魔法使い、忍び込む。
* * * * *
ウィリアムと共に、国王と王太子に事情を説明し終えた後。
まだ家には帰れなさそうだったため、ラウルは手早く両親に手紙を書いた。
今回の『時戻り』の魔法が使用されたことはすぐには公表されない。
……いや、恐らく公にはしないか。
各国も気付いてはいるだろうが、民に知らせることはないだろう。
時間が巻き戻ったなどと広がれば無用な混乱を招くのは想像に難くない。
それならば国の上層部のみで話し合い、魔法を行使した者を表向きは別の罪で処罰すればいい。
フォートレイル伯爵家は──……領地にいるという伯爵は罪を免れるだろうが、全く罰がないとはいかない。伯爵家は子爵位に落とされるのは確実だ。それで済めばまだ優しいほうである。
とにかく、重大な問題が発生しているという点だけは遠回しに伝えておく。
そして、婚約したい相手を見つけたこと。
その相手の家がその重大な問題に大きく関わっていること。
相手自身には罪はないが、恐らくその家は処罰を受けること。
婚約を望む相手はフォートレイル伯爵家の次女、アナスタシア・フォートレイルであること。
もし許してもらえるなら、フォートレイル伯爵家に婚約の打診をかけてほしいこと。
急ぎ婚約し、何か言い訳をつけてアナスタシア・フォートレイルを保護出来ないか。
もちろん、国王から次女との婚約と保護の許可は得ている。
そんな内容の手紙に封をして、ラウルは自宅の侯爵邸に向けて、魔法の鳥に持って行かせた。
ラウルはこれから『時戻し』の魔法や今後どうするかについての話し合いに参加しなければならず、のんびりと家に帰っている暇も数日はないだろう。
国王が許可した以上、両親も婚約に頷いてくれるとは思うが。
今、ラウルに出来るのは国の混乱を最低限に抑えることだけだ。
* * * * *
三日後、父侯爵から手紙の返事があった。
ラウルの手紙を読んで、即座にフォートレイル伯爵家に婚約の打診を申し込んでくれたようだ。
しかし、伯爵家から届いたのは断りの手紙だったそうだ。
同封されていたのはフォートレイル伯爵夫人からの手紙で、そこには『侯爵家の、それも塔長である宮廷魔法士に我が家の次女では釣り合わないのでお断りさせてもらいたい』という内容が酷く遠回しに、やんわりとした文章で書かれていた。
フォートレイル伯爵家は魔法の行使を探知されたと気付いていないのだろう。
そうでなければ、禁術を使ったというのに堂々とはしていないはずだ。
だが、格上の侯爵家からの婚約打診に対して断りを入れるというのは珍しい。
何か警戒されているのか、それとも、他に理由があってアナスタシアを外に出したくないのか。
……これは確かめてみる必要がありそうだ。
「ティエン」
名前を呼べば、控えていたティエンが顔を向ける。
「はい」
「お前の探知魔法、一枚もらってもいいか?」
「ええ、構いません」
すぐにティエンは懐から一枚の紙を取り出した。
差し出されたそれを受け取れば、探知魔法用の魔法式が描かれている。
ティエンの探知魔法なら、たとえ伯爵家に魔法士が常駐していたとしても悟られはしない。
時間が巻き戻る前にアナスタシアの部屋に行ったことがあるけれど、もしかしたら部屋の場所が違っているかもしれないし、ついでにシンディー・フォートレイルの状況も調べておけばウィリアムも喜ぶだろう。
……行くとしたら今夜だな。
「助かる。……今夜、ちょっと出てくる」
「伯爵家……いえ、伯爵家の次女の様子見ですか?」
「相変わらず勘が鋭いな」
「今のラウル様が分かりやすいだけですよ。時間が巻き戻ってから、苛立ったご様子なので」
ティエンにそう返され、反論する気も起きなかった。
確かに、ラウルは苛立っているし、腹立たしく思っている。
同時にアナスタシアに対する心配もあった。
伯爵家が魔法士を抱えているとして、その魔法士に命令出来る者は一人しかいない。
伯爵が不在の屋敷で最も立場が高いのは伯爵夫人である。
今回の『時戻り』の魔法を行使させたのは伯爵夫人の可能性が高い。
捕縛された状況で上手く外部と連絡を取る手段を見つけ、魔法士に命じて時間を巻き戻させた。
あのままでは伯爵夫人と長女は罪に問われていただろうから、形振り構っていられず禁術に手を出したのだと考えれば、魔法を使った理由は十分にある。
そうして仕事をしながら夜を待った。
夜、月が天上に昇った頃、ラウルは塔から浮遊魔法で飛び出した。
王城から魔法で出るのは褒められたものではないが、馬車を走らせるよりも目立たない上に早く、短時間で目的地に到着した。
フォートレイル伯爵家は寝静まっているようで、最低限の明かりがポツポツと見える程度である。
ラウルは屋根に着地し、そこでティエンから受け取った紙に魔力を注いだ。
探知魔法が展開して、屋敷内部や敷地の様子が手に取るように分かった。
……アナスタシアは向こうか。
どうやら部屋は変わっているらしく、最上階の中央の部屋にアナスタシアはいた。
そして、シンディー・フォートレイルは地下の倉庫に閉じ込められている。
倉庫の扉の前には傭兵のような、あまり品の良くない者達が監視のためか立っている。
アナスタシアの部屋の前には誰もいないが、最上階に繋がる二ヶ所の階段手前の部屋には使用人がいて、廊下に繋がる扉は開け放たれている。アナスタシアが階下に行くにはどちらかを通る必要があり、多分、それを見張っているのだろう。
……巻き戻る前とは違うな?
