フォートレイル伯爵夫人
* * * * *
王城の地下、その一角。地下牢ではないが、それに近い位置。
机と簡素なベッドしかない、四方を壁に囲まれた冷たい部屋の中にフォートレイル伯爵夫人ベリンダ・フォートレイルは一人、放り込まれていた。
共に捕縛された長女・ドーリスとは引き離された。
この予想外の状況にベリンダは必死に考える。
いくらベリンダが伯爵家の女主人であっても、前妻と伯爵との間に生まれた正統な後継者のシンディー・フォートレイルへの虐待が公になればどうなることか。
確実に罪に問われ、娘が受けた仕打ちを知った伯爵は離婚を選ぶだろう。
離婚した上に罪人となれば実家はベリンダを切り捨てる。
ベリンダも、ドーリスも、行く当てなどない。
前の夫から受け取った金は全て伯爵家に注ぎ込んでしまったし、伯爵家はその返還義務はない。
逆に慰謝料を要求され、何一つとしてベリンダ達の手元には残らないだろう。
……あの娘が、まさかあの時の金髪の令嬢だったなんて……!!
しかし、あの妃選びの夜会で見た金髪の令嬢は遠目からでも分かるほど肌艶も良く、華やかなドレスを身に纏っていた。平民のような服を着て俯くシンディーとは全く違う。
どうして、と考えて頭に浮かんだのは次女のアナスタシアだった。
アナスタシアはやや内向的な性格だが、ベリンダの可愛い娘の一人である。
けれども最近、そのアナスタシアの様子がおかしかった。
突然『シンディーを虐げるのをやめてほしい』と言い出したかと思えば、今度は一緒になって使用人達のように掃除や洗濯などの雑事を手伝うようになり、シンディーとの仲を深めた。
ドーリスもアナスタシアの変わり様に驚いていた。
使用人達とよく話すようになって、社交性が身に付くのは良い。
しかし、シンディーはドーリスやアナスタシアの立場を脅かす存在だ。
伯爵家の正統な後継者だからこそ、ベリンダやドーリス、アナスタシアに逆らわないように躾けておかなければ、いつかシンディーは牙を剥き、ベリンダ達を伯爵家から追い払うだろう。
追い払う程度で済めばいいが、最悪、秘密裏に処罰される可能性もあった。
だからシンディーを虐げ、当主になれないよう教育を止めさせた。
……でも、どうしてアナスタシアがシンディーを助けたの?
アナスタシアはいつだってベリンダやドーリスの後ろにいて、二人の行動を真似してきた。
シンディーに対して急に優しくなった理由は見当もつかなかった。
ただ一つ分かるのは、シンディーがあの夜会に出るのを手伝ったのがアナスタシアだということだけ。
華やかな装いをしなくなったのも、もしかしたらドレスや装飾品などを売ってシンディーの夜会用のドレスをこっそり買ったのかもしれない。ガラスの靴はどうやって手に入れたのか分からないが、あのアナスタシアが一人で全てを用意出来たとも思えない。
誰かしら他に協力者がいて、その者がアナスタシアを唆したのか。
それともシンディーがアナスタシアに近づいて変えたのか。
どちらにしても、可愛い、大切な娘の一人に裏切られたのだ。
悲しさと憎しみと、それでも愛おしいと思う感情とで心がぐちゃぐちゃになる。
「どうして……いいえ、きっとアナスタシアは利用されたのだわ」
シンディーか他の誰かに良いようにアナスタシアは使われただけ。
アナスタシアは優しい子だが内気なせいで、なかなか友人が出来ずにいた。
シンディーと親しくするようになってから頻繁に誰かと手紙のやり取りをしていたので、きっと、誰かが純粋なアナスタシアに近づいてシンディーを助けるよう唆した。
今頃、アナスタシアも別室に捕らわれているかもしれない。
ドーリスはベリンダに似て気が強く、自立心が強いが、アナスタシアは一人になって心細く感じていることだろう。騙されて利用された娘が一人泣いているかと思うと心配が募る。
