第三十一話 告白
昼食を食べ過ぎてしまったので、ジリアーヌの馬車で一休みする。休憩時間は一刻(2時間)程あるので、シエスタを楽しめる。
シエスタはラテン系のスペインなどで取り入れられている長い休憩時間だが、多くの者は昼寝をしたりする。
あくせく働いて昼食すら禄に取れない日もある、日本の労働者とは大違いだ。時計の無い時代の、こういったのんびりした生活スタイルは実に素晴らしいと思う。
サラリーマン時代は、働きすぎで実際に鬱になったり自殺した者を何人も見てきたので、本当に嫌な国と会社だと思ったものだ。
そうなるのが嫌で、俺は仕事を程々にして出世を諦めた。お陰で給料が下がって妻に責められるようになったけどな。
今考えると、それが離婚への序章だったんだろうな。
っと、いかんいかん。年を取るとどうも愚痴っぽくなってしまうな。
馬車の中でジリアーヌが海綿を使って体を拭いてくれる。多少汗ばんでいたので有り難い。
海綿は天然のスポンジで、海に生息する動物としてどこにでもいる。日本でも天然スポンジとしてごく普通に売っている。この世界にも普通に生息しているようだ。
天然素材なので体に優しく、皮膚の古い角質層や毛穴の汚れを取り除くのに適している。昔からそうした用途に使用され、女性の生理用品としても使用されている。
また、この世界ではトイレットペーパー代わりにも使用されていて、洗いながら繰り返し使用している。
まあ、洗うのは大変だし、精神的にストレスだけどな。
体を拭いて貰っている間、ジリアーヌのお願いでさっき倒したチャービゾンとの戦いの話をした。
ジリアーヌも昔にパーティでチャービゾンと戦ったようで、仕留めるのに随分と苦労したらしい。
あれだけ強靭な皮膚と凶悪なサイのような角は、並の攻撃では攻略は難しいだろうし、攻撃されたら人間の着る防具など紙同然だろう。しかも《フィールドウォール》の強さが半端ないので、攻撃も殆ど受け付けない。
唯一の欠点は直線的な動きしか出来ないので、そこを利用するしか無いだろう。そういう意味でも、普通とは違う俺の戦い方には興味があるようだ。
俺はちょっと悪戯を思いついて、小石を使ってジリアーヌに実演してみせた。
目の前でグルグル回る小石に目を奪われて目を回し、フラフラと俺の方に倒れてきた。俺はジリアーヌの体を受け止めながらベッドに倒れ込む。
「凄いわ!こんな倒し方があるなんて夢にも思わなかったわ。」
「俺も半信半疑だったけど、予想以上に効果があったよ。」
「ディケードは天才ね、本物の〈超越者〉だわ!」
心底そう思うという感じでジリアーヌが見つめてくる。少し照れくさいが、ここまで素直に称賛されると悪い気はしない。
俺の体に被さるジリアーヌの柔らかな体が良い匂いと共に俺を刺激する。
思わず抱きしめて頭を撫でる。普通の人間の頭と違い、キツネ耳があるのでそこで手が止まってしまう。
俺はキツネ耳の形をなぞるように撫でてから、後頭部へと手を滑らせていく。
「あっ…」
ジリアーヌが俺に体を預けながら、目を細めて気持ち良さそうに微笑む。
キツネ耳に生える毛は髪の毛とは感触が違うので、撫でるとその違いが手の平に心地良い。
「ディケードに撫でられると凄く安心するわ。変ね、私の方がずっと年上なのに、お父さんに撫でられていた時の事を思い出すわ…」
「はは…そうかい、俺はジリアーヌに女しか感じないけどね。」
「勿論、その方が嬉しいけど、ディケードがわたしよりもずっと強いからかしらね。」
「さあ、どうなんだろうね…」
実際には俺のほうが倍以上も年上なので、ジリアーヌがそう思うのも自然なのかも知れない。まあ、本当の事を打ち明けた所で理解出来ないだろうしな。
もしかしたら神の御業とかで信じるかも知れないけど、関係が複雑化して厄介事が増えるだけのような気がする。適当にぼかしておくのが良いんだろうな。
ジリアーヌの頭を撫でていると、項で手に異物感を覚えた。どうやらネックレスに当たったようだ。
