが築造されているのだが、それもようやく完成の目途が立ってきた。
今回の積荷の搬入でわたしの仕事は終わる。
最後の航行となる訳だが、土壇場でMr. ファンターが同行すると言って乗り込んできたので、こうして鬱陶しい思いをしている訳だ。
彼が同行した理由は、視察を兼ねて宇宙航行のワープを経験してみたいというものだ。
それに正当性があるのかどうかはわたしには分からないが、なにぶんお偉いさんのやる事だ。わたしに意見を挟む権利はない。
もっとも、こうして通常宇宙空間に出てしまえば、アバターを操るMr. ファンターの意識はあと少しで自分のオフィスへと戻っていくだろう。
惑星ナチュア女神計画の第一人者である彼は人一倍忙しい身だ。いつまでもここで油を売っている訳にはいかない。
「それじゃあ船長、私は一旦戻るとする。惑星ナチュアに近づいたら知らせてくれ。アイゲーストとのランデブーを体験してみたいのでな。」
「了解しました、Mr. ファンター。お疲れ様です。」
挨拶もそこそこに、Mr. ファンターが座っていた席がカプセル状に変化した。
このリンケージカプセルの中で、抜け殻となったアバターが眠りについた。
本星のオフィスで目覚めた彼は、直ぐに次の仕事に着手するのだろう。精力的な事だ。
なんにせよ、これでわたしもMr. ファンターのおもりから解放されたのだ。ようやく本来の仕事に取り掛かれるというものだ。
「副長、現状報告を頼む。」
「了解。現在、本船はコーラプリンク恒星系の外殻小惑星群域に突入したところです。障壁防護粒子との衝突による微振動がありますが、進路はクリアです。」
「了解した。くれぐれも惑星衝突コースとなる隕石や彗星を作り出さないようにな。」
「心得ております。計算外のイレギュラー発生時には、即座に消滅させます。」
「うむ。」
通常の恒星間空間から恒星系へ進入する場合、星間物質の濃度が跳ね上がる。特に恒星系を球状に覆っている星間物質との衝突は避けられないものとなる。こちらは光速の15%程度に減速するが、それでもコンクリートの壁をぶち破りながら進むのと大差ない衝撃に見舞われる。
それを避けるために、進路上にある星間物質を排除する必要がある。そのために障壁防護粒子を打ち出して物質を原子レベルへと崩壊させる。
後は力場を使ってその原子や分子をどかして進んで行く。
ただ、その際に力場が生み出した歪みが、岩石や氷の塊の軌道を逸脱させる場合がある。それらが惑星へと向かうコースを取ると、数千年後から数万年後に災害を発生させるリスクが生じるので、極細心の注意が必要となる。
もっとも、我々に出来る事は制御システムが安定して作動しているか、見守るだけなのだがな。
この船は3時間程で外殻小惑星群高密度域を抜ける。
その後はもう一度加速して航行。最外惑星軌道に達したら減速しながら進むだけだ。所要時間は75時間。
相対論的効果による影響を惑星系に与えないためだが、この時間が一番暇になる。交代時間になるまでのんびりとモニターと睨めっこだ。
休憩時間になったら、わたしもアバターとのリンクを解除して、自宅で休むとしよう。
このアバターシステムができたお陰で、我々は自宅に居ながらにして様々な場所に出かける事が出来るようになった。
自分の本体は自宅のアバター接続ユニットに繋がれているが、ハイパーリンクシステムを介したアバターとなる身体は現場にて作業を行う。
そのために危険な作業も安全に行う事が出来る。仮に事故に遭って怪我をしても、アバターが損傷するだけで本体に害はない。
元々は文明が発達しすぎて便利になり、種としての肉体の衰えが現れだして避けられないものになっていった。それをカバーするために処置されたものだが、あまりにも普及しすぎて一般的となり、誰もが日常生活においても使用するようになってしまった。
多くの者は人生の殆どをアバター接続ユニットに繋いだまま過ごす事になった。そのために、種としての衰えを加速するという皮肉な結果になってしまった。
我々はアバター文明とでもいうべき到達点に達してしまったのだ。
それはもう避けられない流れだった。
そんな我々だが、宇宙へ目を向けた時、それは利点となった。
というのも、宇宙は余りにも孤立した世界だったからだ。
我々の生命を育んだ母星となる惑星は唯一無二の存在なのだ。
我々が住む惑星を含む銀河系には二千億もの恒星があり、その十倍以上に惑星が存在する。当然のように、生命が生まれ自然が豊かになった惑星は幾つも存在した。
しかし、そのどの惑星に行っても、我々人類はそこで生きていく事が出来ないのだ。
それは、その恒星系と惑星が生み出した生命のみに許された環境だからだ。
数十億年の進化の過程を経て遺伝子に組み込まれた、絶対的な真理だった。
