灰かぶり姫の姉の結末
シンディーを救い出してから一週間。
その間に色々なことが決まり、進んでいった。
まず初めにシンディーと第二王子の婚約が決まった。
まだ公表はされていないものの、数日後の王家主催の夜会にて発表される予定だ。
シンディーは伯爵家に帰り、現在は伯爵と共に伯爵令嬢として、遅れた分の教育を取り戻すために毎日家庭教師から授業を受けながら過ごしているらしい。
先日『礼儀作法の授業は大変だけど楽しい』といった内容の手紙が届いた。
シンディーは本来の生活に戻り、毎日楽しく過ごしているようだ。
ちなみにお母様やお姉様についていた侍女や、お母様達のご機嫌を取ろうとシンディーを密かに虐めていた使用人達は全員解雇されたという。すぐに新たな使用人を雇い入れたそうだ。
本来の主人である伯爵が屋敷に戻ったことで色々と伯爵家も変わるだろう。
……わたしが伯爵家に行くことはあまりないだろうけど。
フォートレイル伯爵家に第二王子が婿入りするが、シンディーと第二王子の間に生まれた子が継ぐか、その辺りはまだ検討中らしい。どちらにしても伯爵家は存続していくわけだ。
今回、お母様が禁術を使用した件で伯爵家も罪を問われるかと思ったが、なんと、お母様は「全て私一人でしたことだ」と証言し、伯爵家も娘の私達も無関係だと訴えたのだとか。
その結果、お母様は貴族裁判で絞首刑を言い渡された。
裁判前に伯爵と離婚が済んでいたため、お母様は男爵令嬢となり、お姉様も男爵令嬢の娘となった。お姉様はお母様の実家であるフィールズ男爵家に身を寄せている。
だが、恐らくすぐに政略結婚をさせられるか、修道院に入れられるかするだろうとのことだった。
罪人が出てしまった家という上に、罪人の娘まで抱えていてもフィールズ男爵家にとって良いことなどない。少しでも厄介事を減らすためにお姉様は追い払われる。
……お母様、お姉様……。
もう、わたしではどうしようもない。
わたしだけが何のお咎めもなしというのがつらかった。
しかし、これこそが罰だというのなら受け入れるしかない。
わたしもバレンシア侯爵家に来てからは忙しい日々を送っていた。
ラウルの母親であるバレンシア侯爵夫人から礼儀作法を習っている。
わたしの事情を知っているだろうに、バレンシア侯爵も夫人も温かくわたしを迎え入れてくれて、使用人達の対応もとても丁寧で、自分には勿体ないくらいの場所だと思う。
ラウルは次男なので家を継ぐ必要はないものの、宮廷魔法士の中でも地位の高い塔長なので、その婚約者となったわたしも何かあれば王族と接する可能性が出てくる。
シンディーと第二王子の婚約もあったため、礼儀作法を学び直すことにしたのだ。
バレンシア侯爵夫人は優しく、褒めて伸ばすタイプの人らしく、すごくよく褒めてくれる。
それが嬉しくて、少し照れ臭くて──……頑張ろうと思える。
刺繍をしていると部屋の扉が外から叩かれた。
「どうぞ」
と声をかければ、扉を開けてラウルが入ってきた。
刺繍道具をテーブルに置くと、わたしの横にラウルが座る。
今日はお母様の刑が執行される日だ。
それもあってか、バレンシア侯爵夫人はわたしにお休みをくれた。
しかし出かけるような気分にもなれず、とにかく気を紛らわせるために集中出来る刺繍をしながら一人で過ごしていた。
……ラウルが帰って来たってことは、終わったんだね……。
お母様の処刑は国の上層部の貴族達が立ち会うこととなっている。
ラウルも調査を行った塔長として見届けに行っていた。
そのラウルが戻って来たというのであれば、お母様の刑の執行は問題なく行われたのだろう。
……もう、お母様はこの世にいない……。
そう思うと目に涙が溜まり、わたしは誤魔化すように一度目を閉じた。
横に座ったラウルに抱き寄せられる。
優しい温もりと慰めるように頭を撫でる手付きに、吐いた息が震える。
「ベリンダ・フィールズの刑は執行された。……最後まで貴族らしく堂々としていたぞ」
ラウルの言葉に、お母様らしい、と思った。
お母様も、お母様の生家も『貴族らしさ』をとても気にしていたから。
「娘のお前達の今後を心配していた」
顔を上げれば、ラウルが言う。
「ベリンダ・フィールズからの伝言だ。……聞くか?」