「っつ!」
ジリアーヌが痛がったので、髪の毛でも絡まったのだろうと思い、謝りながら解こうとした。
項を覗き込むと、ネックレスの一部が肌に刺さっているので驚いた。
俺が慌てて抜こうとすると、ジリアーヌに強く反発された。
「だ、だめっ!」
「これは『奴隷環』よ。無理に抜いたり外したりしたら発狂してしまうわ。」
「なっ!…す、すまん。知らなかったよ…」
「普通はこのネックレスを見れば奴隷だって判るけど、体と繋がっているって知っているのは、奴隷商か奴隷を使役する者くらいよ。無関係の者はただネックレスをしているだけだと思っているわ。」
ジリアーヌが奴隷だとは聞いていたけど、このネックレスが奴隷の証なのか。
だから、ジョージョたちもジリアーヌを奴隷だと知ってたんだな。
そういえば、バーバダーや三人の少女たちも同じようなネックレスをしていたような気がする。アクセサリーなんて興味が無いから気にもしていなかったけどな。
「でも、普通は触ったくらいで痛みは感じないのに変ねぇ…」
ジリアーヌは自分で項を触りながら痛みが無いのを確認している。
項部分に埋め込まれているって事は、多分神経束に繋がっているか関連してるんだろうな。俺の纏っている《フィールドウォール》が干渉を及ぼしてしまったのかも知れない。
それにしても、ネックレスの一部分が体に埋もれているなんて恐ろしいな。
ピアスみたいな物かもしれないけど、何か意味でもあるのか?
俺が疑問を抱いているとジリアーヌが答えてくれた。
ジリアーヌたち奴隷が身に着けている《奴隷環》は、奴隷の持ち主であるクレイゲートが持っている『操作鍵』と魔法で繋がっていて、ある一定以上は離れられないらしい。もし離れてしまうと埋め込まれた部位に激痛が走るとの事。
また、《操作鍵》の方から任意に痛みを与える事も出来るそうで、主人の命令に背いたりすると痛みの罰を与えられるらしい。この《奴隷環》があるかぎり、決して自由の身になる事は出来ないようだ。
「しょうがないわ。借金を返せなかった自分のせいだもの…」
ジリアーヌはフッと諦めたような表情で笑顔を貼り付けた。
何とも重い話だ。
借金と言っても、元々は仲間の裏切りで怪我をしたからだ。それで奴隷落ちして娼婦をやらされているのでは、堪ったもんじゃないだろう。
ジリアーヌの心情を思うと、掛ける言葉が見つからない。
「ごめんなさい、こんな話をしてしまって。ディケードには関係ないのにね…」
「いや、ジリアーヌの事を少しでも知れて良かったよ。」
俺は愛おしさがこみ上げてきて、ジリアーヌを強く抱き締める。
ジリアーヌは驚きつつも、俺に身を預けた。
昨夜、ジリアーヌが奴隷になった経緯を聞いたが、その時はまだ他人事だった。
身体を重ねて情を交えた今は、ジリアーヌを身近に感じて大切に思える。出来るなら、少しでも苦悩を和らげたいと願う。
「このまま時が止まってしまえばいいのに…」
「そうだな。」
ジリアーヌが俺の胸に顔を埋めながら呟く。
俺も妻と恋人同士の時は、こんな風によく身体を寄せ合っていた。あの時はただそうしているだけで幸せを感じられた。
数十年ぶりに味わう、何とも言いようのない甘くて切ない感情だが、俺と居ることでジリアーヌが少しでも癒やしを感じてくれればと思う。
「わたし、ディケードの世話役を命じられて凄く良かったわ。」
「そうなのか?」
「最初は貴族様のお世話なんてって思ったけど…でも、あの飛竜を一人で倒す男がいるなんて信じられなかったし、凄すぎて少しでも近づけたらって思ったわ。」
俺が裸で女を追いかけ回す変態だったのに?と混ぜ返したが、それでも抱かれたいと思ったと返された。
どうせ、娼婦の自分は汚れた身だし、それならいっそこの野獣のように薄汚れて臭い男を受け止めてみたいと思ったと。
おいおい、そんな風に思っていたのか…