仮に宇宙服を着て疑似環境を作って惑星に降り立ったとしても、身体は生命維持を拒絶する行動に出てしまう。遺伝子に変調をきたすのだ。
それは、宇宙にコロニーなどの施設を作っても同じ事だ。
一時的に生活は出来ても、生涯を通じて生活する事は叶わず、子孫の存続は不可能だった。
結局、我々は一生母星から出る事は叶わないのだ。
しかし、そんな絶望を打破したのがアバターシステムだ。
その惑星に存在する高等生物の遺伝子に手を加えて脳容積を増やし、アバター受容体を植え付ける事で、アバターとして利用できるようになる。
これによって、我々は自宅に居ながらにして、その惑星で活動できるようになったのだ。
もっとも、アバターとして利用するならどんな生物でも良い訳ではない。
霊長類かそれに類似した生物が理想だが、少なくともある程度思考できるだけの脳を持つ事が必要とされる。
そんな折に見つかったのが、惑星ナチュアだ。
この惑星には霊長類が存在し、しかも人類に近い原人にまで進化した生物が居た。
文明を興すまでには、まだ数万年から数十万年かかると思われるが、アバターとして利用するには理想に近い状態だった。
そして更には、驚くべき事に、この惑星の脊椎動物は超能力が使えたのだ。
動物たちの狩りの様子を見ていると、追われるもの追うもの、その双方が空中を移動したり方向転換をしたりしていた。
霊長類の一部のものは、物体を空中で操ったりしていた。
その事を知った学者を始め、一般市民までこの惑星に注目した。
学者たちはロボットを使って原人を確保し、遺伝子改造を行ってアバターとして使えるようにした。
アバターを使って惑星に降り立った学者たちは様々な研究を行った。
その結果、脊椎動物が超能力を使えるように進化したのは、数億年前にマグネターが惑星ナチュアの近方を通過したためだと判明した。
マグネターは、星の終わりに超新星爆発を起こした後の、その核が中性子星になったもので、その初期段階に超強力な磁場を持っている場合を指している。
X線やガンマ線などの高エネルギーの電磁波を放出して、惑星の表面を焼き尽くし、生物を大量絶滅させた。
しかも、強い重力場を持っているために、連星だったコーラプリンク恒星系の構成を根本的に変化させてしまった。連星の片方となる伴星、コーラプリンクBを奪い去ってしまったのだ。
それ以来、コーラプリンク恒星系は重力バランスが崩れた状態が続いた。
当然、その惑星であるナチュアにも影響を及ぼした。惑星ナチュアは内部コアを変質させ、不安定な状態で自転を続ける羽目になった。
その影響は生き残った僅かな生物にまで及び、新たな進化を促した。
つまり、狂った磁気の影響に適応するために進化して、超能力を使う神経を小脳に接続する部分に発達させたのだ。
こうして、惑星ナチュアは超能力を使う動物を進化させていった。
やがて、マグネターは奪い去った恒星の影響を受けて勢力を弱め、連星をなす中性子星となって遠ざかっていったが、自転軸が狂った惑星ナチュアは絶妙なバランスの下に存在していた。
内部コアが変形した事で星震が絶えず、マントル対流に多大な影響を及ぼしていた。そのため、地震が頻発する状態となっていて、やがては常に惑星全体で大地震が継続する状態になるだろうと予測された。
そうなっては惑星表面の地殻が破壊され、生物の存続が危うくなってしまう。
我々人類は、政府が中心になって惑星ナチュアを守るべく行動を起こした。
惑星ナチュアを球形の網状で覆うアイゲーストを築造し、自転軸を安定させて星震を抑え込む事にした。
母星から三千光年も遠く離れた惑星を覆いつくす施設を建設するのは大変な事業だったが、ようやく完成の目途が立った。
お陰で、地震は随分減ったと報告にある。
このアイゲーストが稼働を続ける限り、惑星ナチュアの安定は保たれ、生物は繁栄していく事だろう。
その中で、我々人類のアバターは子孫を作り、この惑星の知的生命体として文明を引き継いで発展していくはずだ。
わたしは運び屋でしかないが、この事業の一部に参加できた事を誇らしく思う。
後はMr. ファンターが中心になって、この惑星で女神計画を推進していくだろう。
いったいどんな世界が作られていくのか楽しみだ。
☆ ☆ ☆
ブリッジに特別に拵えて貰った私の席で、私は目の前のモニターに映る中性子星を見ていた。
もっとも、中性子星本体が見える訳ではなく、それを取り巻くオレンジ色の膠着円盤と中心から上下に噴出するジェット気流が見えている。それに加えて、複数回にわたって行われた新星爆発の残骸が発光星雲となって帯状に連なっている。
それが、コーラプリンク恒星系から見える現在の姿だ。
宇宙の中で、中性子星は厄介極まりない恐ろしい星だが、今回ばかりは礼を言いたい気分だ。
