次姉、助ける。
第二王子殿下の妃選びの夜会から一週間後。
ついに、第二王子殿下が『ガラスの靴の持ち主を探すため』に我が家に来る日となった。
一昨日、お母様のところに王家から手紙が届き、今日まで伯爵家は大騒ぎだった。
王族が来る以上、伯爵家で用意出来る最上級のものを揃えて出迎えなければいけない。
普段では滅多に飲めないような高級な茶葉に、高級店で購入した材料で作った菓子類、最も格式高い応接室はメイド達が必死に掃除をして塵一つない。
お母様とお姉様、そしてわたしは急いでドレスを購入した。
既製品でもいいので王族と会っても恥ずかしくない装いをする必要があった。
シンディーはわたしの部屋から引っ張り出されてしまい、元の倉庫みたいな部屋に放り込まれ、お母様が雇った体格の良い男達が扉の前に常に立って監視している。
そのせいでシンディーは部屋の外に出ることも出来ず、わたしは部屋に近づくことすら許されなかった。
何とかメイドの一人に頼み込んで手紙は渡せたが、シンディーは不安でいっぱいだろう。
朝から慌ただしく時間が過ぎていき、午後、第二王子の到着予定時刻までに何とか出迎えの準備を整え、お母様とお姉様、わたしとで第二王子殿下を出迎えた。
王家の紋章が入った華やかなで大きな馬車が屋敷の前に停まり、騎士が扉を開ける。
馬車から降りて来たのは三名だった。
一人は第二王子で、一人は箱を抱えた魔法士らしき人。
そしてもう一人は何故かラウル様だった。
驚いているとラウル様と目が合い、自慢げに口角を引き上げられる。
……え、どういうこと!? ラウル様は第二王子と知り合いなの!?
「第二王子殿下にご挨拶申し上げます。フォートレイル伯爵家当主、フリアン・フォートレイルの妻でベリンダ・フォートレイルでございます。こちらは娘のドーリスとアナスタシアです」
お母様がカーテシーをしたので、お姉様とわたしもそれに倣った。
しかし、わたしは内心ではとても混乱していた。
ラウル様が第二王子と知り合いだとしたら、これまで、わたしはとんでもない行動を取っていたことになる。
……わたしの行動はもしかしたら第二王子に筒抜けだったのでは……。
お母様と第二王子が話し、三人を屋敷の中に招き入れる。
お母様達の意識は第二王子に向かっている。
抜けるなら今しかない。
スッと廊下の途中で別の廊下に入り、そのまま列から離れた。
騎士達が訝しげな顔をしたけれど、わたしはニコリと微笑み返して角を曲がり、お母様達から見えなくなるとスカートを持ち上げて急いで走った。
昔からフォートレイル伯爵家に仕えている使用人達にお願いして協力は取り付けてある。
これから『シンディー救出作戦』を決行する。
そのまま三階まで駆け上がり、三階のリネン室に飛び込んだ。
「待たせてごめんなさい!」
そこには既にメイドが二人いて、ベッドシーツやカーテンなどを運ぶ用の大きなワゴンが用意されていた。
二つあるワゴンの一つにわたしが入ると上からベッドシーツがかけられる。
「では、まいります」
メイドがわたしに声をかけ、ワゴンを動かす。
小さくゴロゴロとワゴンの車輪が回る音がして、振動が伝わってくる。
シンディーがいる部屋の同じ階、同じ壁側にある部屋にこのまま運び入れてもらう。
わたしは近づくことを禁止されている上に、廊下は直線なので近くの部屋に入ろうとすれば監視の男達に見つかって止められてしまうだろう。
だからバレないようにワゴンで運び入れてもらうしかないのだ。
振動が止まり、カチャリと扉を開ける音がする。
また振動を感じ、少し進んだ後にパタンと扉の閉まる音がした。
バサリとかけてあったシーツは剥がされる。
「アナスタシア様」
メイドの声に立ち上がり、ワゴンから出る。
もう一人のメイドが、運んでいたもう一つのワゴンからシーツを剥ぎ取り、そこに入れてあった分厚い板を三枚取り出した。
窓の外に出て、バルコニーの端に行き、隣の部屋とこちらの部屋のバルコニーの手摺に板を渡す。
外れないように板の反対は手摺に引っ掛けられるようにコの字になっていて、手前は紐で手摺に縛りつける必要はあるが、安定性は出る。
縄で板を固定し、手で押してみて動かないことを確認する。
人が一人乗っても折れない板を用意するようお願いしておいた。
ドレスをたくし上げて手摺に乗り、そっと板を踏んでみる。
……何とかいけそう!