その野獣のような男は、戦いも凄かったけどあっちの方も凄かった。まるで嵐のように自分を抱いて、あっさりと蹂躙しつくしてしまった。まるで自分なんか取るに足りない存在なんだと思い知らされた、と。
それだけならまだしも、単なる体力お化けではなくて、あの切れ者のクレイゲートまで交渉で屈服させてしまった。
もう全てがわたしの存在と理解を越えた所にいる男。それがディケード・ファンターだと。
「だからお願い。この旅の間だけでいい、わたしは全身全霊をかけてディケードに尽くしたい。」
真っ直ぐに俺の目を見て、ジリアーヌは打ち明けた。そこにはただならぬ覚悟が見て取れた。
俺は思わず生唾を飲み込んでしまった。人生において、こんな強烈な告白をされたのは初めてだ。
まあ、普通の告白も殆ど無いのだが。
「ありがとう、凄く嬉しいよ。ジリアーヌがそんな風に思っていてくれたなんて思いもしなかったよ。でも、俺なんて実際はそんなに凄い男じゃ無いんだけどな。」
「そんな事ないわ。ディケードは凄い。凄すぎるわ!」
ありゃりゃ、凄い勢いで否定されてしまった。俺は自分を卑下する事も許されないようだ。ジリアーヌは思い込みが激しいタイプなのかね。
まあ、恋なんて思い込みの極致状態みたいなもんだからな。ジリアーヌの想いが恋かどうかは判らないが。
でも、実際の所、俺という人間は本当に大した事のない平凡なサラリーマンだったんだよな。それがたまたまディケードという鎧を身に纏ったお陰で凄く見えてるだけだ。
だから、飛竜を倒しただのクレイゲートをやり込めただのと言われても、自分を褒められている感じがしない。
たまたま宝くじに当たって金持ちになったようなもんで、そこには自分の努力や経歴は全く関係ないからな。
まあそれでも、こんな凄い美人のジリアーヌにそこまで言われて悪い気はしない。というか、メチャクチャ嬉しいのは確かだ。
このチャンスを逃したら、そんなに良い思いを出来るのは今後無いと思える。
ディケードの身体は鎧ではあるが、俺の身体なのは確かだし、今では俺そのものと言っても良いと思う。俺はもうこの身体で生きていくしかないのだ。
俺は自分をそう納得させて、ジリアーヌを受け入れる事にした。
「ありがとう、ジリアーヌ。俺の方こそジリアーヌに見合う男であれば良いんだけどね。宜しく頼むよ。」
「ディケード!嬉しい、嬉しいわ。ありがとう。」
ジリアーヌが俺に抱きついてギュッと締め付ける。キツネ耳がピンと開いてピコピコ震える。
ジリアーヌのよく鍛えられたしなやかな体を覆う、女性独特の柔らかさが俺を圧迫する。好い匂いを伴ったこの心地好さは何とも魅力的だ。
この良いムードの時を楽しんでいたいと思うのだが、いかんせん若い身体は過剰なまでに反応してしまう。
自己主張し始めたジュニアに当然ジリアーヌも気付いてしまう。
「あら、やっぱり若いわね。」
「ごめん、なんかムードを壊しちゃって…」
「そんな事ないわ。ディケードに女を感じてもらえるなんて嬉しいもの。」
ジリアーヌはそっと唇を重ねてきた。
「ふふ…少ししか時間無いけど、する?」
「ん〜…凄く魅力的な提案だけど、一度始めてしまえばまた我を失って暴走してしまいそうだしなぁ…」
「確かにそうね、ディケード、一度や二度で終わらないものね…」
二人で苦笑いをする。
「じゃあ、少しの間じっとしていて。」
ジリアーヌがそう言うと、後ろへ下がって俺のズボンを下ろし始めた。
ジリアーヌのキツネ耳が上下に動き始める。
俺はその艶めかしいキツネ耳の動きを見ながら、ジリアーヌの言う通りにじっとしていた…
「うぅっ…!」
快感の爆発と共に様々なディケードの記憶が脳裏を駆け巡る。
幾つものビジュアルや想いが現れては消えていく。
思うに、女性の体液を交えた快楽物質の放出が、封じ込められた記憶の開放に繋がっているのかもしれない。自慰ではこんな現象は起きなかったからな。
最初は驚きでしか無かったが、今は少し慣れて、少しでも記憶を失いたくないという思いと、快感の余韻に浸りたいという思いが交差して葛藤を生み出していく。
