灰かぶり姫の姉と魔法使い
「これから出かけるぞ」
バレンシア侯爵家に身を寄せてから一月ほどが経ったある日。
わたしの部屋を訪れたラウルがそう言った。
「どこに行くの?」
刺繍の手を止めて顔を上げれば、ラウルが見つめ返してくる。
「お前の母親のところだ」
「それって……」
ポンと頭を撫でられた。
「ああ、墓の場所を調べてきた。……黒いドレスはあるか?」
「大丈夫、あるよ」
「じゃあそれに着替えてこい」
わたしは刺しかけのハンカチを片付けて、着替えるために立ち上がった。
部屋を出る前に振り向けば、ソファーに座ったラウルがいる。
……だから今日は黒っぽい装いなんだ。
寝室に行き、新しくつけてもらった侍女に手伝ってもらいながら着替える。
喪服用の黒いドレスを着て、頭に帽子をつけて黒いレースのベールを顔にかけた。
そうしてラウルのいる部屋に戻るとラウルが立ち上がる。
ジッとわたしを見た後にラウルの手がベールをわたしの頭に上げた。
「墓地までは見にくいから上げとけ」
それから、エスコートをしてもらいラウルと侯爵邸の正面玄関に向かう。
玄関には馬車が停めてあり、それ二人で乗り込めば、扉が閉められて動き出す。
ゆっくりと流れ出した車窓を眺める。
……お母様が処刑されて、まだ一週間と少しくらい。
もうこの世にいないと分かっているのに、お母様の死を信じたくないと思ってしまう。
そのうち、どこかで再会して「まあ、アナスタシア、元気だった?」と声をかけてくれるのでは──……なんて、馬鹿みたいな想像をして自嘲が漏れる。
ふわりとラウルに抱き寄せられた。
ラウルは何も言わなかったけれど、優しく抱き締められて、少し気分が落ち着いた。
わたしはお母様の死を覚悟したつもりで、分かったつもりでいたけれど、でも本当のところは完全に理解出来ていなかったのかもしれない。
静かな沈黙の中で車輪の回る音と馬車の揺れる音が響く。
下手に慰めの言葉をかけられるよりずっといい。
途中で馬車が停まった。
「花くらい買っていったほうがいいだろ?」
「……そうだね」
馬車から降りてラウルと共に花屋の店先を見る。
……普通は白い花を供えるけど……。
「すみません、白い花を多めに、華やかな感じで小さめの花束を作っていただけますか?」
お店の人に声をかければ、すぐに動いてくれた。
わたしのふわっとした注文にラウルが訊き返してくる。
「白い花以外も入れていいのか?」
「うん。……お母様は華やかなものを好むから、白だけだとつまらないと思う」
その後、お店の人が白い花を主に赤や黄色、ピンクなどの色々な花を入れてくれた小さめの花束を用意してくれた。曖昧な注文だったのに渡された花束はとても可愛く綺麗なものだった。
「ありがとうございます」
お金を払おうとするとラウルに手で制され、ラウルが花代を払った。
花束を持って馬車に戻れば、また馬車はゆっくりと走り出した。
この華やかな花束ならきっとお母様も喜ぶだろう。
馬車は街中を通り過ぎ、王都の西の外れに到着した。
周囲に建物はほぼなく、ラウルの手を借りながら馬車から降りる。
林に囲まれたその場所は寂れていて、申し訳程度に墓地の管理人が住んでいるであろう建物が一つ、佇んでいるだけだ。まだ昼間だというのに人目を避けるように高く茂った木々で空が狭い。
ラウルのエスコートで墓地の中を歩く。
「……荒れてるね」
歩くのには問題ないが、墓地は全体的にさほど手入れがされていなかった。
人が歩かないところは雑草が大きく生えており、墓石も綺麗ではない。
「国所有の墓地と言っても罪人用だからな。罪人の墓が綺麗だと、それはそれで面白くないと思う人間もいる。被害者やその関係者が鬱憤晴らしに墓を荒らすこともある。だから、わざと手入れはあまりしていないのだろう」
「そうなんだ……」
確かに、褒められたことではないがそういった行いをする人もいるのかもしれない。
……それについてわたしがどうこう言う資格はないが。
少し墓地の中を歩き、目立たない場所にある墓石の前でラウルが立ち止まる。
その墓石はやや古く、しかし、名前は刻まれていなかった。
ただ日付けだけが五つほど記されている。
最後の日付けは新しく刻まれたもののようで、それは母が処刑された日の、日付けだった。
「……処刑後、遺体は燃やし、骨だけ埋葬してあるそうだ」
この国では土葬が一般的だが、罪人は死後、火葬される。
過去に絞首や毒杯などの刑に処された者が息を吹き返したという事例があり、罪人に確実な死を与えるため、そして死を確認するために火葬するのだという。