「うん……」
どんな伝言なのか少し怖いが、聞かないほうがもっと不安だ。
「『アナスタシア、幸せになりなさい』」
ハッと息を呑んだ。
処刑前、それでも、お母様はわたし達を気にかけてくれたというのか。
……お母様……。
禁術を使ってしまったとはいえ、わたしやお姉様にとっては優しい母だった。
こうして家族は離れ離れになってしまったが、互いへの愛情が消えたわけではない。
じわりと視界が滲み、慌てて顔を俯ける。
しかし、俯いたせいでポタリと涙が膝に落ちた。
慌てて袖で拭えばラウルが声をかけてくる。
「こすると腫れるぞ」
顔を上げれば目元にそっとハンカチが当てられた。
それを受け取ると抱き寄せられる。
「泣きたい時は好きなだけ泣け」
「……いい、のかな……」
「お前にとっては良い母親だったんだろ? 家族のために泣くことの何が悪いんだよ」
優しく背中を撫でられ、それに涙があふれてくる。
ラウルの胸元に額を押しつけるような格好だが、それが良かった。
泣いている顔なんて誰にも見られたくない。
室内にはメイドも控えているけれど、気配を消して、わたしを見ないようにしてくれている。
ラウルもそれ以上は何も言わず、その気遣いがありがたかった。
泣いて、泣いて、泣き続けて、体中の水分がなくなるのではと思うほど泣いた。
あまりにわたしが泣くものだから、途中でラウルが驚いていた。
「泣きすぎて目が溶けないか心配になってくるな」
でも『泣き止め』とか『まだ泣くのか』みたいなことは言わなかった。
結局、わたしは二時間の大泣きしてしまって、ある程度気持ちが落ち着いた頃には目元が熱く腫れてしまった。
それでもまだグズグズと涙を引きずっているわたしにラウルが小さく笑った。
「目、腫れてるぞ」
「……言われなくても分かってる……」
熱いし、瞼が重くて瞬きがしにくい。
ラウルの掌がわたしの目元を覆うと、ひんやりした手の体温が心地好い。
魔法の詠唱が聞こえ、ふわりと目元が温かくなり、瞼の熱が引いた。
目を開けると瞼はいつも通りにパチリと開いた。
「どうだ?」
パチパチと瞬きをしてももう腫れは感じない。
「……これも魔法?」
「ああ、治癒魔法だ」
「魔法って便利だね。……いいなあ」
ラウルが口角を引き上げ、自慢げな表情をした。
「魔法は適性がないと使えないからな」
伸びてきたラウルの手がわたしの頭を撫でる。
少し照れくさいが嫌ではない。
いつの間にかわたしの涙は完全に止まっていた。
「アナスタシア」
名前を呼ばれて顔を上げると、立ち上がったラウルが手を差し出してくる。
「気分転換に散歩でもするか」
その手に、わたしは自分の手を重ねた。
「うん」
優しく引き上げられて立てば、当たり前のようにエスコートされる。
……この世界は原作『シンデレラ』とは違う結末になった。
原作通りと、今と、どちらが良かったのかは分からない。答えのない問いだろうけれど『シンデレラと王子は幸せに暮らしました』という終わりなのは確かだった。
でも、きっと物語の最後にはこう付け足されているだろう。
「……『灰かぶり姫の姉は魔法使いの助けを借りました』」
そうして、灰かぶり姫の二番目の姉は魔法使いと結ばれました。
わたしの呟きにラウルが「ん?」とこちらを見る。
「何か言ったか?」
「……ううん、何でもない」
原作通りにはいかなかったけれど、これが、この世界の流れなのだ。
元より原作とは違っていたから当然である。
「ラウルと出会えて良かった」
わたしの言葉にラウルが、フッ、と微笑んだ。
「最高の褒め言葉だな」
わたしはきっと、この人を好きになるだろう。
時間が巻き戻る前のわたしと同じように。
* * * * *
明るい日差しの下、アナスタシアと侯爵邸の庭園を歩く。
先ほどまで泣いていたアナスタシアであったが、外に出たことで気分が落ち着いたようだ。
今は穏やかな表情をしており、ラウルはそれに内心でホッと息を吐いた。
好きなだけ泣けと言ったが、あまりに泣き続けるので永遠に泣き止まないのではと少し不安を感じたし、泣きすぎて腫れてしまった目元が可哀想だと思った。
だから治癒魔法で目元の腫れを治してやったのだが、おかげでアナスタシアの意識は母親の死から多少は逸れたようだ。
