魔法使い、画策する。
* * * * *
アナスタシアと再会した翌朝、ラウルは帰宅するとそのまま父の書斎を訪ねた。
出迎えてくれた執事の話では、母は社交で忙しく、兄は父の代わりに領地に出かけてしまったそうだ。
書斎の扉を叩くとすぐに中から「入りなさい」と声がかけられ、ラウルは扉を開けた。
「失礼します」
「ラウル、戻ったか」
父がペンを置いて顔を上げた。
「まさか、禁術を使う愚か者がこの国にいようとは……困ったものだ」
宮廷で働いている父もどうやら話を耳にしたようだ。
それに頷きながらラウルはソファーに腰を下ろした。
「まだ、しばらくは俺も忙しいかと」
「そうだろうな。……それでも、ここに来たのは婚約のためか?」
「はい。俺はフォートレイル伯爵家のアナスタシア嬢と婚約します」
「断られたのに?」
父の問いかけにラウルは頷き返す。
それに父が小さく笑った。
「お前がそれほど気に入った相手は、今後、そう現れないだろう」
「ええ、ですから俺も彼女を手放したくないと考えています」
祖父は宮廷魔法士であったが、父は魔法の適性がなく、興味もない。
だが、両親を見て、魔法士の執着の強さだけは理解しているのだろう。
「父もそうだったが、魔法士というのは面倒な生き物だな」
「こだわりが強いと言ってください」
「はは、確かにその通りだ。……だが、また断られるかもしれないぞ?」
どうする、と父が視線で問いかけてくる。
それにラウルは口角を引き上げて笑った。
「断れないようにすればいいだけのことです」
そうして、ラウルは父に計画を説明した。
奇抜さはないが、我ながら性格の悪い計画だと思う。
話を聞いた父はおかしそうに声を上げて笑う。
「本当にお前は祖父似だな。父もよく、母に悪い虫が寄りつかないよう気付かれないうちに手を回していたが……きっとお前も婚約したらそうなるんだろうな」
そして、父が便箋を取り出した。
「分かった。では、改めてフォートレイル伯爵夫人に面会出来ないか手紙を送ってみよう。了承が得られたらフォートレイル伯爵家に行き、夫人とお前が話す。それでいいな?」
「はい、お願いします、父上」
父が微笑み、便箋にペンを走らせる。
……婚約者の母親を脅すなんてどうかしていると思うが。
それでも、どうしてもラウルはアナスタシアが欲しかった。
* * * * *
二日後、ラウルは父と共に馬車でフォートレイル伯爵家に向かっていた。
婚約について話し合いたいと伝えたところ、伯爵夫人との面会を取り付けることが出来た。
フォートレイル伯爵家に正式に行くのは二度目である。
一度目はウィリアムと共にガラスの靴を持って来た時だ。
それ以外では夜に何度か、密かにアナスタシアの部屋を訪れたことはあったが。
馬車が停まり、伯爵邸に着くと伯爵夫人と長女、使用人達に出迎えられた。
「バレンシア侯爵、侯爵令息、ようこそお越しくださいました」
にこやかな伯爵夫人の言葉に父が頷く。
「こちらこそ急な申し出にも関わらず、時間を作っていただき感謝する」
「いいえ、婚約という大切なお話ですもの。母として、娘の結婚を気にかけるのは当然ですわ」
その場で互いに名乗り、簡単な挨拶を済ませる。
中へどうぞ、と促されて父とラウルは伯爵邸に入った。
応接室に通され、ソファーに座ると、メイドが紅茶を用意する。
恐らくここが一番格式の高い応接室なのだろう。
ウィリアムと以前に来た時もこの応接室に通されたが、絨毯やカーテンなどが違うので、あの時は王族を迎えるために色々と新調したのかもしれない。
父がしばらく伯爵夫人と談笑する。
伯爵夫人は『時戻り』の魔法を行使したことが気付かれていないと思っているようだ。
……あと数日もすれば己の所業を悔いるだろう。
長女から感じる熱視線に気付かないふりをして、ラウルは黙って紅茶を飲んで過ごした。
「さて、本題だが、こちらの我が息子ラウルの婚約の件だ」
「次女のアナスタシアと婚約したいとのことでしたわね」
「ええ、息子は少々気難しくて。これまでなかなか良いと思える相手がいなくてね」
父の視線を受け、ラウルは口を開いた。
「次女のアナスタシア嬢との婚約を許していただきたい」
それに伯爵夫人が訊き返してくる。
「失礼ですが、娘とはどのようなご関係でしょうか? アナスタシアはバレンシア侯爵令息を存じ上げない様子だったのですが……」
「俺が彼女を見かけ、一方的に想いを寄せている身なのでアナスタシア嬢は知らなくて当然です」
「そうだったのですね」
