次姉、魔法使いを呼ぶ。
そうして、ついに第二王子の妃選びの夜会の日。
わたしは朝から食事を摂らず、お母様に『体調が優れないから』と夜会を欠席する旨を伝えた。
最近シンディーと親しくしているわたしに思うところはあるものの、それでも、お母様もお姉様も心配してくれて、二人を騙すことに少し胸が痛んだ。
今日までに何度かラウル様と密かに会い、今日この日のために計画を練った。
わたしは部屋で休むことにして、きちんとベッドで眠る。
その間にシンディーは侍女達にお願いして、朝から入浴して、肌や髪の手入れをして、髪と爪も整えて、全身マッサージで普段の疲れと浮腫みも取ってもらったそうだ。
昼過ぎ頃に戻って来たシンディーはピカピカの艶々で、背後で侍女達が『やり切った!』という満足そうな顔をしていた。彼女達には緊急時用に残しているお金からいくらか臨時ボーナスを渡そう。
「シンディー、綺麗になったね。元が可愛いから、やっぱり整えるとより素敵だよ」
「ありがとうございます。アナスタシアお姉様のおかげです……!」
姿見の前でスッキリした自分の顔を見て、シンディーが感動している。
それから、美容に良い飲み物や軽食を食べて、二人で礼儀作法について話したり練習したりしながら過ごす。
シンディーは三年も貴族の令嬢らしい生活を出来ていなかったけれど、生まれた時から身に付けた所作というものはそう簡単に消えるものではないらしい。
礼儀作法について話して、練習している間に思い出したようで、シンディーはすぐに綺麗なカーテシーを行えるようになった。これなら所作で馬鹿にされることはないだろう。
そして日が落ちてからしばらくして、お母様とお姉様の出発時間になり、わたしは玄関まで二人を見送りに行った。
二人が美しくなったシンディーを見つけたら、こちらの計画に気付かれてしまうかもしれない。
それだけは避けたかった。
見送りに出たわたしをお母様もお姉様も心配してくれたが「最近出かけすぎて疲れが出てしまったのかも」と言えば、呆れながらも安心した様子で出かけて行った。
……わたしの行為は二人を裏切ることになるんだろうな。
だが、今更やめるつもりはない。
部屋に戻り、侍女に手伝ってもらってシンディーに化粧を施した。
出来るだけ可愛く、清楚に見えるように薄く化粧を施すと、シンディーはより綺麗になった。
鏡をまじまじと見つめるシンディーの素直な反応に、わたしも侍女達も大満足である。
ネックレスやピアス、髪飾りなどはまだ着けない。
ラウル様に魔法でドレスを出してもらってから選ぶ予定だ。
そのためにテーブルに所狭しと持っている装飾品を並べておいた。
そして侍女達を全員下がらせる。
「シンディー、これから魔法使い様がここに来るよ」
「魔法使い様、ですか?」
「そう、あなたのために美しいドレスとガラスの靴を作ってくれるの」
シンディーを横に座らせ、言い聞かせる。
「魔法をかけてもらったら、裏口に停めてある馬車に乗って王城に行って。招待状を渡せば舞踏の間まで案内してもらえるから。きっと、第二王子殿下はあなたを好きになる」
シンディーが戸惑った様子でわたしを見た。
「そうでしょうか?」
「大丈夫、自信を持って。あなたは今日の夜会に出席する誰よりも綺麗になれるから」
やや不安そうにしながらもシンディーは頷いてくれた。
「さて、そろそろ時間ね」
用意しておいたカンテラに火を灯し、バルコニーに出る。
手に持ったカンテラを左右に大きく、ゆっくりと三度振った。
……本当に来てくれるだろうか。
そんなわたしの不安を他所に、軽く風が吹き、バルコニーの手すりにふわりと人影が降り立った。
「こんばんは、優しい魔法使い様」
目深にフードを被ったラウル様が床に降りる。
「その呼び方、なんかむず痒いからやめろ」
不機嫌そうな声だけれど、本気で機嫌を損ねているわけではないようだ。
どちらかといえば照れ隠しだろうか。
「来てくださり、ありがとうございま……す?」
近づき、その顔に仮面が着けられていることに気付く。
「これを着けている時は『バル』と呼べ。……宮廷魔法士は基本的に依頼は受けない。この依頼を受けているのは魔法士『バル』であって、お前の知る俺ではない」
「分かりました。ではバル様とお呼びしますね。……中へどうぞ」
バルコニーから、ラウル様を連れて室内に戻るとシンディーが驚いた顔をした。
「お、お姉様、そちらの方が魔法使い様ですか……?」