墓地の広さの問題もあって、一つの墓に複数の骨を埋葬するそうだ。
……お母様はきっと嫌がっているだろうなあ。
そんなことを考えているとラウルが墓石に手を翳した。
魔法の詠唱を行い、墓石が淡い光に包まれると墓石が綺麗になった。
「これくらいしても許されるだろ」
促され、墓石の前に花束を供えた。
きっとすぐに枯れて片付けられてしまうが。
両手を組み、目を閉じて祈る。
お母様の魂はもう空に昇ったのだろうか。
神様の裁きを受け、もしかしたらもう生まれ変わっているかもしれない。
……どうか、お母様の魂が次の生では幸せに暮らせますように。
お母様は少しお金遣いの荒い人ではあったけれど、それは多分、ストレスのせいだったのだろう。
お姉様とわたしの本当のお父様は愛人を作り、お母様やわたし達を蔑ろにしてきた。
姉を産んだ母に「次こそは男児を」と次を望んだものの、生まれたのは女児のわたしで、難産だったらしくお母様は二度と子を産めなくなった。
そのせいでお父様はお母様への興味を失ったのだ。
……ああ、そっか。
前世を思い出す前のアナスタシアの古い記憶にあるお父様はアナスタシアを疎んでいた。
望んでいた男児でなかったこと、金のかかる女児だったこと、自分に似たそばかす顔というのはお父様からしたら『美しくないから政略結婚の道具として価値が低い』と見えていたようだ。
記憶の中のお父様はいつもアナスタシアを『器量が悪い』と言っていた。
幼いアナスタシアは意味を理解出来なくても、お父様の雰囲気から、それが良い言葉ではないと分かった。
ずっとお父様から否定され続け、両親の離婚の原因は自分なのではないかと思い、悩み、アナスタシアは一人で密かに苦しんでいた。
だからアナスタシアは内気で捻くれていた。
でも、前世の記憶を思い出してからはもう違う。
前世のわたしも今生のわたしも、わたしである。
ただ、前世を思い出して、世界の広さに気付いて悩むのはやめた。
……お母様は一度だってわたしを責めなかったから。
いつだってお母様は慈しんで育ててくれた。その愛情は沢山感じてきた。
もうお母様の愛情を疑うようなことはしたくない。
目を開ければ、すぐ横でラウルが胸に手を当てて祈ってくれていた。
それが嬉しくて、でもお母様が死んだことが悲しくて、複雑な気持ちになった。
「……お母様……」
お母様にとってラウルは不愉快な人物だっただろう。
ラウルはお母様を脅してわたしとの婚約を取りつけた。
……でも……それでもね、お母様……。
「……わたし、頑張って幸せになります」
お母様がくれた遺言の意味が今なら何となく分かる。
髪と伝言をラウルに託したのは、お母様なりにラウルとの婚約をきちんと認めてくれたのだろう。
その上でわたしに『幸せになりなさい』と残したのだ。
それなら、わたしは幸せになるために努力しよう。
ラウルを見れば、目を開けてわたしを見つめていた。
「ねぇ、ラウル」
「何だ?」
そっと、ラウルの手に、わたしは自分の手を絡めた。
「もう少しだけ待っててくれる? あなたとのこれからについてもきちんと考えるから」
こんなことを言うのは今更だろうけれど。
「わたしも、あなたを好きになる努力をするね」
……でも、そんなに努力は必要ないのかもしれない。
繋いだ手の温もりを感じると、心臓が少しだけ早鐘を打つ。
ラウルがわたしの言葉に小さく笑った。
「ああ。だが、早くしろよ? 俺はあんまり気が長いほうじゃねぇしな」
そう言って、ラウルは繋いだ手をキュッと握り返してきた。
それにわたしも握り返しながら頷いた。
「うん、分かった」
灰かぶり姫の姉は魔法士の横にいる。
そういう結末があったっていいだろう。
* * * * *
「いらっしゃい、シンディー」
初めてバレンシア侯爵家に招待されて行くと、アナスタシアお姉様が出迎えてくれた。
その横にはバレンシア侯爵令息もいて、でも、彼はなんだか暇そうだった。
「今日はお招きいただきありがとうございます、お姉様、バレンシア侯爵令息」
本当は伯爵家に招きたかったのだけれど、やんわり断られてしまった。
それについてお父様に話すと「伯爵家だと居づらいだろうからね」と返ってきた。
私が許していたとしても、お父様が許したとしても、アナスタシアお姉様はわたしを虐めていた一人なので、昔からずっといる使用人達はきっと良い顔はしないだろう。
アナスタシアお姉様もそのことを分かっているから、あえて断った。
ようやく平穏を取り戻した伯爵家に自分が立ち入ると場を乱してしまう。
……そんなこと、ないと思うけど。
でも、アナスタシアお姉様が嫌がることはしたくない。