記憶の中から幾つかの情報を得られた。
その中でも、ケモ耳と尻尾の理由と《奴隷環》についての情報がより明確に思い出された。多分、さっき話題にして強い印象があったので、記憶が関連付けられたのだろう。
まずケモ耳と尻尾だが、何の事はない、これは単なるファッションだった。
俺の体は、本来が異星人であるディケードのアバターであり、この惑星の原人を遺伝子改造したものだ。それは他の異星人たちのアバターも同様だ。
その際に、アバターをより個性化するために異星人たちは趣味でケモ耳と尻尾を体の一部として取り付けたのだ。しかも単に付けただけでなく、神経を通わせ筋肉組織を移植して手足と同じように扱えるようにした。
これにより、獣人となるアバターが出来上がった。
獣人は殆どが女性で可愛らしさを強調するのが目的だったが、当然可愛い女性が居ればそこに群がるのが男の性だ。
アバターによる自由恋愛関係が至る所に出来上がり、それは性行為へと発展していく。その中で、ケモ耳や尻尾が性行為の重要なファクターになっていったのは、想像に難くない。ケモ耳や尻尾が性感帯として変化していったのは当然の帰結だろう。
まあ、そういう風にケモ耳と尻尾を持つ獣人アバターが作られていったのだが、解らない事もある。
アバターは元々この惑星でゲームをしたりレジャーを楽しんだりする異星人のために作られたものだが、後々に問題とならないように妊娠できないようになっていたはずだ。
それなのに、ジリアーヌたちの種族を見ていると、当たり前のように子を作り、種族の存続が維持されている。それはクレイゲート親子を見て確信した。二人の容姿は驚くほど似ていて、近親である事が伺える。
ディケードたちが居た時から後に、妊娠できるように変革されたのかも知れないが、それを示唆するような情報は無かったし、そんな変化が起こったとは考えにくい。
『大厄災』と云われるカタストロフィに原因があると考えた方が自然だが、それとて、元々遺伝情報を持たないケモ耳や尻尾が遺伝して子孫に受け継がれるというのも、納得できないものがある。
まあ、結局解らないものは解らないという事だ。いずれ、解明できる時が来ればいいけどな。
で、もう一つの方の《奴隷環》だ。
《奴隷環》として使用されているネックレスは、元々は【テイムリング】と呼ばれ、異星人たちがゲームをする際に【テイマー】を職業とする者たちが使っていた物だ。
【テイマー】は捕獲した【モンスター】に【テイムリング】を装着する事で、【モンスター】を操り自分の戦力や護衛として使役した。
使役するために命令を下す物を【テイムキー】といい、【テイマー】が持っていた。ジリアーヌが《操作鍵》と呼んでいた物だ。
それがなぜか、いつしか【テイムリング】が《奴隷環》と呼ばれて、人間の奴隷に用いられるようになってしまっている。
これは悲劇だ。
人間が人間を奴隷化するなんて、あってはならない事だ。
しかも、本来の【テイムリング】は首に掛けるだけで、項に差し込んだりはしなかったはずだ。
何故こんな事になってしまったのか?疑問でしかないが、その答えは解らない。
思うに、『大厄災』と云われるカタストロフィが起こって、異星人との関わりが無くなったアバターたちは原始人化し、その生存本能に従って生きて来たのだろうと思われる。
後は地球の歴史と大差ないだろう。強い者が弱い者を虐げて利用し、強い者はより大きな力を行使するために弱い者を従属させて奴隷化していく。
その過程の中で、異星人が【モンスター】を【テイム】するためのアイテムだった【テイムリング】を《奴隷環》として利用していったのではないだろうか。
しかし、これも解らない事がある。
本来は異星人のアバターであるゲームプレイヤーには装着出来なかったはずだが、それもいつしか変化して装着出来るようになっている。異星人と関わりが無くなった事で装着出来るようになったのだろうか?