……そのために今、しなければならないことは……。
急いで部屋の扉を叩けば、監視の騎士が扉につけられた小窓から覗き込んでくる。
ベリンダは出来るだけ哀れに見えるように眉尻を下げ、騎士に懇願した。
「ああ、私が間違っていたわ……! あの子を虐げるなんて、酷いことをしたのは事実……どうか、あの子に謝罪の手紙を書かせてちょうだい……! お願いよ……!!」
騎士はしばらくジッとベリンダを見た後に小さく溜め息を吐いた。
「殿下のご許可が得られたら、書くものを渡そう」
そう言って、騎士は他の者に言伝を頼んだ。
しばらく待っていると扉が叩かれたので顔を上げれば、先ほどの騎士がこちらを覗き込む。
「許可が下りたので便箋とペン、インクを入れる」
「ああ、本当にありがとう……!!」
肘くらいまでしか通らなさそうな横向きの隙間から、便箋とペン、インクが渡される。
便箋はそれなりの枚数があり、いくらか書き損じたと誤魔化せば流用出来そうだ。
机に向かい、手紙を書く。
表向きはシンディーへの謝罪を綴った手紙を書きつつ、別の便箋に雇っている荒くれ者と伯爵家お抱えの魔法士宛ての手紙を書く。必要なことのみの簡潔なものだが内容が伝わればいい。
シンディーへの謝罪の手紙を机に置いておき、音を立てないように机脇に置かれた箱を開けた。
そこに入れてあった靴の中敷を外し、そこに折りたたんだ便箋を挟み込み、中敷を戻すと靴を戻す。
捕縛されてから日に一度は侍女が着替えなどを持って来て、使ったものを持って帰る。
その時に靴も替えるので上手く伝えられれば侍女は気付くだろう。
金払いさえ良ければ何でも言うことを聞く者だ。
手紙を特定の人物に渡し、それが確認出来たら金の隠し場所を教えると書いたので、素直に荒くれ者達と魔法士に手紙を渡すはずだ。
そうすれば、この状況を打破出来る。
手紙を書いて過ごすふりをしていれば、外から声をかけられた。
「奥様、着替えをお持ちいたしました」
それにベリンダは振り返った。
扉の向こうにいる侍女に、立ち上がり、箱を扉の脇に置いた。
中には昨日着ていたドレスが入っている。
この時だけは扉が開けられるものの、近づくことは許されない。
また机のところまで下がると扉が開けられ、侍女が箱を取り替える。
「ご不便はございませんか?」
形式的に侍女が問うてくる。
「靴の内側が毛羽立って少し痛かったわ。お気に入りだから直しておいてちょうだい」
「かしこまりました」
そうして扉が閉められ、外で箱の中身が確認される。
手紙が見つかればすぐに取り上げられてしまうだろう。
けれども、幸いなことに神はベリンダに味方した。
中敷の下の手紙は気付かれることなく、侍女の手に渡り、侍女は箱を手に去って行った。
手紙には三つの指示が書いてある。
一つ目は侍女宛てで、この手紙を荒くれ者達と魔法士に読ませること。
二つ目は荒くれ者達宛てで、魔法士に言うことを聞かせること。
三つ目は魔法士宛てで、時戻りの魔法を使うこと。
伯爵家で抱えている魔法士の何人かは能力は高いが、これまで表に出せないようなことをしてきた者達である。このままベリンダが捕縛されて罪に問われて調査されれば、魔法士達の悪事も明るみになる可能性が高い。
そして、荒くれ者達はシンディーの部屋の監視をさせていた。
つまり虐待に加担していたわけなので、彼らも貴族を害した罪で捕まるだろう。
荒くれ者達には『魔法士の家族や友人などを使ってても命令を聞かせるように』と書いた。
このままでは全員、捕縛されて共倒れになる。
それが嫌なら魔法士を脅してでも魔法を使わせる必要があった。
以前魔法士が自慢していたが、時戻りの魔法を使えば時間を戻すことが出来る。
それには代償として魔法士の命が必要となるが、時間が戻ればそれもなかったこととなる。
