御伽話のような / その後
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アナスタシアお姉様達に助け出されてからは、あっという間の出来事だった。
地下室から出て王城に行き、そこでお父様と再会した。
久しぶりに見たお父様は記憶の中より少しだけ老けていて、きっと、領地の問題を解決するのに沢山苦労したのだろう。それでも、優しいお父様はやはり優しいままだった。
その後、バレンシア侯爵令息にこれまでのことを説明してもらった。
私の想像以上のことが起こっていたみたい。
でも、アナスタシアお姉様のおかげで今こうして助け出されたのだということは分かった。
お父様はお義母様と離婚すると言った。
けれども、アナスタシアお姉様とは養子縁組をして、お姉様を伯爵家に残すとも言ってくれた。
たとえ時間が巻き戻って記憶を失っていても、私の中にアナスタシアお姉様に対する信頼の気持ちは多分残っている。アナスタシアお姉様は信じられるし、これからも信じたいと私は思っている。
それから、ウィル──……ウィリアム殿下からの告白と婚約の申し出を受けた。
街の商家の生まれだと思っていたウィルが、実は第二王子殿下だなんて想像もしていなかった。
だけど、同時にとても嬉しかった。
伯爵家の令嬢と商家の息子では身分差があって結婚出来なかったから。
……私も、ずっとウィルが好きだったの。
告白されてようやく気付くなんて自分でも鈍感だと呆れてしまうけれど。
お父様も婚約を許してくれて、あとは両陛下からのお許しを得る必要があった。
それも不安だったが、ウィリアム殿下は「大丈夫だ」と笑っていた。
「元々、僕の妃選びの夜会を開くかどうか考えていたところだ。でも、そんなことをしなくても、僕には既にシンディーがいる。だから夜会は開く必要もないし、父上と母上も伯爵令嬢なら問題ないと許してくれるさ」
第二王子殿下だと分かってからも、ウィリアム殿下の態度はウィルの頃のままだった。
それが嬉しくて、幸せで、暗い日々から抜け出せたのだと実感した。
領地の問題も解決しており、お父様は今後、王都の伯爵邸で過ごすとのことで、これからは一緒に暮らせるようになる。
今はまだ王城で保護されているけれど、あと数日もすれば伯爵家に帰ることが出来る。
アナスタシアお姉様はこのまま侯爵家で過ごすが、会おうと思えばいつでも会える。
「シンディー、嬉しそうだな」
横に座ってるウィリアム殿下が言った。
王城に保護されてから三日が経ったものの、毎日ウィリアム殿下は会いに来てくれる。
王族の公務など色々と忙しいだろうに『一人では寂しいから』と時間を作って来てくれるの嬉しくて、本当にウィリアム殿下は私のことが好きなのだと分かって、やっぱりすごく嬉しい。
「今の状況が夢みたいで……すごく幸せなの」
二人でいる時は以前の呼び方のままでいいと言われて、そうしている。
丁寧な言葉遣いをすると悲しそうな顔をされるから。
ウィリアム殿下に手を取られる。
「夢じゃない。こうして君はここにいる。……シンディーは僕の婚約者だ」
ウィリアム殿下の言葉にハッと顔を上げれば、頷き返される。
「父上と母上が婚約を許可してくれた」
そしてウィリアム殿下が控えていた騎士に手を上げると、騎士が書類をテーブルに置いた。
それは婚約届で、国王陛下とお父様、そしてウィリアム殿下の署名があった。
テーブルの端に置かれていたペンを取ったウィリアム殿下がそれを差し出してくる。
「あとは君の署名だけだ」
ペンを受け取り、インクをつけて署名する。
久しぶりに字を書いたので少し手が震えてしまったけれど、きちんと書けた。
ペン立てにペンを戻すとウィリアム殿下が微笑んだ。
「これで正式に僕達は婚約した。……ありがとう、シンディー」
「ううん、私こそありがとう、ウィル」
抱き締められてウィリアム殿下に寄りかかる。
思いの外がっしりとした腕や胸板にドキリとしてしまった。
……私、やがて王族になるんだ。
そのためにもきっと、これから沢山の勉強や試練が待ち受けているだろう。
ここ三年ほどは家庭教師もつけてもらえなかったので礼儀作法もかなり忘れているところがある。
それでも、ウィリアム殿下──……ウィルとずっと一緒にいるためなら頑張ることが出来る。
これまでは一人だったけれど、ウィルやお父様、アナスタシアお姉様がいる。
私はもう一人じゃない。