それと、ジリアーヌに話を聞く限りでは、《奴隷環》は奴隷に痛みを与えるだけで操作は出来ないようだ。
これは操作が出来なくなったのか、操作法が失われてしまったのかは定かではないが、人間をロボットのように扱えないのは良い事だと思う。
ポイントは、なぜ異星人がこの世界と関わりを持たなくなったのかだ。
『大厄災』と云われるカタストロフィが原因で異星人との関わりが無くなったと思われるが、そもそもカタストロフィとは何が原因で具体的にどういった事が起こったのかが全く分からない。
解っているのは、異星人がレジャーを楽しむために使用していた、女神システムや遊びの道具としていたアイテムや施設を、そのまま放棄したと思われる事だ。
惑星を覆うケージ状の巨大な構造物を作ったり、大陸を改造して様々な施設を作ったりと、巨大な事業を行い巨額の投資をしている。それらを放棄するからには余程の事情があったのだと思う。
《女神プディン》の情報だと惑星及び周辺宙域に影響が出ているようなので、惑星上で起こった自然災害とは考えにくい。
だとしたら、天文的な災害か人為的に起きてしまった事故なのかもしれない。
天文的な災害だとしたら、巨大な太陽フレアの発生や小惑星の衝突、彗星の多数飛来などがあったのかもしれない。もしくは超新星爆発やガンマ線バースト、ブラックホールの影響など考えられるが、それらはあまりにもSF的で現実味に欠けるし、想像力が追い付いていかない。
人為的な事故だとしたら、恒星間飛行を可能にする文明のエネルギーレベルは桁違いに大きすぎて、これまた想像を絶してしまう。
ようするに一介のオッサンには訳が分からないのだが、もしかしたら、物理的にこの惑星との関係を断絶する事態が起こったのかもしれないと考えるくらいだ。
そんな状況の中、一番の影響を受けたのが異星人のアバターとなっていた生きた肉体だ。
アバターはこの惑星の原人を基に遺伝子改造して作り出した生物で、通常は生命維持カプセルの中で休眠状態となっている。で、異星人がこの惑星上で行動する為に母星から意識をリンクするとアバターとして活動を始めるようになっている。
それが『大厄災』を経た事で何らかの影響を受けて、異星人から独立した個体となったのではないだろうか。それはこの惑星に於いて、新たな知的生命体の誕生となったのかもしれない。
そんな彼らには、元々操っていた異星人の記憶が残ったのか失われたのかは判らないが、俺の例を見る限り、何かの切っ掛けで記憶が呼び起こされたりしたのかもしれない。
もっとも、記憶があったとしても元々が原人並みの知能しかなければ活用しようがないだろう。
そんなあやふやな状態にあった彼らが縋ったのが、《女神》なのかもしれない。
ゲームの進行を手助けしたり、観光の案内をするためのシステムアバターだった《女神》は、まさに彼らにとって救いの神だったのだろう。
朧げな記憶を頼りに《女神》と対話をして言葉を学び、行動の指針を示してもらったのかもしれない。
そうして、彼らはこの惑星の新たな人類となっていったのだろう。
異星人が残した遺物を聖なる神具として崇め、利用しながら独自の文明を興して発展させていったと思われる。
そして、彼らは現在まで命を紡いできたのだろう。
そう考えるとケモ耳や尻尾が人間にあったり、俺の記憶にあるディケードが使用していた言語や文字が通用する事、アンバランスな文明レベルの共存などの事実が、それらしく辻褄が合うように思える。
また、この世界に伝わる神話も同じような言い伝えになっているようだ。
もっとも、それはあくまで俺の推論でしかない。
この推論は女神側の視点が欠けているからな。
『大厄災』があって、突然原始人のようになってしまったアバターを、女神システムはどのように判断したのだろうか?