「うん、わたしのお友達の優しい魔法使いのバル様だよ。今日はシンディーのために来てもらったの」
ラウル様が無言で一礼する。
それにシンディーも戸惑いながら、お辞儀を返す。
「それではバル様、お願いします」
ラウル様が頷き、魔法の詠唱を行う。
すると、光の粒子がシンディーの周りに集まり、あっという間に美しい淡い水色のドレスと綺麗なガラスの靴になった。
シンディーが目を丸くして自分のドレスや足元を見る。
「シンディー、ドレスは魔法で一時的に用意してもらったものだから時間が経つと消えてしまうけれど、ガラスの靴だけは残るから。第二王子殿下にお声をかけてもらって、ダンスを踊ったら、すぐに帰って来るの。帰る途中、ガラスの靴を片方だけ目立つ場所に置いてきてね。……長居するとお母様達に捕まってしまうから気を付けて」
「靴を片方、置いていってしまうんですか?」
「それが大事なの。第二王子殿下があなたを見つけるのに必要だから、絶対、靴は片方残してきて」
やっぱりシンディーは不思議そうにしながらも「はい」と素直に頷いた。
それから急いでドレスに合う装飾品を選び、身に着けさせ、ローブを羽織らせると招待状を握らせ、侍女に頼んでこっそりシンディーを裏口まで連れて行ってもらった。
裏口にはお金を握らせた御者がいて、シンディーを王城まで連れて行き、しっかり連れ帰ってくれるようにお願いしてある。きちんと出来たら更にお金を渡す約束なのだが、その辺りをシンディーが知る必要はない。
シンディーが部屋を出て行き、足音が遠ざかる。
バルコニーに出てしばらく待っていると、一台の馬車が人目を避けようにひっそりと出て行った。
……きっと大丈夫。
シンディーは素直な子だから、疑問を感じてもガラスの靴を片方だけ必ず残してくるだろう。
あとは第二王子殿下が靴の持ち主を探し、シンディーと再会すれば、物語はハッピーエンドだ。
室内に戻るとラウル様がソファーにどっかりと座って待っていた。
「これで依頼完了だな」
それに頷き返す。
「はい、ありがとうございました。あ、依頼料をお渡ししますね」
「いや、今日はいい。それより茶でもくれ。……少し疲れた」
フイと顔を背けたラウル様を不思議に思いつつ、控えの間にいた別の侍女に声をかけ、ティーセットを持って来てもらうことにした。
扉を閉めて振り返るとラウル様が指でこっちに来いと示す。
近づくとラウル様は自分の横を軽く叩いた。
……え、横?
何だか既視感を覚える疑問だった。
「大声で会話したら使用人に気付かれる」
……なるほど。
促されるまま、ラウル様の横に腰掛ける。
するとラウル様が仮面を外した。
「バル様として依頼を受けたのでは?」
「依頼は完了したから今は『バル』じゃない」
「そういうの、屁理屈って言うんですよ……」
わたしの言葉にハッとラウル様が鼻で笑う。
少し考えてから訊いてみた。
「もしかしてシンディーに正体を明かしたくなかったんですか?」
「……意外と鋭いな。まあ、そうだ。銀髪のラウルって名前の魔法士はこの王都では俺しかいない。王宮外の依頼を受けたことがどこから漏れるか分からない以上、俺が関わっていると知る人間は少ないほうがいい」
「その流れだと『あとはお前を殺すだけだ』ってなりそうですね。私が死ねば、依頼を受けたことはバレません」
「何をどうしたらそうなるんだよ」
呆れた顔のラウル様に見下ろされる。
室内はテーブルに置かれたカンテラの明かりだけなので薄暗いが、距離が近いので、フードをしていてもラウル様の顔は分かる。
「犯罪の手伝いを依頼して、終わったら『あとはお前を消せば完全犯罪だ』的な流れで手伝ってくれた相手を殺す話、事件でありそうじゃないですか」
「それだとお前が俺を殺す立場じゃねぇか。逆だろ。まあ、お前程度に殺されるほど俺は弱くないけどな」
「確かに」
納得していると部屋の扉が叩かれたので立ち上がる。
侍女からサービスワゴンごとティーセットを受け取った。
寝る前にお茶を飲む習慣があるので侍女はいつものことだと思っているようだ。
扉を閉め、サービスワゴンをテーブルのそばまで押して、ティーセットを並べる。
ティーカップにポットから中身を注ぐと丁度いい具合の色合いである。
ラウル様と自分の分を用意して、テーブルに置いた。
「手慣れてるな?」
「寝る前のティータイムが習慣なんです」
ティーカップを手に取ったラウル様が、カップに顔を寄せ、そして離した。