この中性子星のお陰で、惑星ナチュアは超能力を発揮する生物を生み出したんだからな。
なんでも、超新星爆発を起こした際に、その衝撃で元居た場所から飛び出してしまい、高速で移動する宇宙の放浪星になったらしい。
それがたまたまコーラプリンク連星系の近方を通過したために、連星の片方を破壊しながら奪い去り、残された片方の恒星系を作り直した。
逆に言えば、奪い去られた片割れが崩壊する事で、それが盾の役割を果たした。残された惑星ナチュアを含む惑星系は、最小限の損害で済んだ。
そして、一旦は死滅近くまで追いやられた惑星ナチュアの生物を別の進化へと促したのだ。
惑星ナチュアはまさしく奇跡の星だ。
これから女神計画を実行し、数百年にわたる別惑星人類拡張計画の実験を行う。
これが成功した暁には、人類は銀河系全体へと文明を押し広げていく足掛かりとなるだろう。
だが、懸念事項が無い訳では無い。
あの中性子星だ。
現在は惑星ナチュアから50光年以上離れて磁場の影響は殆ど無くなったが、約千年毎に繰り返される新星爆発が厄介だ。
昔、我々の母星からは千年毎に繰り返される回帰新星爆発として観測されていたが、実際には中性子星の膠着円盤が質量限界を超えるとガンマ線バーストを引き起こし、その衝撃で膠着円盤の一部が吹き飛ばされるという現象だったのだ。
そして、その衝撃波が惑星ナチュアの星震を引き起こして自転を不安定にさせている。
しかも、中性子星の周りに恒星物質を引き寄せて円盤を形作る降着円盤は、今もなお昔に破壊したコーラプリンク連星系の片割れをお供にして、更には他の恒星をも巻き込んで、その恒星物質を引き寄せている。
お陰で。エネルギーの蓄積量が跳ね上がっている。そのために、次回の爆発は今までの規模を遥かに上回ると予測されている。
次に新星爆発を起こしたら、惑星ナチュアの自転軸は大きく傾き、ポールシフトを起こして地殻が崩壊すると予想された。
幸いにも、我々の発見が早く、アイゲーストの築造が間に合ったので、その危険は回避された。
新星爆発がもたらす衝撃波程度なら、アイゲーストが惑星を守ってくれるだろう。
しかし、もし仮に新星爆発を誘発するガンマ線バーストが指向性を持って惑星ナチュアに直撃した場合、アイゲーストの現在の強度では不安でしかない。
実際に、数千万年前に直撃された惑星が崩壊した痕跡が残っている。
それまでに、中性子星の方向へ向けた多重エネルギー拡散シールドの建設が急務だ。なんとしても、惑星ナチュアを含むコーラプリンク恒星系を守らなければならない。
幸運をもたらした中性子星が、悪魔の星とならない事を願うばかりだ。
「Mr. ファンター、後15分程で惑星ナチュアの周回軌道に入ります。」
「ん、そうか、間もなく到着か。」
船長の声が私を現実に引き戻した。
やれやれ、周りの状況を忘れる程に熟思黙想していたらしい。船長が怪訝な表情で私を見ている。
私はコホンと一息入れてブリッジを見渡す。
他のクルーは私の事を気にした様子はなく、職務を全うしている。
うむ、なによりだ。
あらためて、ブリッジの前面にある大型モニターを見ると、惑星ナチュアが画面いっぱいに広がっていた。
全体的に青く輝いていて、陸地の部分が茶色く見えている。我々の母星に似ているが、透明感が段違いだ。
見惚れるほどに美しい星だ。オレンジ色に鈍く輝いていた中性子星の膠着円盤を見た後では、尚更そう感じられる。
そして、惑星全体をアイゲーストが網目のように覆っているのが見える。
黒く伸びるシャフトが連結し合って六角形を作り、その繰り返しでハニカム構造をなして、惑星全体を覆いつくす球面を形成している。
正確な幾何学模様を成しているので美しいともいえるが、惑星を覆っている姿は牢獄のように感じて、薄ら寒い印象を受ける。
残念ながら、惑星ナチュアの美しさを損ねているのは確かだ。
もっとも、シャフトは直系250m程と細いので、近くで見ない限りは肉眼では認識できない。また、光を反射しないようにコーティングされているので、恒星からの光を吸収してしまう。
地上からも見る事は出来ないだろう。
「Mr. ファンターはその後、惑星ナチュアに降りられるんですよね。羨ましい限りですね。」
「役職特権だな。なあに、あと数年もすれば一般人も『グリューサー大陸』に降りられるようになるよ。」
「そうですな、楽しみにしていますよ。」
船長の言葉に、優越意識をくすぐられる。
船長は何度もこの惑星の軌道上まで訪れているのに、実際に惑星に降りた事は無い。
惑星がまだ一般人には解放されていないためだが、目の前に餌をぶら下げられた状態で、もどかしい限りだろう。
望遠カメラを使えば地上の様子が判るだけに、余計にヤキモキするだろうな。
