次姉、苦心する。
ついでに下着や肌着、寝間着など必要なものも購入してからブティックを後にした。
シンディーがご機嫌な様子で前を歩いている。
久しぶりにドレスを買って、着るのが楽しみなのだろう。
いや、そもそもこうしてドレスを着ていること自体が久しぶりなはずである。
気分が高揚するのも頷けた。
二人で通りを歩きながら、店先を見て過ごしていると不意に男性のこえがした。
「シンディー?」
やや疑問に満ちた若い男性の声に振り向けば、美青年がいた。
柔らかな薄茶色の髪に水色に近い綺麗なみどりの瞳をした、顔立ちの整った青年だが、服装からして少し裕福な家の者といった様子だった。恐らく、男爵家か豪商の息子といったところか。
シンディーが表情を明るくする。
「ウィル!」
どうやら二人は知り合いらしい。
「今日は随分と綺麗な格好だな。ところで、この人は?」
青年の問いにシンディーが答える。
「こちらはわたしのお姉様で、アナスタシアお姉様です。お姉様、彼はウィル。街の商家の子で、時々一緒に買い物に行ったり、公園に遊びに行ったりしているお友達なんです」
「何っ?」
青年が眉根を寄せてわたしを見ると、シンディーを自分の後ろに庇った。
その様子からして、わたし達がシンディーを虐げていることを知っているのだろう。
わたしを睨む青年にシンディーが慌ててその腕を掴んだ。
「待って、ウィル! 違うの! ……えっと、アナスタシアお姉様は私に謝ってくれて、こうしてドレスや小物もくれて、部屋を分けてくれたり仕事も一緒にやってくれたりして……とにかく、アナスタシアお姉様はもうわたしに何もしないからっ」
シンディーが一生懸命、わたしを庇おうとしてくれる。
その様子に青年は眉根を寄せたまま、シンディーとわたしを交互に見る。
警戒はしつつもシンディーを庇うのをやめた青年の後ろから、シンディーがこちらに戻って来た。
「……シンディーを虐めてた事実は変わらないと思うが」
「そうですね、それについて弁明するつもりはありません。わたしはシンディーを虐めていましたし、結局、母と姉を説得することが出来ない役立たずですから警戒されて当然です」
「……」
二人を見て、ふと気付く。
……この青年はシンディーのことが好きっぽい?
シンディーは友達だと思っているようだが。
「シンディー、はいお小遣い。わたしは少し疲れたから、そこのお店で休んでいるわ」
財布からいくらか取り、残りをそのままシンディーに渡す。
思わずといった様子で受け取ったシンディーが目を瞬かせた。
「彼と遊んでおいで。でも、遅くなる前に戻って来てね」
「はいっ、アナスタシアお姉様、ありがとうございます……!」
嬉しそうなシンディーにわたしも微笑み、そして青年とシンディーを見送った。
……シンディーをよろしく、なんてわたしが言える言葉ではないしね。
仲の良い相手と出かけたほうが良い思い出になるだろう。
そうして、シンディーが来るまで、わたしは近くの店でのんびりと過ごしたのだった。
* * * * *
「……うーん、どうしよう……」
原作ならば本来、シンディーは虐げられている状況に苦しみ、母親の墓のところで泣いていると優しい魔法使いが現れて、綺麗なドレスやガラスの靴、馬車などを用意してくれる。
しかし、実際のこの世界では差異がある。
前フォートレイル伯爵夫人──……つまり、シンディーの母親の墓は王都にない。
伯爵領にあるらしく、シンディーは父親が再婚して以降、一度も墓参りに行けていない。
それでは優しい魔法使いと出会うことすら出来ないだろう。
……となると、代わりを用意しなければ。
きっと、もうすぐ第二王子の妃選びの夜会が王家主催で執り行われる。
元より原作でも『王子様のお妃選びのパーティー』と表現されていたが『王太子』とは明言されていなかったし、王太子は既に結婚しているので、シンディーが結ばれるのは第二王子だろう。
とりあえず、王都にいる魔法士の中でも身元が明らかで信用出来そうな人物全員に片っ端から手紙を送っているが、突然見知らぬ相手から届いた手紙など、読んでくれるかどうか。
大半は目を通されずに終わっているのか、お断りの返事すらなかった。
とりあえず、もしものためにもう着なくなったドレスや小物などの中で、シンディーでも使えなさそうだけど、ほどほどにまだ価値がありそうなものを密かに売り払っている。