バルコニーとバルコニーの間は五十センチあるかないかというくらいで、壁に捕まりながら隣のバルコニーまでジリジリと移動する。隣に移ったら、メイドが板を二枚重ねて置いたので、それを受け取る。
あとはもう同じ要領でシンディーの閉じ込められている部屋まで行けばいい。
板を渡し、固定し、渡り、また板を固定して渡る。
シンディーのいる部屋のバルコニーに着き、わたしは窓をそっと叩いた。
すぐにシンディーが内側から窓を開けて中に入れてくれた。
「アナスタシアお姉様……っ」
「しっ、静かにね」
わたしの言葉にシンディーが口を押さえて頷く。
手紙でこうやって来ることは前もって伝えていたから驚く様子はない。
「もう第二王子殿下が来ているから、焦らず、でも急ごう」
二人でバルコニーに出て、先にわたしが板を渡ってみせる。
それから、手招きすれば恐る恐るシンディーが板に乗った。
ゆっくり渡るのを、板を押さえつつ見守り、手を貸してこちらのバルコニーに下ろす。
「頑張って」
そうして元の部屋まで三枚の板を渡り、到着する。
全て渡り終えるとシンディーはホッとした様子で胸を撫で下ろしていた。
「シンディーはこれに入って。わたしもこっち」
「はい」
ワゴンに二人で入ると、メイド達が上から丸めたシーツを被せる。
そしてワゴンが動き出し、カチャリと扉を開ける音がして、またワゴンが動き出す。ドキドキと心臓が早鐘を打つ中、監視の男達に声をかけられることもなく、部屋から離れていくのを感じた。
リネン室に戻るとすぐにシーツが剥がされて、わたしとシンディーはワゴンから出た。
「わたしがいなくて確認が出来ないはずだから、第二王子殿下はまだ応接室にいるよ」
シンディーに手を差し出す。
「行こう、シンディー」
シンディーも覚悟を決めたのか、真剣な表情で頷いた。
* * * * *
「それでは、確認のためにこちらのガラスの靴を履いてみてほしい」
第二王子ウィリアムの言葉に、フォートレイル伯爵家の長女がソファーから立ち上がった。
その体から感じる気配にラウルは眉根を寄せる。
……魔法を使用してるな。
どこか緊張した表情で長女がメイドに靴を脱がしてもらう。
クッションの上に置かれたガラスの靴は輝いており、メイドの手を借りつつ、長女がそっと靴に足を入れた。細身の足が入り、靴にピタリと合った。
それにフォートレイル伯爵夫人が目を細め、長女が嬉しそうな顔をする。
「殿下、私は──……」
と長女が顔を上げた瞬間、バタバタと貴族の屋敷に似つかわしくない足音がした。
全員が扉に顔を向けるのと同時に音を立てて扉が開かれる。
「ちょっと待ったぁああぁっ!!」
飛び込んで来たのはアナスタシアとその義妹だった。
義妹のほうは粗末なワンピースを着ていて、アナスタシアは髪もドレスも乱れている。
二人揃って走ってきたのか呼吸も荒い。
剣の柄を握っていた騎士達がそれから手を離した。
「我が家にはもう一人、未婚の令嬢がいます!」
アナスタシアの言葉にウィリアムが伯爵夫人へ顔を向ける。
「伯爵夫人、どういうことだ? 何故あの娘を隠していた?」
「い、いえ、隠していたわけではございません! あの子は夜会を欠席したため、ガラスの靴の持ち主ではありません。それに礼儀作法もあまりよく出来ない子だったので、殿下のお目汚しになるかと思い……」
「私は『伯爵家の未婚の令嬢を全員確認する』と言ったはずだ」
焦る伯爵夫人と怒気を滲ませるウィリアム。
しかし、そこで長女が声を上げた。
「殿下、私はこのようにガラスの靴を履くことが出来ました! 殿下は『ガラスの靴に合う足の持ち主を妻にする』とおっしゃいましたよねっ?」
確かにガラスの靴を履けている。
アナスタシアと義妹が「嘘……」「なんで……」と顔色を悪くした。
それまで黙っていたラウルは口を開いた。
「ウィリアム様、一つよろしいでしょうか?」
「ああ、構わない」
「そちらのドーリス・フォートレイル伯爵令嬢から魔法の気配を感じます。何かしらの魔法を体にかけている可能性がありますので、調べる許可をいただきたいのですが」
それに伯爵夫人と長女の表情が強張った。
「許可しよう」
ラウルが近づくと長女が僅かに身を引いたものの、ガラスの靴から足を抜こうとしない。
長女に手をかざし、ラウルは魔法の詠唱を行って探知魔法をかけた。
……なるほど。
「一時的に体を小さくする魔法がかかっているようです」
「解除することは可能か?」
「はい、問題ありません」
今度は伯爵夫人と長女の顔色が悪くなる。
「解除しろ」
ラウルは詠唱を行い、長女にかけられた魔法を解除する。
慌てて長女がガラスの靴から足を抜こうとしたけれど、体の大きさが戻るほうが早かった。
ブチブチと音を立ててドレスの前が破け、手足が長くなり、ドレスの裾が短くなる。