今回は私の急な決定に付き合わせてしまったのだ。世話になったお礼に、お披露目会には招待するとしよう。
「船長、間もなくランデブーです。」
「了解だ、副長。
Mr. ファンター、本船はアイゲーストのランデブーポイントにアクセスします。ここでコンテナの荷物を移送しますが、ランデブーはちょっとした見ものですよ。」
「ああ、私はそれを楽しみにしていた。見学させて貰うよ。」
円柱形のコンテナを幾つも連結した宇宙船はゆっくりと惑星を取り囲むアイゲーストに接近して行く。
ゆっくりに見えるのは、静止衛星軌道面にあるアイゲーストの赤道の相対速度に合わせているからだ。実際には約秒速3kmのスピードで移動している。
アイゲーストの赤道上には宇宙船のランデブーポイントが設けられており、宇宙船の発着と貨物の受け渡しを行っている。
着船ポイントから誘導灯のレーザー光線が伸びてくる。
「誘導灯レーザーキャッチ。シンクロ。」
「相対速度合わせ。毎秒0.1kmで減速。」
「貨物受け取りサイン、確認しました。」
「コンテナゲート、オープン。」
仕事に励むクルーの認証呼称が聞こえてくる。
ブリッジのメインモニターには、惑星の輝きをバックにアイゲーストの滑走路が迫って来る様子が映し出されている。
サブモニターには、アイゲーストに設置されたカメラの映像が映し出されている。
それは宇宙船を真横から捉えていて、誘導灯に沿って滑走路の上を走る様は、大昔の列車を連想させた。
まるで列車が宇宙を走って来て、惑星に降り立つようにも見える。
コンテナの下面にあるゲートを開いたまま、宇宙船は滑走路を走る。
そのまま走っていると、滑走路の一部が凹んで内部へと通じる通路が口を開いた。
「貨物受領口オープン。」
「貨物射出準備。」
「シンクロ、射出!」
クルーの声と共に、コンテナから次々と積荷が打ち出され、アイゲースト内へと収納されていく。
大量に放出されて落下していく積荷を見ていると、大昔の戦争映画で見た絨毯爆撃を連想させた。
自分でも不謹慎だと思うが、気持ちが昂って心が躍ってしまった。やれやれだ。
それが数分間続いて全ての貨物が打ち出され、貨物の受け渡しは終わった。
滑走路の受領口は閉じられ、同時にコンテナのゲートも閉じられた。
が、その後も宇宙船はアイゲーストの赤道上を超電導接続を続けたまま走り続ける。
「貨物の受け渡しが完了しました。」
「了解した。ご苦労様。」
船長の挨拶をもって仕事は完了した。
これで惑星ナチュアへの物資の運び込みは終了となる。
これ以降は、全ての資材や物資が恒星系内で調達されて、アイゲースト内で作り出されていく。完全な自給自足体制が整った事になる。
ようやく一つの仕事の区切りが出来た。
今までの努力と苦労を思えば、感慨深いものがある。
しかし、私の仕事はこれからが本番だ。
これから惑星に降り立って、いろいろと見て回る必要がある。
「船長、良い見物をさせて貰った。素晴らしい仕事ぶりだった。ありがとう。」
「ありがとうございます。いやあ、そう真っ直ぐに言われると面映ゆいですな。クルーが優秀なお陰で助かっていますよ。
Mr. ファンターはこれから直ぐに惑星に降りられるのですね。」
「ああ、下では息子が待っているはずだ。」
「さようですか。」
「すまないな、船長にはお世話になった。この礼はあらためてするとしよう。」
「それには及びませんよ。わたしは自分の仕事を全うしただけですからね。」
Mr. ファンターは自分の席で横になると、リンケージカプセルを閉じてアバターとの接続を切り離した。
それを見届けた船長は、宇宙船の発進準備に入る。
宇宙船はそのままアイゲーストの滑走路を走りながら加速していく。
超電磁誘導による加速だが、宇宙船が発する力場と干渉して、その干渉光が赤道面と周辺のシャフト上を走っていく。
それはまるで、惑星を覆うように雷が走っているようにも見えた。
そして、赤道面を半周したところで、宇宙船は滑走路から離れて銀河の光の中へと飛び立って行った。
☆ ☆ ☆
惑星ナチュアには五つの大陸が存在する。そのうちの一番小さな大陸がグリューサー大陸と呼ばれている。
その大陸のほぼ中央、経度0北緯45度の地点に、アイゲーストから地上に吊り下げられるように八角柱の柱が一本伸びている。
柱は通称『グリュンペス』と呼ばれている。
天と大地が繋がる意味を持つ、我々の神話から名付けられた。
グリュンぺスは惑星上に十本伸びているが、主軸となる北極と南極の二本は自転軸を安定させる働きをしている。
他の八本は、東西南北の北緯45度地点と南緯45度地点に伸びていて、惑星の中心核の形状バランスが崩れるのを防いでいる。八方向から中心核の歪度と尖度を計測して磁場圧力によるバランス調整を行い、主軸にかかる圧力を均等化している。