馬車は我が家の紋章のないものを使えばいいし、夜会用のドレスも何とか買える。
だが、ガラスの靴だけはどうしても魔法士でなければ。
普通のガラスの靴なんて、作って履かせたらすぐに割れて怪我をしてしまう。
この世界には多くはないけれど『魔法士』という魔法を使える人々がいる。
魔法で作った靴ならきっと割れずにシンディーの足にピッタリのものを用意出来るはずだ。
「でも、その頼みの綱の魔法士が見つからない……!!」
このままではただの普通の靴で行くことになってしまう。
シンディーだけが履けて、その足にのみ合う、特別なガラスの靴。
それがなければ一緒に踊った相手がシンディーだと分かってもらえないかもしれない。
とりあえず、今は売れるものを全て売らなければ……。
魔法士が見つかったら依頼料もかなりかかるだろう。
ドレスの購入費用を考えると、もっと売らなければ足りない。
どうしよう、と頭を悩ませていると、部屋の扉が叩かれた。
侍女の一人が入って来て、机の上にそっと手紙を置く。
「ありがとう」
手紙を手に取り、何気なく裏返して差出人を確認した。
「えっ!?」
思わず立ち上がってしまう。
そこに書かれていた名前は、この国で最も優秀な宮廷魔法士の名前だった。
慌てて封を開けて便箋に綴られた文字に目を通す。
わたしの手紙を読んだことと、面会出来る日時が書かれている。
流れるような文字は繊細で美しく、手本のように整っており、書いた人物の几帳面さが窺えた。
たった一通しか返ってこなかったが、これだけでも奇跡に近いことだ。
急いで椅子に座り直すと便箋とペンを手に取り、手紙の返事を書く。
インクを乾かし、手紙に封をして、封蝋が乾いてから控えていた侍女に渡す。
「これを急ぎで送って」
この機会を逃すわけにはいかなかった。
* * * * *
数日後、第二王子の妃選びの夜会が催されると王家から御触れがあった。
貴族の未婚の令嬢全てを集めるとのことで、病などの事情がない限り出席するようにと書かれていた。ちなみにお母様はわたしとお姉様は出席の手紙を出したのに、シンディーだけは『病弱なので』と欠席の手紙を返したらしい。
何故そんなことを知っているかというと、伯爵家の使用人は昔から仕えている者が多い。
今はお母様に従っているけれど、彼らが真に仕えるべき相手はシンディーだ。
だからシンディーを夜会に何とか出席させたいことを伝えれば、協力を得られた。
ここ最近のわたしの様子を見て、信用するとまではいかないまでも、少しはわたしの言葉に耳を傾けてみようと思ってくれてはいるようだ。
今日はシンディーに『刺繍の練習をして』と言って部屋から出ないようにさせた。
わたしはこれから先日の手紙の送り主の家に行く。
シンディーを連れて行くわけにはいかなかった。
紋章のない馬車に乗り、揺られながら、どうやって魔法士に依頼を受けてもらおうか考える。
依頼の報酬としてわたしが持っている額の半分は持って来たが、これで足りるかどうか。
「それにしても、どうして話を聞いてくれる気になったんだろう?」
わたしの面会を受け入れてくれたのは、バレンシア侯爵家の次男で、社交界にいれば一度は耳にしたことがある人物。ラウル・バレンシア侯爵令息。今年で二十歳。十六歳の成人を迎えると共に最年少で宮廷魔法士になった天才魔法士。
……噂ではかなり美形らしいけど。
社交界に出てくることもなく、屋敷か、王城の宮廷魔法士が働く魔塔にこもっているのだとか。
そんな人物が何故かいきなり手紙を送りつけたわたしに会ってくれる。
怪しいと感じるが、今は藁をも掴みたいほど困っているので、会うしかない。
わたしが用意したこのお金も侯爵家からすれば大した額ではないし、侯爵令息に他に差し出せるものなど何もなくて、だからこそ、あとはもう向こう次第である。
いっそのこと土下座して足に縋りついて大泣きでもしようか。
頷いてくれるまで離れない、みたいな。
……逆に機嫌を損ねるか。
はあ〜……と、つい大きな溜め息が漏れてしまう。
やがて、馬車が一度止まり、もう一度ゆっくりと走り出す。
どうやらバレンシア侯爵家に着いたようだ。敷地の中だから速度を出さないのだろう。
ややあって、馬車が完全に停車する。
外から御者が声をかけ、扉が開かれた。
御者の手を借りて馬車から降りれば、伯爵家よりも大きな屋敷が目の前に広がっていた。
そして、わたしを出迎えたのは使用人達だった。