それまで通り淡々とシステムとしての役割をこなしたのか、それとも導き手としての新たな役割を担う事にしたのか、俺には判断がつかない。
ただ言える事は、異星人のアバターだった者たちの子孫と思われるジリアーヌたちは、この世界で人間として生きて存在している。
そして《女神》は、そんな人間たちに神と崇められながらそれらしく振舞っているように見えるという事だ。
俺は今後、この世界で生きて行く。
この暴力的で女神システムが活動している、中世時代のような人間世界で生きて行くしかないのだ。
が、一概にそれが悪いとは思えない。
異星人が残した影響がどれほど残っているかは解らないが、そんな不思議な世界を見て回るのも面白いと思う。
俺は請負人が目指すという〈冒険者〉に興味が深まっていった。
☆ ☆ ☆
「…ディケード、ディケード、ディケード………」
ジリアーヌの呼ぶ声で、思考の海に沈み込んでいた意識が呼び起こされた。
「あっ、ああ、ジリアーヌ…」
「ディケード大丈夫?途中から意識が無くなったみたいだから心配したわ…」
「意識を、そうか…夢を見ていたのかも知れない…」
「夢を…そう…」
ジリアーヌはホッと安堵した後で、少し落ち込む様子を見せた。
「あの…ごめんなさい…わたし、こっちの方はあまり経験がないから…退屈だったかしら…」
ジリアーヌが口元に手を当てて済まなそうにする。
そういえば、お口でムフフをしてたんだった。
「いや、そうじゃない逆だ。気持ち良すぎて意識が飛んだというか、それくらい気持ち良かったんだ。」
「そうなの?なら、良かったけど…」
ジリアーヌが半信半疑で、不安そうに俺を見つめる。
女性に恥をかかせてはいけない。俺はジリアーヌを説得しようと試みる。
「本当だよ。今回は奉仕してもらうだけだったから暴走しなかっただけで、俺は毎回こうやって意識が飛ぶんだよ。ジリアーヌだって今までは途中で気絶してしまってたから分からないと思うけど。」
「うっ、た、確かにそうね…気持ち良すぎると意識が飛ぶわよね…」
ジリアーヌも自分がそうなってしまうようなので、赤くなりながら頷いている。取り敢えずは納得してくれたようなのでホッとする。
まあ、嘘は言ってないよな。ジリアーヌとの行為はすっごく気持ち良いのは確かだしな。そのお陰で意識が飛んで本来のディケードの記憶が飛び交ってしまうので意識が他の方向へ行ってしまうのだけど。
でも、そうか。ジリアーヌも気持ち良すぎて気を失っていたのか。安心したな、攻められすぎて苦痛で気を失っていた訳では無いんだな。
もっとも、やりすぎは確かに身体に毒だろうけどな。
ジリアーヌが頬を染めながら微笑む。
「ディケードは本当に不思議な男ね。あっちの方も凄くて未知の体験を味あわせてくれるものね。」
「それはジリアーヌも一緒だろう。俺だって未知の体験の連続だよ。」
「そうなの?なら嬉しいけど…」
俺はジリアーヌの手を引いてベッドの上に招くと、ジリアーヌの体を包み込むように抱き寄せる。
ジリアーヌもそのまま俺の胸に顔を埋めて甘えてくる。
ジリアーヌの柔らかさと匂いが俺を刺激するが、それがとても心地良いものに感じられる。なぜか、ずっと今までもそうして来ていたような錯覚さえ覚える。
それは、もう何十年も前に失ってしまった、心許せる者と過ごす甘い一時にも似た感覚だ。大人のお風呂屋さんで過ごす刹那的な快楽の一時とは違う、気持ちの安らぐ時間だ。
ジリアーヌはこの旅の間だけでいいと言っていたが、出来ればその後もずっと一緒にいたい、そんな気持ちにさせてくれる。
とはいえ、ジリアーヌは奴隷でクレイゲートに所有権がある。
奴隷制度の事はよく解らないが、俺との交渉の席にジリアーヌも居た事から、単なる娼婦として置いている訳でもないようだ。