また、アイゲースト及びグリュンぺスを稼働させているのは、恒星風によって運ばれてくるプラズマを利用している。
アイゲースト全面で収集したプラズマを次元圧縮して高密度化し、プラズマ振動を引き起こす。これによって生じる超電磁界をエネルギー源としている。
一見、グリュンぺスは地上と繋がっているように見えるが、実際には地上より100km程掘り下げられた所に浮いた状態で終わっている。
その地下へと入り込んだ部分を覆い隠すように、距離を取った防護壁が取り囲んでおり、生成された超電磁界を流用してグリュンぺスを非接触で繋ぎ止めている。
これは星震や地軸のずれによって、地上とグリュンぺスの底部が完全に同期していないためだ。ミクロ単位で見ると、柱は常に揺れ動いているのが確認できる。
また、グリュンぺスの大質量を支えているのは、次元転移システムの磁場反転による反重力によるものだ。このシステムによって、グリュンぺス及びアイゲーストの質量をキャンセルしている。
これにより、惑星の質量増大を抑えて、従来の惑星軌道ならびに衛星軌道を確保している。
現在、グリュンぺスは内側の一部を軌道エレベーターとしても稼働しており、母星や他の小惑星等から運び込まれた建築資材や加工物資を地上へ送る役目を果たしている。
やがては、それらを使って様々な観光施設が地上に作られるだろう。
その一例として、後にグリュンぺスの表面上を走る、観光用エレベーターが設置される予定だ。
地上から300km上空にある惑星展望室への旅が出来るようになり、平らな地上が球体からなる惑星へと変化していく様子を直接見られるようになるだろう。
こういった目的で作られたグリュンぺスだが、直径が300m近い柱が天まで伸びている様は、まさに圧倒的で、下から見上げるとその存在感に押しつぶされそうな印象を受ける。
が、生憎と今は夜中なので、黒い柱は闇に紛れて目立たなかった。
地上には、グリュンぺスを取り囲むように様々な研究施設や工場、人々が生活する住居施設などが建てられている。
その一角にあるアバター研究所の一室で、一人の青年が眠気を堪えて欠伸をしていた。本来なら寝ている時間だが、父親が訪ねて来るので、アバターを収納しているリンケージカプセルの前で待っていた。
少しすると、リンケージカプセルに反応があり、安全を示すグリーンランプが灯るとカプセルの扉が開いた。
それとほぼ同時に中に居た父親のアバターが起き上がる。
「いらっしゃい父さん。」
「『リッカード』か、久しぶりだな。元気そうで何よりだ。すまないな、こんな時間に訪ねてしまって。」
「父さんこそ、元気そうで良かったよ。こんな時間に訪ねるしかない程忙しいんでしょう。」
「ははは、まあな。」
父の『クエード』はリンケージカプセルから出て立ち上がり、体をほぐす様に軽いストレッチを始める。
「ん、ん、ん。おお、良いなこの身体は。普段使っているモノより軽快だな。」
「見た目の年齢より、かなり若い肉体年齢に設定してあるよ。しかもこの惑星の原人特有の超越力が備わっているからね。本星のモノとは比べ物にならないよ。」
「確かにな。お前が滅多に帰って来ない訳だ。これに慣れてしまうと向こうのは使う気がしないだろうな。」
「そうだけど、アバターの連続使用時間のテストも兼ねているからね。」
身体のほぐれた父は、シャドーボクシングを始める。
身体の性能を確かめているんだろうけど、楽しそうで何よりだ。
一通り型を終えると、最後にジャンプしながら空中で弧を描く様に方向転換して見せた。
この身体になると誰もがそうしたくなってしまう。実に良く解る。
満足した父を伴って、僕は24時間営業をしている社員食堂に向かった。
この惑星にはまだ何もないに等しい。街も無ければ、人も僅かしか居ない。僕が所属する女神計画公社の社員だけだ。
幸いにも、時間に不規則な研究員が殆どなので、食堂は24時間営業している。
もっとも、食堂は完全無人化されてロボットが作っているので、セルフサービスとなっている。
飾り気のない食堂でコーヒーを飲むのも味気ないので、コーヒーを受け取ってから父と一緒に外に出た。
深夜の野外は暗くて若干肌寒いけれど、今はその夜風が心地好く感じる季節だ。
手付かずの自然が溢れるナチュアには虫も沢山いるが、このアバターの能力でもある《フィールド》を展開する事で、虫を近寄らせず鬱陶しい思いをしなくて済む。
「むう、凄いものだな。」
「慣れれば、父さんも直ぐに出来るようになるよ。」
僕と父は建物の脇にある公園の芝生に腰を下ろした。
ここは外灯の明かりも無いので真っ暗だが、その代わりに母星では見られなくなった満天の星空がある。
「おおっ!凄い星空だな。無数の星々の中を天の川が輝いているぞ。」