以前に話を聞いた時は、アナスタシアはシンディー・フォートレイルと共にいたはずだ。
けれども、こうして引き離した上で監視がついているのは何か理由があるはず。
……外部との接触を断つためか?
本来なら侍女かメイドが控えているはずなのに、アナスタシアのいる部屋や近くには人の気配がなく、孤立していた。
伯爵夫人が魔法を行使させたとしたら、多分、巻き戻る前の記憶を保持している。
そうでなければ同じ状況に陥ってしまう。
伯爵夫人はアナスタシアがシンディー・フォートレイルを手助け出来ないように二人を引き離し、外部との接触も断つためにわざと最上階の侵入しにくい場所に移動させたのだとしたら?
侯爵家からの婚約を断ったのは外部に繋がる手段を与えないためか。
……まあ、孤立してるならそのほうが接触しやすい。
監視が近くにいるシンディー・フォートレイルに会うのは難しいが、最上階に一人で過ごしているアナスタシアなら人目を気にすることもなく会える。
探知魔法を解除してラウルは屋根の上を歩く。
アナスタシアのいる部屋のバルコニーに屋根伝いに降り立った。
カーテンが閉められている窓をコンコン、と小さく叩く。
あまり大きな音を立てると誰かに気付かれるかもしれない。
もう一度、今度はやや強めに窓を叩けば、ややあってカーテンが開かれた。
窓の向こうにいる人影が動きを止める。
「俺は『シンデレラを助ける優しい魔法使い』だ」
風魔法で囁いた声を窓の向こうの相手に伝える。
相手はしばらく固まっていたが、それでも、静かに窓の鍵を開けた。
ラウルが窓に手をかけて開けると、そこにアナスタシアがいた。
休んでいたのか寝間着に大判のストールを羽織っただけの格好で、髪も解いてある。
化粧のしていない顔は今まで見てきた中で一番幼く感じた。
月明かりの中でも分かる赤い髪に、恐らく緑だろう瞳を丸くしてこちらを見つめている。
相変わらずのそばかす顔は愛嬌があり、ラウルはアナスタシアのそばかすが好きだった。
「……どうして……」
アナスタシアが呟く。
「どうして『シンデレラ』を知っているの……?」
今のアナスタシアからすれば、ラウルは初対面の怪しい男だ。
……それなのに窓の鍵を開けるなんて無防備だな。
ラウルは室内に入り、テーブルに置かれたランタンに小さな火を灯した。
「全部お前から聞いた。前世の記憶があることも、シンディー・フォートレイルを助けようとしていることも。今から、全て説明する。……そのために俺はここに来た」
ソファーに座り、横を叩けば、警戒した様子でアナスタシアが横に座った。
ただし、ソファーの端に寄っていて、ラウルとアナスタシアの間には一人分ほどの隙間が空いた。
ラウルはそれに構わず、これまでのことを説明した。
この説明だけは詳細に、記憶を辿りながら包み隠さず話した。
これまでのことを語り終えるまでに一時間以上かかってしまったが、全てを聞き終えた後、まだ若干疑わしそうな表情をしながらもこちらに関心が向いているのは確かだった。
「……嘘、と言いたいですけど……」
「俺は嘘は吐かない」
アナスタシアが困り顔でラウルを見る。
「はい……嘘ではないと分かっています。わたしはその話を誰にもしていません。だからこそ『知っている』ということはわたしが『話した』以外に知っているはずがありませんから」
「信じてくれるか?」
「ええ、まあ。『シンデレラ』の話だけでなく、わたしがこれからやろうと思っていたことまで当てられてしまったら信じざるを得ないでしょう」
ジッとアナスタシアに見つめられる。
「それにしても、本当にわたしはあなたとの婚約に頷いたんですか?」
あまりにまじまじと見つめてくるので、少し居心地が悪い。
「ああ、そうだ」