「お嬢様、ようこそお越しくださいました」
この屋敷の家令だという初老の男性がわたしに丁寧な挨拶をして、案内してくれる。
侯爵邸はとても広く、美しく、どこを見ても綺麗に整えられていた。
ここに来た理由を忘れそうになってしまうほど素晴らしい屋敷である。
案内されたのは応接室の一つで、そこには既に先客がいた。
腰近くまである長い白銀の髪に、やや色の濃い灰色の瞳。顔立ちは噂通り整っていて、けれども無表情だからかどこか冷たい雰囲気の青年だ。ソファーの肘掛けに頬杖をついてこちらを見る姿は不遜さすら感じさせる。黒い服に白いローブを着ているが、ローブには金の刺繍が施され、あちこち宝石を身に着けている。
家令は一礼すると部屋を後にした。
室内の壁際には、白銀の髪の青年の侍従だろう男性が控えていた。
わたしはその場でカーテシーを行う。
「本日は面会の場を設けていただき、感謝いたします。改めまして、お初にお目にかかります、フォートレイル伯爵家の次女でアナスタシア・フォートレイルと申します」
出来るだけ美しく見えるよう丁寧に行ったカーテシーだが、白銀の髪の青年はまるで見えていないかのように顎で自身の向かいにあるソファーを示した。
「ラウル・バレンシアだ。とりあえず、こっちに座れ」
貴族の男性にしては粗野な態度と言葉遣いである。
わたしが記憶を取り戻す前だったなら、きっと『なんて失礼な人だろう』と思っただろう。
だが、今のわたしからすれば、それほど気になることではなかった。
視線を戻し、示されたソファーに座る。
ジロジロと観察するように見つめられた。
「それで『妹を幸せにするための手助けをしてほしい』ってのはどういうことだ?」
単刀直入に訊かれ、わたしはつい、笑ってしまった。
無駄な話は聞くつもりはないというその態度がわたしには好感が持てた。
外面を取り繕われたり、前置きのどうでもいい話が長引いて重要な本題を話せないよりずっといい。わたしも元より気が長いほうではないので、どうやって早く本題を切り出すか考えていたくらいだ。
笑ったわたしに白銀の髪の青年──……バレンシア侯爵令息が訝しげな表情をする。
「すみません、おかしくて笑ったわけではなく……本題の切り出し方に悩んでいたので、バレンシア侯爵令息より先に話題を振っていただけてホッとしたんです」
「そうかよ。……それで、何で見ず知らずの俺に助けを求めて来た?」
「わたしはこの王都にいる身元が明らかで有名、実力があるという魔法士の皆様全てに手紙を送りました。その中で返事をくださったのがバレンシア侯爵令息だけでした。……このような言い方が失礼に当たるということは存じておりますが、バレンシア侯爵令息に特定して助けを求めたわけではありません」
「なるほど」
「申し訳ございません」
頭を下げると、バレンシア侯爵令息が手を振った。
「ああ、別に謝罪は要らない。むしろ納得した。人混みに投げた石がたまたま当たったみたいなものだな。俺が手紙を返さなかったら、どうしていたんだ?」
「その時は適当な魔法士を捕まえて、金と権力を最大限に使って依頼をしようと思っていました」
バレンシア侯爵令息がキョトンとした顔をして、そして笑い出す。
あまりに笑うので、わたしは怒る気すら湧かなかった。
どちらかといえば何故笑われているのか困惑してしまうくらい、侯爵令息は笑っている。
しばらく笑って、それが落ち着くと、バレンシア侯爵令息が目元をこする。
笑いすぎて涙が出てきたらしい。
「お前、変な女だな」
「そうですか? 貴族らしいと思いますが……」
「貴族ならそういうことは考えていても言わないだろ。それをあっさり、しかも飾らずにそのまま言う奴なんていない。はしたないとか、品がないとか、言われるからな。飾ったところで結局、中身は同じなのにくだらねえ。……貴族ってのは自尊心の塊ばっかりだ」
だが、そう言ったバレンシア侯爵令息の雰囲気は柔らかくなっていた。
よく分からないが先ほどまでも関心のない、つまらなさそうな様子はなく、少なくともわたしの話を聞く気は出てきたようだ。
そのことにわたしは内心で安堵しつつ、戯けるように肩を竦めてみせた。
「『はしたない』も『品がない』も今更な言葉です。わたしのくだらない自尊心なんてとっくに捨てました。今頃、どこかの野良犬が食べてお腹を壊しているかもしれませんね」
それにバレンシア侯爵令息は、やはり愉快そうに口角を引き上げる。