「今日は月が出ていないからね。星がより奇麗に見えるよ。」
「星の瞬きは良いものだな。宇宙で見る星は寒々しく感じるが、地上から見ると温かみを感じて安らぎを覚えるな。」
暫くの間、コーヒーを楽しみながら、無言のまま二人で星空に見入る。
満足した父は、僕に目で合図をすると二人を包み込む防護幕を展開した。
これによって外部への音が遮断され、ぼやけて見えるようになる。
情報漏洩を防ぐための処置だが、これからの会話にそんな物が必要なのかと、僕は身構えた。
コーヒーを一口飲むと、父は用件を切り出した。
「リッカード、以前に渡したゲームはプレイしてみたか?」
「うん、やってみたよ。面白くてさ、休日は夢中になって一日中やってたよ。」
「そうかそうか、それは何よりだ。」
父が満足そうにニヤリと笑う。
あれ、あのゲームってそんなにヤバいものなのか…
「父さん、あれっていったい何なの?全く知らないゲームだよね。レトロゲームかと思ったら、そうでもないしさ。
しかも操作性がどんなゲームとは全く違うし、何より世界観が凄く異質だよね。まあ、凄く面白かったけどさ。」
僕の食いつき方に、父はもったいぶったようにかなりの間を置いてから答えた。
「実はな、あれらは異星人のゲームなんだ。」
「えっ!!!」
突拍子もない父の答えに、僕は驚くことしかできなかった。
呆然とする僕に父は言葉を続ける。
「これはまだ公にされていないが、我々の母星から一万光年ほど離れた宙域に知的生命体が存在している惑星がある。まだ恒星系外には進出してないが、それなりに文明が発達している。」
衝撃的だった。
我々人類は大雑把ではあるが、銀河系の探査はかなり進んでいる。
今まで幾つかの惑星で文明の痕跡は見つかっているが、遥か昔に滅んでいて、新しいものでも一万年以上が経っているとされている。
後はこの惑星ナチュアのように、これから数万年から百万年の間に文明を興せる可能性があるとされている惑星がいくつか発見されているくらいだ。
それなのに、今現在文明を発展させている惑星があるなんて思いもしなかった。
確か有名な宇宙理論学者の説が、説得力を持って現在の定説となっている。
それは、文明には寿命があるという説だ。
その説によると、文明の寿命は十万年から百万年が限度とされている。殆どは一万年以内に自滅すると考えられている。
百億年以上も続く銀河系の歴史の中で、一つの文明が栄えて滅びるまで一瞬の間でしかない。それが同時期に二つ現れるのは非常に珍しいとされている。
寂しいとも思えるが、それは考え方次第だろう。
仮に、一つの銀河に一つの文明があるとして、一万年毎に文明が生まれては消えるとしよう。
宇宙には一兆個以上の銀河があるので、宇宙全体で見れば一兆以上の文明が栄えては消えている事になる。
その観点で言うと、宇宙は常に文明で溢れているのだ。
もっとも、銀河間の距離は途方もなく遠い。文明同士が交流を持つのは実質的に不可能とされている。
「それは大事件じゃないか!なぜ公表しないのさ。」
思わず興奮して叫んでしまったが、父は僕を諫めながら残念そうに答えた。
「発見されてから30年程、かなり詳細に調査しているが、その惑星の文明は近い将来、ほぼ間違いなく滅んでしまうという研究結果に至った。」
「えっ!?」
父の言葉は衝撃的ではあったけど、殆どの文明が一万年以内に自滅しているのなら、それは十分にありえる事だ。
その惑星の住人は、常にどこかしらで戦争状態にあるらしい。短期間に二度も世界大戦を経験しているのに、それを反省もしない。
今では惑星表面を破壊しつくす程の核兵器を保持しているというのにだ。
最近では、三度目の大戦の機運が高まっているという。
とにかく利己的で好戦的な種族らしい。
手助けはしないのかという問いに、主要国首脳への打診は行ったらしい。
が、無視されるか秘匿されてしまったようだ。
そのため、現在は静観している状態にあるという。
なにせ、我々は異星文明との交流経験が無い。
それが何をもたらすのか未知数だ。
好戦的な文明だと、いずれ我々に被害をもたらす可能性が高い。
彼らがさらに文明を発展させて恒星系外へと進出するのなら、その時に対応すると決定されたようだ。
しかし、研究機関の回答は99%以上の確率で自滅という事だ。
なんとも切ないな…
「そんな訳で、現在は接触を避けて秘密裏に文明の記憶や文化形態を記録している。文明がどんな経緯で滅んでいくのか、研究の価値はある。」
そんな中で見つけたのが、大衆娯楽として人気のあったあのゲームだという。
神話の中で、神々と共に人間や他の種族が混然一体となって戦い、勝利を掴み取っていく。単純ではあるが、様々なモンスターと戦いながら人間のドラマが展開されるのは、実に心が揺さぶられた、と。