「嗅いだことがない匂いがする」
「これはハーブティーです。紅茶は夕方以降飲むと寝付きが悪くなるので、いつも夜はカモミールを飲んでいるんですよ。慣れると美味しいし、カモミールは心を落ち着けてくれる効果があります」
「へぇ……」
わたしが先に飲んでみせると、ラウル様もティーカップに口をつけた。
ややあってラウル様が首を傾げる。
「不味くはない……が、不思議な味だ」
けれども嫌いではないようで、一口、二口と飲み進めている。
「……今頃、シンディーは王城に着いた頃でしょうか」
「多分な」
……上手くいくといいな。
ティーカップを見つめていると横から声がした。
「心配しなくても上手くいくさ」
驚いて顔を上げれば、ラウル様はハーブティーを飲んでいる。
「……わたし、そんなに不安そうな顔をしてます?」
「ああ、してる」
「あはは……お恥ずかしい限りです……」
物語ではシンディーは王子様に見初められて幸せになる。
けれども、ここは現実で、物語と差異がある。
それが不安だった。
知っているはずの道が真っ暗で、手探りで進んでいるような気分で少し怖い。
「別に恥ずかしくはないだろ」
ラウル様がティーカップをテーブルに置き、こちらを見る。
「お前は妹の幸せを願っている。自分の物を売り払って金を作って、俺に依頼して、お前は自分に出来ることをやった。……誰かのために奔走して、誰かの幸せを願うのは恥ずかしいことじゃない」
その手が伸びてきて、わたしの頭にふわりと触れた。
すぐに離れていったけれど、励ますようなそれにわたしは息が詰まった。
最初は自分が破滅したくなかったからシンディーを助けることにした。
でも、お母様とお姉様を説得出来なくて、シンディーと一緒に過ごすうちにわたしはシンディーを家族だと思うようになって、酷いことばかりした姉なのに、妹を可愛いと思うようになって。
「……全部、わたしの自己満足です……」
きっと、わたしは心のどこかで許してほしいと思っている。
これだけ尽くしてあげたのだから、きっとシンディーなら許してくれるだろうという考えがあるのかもしれない。
シンディーのために必死になのも、お母様とお姉様を裏切ったのも、保身のためだとしたら……。
「人間なんてそんなもんだろ。相手の気持ちなんて本当の意味では理解出来ないんだ。誰が何をやったって、結局は全部、自己満足でしかない。どうせ自己満足なら、自分のしたいようにすればいいんじゃねぇの?」
どこか素っ気なく感じる口調だが、ラウル様はいつもそうだ。
しかし、今までこの人に否定されたことは一度もなかった。
「お前の妹が『余計な世話だ』って言わない限り、好きにやっとけよ」
……ああ、本当にこの人は……。
「やっぱり、ラウル様は優しい魔法使い様ですね」
他の魔法士達は返事すらくれなかったのに、この人だけは応えてくれた。
わたしの馬鹿みたいな話を信じて、協力してくれて、こうして励ましてくれて。
「別に優しくはねぇよ。令嬢らしくないのが物珍しいから付き合ってるだけだ。あと、言葉遣いも妹にしてたみたいに崩していい。……そのほうが俺も気楽だしな」
「でも、次にお金を渡したら、もうお互い関わらないほうがいいのではありませんか?」
そう返すと何故かラウル様にムッとした顔で睨まれる。
「ここで終わったら、その後どうなったか気になるだろうが。一度関わった以上はお前とお前の妹がどうなるか、最後まで見届けてやるよ」
「虐げた罰で目をくり抜かれるかもしれないのに?」
「だから、この国にそんな刑罰はないっての……」
ガシガシとフード越しに頭を乱暴に掻き、ラウル様がわたしを見た。
「もし、お前がそんな罰を受けそうになったら、その時は助けてやる」
薄暗いせいか黒っぽく見えるラウル様の瞳は真剣な眼差しだった。
「……依頼料はいくらですか?」
わたしの問いにラウル様は目を丸くし、そして小さく笑う。
「さぁな。助けるための労力次第だ」
「今、貯金はちょっとしかないんですけど」
「利子なしでツケてやってもいいぜ」
「何それ、逆に怖い」
互いに顔を見合わせ、どちらからともなく噴き出した。
……これがただの気紛れだったとしてもいい。
その気遣いが嬉しかった。その優しさに心が軽くなる。
「……でも、その時はツケでお願いね」
だけどきっと、わたしはその手を取ることはないだろう。
協力してくれたこの人の立場を悪くするようなことはしたくないから。