お義母様のしたことは許せないし、お義母様もドーリスお姉様も思い出すと怖くて震えそうになるが、いつまでも俯いてばかりいたら私を助けて支えてくれる人達の気持ちを無駄にしてしまう。
……これからはちゃんと顔を上げて、前を向いて生きていく。
愛する人達と幸せになるために。
「ねえ、ウィル」
顔を上げればウィルが優しい表情で見下ろしてくる。
「どうした? シンディー」
私はウィルの頬に手を添え、背伸びをして、その頬に口付けた。
……まだこれが私の精一杯で出来ることだけど。
「私、あなたを愛してる」
ウィルの顔がサッと赤く染まる。
そうして、幸せそうに微笑み返してくれた。
「ああ、僕も君を愛している」
つらくて苦しくて、もう嫌だと思う日もあった。
でも、今、私は幸せだ。
虐げられていたけど、助け出されて王子様と婚約するなんてまるで御伽話みたい。
「これからは君を守ると約束する」
差し出された小指に私も小指を絡めて微笑んだ。
こんな素敵な幸せが、私にも訪れた。
* * * * *
「国王エドゥアルト・アルヴ=ウィルティエールの名に置いて、元フォートレイル伯爵夫人ベリンダ・フィールズ男爵令嬢と禁術に関わった魔法士達を絞首刑とする! 民を混乱させないために非公開とするが、三日後、王城内の処刑場にて刑を執行せよ!」
国の上層部の貴族のみが傍聴する中、判決が下される。
処刑、と聞いて頭が真っ白になる。
けれども、すぐに我に返るとベリンダは慌てて言い募った。
「そんな……陛下、どうかお慈悲を! 確かに私は禁術を使用してしまいましたが、誰も傷付いたり死んだりしてはいないではありませんか! ただ時間が少しばかり巻き戻っただけでございます!」
「この愚か者! 己の罪から逃れるために大勢の人々の命を身勝手に使った挙句、禁術使用という大罪を犯し、我が国を危機に陥れているという自覚もないと言うか! そなたのせいで我が国は周辺国からどのように責められるか、その程度の考えも及ばないのであるか!?」
国王の怒りに満ちた表情にベリンダは「ひっ!?」と小さく悲鳴を上げてしまった。
傍聴している貴族達の侮蔑に満ちた冷たい眼差し、国王から伝わる強い怒気、そして誰からも同情されないという事実にベリンダは全身の血の気が引いていくのを感じた。
よろめきながらも必死で言葉を紡ぐ。
「で、では、娘を……娘達だけはどうかお慈悲を……! あの子達は何も知らないのです……!」
前夫の男爵についてはもう愛していないし、どちらかと言えば憎しみのほうが強いが、娘達を授けてくれたことだけは心から感謝していた。
前夫が愛人の下に通っていると知って苦しんでいた時、支えてくれたのは他のでもない娘達の存在だった。
娘達はなかなか帰らない父親よりも、母親であるベリンダを慕い、愛し、いつだって必要としてくれる。そのおかげでベリンダはどれほど救われたか。離婚を決めたのも、娘達が前夫に政略結婚のための道具として使われないようにしたかったから。
「私はどうなっても構いません! しかし娘達だけはどうか、どうか、お慈悲を賜りたく……!!」
跪き、頭を床にこすりつけて懇願する。
しばしの沈黙の後、国王の声がした。
「……そなたが魔法の代償とした者達にも同様に、大切な家族や友人がおるのだ」
かけられた言葉の意味を理解し、涙があふれてくる。
他人の命など、自分や娘達以外はどうでも良かった。
使用人は家の道具のようなものなのだから、女主人である自分が好きに使っても構わない。
時間が巻き戻った時も『誰も死んでいないし、誰も傷付いていないじゃないか』と思った。
だが、確かに魔法士が魔法を使った瞬間、多くの人々の命が失われたのだろう。
巻き戻ったおかげで全てが『なかったこと』になったと考えていたが、そうではない。
「代償とされた者達の家族や友人がそれを聞いた時、どう思い、何を考えるか。……もしそなたの大切な娘達が代償に使用されたとしたら、そなたどうだ? 時間が巻き戻ったからといって、被害者の受けた恐怖や苦痛は許されることではないだろう?」
先ほどまでの怒気は消え、国王からは静けさを感じた。
「娘達には禁術の罪は問わん。事実、関わっていたのはそなたと魔法士達だけのようだ。……だが、我々には『罪人の子』という立場を変えることは出来ぬ」
ベリンダが顔を上げれば、国王が静かな眼差しで見下ろしていた。
「そなたが己の罪から逃げようとした結果、娘達は『罪人の子』として生きていくこととなる。それこそが、そなたへの最大の罰となるだろう」
「っ、娘達はどうなるのでしょうか……?」