それは同意できる。
僕も野蛮だと思いながら、心が湧きたって燃えるという体験をしたからな。
あの形容しがたい興奮は、根源的な魂の昂りを思い起こさせてくれるような気がした。
「それでだ。今回の女神計画にその世界観を取り入れてみようと思っている。」
「そうなの?」
「ああ、単なるレジャー施設だけで終わらせずに、ゲーム体験ができるダンジョンというものを作ってみようかと思ってな。」
「それって、あのゲームの世界を実際に体験できるって事?」
「そうさ、この惑星のアバターなら勇者のような動きが可能だからな。」
ニヤリと笑う父の瞳は、少年の好奇心満載の輝きを放っていた。
僕はそんな父の態度に気圧されながらも、面白いかもしれないと思い始めた。
父の意見に同意すると、深く頷きながら畳みかけるように用件を告げられた。
「それでなリッカード、新しい部署を立ち上げるので、お前はそこの主任となり、モンスターの制作を担当して貰いたい。」
「えっ!」
確かに僕はアバター生物学を専攻している。
あらゆる生物の遺伝子を書き換えて、キメラ的生物を作り出す事は可能だ。
本来は禁忌とされている研究だが、生物の多様性を引き出すという意味では重要な研究でもある。
父は個人的に信頼できる人間として、僕を選んだのだろう。
新たな研究に着手できる。
僕の中で情熱が生まれてくるのを感じた。
手始めに、『スライム』とかいう摩訶不思議なモンスターに挑戦してみようか。
ニヤニヤする僕を見て父が呟いた。
「決まったようだな。」
プライバシー確保の防護幕を消すと、再び満天の星空が目の前に広がった。
しかも、時間の経過によって東の空には発光星雲が広がり、夜空の3分の1程を占めていた。
「おおっ!凄い眺めじゃないか!なんて美しいんだ!!!」
「うん、これはどんな景色よりも圧倒的だよね。」
淡く光る赤いモヤの中を多種類の色の輝きが複雑な模様を描きながら輝いている。まるで適当に絵の具をぶちまけたような感じだけど、数億年をかけて作り出した自然の造形は、人間の理解を遥かに超えた創造性に満ち溢れている。
父と二人でしばしの間見入っていた。
「さっきまで、宇宙船の中からモニター越しに見ていたが、まるで印象が変わるな。このスケールの大きな美は、失われた女神の存在を思い起こさせる。」
「太陽神を誘う、曙の女神『エーイオンネ』様だね。」
僕たちの世界では、神話はほとんど忘れられた存在だけど、今回の女神計画を推進するにあたって、関係者は一通り講義を受けている。
魅惑に満ちた夜の女神『ニュクルーン』様の、魅了の魔力を取り除く露払いをするのが女神エーイオンネ様だ。
そして、清浄化された道を通って天を昇って行くのが、創造神『グリューサー』様の息子の太陽神『ヘーリーオルト』様だ。
この美しい発光星雲は地上から見ると感動的だけど、その歴史を知って宇宙から見ると複雑な心境になるだろうな。
特に父の立場なら尚更だろう。
父はさっきまで、この星に災いをもたらすかもしれない中性子星を見ていたのだろう。
この発光星雲は、中性子星を取り巻く降着円盤が引き起こす、回帰新星爆発の残骸だ。約千年毎に爆発を起こし、恒星物質をプラズマ化させて宇宙空間へ放出する。それが複雑に絡み合って重なる事で、こうして美しい景色を作り出している。
しかし、その新星爆発を誘発する指向性ガンマ線バーストがいつこの惑星ナチュアに向かうのか、未だに予測できていないからな。周辺の重力場が不安定なためだ。
まあ、それでも確率的には殆ど無いに等しいという発表だけどな。
父は冷めたコーヒーの残りを飲み干して、一息ついた。
「今回の惑星ナチュアへの出張は有意義なものになりそうだ。お前の了承も取れたし、興味ある見物も出来た。明日からの会議も、前向きに対処できる。」
「そう、それは良かったよ。」
一つ肩の荷が下りたと、父は役職者の表情から父親の顔へと変わった。
「これでお前が結婚して子供でも作ってくれれば、私としては言う事は無いのだがな。」
ごほっ!ごほっ!ごほっ…
飲みかけのコーヒーを吹いてしまった。
「な、なんだよ急に。け、結婚してくれる相手なんて、そうそう見つからないよ。」
「そうなのか。研究は楽しいだろうけど、そればかりでも味気ないだろうにな。」
そう言いながら、父はある方向を見た。
そっちへ目を向けると、一人の女性が樹の陰で佇んでいた。
「『レイカール』研究員…」
「あっ、ご、ごめんなさい、親子水入らずのところ邪魔しちゃって…
眠れなくて、発光星雲を見に来たら、ファンター研究員の声がしたので…」
「ほう…」
レイカール研究員はワタワタと焦りながらばつが悪そうにしている。
父が悪戯っぽい視線を僕に投げかける。
う~むむむ…
どうすればいいんだ?