ラウルは花に全く興味がないけれど、母の好きなバラの庭園をアナスタシアは気に入ったらしい。
母はアナスタシアのことを気に入っており、ラウルが仕事で屋敷にいない間、色々と教えているそうだ。アナスタシアも母を慕っている様子だった。結婚後も良い関係を築けるだろう。
アナスタシアが不意に顔を上げて空を見上げた。
赤い髪が太陽に当たって輝き、緑の瞳が優しく煌めく。
白銀の髪に灰色の目のラウルとは違い、鮮やかな色彩である。
見つめているとこちらの視線に気付いたアナスタシアが笑った。
「雲ひとつない、良い天気」
エスコートのために触れている手が、キュッと握られた。
「……これなら、きっとお母様は迷わず空に上がれるね」
人の魂は死後、体を離れて空へと昇る。
そして偉業を成し遂げた魂は星となって永遠に空で輝き、そうでない魂は次の生に生まれ変わる。
ほとんどの人間は空に昇り、神の裁きを受け、次の人生を与えられる。
……そんなものは子供の寝物語だ。
ラウルはその話を信じていない。
だが、ここでそれを言うほど無神経ではないつもりだった。
「ああ、そうだな」
空に昇り、神の裁きを受けた魂は浄化され、罪も記憶も全て洗い流される。
それは前世の記憶で苦しまぬための、神の慈悲だという。
……だとしたら『前世持ち』は何なのだろうか?
アナスタシアのように、別世界で死んでから生まれ直した魂はまた違うのか。
そこでふと、渡し忘れていたものを思い出す。
「アナスタシア、これを」
ラウルは懐から取り出した小さな布の包みをアナスタシアに差し出した。
ポケットに入るくらいそれは、元はラウルが使っている匂い袋のひとつである。
不思議そうにしながらもアナスタシアがそれを受け取った。
「匂い袋?」
アナスタシアの掌に収まるほど袋は小さかった。
「元はな。……中にベリンダ・フィールズの髪が一房入っている」
アナスタシアの目が見開かれ、手の中の袋に視線を落とす。
「刑が執行される前に面会して、何とか手に入れられたのはそれだけだ。……重罪人として処刑されたベリンダ・フィールズの遺体をフィールズ男爵家は拒否した。遺体は国が管理する罪人用の墓地に埋葬されるだろう」
アナスタシアが両手で小さな袋を包み、目を閉じた。
まるで祈りを捧げているような──……いや、恐らく母親の魂の救済を願っているのだろう。
目を開けたアナスタシアが微笑んだ。
「ありがとう」
少し震えた声でそう言われた。
大事そうに小さな袋をアナスタシアが胸元で抱き締める。
……もう一人の娘とは大違いだな。
侯爵家に帰宅する前にフィールズ男爵家に寄り、ベリンダ・フィールズのもう一人の娘、長女のドーリス・フィールズにも同じものを渡し、母親の最後の言葉を伝えてきた。
しかし、ドーリス・フィールズは母親の死を知って泣き叫びながら袋を地面に叩きつけた。
『何が「幸せになりなさい」よ! 私が伯爵令嬢ではなくなったのも、鞭を打たれたのも、全てお母様のせいじゃない!! それなのにさっさと死ぬなんて無責任だわ!!』
ドーリス・フィールズは怒りに満ちた様子で叫び、泣いて、しかし控えているメイドが動かないことに余計に怒りを募らせ、応接室を飛び出していった。
床に放置された小袋から僅かに黒髪がこぼれ落ちていた。
このまま放置すれば捨てられてしまうだろう。
ラウルは袋に髪を戻し、それをテーブルの上に置き、男爵邸を後にした。
アナスタシアのほうが歳上のようだと思ったが、前世の記憶があるアナスタシアは実際に精神年齢はドーリス・フィールズより上なのかもしれない。
そもそも、ドーリス・フィールズも十八歳で、まだ若い。
予想外の事態に混乱し、あのように感情的になっても不思議はなかった。
「……ベリンダ・フィールズが埋葬されたら、花を供えに行こう」
きっとフィールズ男爵家も、ドーリス・フィールズも墓を訪れることはないだろう。
アナスタシアが嬉しそうな顔で頷いた。
「うん。……でも、場所を教えてもらえるかな?」
「聞く必要はねぇよ。俺の立場なら簡単に調べられる」
そう返せば、アナスタシアがおかしそうに笑った。
「権力の使い道、間違ってるよ」
その笑顔はラウルの好きな、明るく柔らかなものだった。
* * * * *