逆に侯爵家に遊びに行くのはいいという話だったので、お邪魔させてもらうことになった。
応接室にはお茶の用意がされており、三人でテーブルを囲む。
アナスタシアお姉様の横に座ったバレンシア侯爵令息が、椅子ごとお姉様に寄る。
肘が触れるほど近い二人だけれど、いつものことなのか、アナスタシアお姉様もバレンシア侯爵令息も気にした様子はない。バレンシア侯爵令息が取り皿に手を伸ばす。
「シンディー、最近はどう? 王城にも行くようになって、大変でしょう?」
そう、ウィルとの婚約を正式にお披露目したのだ。
それにアナスタシアお姉様達も参加していて、王家主催の素晴らしい夜会だった。
ただ、婚約発表をしてからは家での淑女教育に加えて、王族の婚約者としての教育を王城で受けるようにもなったので、週の半分くらいは王城にも通っている。
今はまだ教育の触りの部分だけだが、淑女教育が終わったら本格的にそちらを学ぶことになる。
「大変だけど、とっても楽しいです。教師の皆様もよく褒めてくれるので、やる気も出ます」
「そうなんだ。シンディーは勉強するのが好きみたいだし、性に合ってるのかもね」
「はい、毎日新しいことを教えてもらえるから次の授業も楽しみなんですっ」
アナスタシアお姉様が「良かったね」と柔らかく微笑む。
その横でお菓子を取り分け終えたバレンシア侯爵令息が、そのお皿をアナスタシアお姉様の前に置いた。
「ありがとう、ラウル」
お姉様が声をかけるとバレンシア侯爵令息が満足そうに笑った。
アナスタシアお姉様とバレンシア侯爵令息はすごく仲が良いと思う。
お姉様は気付いていないみたいだが、侯爵令息はいつもお姉様を気遣っていて、一緒にいる時は常にお姉様のそばから離れない。
ウィルの話では『魔法士は興味のあるものへの執着が強い』らしい。
つまり、侯爵令息はお姉様にすごく興味があって、多分、執着もしている。
アナスタシアお姉様は少し鈍感なところがあるせいか侯爵令息の分かりやすい好意をあまり感じ取れていないみたいで、だけど、侯爵令息はそれすら面白がっているようだ。
……でも、お姉様が侯爵家に移ったのは正解だった。
今のアナスタシアお姉様は、伯爵家でも見たことがないくらい明るくて、穏やかで、雰囲気も柔らかい。
「婚約発表をしてから、手紙攻撃がすごいでしょう? わたしもラウルと婚約発表したけれど、色々な手紙が届いたし……あまりに手紙が多いから今は侍女に仕分けを頼んでいるの」
何となく、お姉様に送られてきた手紙全てが良いものばかりではなかったのだと分かった。
ウィルとの婚約発表の後から私のところに届く手紙もそうだ。
第二王子殿下との婚約を妬んでの手紙や、王族と縁を繋ぎたくてすり寄って来ようとする手紙。もちろん、婚約祝いを送ってくれる家もあったけれど、差出人のない嫌がらせの贈り物もあった。
「私も今は侍女に任せています」
「やっぱりそうなるよね」
困ったようにお姉様が微笑む。
でも、その微笑みは穏やかで、そしてとても可愛らしかった。
以前のお姉様はそばかすを化粧で隠していたが、今はもうやめたようだ。
今の素のお姉様のほうが可愛くて、綺麗で、ずっと魅力的である。
「お姉様」
呼べば、柔らかな緑色の瞳が優しく見返してくる。
「なぁに?」
「今度ウィルとのお茶会に来ていただけませんか? もちろん、バレンシア侯爵令息も一緒です」
お姉様はキョトンとした表情をして、横にいるバレンシア侯爵令息をチラリと見た。
バレンシア侯爵令息はお菓子を食べながら「好きにしろ」と言った。
言葉だけだと冷たく感じるが、その声は甘く優しいものだった。
「そう……じゃあ、今度お邪魔させてもらおうかな」
「はいっ、是非! ウィルもお姉様ときちんと話がしたいと言っていました」
「ああ、まあ、そうかもなあ……」
お姉様が何故か苦笑し、バレンシア侯爵令息がお姉様の頬を指でつつく。
「言っとくが、お前が考えているようなことじゃないと思うぞ」
「それならいいけど……」
「王城見学みたいな感じで楽しめばいいさ」
「そうだね、何事も楽しまないと損だしね」
お姉様が笑うとバレンシア侯爵令息も口角を引き上げて微笑んだ。
……お姉様が幸せそうで良かった。
私はこれからも、アナスタシアお姉様と仲良くしたい。
「それでは、ウィルに伝えておきますね」
離れていても、いつか、心から家族として過ごせるようになれたら良いなと思う。
* * * * *
これにて完結となります(*^-^*)
短いお話でしたが最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!