「……わたし、面食いではないと思っていたんですが……そうでもないのかなあ」
思わずといった様子で呟くアナスタシアに、ラウルは目を瞬かせた。
そして言葉の意味を理解し、つい、小さく噴き出してしまった。
……相変わらず変わった奴だ。
声を押し殺して笑い、ラウルは言った。
「本当に……お前のそういうところが、俺は好きだ」
アナスタシアがギョッとした顔をするが、その頬が赤くなる。
突然のことに驚きつつも、突然の告白に恥ずかしくなったというところか。
「どっ……な、き、急に何ですか……っ!?」
「好きだと思ったからそう言っただけだ。俺はお前と婚約するはずだったんだぞ?」
不意にアナスタシアがハッとした顔をする。
「もしかして、わたしに婚約の打診をしてきた侯爵家って……?」
「ああ、俺の家だ」
「お母様に知り合いかって訊かれたのはそれが理由だったんですね……」
アナスタシアが納得した様子で小さく頷く。
どうやら伯爵夫人はアナスタシアに探りを入れたらしい。
今のアナスタシアはまだラウルと会っていなかったから、繋がりを悟られることはなかった。
「俺はもう一度、婚約の打診をかける」
アナスタシアが顔を上げた。
「まあ、フォートレイル伯爵夫人を少し脅すような形になるがな」
「……一体何をするんですか?」
ラウルはそれに口角を引き上げて笑った。
「それは秘密だ」
* * * * *
月が大分傾いた頃、その人はバルコニーから帰って行った。
魔法を使って出入り出来るらしい。
窓を閉め、鍵をかけ、わたしは思わず息を吐いた。
「侯爵家な上に、宮廷魔法士だなんて……」
話は全て聞かせてもらったので分かってはいるが、それでも驚いた。
確かにわたしは王都内に住む、有名な魔法士全員に手紙を送ろうと考えていた。
そのために使用人に頼んで魔法士達の名前と住所を調べてもらったし、便箋とインクも大量に買い、片っ端から送れば一人くらいは何かしらの反応をくれるかもしれないという淡い期待もあった。
まさか、既にわたしが行動に移し、宮廷魔法士が応えてくれたなんて。
……しかも、わたしを好き、だなんて。
信じられないと言いたいが、銀髪の男性、ラウル・バレンシア侯爵令息の表情も声も、真剣なものだった。告白され、向けられる視線に込められた熱に気付かないほど鈍感ではない……はず。
整った顔立ちを思い出すと、わたしの顔も熱くなる。
「……何であんなイケメンがわたしを好きになるの……?」
バレンシア侯爵令息はもう一度婚約の打診をすると言った。
お母様を脅すとも言っていたが、どうやって頷かせるつもりなのか。
シンディーのことも知っていて、王子様──……第二王子は記憶がないものの、シンディーに想いを寄せているという。
「でも、色々納得だなあ……」
王子様はシンデレラに一目惚れしたのではなく、実はシンデレラと既に関わりがあった。
そして王子は好きだったシンデレラを婚約者に選ぶ。
……わたしが何もしなくても、そのうち王子様がシンデレラを助けたかもしれない。
「……シンディー、大丈夫かな……」
バレンシア侯爵は時間が巻き戻る前と同じく婚約し、わたしを保護すると言った。
わたしがこの屋敷から離れたら、誰がシンディーを助けられるのだろう。
そもそも、原作の『シンデレラ』とはもう違ってしまっているらしい。
それでは、わたしに出来ることなどない。
もう一度、はあ……、と溜め息が漏れる。
……でも、不思議……。
バレンシア侯爵に「好きだ」と言われた時、嫌な気持ちは欠片もなかった。
時間が巻き戻されたと言っていたけれど、本当に何もかもが巻き戻ってしまったのだろうか。
この『嬉しい』という気持ちは、どこから来たのだろう。
* * * * *