「長女のドーリス・フィールズはフォートレイル伯爵家の正統な後継者を虐待した罪で、鞭打ちの刑の後にフィールズ男爵家に戻される」
ベリンダは両親を思い出し、眉根を寄せた。
両親は昔から『貴族らしさ』や『爵位』に強いこだわりを持っていた。
幼い頃からベリンダは両親に『貴族としての何たるか』というものを叩き込まれ、しかし社交界に出た時、両親の言う『貴族らしさ』は全くもって無駄なものだと思い知らされた。
ドーリスがフィールズ男爵家に戻ったとしても居場所はない。
これまでは伯爵令嬢として可愛がってくれていたが、罪人の子となれば、まともな結婚は出来ない。
貴族の血欲しさか見目の良い者を好む豪商などの愛人になれれば良いほうだ。
あの両親のことだから、ドーリスを遠方の修道院に放り込んで追い払う可能性も高い。
「次女のアナスタシア・フォートレイルも虐待に加担していたが、伯爵家との間で既に示談が成立しており、フォートレイル伯爵が養子縁組を申し出た。バレンシア侯爵家からも嘆願書が提出され、現在も伯爵令嬢としてバレンシア侯爵令息と婚約を継続している」
……アナスタシア……。
あの子は最初から正しかった。
シンディーを虐げるのをやめてほしいと言われた時はどうしたのかと心配したが、間違っていたのはベリンダ達のほうであった。しかも間違いに更に過ちを塗り重ねた。
内気で家族以外に親しい相手のいなかったアナスタシアはいつの間にか変わっていた。
思えば、あの時アナスタシアは母親であるベリンダに初めて意見したのだ。
それに向き合い、耳を傾け、シンディーへの虐待をやめていたら未来は違ったのだろうか。
「それでも、次女のアナスタシア・フォートレイルは罰を望んでおった」
その言葉にベリンダは涙が止まらなかった。
「母が娘を思うように、娘も母と姉を思っていた。……アナスタシア・フォートレイルにとっては『罰を与えられない』ことこそ、最もつらい罰だろうとフォートレイル伯爵も申しておった」
……ああ、そうだわ……。
アナスタシアは元々、優しい子だった。
誰かを虐めるなんてしない子で、だからこそ、分かってしまった。
……私がシンディーを虐げ始めたせいで、あの子達は……。
貴族の娘の世界は狭い。両親は神にも近い存在だ。
母親がそうしているなら、娘達はそれが正しいと思うし、間違っていると思っても言い出せない。
親として、子の手本となるべきだったのに、ベリンダは己の感情と利益を優先してしまった。
娘達のためなどというのはベリンダの身勝手であった。
「人々の命を弄び、国の信頼を失墜させた罪は贖わねばならぬ」
それを考えれば、むしろ、娘達や一族郎党にまで責が及ばないのは優しい判決だった。
ベリンダはもう一度、床に額を押しつけて深く頭を下げた。
「全ては、私が魔法士達にさせたことでございます……」
国王はまだ歳若い娘達にまで責は問わぬと、最小限で済むようにしているのだ。
「……陛下のご判断とお慈悲に、感謝いたします……」
ベリンダはどう足掻いても生き残る道はない。
しかし、娘達は何とか生き残れる。
たとえ修道院に送られたとしても、社交界で『罪人の子』と指差されようとも、生きていれば幸せになれる可能性はある。愛する娘達が生きていてくれるなら、それでいい。
……そのためなら、私の命くらい安いものだわ。
目を閉じれば二人の娘の姿を思い出せる。
ベリンダそっくりのドーリスに、前夫そっくりのアナスタシア。
それでも、どちらも愛すべき娘である。
ドーリスはベリンダと同じ黒髪に緑の瞳をしており、性格も気が強くて堂々としていて、ベリンダの若い頃にそっくりで。己に似たドーリスが可愛くて好きだった。
アナスタシアは前夫と同じ赤毛やそばかすを嫌がっていたけれど、ベリンダは燃えるような鮮やかな赤毛も、星のように散らばったそばかすも、可愛らしくて好きだった。
「異論がある者がいれば、声を上げよ!」
法廷内に国王の声が響く。
シンと静まり返っていることを確認し、国王が言った。
「では、これにて閉廷とする!」
騎士達に引き上げられ、ベリンダはよろめきながらも立ち上がる。
国王の座する場所に深々と頭を下げ、そうして引っ立てられて法廷を後にした。
……娘達はきっと、この先も酷く苦労する……。
ベリンダの軽はずみな行いが、何よりも大事な娘達の明るい未来を潰したのだ。
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