それでも、どことなく伯爵夫人のラウルに対する疑念を感じる。
時間が巻き戻る前、ウィリアムと共に来たのがラウルだったのを覚えているなら、こうして訪れたラウルを警戒するのはおかしなことではない。
長女がうっとりとラウルを見つめていることに気付いた伯爵夫人が困り顔をした。
次女に婚約の打診をしに来たラウルに、長女が惚れてしまってどうするかと悩んでいるのだろう。
「お手紙にも書かせていただきましたが、アナスタシアは気の小さい娘です。家格が高い侯爵家の、それも塔の管理を任されてらっしゃるほど優秀な宮廷魔法士の方と婚約して、あの子が注目の的になるのが心配ですわ。……周囲の視線に耐えられるかどうか……」
その様子は娘を心配する母親そのものだった。
「バ、バレンシア侯爵令息……!」
長女が我慢しきれないといったふうに声を上げた。
「どうしてもアナスタシアでないといけないのでしょうか? 私ならあなたを一生愛します!」
赤い顔で告白されても、ラウルは欠片も興味が湧かなかった。
ラウルは首を横に振って断った。
「俺が想いを寄せているのはアナスタシアで、他の者と婚約する気はない」
「そんな……」
長女が悲しそうな顔をする。
黒髪に緑の瞳で、なかなかに見目が良く、伯爵夫人に似ている長女。
だが、ラウルが好きなのはアナスタシアだ。
政略でない以上、わざわざ長女と婚約する理由はない。
「ですが、アナスタシアもあまり婚約に乗り気ではなくて……」
どうしても伯爵夫人はアナスタシアを閉じ込めておきたいらしい。
シンディー・フォートレイルを助けるアナスタシアを止めれば、破滅は回避出来ると思っているのだろう。他の者が記憶を有していなければそれは上手くいった。
けれども、この国には優秀な魔法士達が大勢いる。
そして宮廷魔法士は貴族を有している者が多かった。
どちらにしても、伯爵夫人は破滅の道から逃れることは出来ない。
「シンディー・フォートレイル」
ラウルの言葉に伯爵夫人が顔を上げる。
「あなた方は伯爵家の正統な後継者を虐げているそうだな?」
「まあ、何のことかしら? 確かにあの子は前妻の子ですけれど、虐待だなんて……」
「違うと言うなら、今すぐシンディー・フォートレイルを連れて来てもらおう」
伯爵夫人が眉根を寄せて扇子を広げ、顔を隠す。
長女も驚いた表情を浮かべ、慌てた様子で母親を見た。
しばし沈黙していた伯爵夫人が言った。
「……まさか、侯爵家の方に脅されるとは思ってもみませんでしたわ」
不愉快そうな声にラウルは口角を引き上げた。
「脅してなどいない。我が家にとってはどちらでもいいことだ。このまま婚約の話を受け入れてくれれば良し。そうでなければ……まあ、この話がやや誇張されてどこかに漏れるかもしれないな」
その場合は『娘を虐待している伯爵夫人』という話になるだろう。
シンディー・フォートレイルだけでなく、今閉じ込められているアナスタシアについても虐待されていると言えば、二人は伯爵家から引き離される。
後はウィリアムとラウルがそれぞれ婚約するだけだ。
……しかし、アナスタシアはそれを嫌がるだろうな。
アナスタシアは母親や姉を愛しているから、虐げられたということを否定する。
もしかしたら母親と姉を助けようと動くかもしれない。
そんなことをすれば、アナスタシアまで罪に問われる。
婚約後の保護はアナスタシアを守るためでもあり、下手に動かれないようにするためでもある。
伯爵夫人は眉根を寄せたまま、また沈黙した。
恐らく、夫人の頭の中では色々な予測や計算がされているのだろう。
だが、どう足掻いても伯爵夫人はこの婚約を断ることは出来ない。
「……分かりました、アナスタシアとの婚約を許可します」
「お母様っ!?」
長女が驚きの声を上げたが、伯爵夫人がダメだというふうに首を横に振った。
それに長女が悲しげな顔をして俯く。
そこで父が口を挟んだ。
「では、この場で婚約届を書こう」
懐から、折りたたんで仕舞っていたのだろう婚約届の書類を取り出した。
それに伯爵夫人が小さく溜め息を吐き、メイドにアナスタシアを呼ぶのと、ペンとインクを持ってくるよう告げた。
メイドがそれらを持ってくるとペンとインクを父に渡す。
父が署名を行い、ラウルもペンを受け取って手早く署名を済ませる。
それから伯爵夫人に書類を差し出した。伯爵夫人も署名を行う。
残るはアナスタシアの署名だけだ。
そこで扉が叩かれ、伯爵夫人が「どうぞ」と声をかけた。
開けられた扉の向こうからアナスタシアが入ってくる。