父に紹介すべきなのか…
しかし、レイカール研究員とはまだそんな関係でも無いしな…
「それじゃあな、リッカード。私は今日の仕事に備えて一眠りするとしよう。」
父はレイカール研究員に軽く会釈すると、スタスタと行ってしまった。
レイカール研究員は焦りながらも、大きく腰を曲げて父の挨拶に応える。
父の姿が見えなくなると、レイカール研究員は近くにやって来た。
「ほ、本当にごめんなさいね。星を見ていたら、急にあなたたちが現れるんですもの。びっくりしちゃって…」
「こっちこそ、ごめんよ。こんな暗い中で防護幕を張っていたから気付かなくて当前さ。」
「そう、とても大事な話をされていたのね。」
そうだ、とても大事な話だ。
どうする、これはチャンスじゃないのか。
心臓の鼓動が一気に跳ね上がった。
僕は勇気を振り絞って、レイカール研究員の手を握った。
「レイカール研究員!ぼ、僕は君が欲しい!君が必要なんだ!」
「えっ、……………えええええーーーーーっっっ!!!」
レイカール研究員はポカンとしたと思ったら、真っ赤になって驚いた。
そして、さっき以上にワタワタし始めた。
「そ、そんな!いきなり過ぎるわ!そ、そういうのはもっと段階を踏んでからでないと…」
「だって、グズグズしてたら他の人に取られてしまうかもしれないじゃないか。」
「そ、そんな事無いわ。わたしは一途なのよ。」
レイカール研究員は、僕が握った手を両手で握り返してくる。
真っ赤になりながらシッカリと僕を見つめ返す顔は、とても魅力的だ。
「良かった。それじゃあ、OKなんだね。」
「ええ、勿論だわ。」
ホッとした僕に、レイカール研究員は優しく微笑んでくれる。
よしよし、前途は明るいぞ。
「良かった良かった。君に断られたらどうしようかと思ったよ。
レイカール研究員は古生物遺伝子研究のエースだからね。君が居るのと居ないのじゃあ大違いだよ。」
「えっ…」
「ようし、それじゃあ、これからメンバーを募らないとね。レイカール研究員も伝手をフルに活用して誘って欲しいんだ。」
「あ…あの………なんのお話?」
レイカール研究員は僕の手を離すと、距離を取って訝しんでいる。
「なにって、新しい研究の……って、そう言えば話してなかったかな。
僕、こんど新しい研究部署を立ち上げるので、そのメンバーを募集しなくちゃいけないんだ。」
ゾクゾクゾクーーーーーーーーーーっ!!!
その言葉を言い終えた時、僕の身体をゾクリとした恐怖が貫いた。
そんな体験は初めてだったので、咄嗟に助けを求めようとレイカール研究員を見た。
しかし、そこにあるのは絶対零度の眼差しだった。
もし、指向性のあるガンマ線バーストを浴びてしまったら、こんな感じなんじゃないだろうか。
「そのお話、しばらく考えさせて貰うわ。」
ツンと顔を背けると、レイカール研究員はスタスタと去って行った。
僕はその場に、言葉なく立ち尽くした。
あれ~~~、僕なにか、やらかしちゃったのかな?
同じ研究室の一員になって、仲良くなって食事でも誘ってっていう、遠大な計画だったのに………
ふう…
女心はどんな宇宙論よりも難しいよ。
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