ジリアーヌもそれが解っているから、旅の間だけと言ったのだろう。
思わず笑いがこみ上げてきた。
妻に浮気をされて離婚してからは、すっかり懲りて極力女とは深く関わらないように生きて来たし、今後もそうしようと思っていた。
それなのに、こんな気持にさせられるとは…気持ちとはままならないものだな。
「ジリアーヌ。もうそろそろディケードの交代時間だよ。準備しな。」
バーバダーにドアを叩かれて、俺とジリアーヌは弾かれたように起き上がった。
二人で見つめ合って恥ずかしさに苦笑いする。
昼間だというのに、すっかり時間を忘れてジリアーヌとの戯れに没頭していた。
バーバダーは娼婦たちの管理が仕事だが、お陰で助かった。
☆ ☆ ☆
商隊は変化の乏しい山間の道をひたすら進んでいく。
遥か遠くに《天柱》が見えるだけで、あとは緑に包まれた山々が延々と続いているだけだ。空気が比較的乾燥しているので、過ごしやすいのが助かる。
俺は護衛の仕事に戻り、主に俺は後方を監視し、惨殺の一撃のメンバーは左右をメインに監視する。
魔物の襲来を監視しつつ、ゴブリンの肉を焼く臭いと戦った。ついでに纏わりつくジョージョの鬱陶しさとも戦った。
ジョージョは俺の脇に立ってなんだかんだと話しかけてくる。ジリアーヌに因縁をつけてやり込められたことなど、まるで無かったかのように振る舞っている。
「あの女の匂いがするね。昼間からお盛んな事で、ディケードも好き者だねぇ。」
「専属で娼婦が付いたらしいからな。羨ましいこった。俺もあやかりたいぜ。」
「やはり強い者は優遇されるのだ。」
「ケッ、糞が!」
ジョージョの挑発に仲間も乗ってくる。
まったく鬱陶しい。仕事がやり辛いったらないな。
「あたしだったら、もっと楽しませてあげるのに。」
「そりゃ良いな。ジョージョも付けるから俺たちとパーティを組もうぜ!な。」
媚びるジョージョの背中を当然のように押すケルパトー。
あ〜あ、なんだかなぁ。
ジョージョってケルパトーの恋人とか愛人のような関係じゃないのか?二人のやり取りや雰囲気を見てるとそんな感じがしていたが、それで良いのか?
こいつらの倫理観ってどうなってるんだ?
それとも、この世界では普通の事なのか?
本当にうんざりする。
そんな感じで護衛任務は続き、時折やってくる魔物を退治していった。
ケルパトーたち『惨殺の一撃』のメンバーは、弱そうな魔物に対しては自分たちだけで倒し、不安を感じるような魔物に対しては俺の手を借りて倒していった。
多分、こいつらは他の者と一緒に護衛をする時もこんな感じなのだろう。自分たちは上手く立ち回っていると思っているかも知れないが、これでは誰からも信用されないし、次からは誰も一緒に仕事をしようとは思わないだろう。
実力はそれなりにあると思うので、もっと真面目にやれと思う。
日が大きく傾いた頃、商隊の馬車群は野営をする休息所に到着した。
ここは《女神の庭》ではなく、単なる水場のある広場のようだ。人の手に寄って作られた休憩所で、周りにはフェンスが張り巡らされている。
が、かなりガタが来ているようで網のあちこちに穴が空いている。
ここでは多数の護衛が朝まで二交代制で勤務する。
俺の今日の仕事はここまでなので、休憩に入る事にした。といっても、もし大規模な魔物の襲撃があれば緊急出動もありえるので、酒や遊びは控えめにという事だ。
俺はやれやれと思いながらジョージョを振り切り、『惨殺の一撃』のメンバーと別れた。正直、魔物と戦っている時の方が気持ちは楽だった。
娼館馬車が並ぶ、ジリアーヌ達がいる場所に帰ってくると、ホッとしたのは確かだ。
迎えてくれるジリアーヌの笑顔を見ると、ささくれ立っていた気持ちが滑らかに静まっていった。
「ただいま。」
思わず、そう言ってしまっていた。
読んでいただき、ありがとうございます。