鮮やかな赤い髪を三つ編みにして左肩に流した、ドレス姿のアナスタシアは驚いた顔をした。
アナスタシアが伯爵夫人とラウル達とを交互に見て、戸惑った様子で立ち尽くしたが、伯爵夫人が席を詰めて横にアナスタシアを座らせた。
「アナスタシア、こちらはバレンシア侯爵とご子息よ。……あなたの婚約が決まったわ」
「えっ?」
「さあ、これに署名をして」
差し出されたペンと婚約届を受け取りながらも、アナスタシアはまだ困惑した様子だった。
けれども自分以外の署名を見て、少しの間の後、署名を行った。
インクが乾くと父がその書類を受け取る。
「婚約届はこちらで提出しておこう」
伯爵夫人に任せたら提出されないかもしれない。
書類を丁寧に折りたたみ、父は懐にそれを仕舞った。
「ああ、それからアナスタシア嬢を我が家に招きたいのだが、よろしいかな?」
「なっ!?」
「ありえない……!」
伯爵夫人と長女が酷く驚き、当のアナスタシアはキョトンとしていたが、ややあって「……え?」と呟いた。
「息子は忙しい身でなかなか外出する暇もないし、家格も違うのでアナスタシア嬢には礼儀作法の教育も我が家で改めて受けてもらいたいと考えている。花嫁修行がてら、少し早いが我が家に移ってもらうのはどうだろうか?」
「それは……良くない噂をする者も出てくるのではありませんか?」
「そのような者がいれば我が家が全力で対応しよう」
伯爵夫人はしばし考えていたが、結局、頷くしかなかった。
……いや、これは好機と思っているのかもな。
アナスタシアが屋敷から出れば、シンディー・フォートレイルを助けようとする者はいなくなる。
「……かしこまりました」
「え、お、お母様……?」
戸惑うアナスタシアの手を伯爵夫人がそっと握る。
「アナスタシア、侯爵家の方に嫁げるなんてとても名誉なことよ。……まさか、こんなに早く家を出てしまうとは思わなかったけれど、私はいつでもあなたの幸せを願っているわ」
「本当、姉の私より婚約しちゃうなんて……寂しくなるわ」
伯爵夫人と長女の言葉に、アナスタシアが唇を引き結んだ。
そして、困ったような顔で微笑んだ。
「わたしも、お母様とお姉様の幸せをいつも願っています」
それはアナスタシアの本心なのだろう。
……けれど、それは叶わない。
既に禁術を使用してしまった伯爵夫人を国が見逃すはずがない。
「それでは、さっそくアナスタシア嬢には我が家に来てもらおう。荷物については後ほど我が家の者に取りに来させよう。……ああ、我が家で新しく侍女をつけるので、アナスタシア嬢は本当に身一つで来てくれればいい」
父の言葉にアナスタシアは目を瞬かせながら「分かりました」と返す。
「伯爵夫人、息子が失礼した。良い決断をしてくれたこと、礼を言う」
「……娘をよろしくお願いいたします」
立ち上がった父に合わせ、ラウルも立ち上がる。
そうして、アナスタシアに歩み寄る。
手を差し出せば、アナスタシアが恐る恐るといった様子でラウルの手に自分の手を重ねた。
ほっそりとした色白の手を握り、軽く引っ張って立たせる。
この間は夜だったが、やはり昼間のほうがアナスタシアの顔がよく見える。
「よろしくな、アナスタシア」
アナスタシアが躊躇いがちに頷いた。
「……はい、よろしくお願いいたします、バレンシア様」
「ラウルでいい。それと言葉遣いも楽にしてくれ」
それにアナスタシアが目を丸くし、少し赤い顔で見上げてきた。
「よ、よろしく……ラウル……」
それにラウルは己の口角が上がるのを感じつつ、頷き返した。
やっと、今度こそ、アナスタシアに手が届いた。
父とアナスタシアと共に、侯爵家の馬車に乗り込み、屋敷に帰る。
馬車が伯爵家の敷地を出ても、アナスタシアは心配そうに車窓を眺めていた。
「心配するな。シンディー・フォートレイルも、もうすぐ保護される」
「本当に……?」
「ああ、王子が颯爽と助けに向かうさ。俺もそれに付き合うことになるがな」
肩を竦めて戯けてみせれば、アナスタシアはホッとした表情をする。
シンディー・フォートレイルはアナスタシアにとって特別なのだろう。
それが少し気に食わないが、仕方がない。
「ただ、伯爵夫人はもうどうしようもない」
アナスタシアが悲しそうに目を伏せ、肩を落とす。
ポタリとドレスのスカートに落ちた雫に、父は気付かないふりをした。
ラウルは黙ってアナスタシアの頬にハンカチを当ててやる。
小さな声で「……ごめんなさい、ありがとう… …」と呟いたアナスタシアの声は震えていた。
* * * * *