靴に入ったままの足が元の大きさに戻ったが、ラウルの作ったガラスの靴は砕けることなく存在し、その結果、長女の足がガラスの靴の中に詰まってしまう。
「ぁああっ、痛い!!」
立っていられないほど痛いのか、長女が床に座り込んだ。
「いやぁっ、痛い、痛いわ!! やめてっ!! 靴を外してっ!!」
長女が悲鳴を上げ、メイドがガラスの靴を脱がせようとしたけれど、どれほど引っ張っても靴は脱げなかった。
「ドーリス!!」と伯爵夫人が真っ青な顔で立ち上がり、手伝うが、靴と足の間には何かを入れる隙間もないほど詰まってしまっており、ガラス越しに足全体が赤くなっているのが見えた。
アナスタシアと義妹も青い顔で口元に手を当てている。
その様子に気付いたウィリアムが言う。
「外してやれ」
「かしこまりました」
魔法の詠唱を行い、足だけ一時的に小さくさせれば、やっと靴から足が抜けた。
すぐに大きさを戻したが、赤くなった足には靴の履き口の跡が痛々しく残っており、長女は体に合わない破れた裾足らずのドレス姿で座り込んで泣いている。
母親は長女を抱き締め、メイドに主治医を呼ぶように叫んだ。
けれども、ウィリアムがそれを止めた。
「伯爵夫人、伯爵令嬢、お前達は第二王子である私を騙そうとしたな?」
伯爵夫人と長女の体が震える。
ウィリアムが騎士達に命令する。
「フォートレイル伯爵夫人とドーリス・フォートレイル伯爵令嬢を捕らえよ!」
「っ、殿下、どうかお慈悲を……!」
「慈悲などない! 王族を謀ろうとした罪、きちんと償ってもらうぞ!」
騒ぐ伯爵夫人と泣いている長女が騎士達の手によって捕縛され、部屋の外に連れ出される。
室内には二名の騎士とラウルの部下である宮廷魔法士、ラウル、ウィリアム……そしてアナスタシアと義妹が残された。
ウィリアムが振り返り、義妹と目を合わせた。
二人の視線はどちらも熱がこもっていた。
「……第二王子殿下にご挨拶申し上げます」
義妹の言葉にハッとアナスタシアも我に返った様子でカーテシーを行う。
ウィリアムが義妹に近づき、声をかける。
「そなた達にも試す権利はある」
アナスタシアはカーテシーをしたまま、深く頭を下げた。
「わたしでは大きさが合わないでしょう。……何より、あの日、わたしは夜会を欠席しております」
「そうか。……ああ、頭を上げて良い」
姿勢を戻したアナスタシアが、義妹の背に優しく触れる。
促すようなそれに義妹が落ちていたガラスの靴に近づいた。
ラウルの部下が靴を拾い、渡すと、メイドの手を借りて義妹が靴を履く。
当然だが、ガラスの靴はピタリとその足に合った。
「魔法の気配は感じません」
ラウルの言葉にウィリアムが頷き、義妹を見る。
「そなた、名は?」
「……シンディー・フォートレイルと申します」
しばしの間、二人は見つめ合った。
そして、ウィリアムが義妹に近づき、膝をつく。
「シンディー・フォートレイル伯爵令嬢」
義妹の手を取り、ウィリアムが言う。
「あなたこそが私の探し人です。どうか、私と結婚してください」
義妹が感極まった様子で片手で胸を押さえながら、何度も頷いた。
「……はい……はいっ……!」
立ち上がったウィリアムが義妹を抱き締めた。
「今まで騙しててごめん、シンディー」
「いいの。……探してくれてありがとう、ウィル」
二人が幸せそうに抱き締め合う姿を、アナスタシアが静かに眺めていた。
けれども、その手は強くドレスのスカートを握り締めている。
ラウルが歩み寄るとアナスタシアが顔を上げた。
「ラウル様、謀ったわね?」
それにラウルは小さく肩を竦めてみせた。
「殿下と知り合いじゃない、なんて俺は一言も言ってないだろ」
「……わたし、一人で空回りして馬鹿みたい……」
はあ、とアナスタシアが頭に手を当てて溜め息を吐く。
「そんなことねぇよ。お前の協力があったから、ああしてあの二人は再会出来たんだ」
微笑み合うウィリアムと義妹を、アナスタシアは目を細め、眩しいものでも見るかのように眺める。
「そうだと、いいな……」
呟いたアナスタシアが俯く。
ふらりとその体がよろめいたので、とっさに支えれば、ぐったりと寄りかかってくる。
「おい、おいっ!?」
顔を覗き込んで確認すると、気絶してしまっているようだった。
きっと、この数日間ずっと気を張っていたのだろう。
義妹がウィリアムと出会い、無事に見つけてもらえたことで緊張の糸が切れてしまったのかもしれない。
……あんなに気負ってたしな。
夜会の翌日の夜、耐え切れずに泣いたアナスタシアの姿を思い出す。
驚いた様子で振り向くウィリアムと義妹に声をかけながら、アナスタシアを抱き上げる。
「アナスタシア・フォートレイルも保護する」
このまま、伯爵家に置いていても苦しむだけだ。
抱き上げた体は思いの外、軽く、湧き上がってくる言い様のない感情を押し殺して、ラウルは馬車に向かったのだった。
* * * * *