今、ここでその魔法を使い、シンディーが第二王子と出会う前まで時間を戻せばいいのだ。
魔法士への指示には『ベリンダのみ記憶を保持させるよう』書いておいた。
これなら、時間が巻き戻ってもベリンダは今後どうなるか分かっているので対策が取れる。
……アナスタシアが騙されても止めることが出来るわ。
シンディー宛ての手紙を書き終えたふりをして、騎士に声をかける。
「騎士様、どうかこれをシンディーに……」
反省しているふうに装い、手紙を差し出した。
騎士はそれを受け取るとその場で中身を検閲し、問題なしと判断したようで別に騎士に手紙を渡した。
それから、ベリンダは反省しているふりをして、項垂れた様子でベッドの縁に座り、横になる。
手紙がきちんと渡され、意図が伝われば、明日には魔法が使用されるはずだ。
扉に背を向け、ベリンダはほくそ笑む。
……あんな小娘に、私と娘達の幸せを奪わせはしないわ。
そのまま、ベリンダは反気落ちしたふうを装って過ごしたのだった。
* * * * *
翌朝、目を覚ましたベリンダは歓喜した。
そこは伯爵邸の己の寝室、ベッドの上だった。
つまり、魔法士達は時戻りの魔法を使用したのだ。
起こしに来た侍女達の手を借りて身支度を整えつつ、日付の確認をする。
今日は丁度、アナスタシアが『シンディーを虐げるのをやめてほしい』と言い出した日である。
朝食のために食堂に向かえば、ドーリスとアナスタシアが既に着席していた。
……ああ、良かった……。
娘達の元気な姿にベリンダは心底ホッとした。
そうしてベリンダも席に着き、朝食を摂る。
貴族牢の粗末な食べ物とは違う、彩りの良い食事に心が満たされる。
「アナスタシア」
「はい、お母様」
「あなたは今日から四階に部屋を移しなさい。それから、しばらくの間は部屋から出ないこと」
ベリンダの言葉にアナスタシアが「え?」と目を丸くする。
いきなり四階に移動しろと言われ、謹慎に近いことを言われて、理解出来ないのだろう。
出来る限り優しい声を表情を心がけて言葉を続ける。
「最近、色々と不穏な話を耳にしているの。ドーリスも、外出は少し控えるようにしなさい。もし、どうしても出かける時は護衛を必ずつけて、離れないこと。……いいわね?」
「分かりましたわ、お母様」
「……はい、分かりました」
恐らく、アナスタシアはもう既にシンディーか誰かに騙されかけているはずだ。
四階の一室にアナスタシアを移動させ、特定の使用人のみで世話をさせればいい。
そしてシンディーの部屋は地下の倉庫に移動させる。
まず、物理的にアナスタシアとシンディーを引き離す。
可哀想だけれど、アナスタシアの行動に制限をかける。
シンディーもしばらくは買い物など外に行く用事は言いつけないようにしなければ。
アナスタシアとシンディーの近くにいる使用人達にも目を光らせる必要がある。
……そうね、互いに監視させましょうかしら?
もしも不審な行動をしている使用人を見つけ、捕まえたら、褒美として金を渡すと言えば使用人達は互いの行動を見るようになる。これで誰かが使用人を買収してアナスタシアやシンディーと連絡を取ろうとしても、すぐに察知して防げるだろう。
「それと、これからはあなた達に届く手紙の差出人は確認させてもらうわ。最近、貴族の若い娘を狙って詐欺が起きているようなの。あなた達はそんなものに引っかからないと思うけれど、母親として、愛するあなた達に変な手紙が来ていないか心配だから」
「ええ、構いませんわ。お母様に見られて困る方とお付き合いはしておりませんもの」
ドーリスはすぐに頷いたが、アナスタシアが少し困った顔をする。
「わ、分かりました……」
アナスタシアには可哀想なことをしてしまうが、仕方がない。
特にアナスタシア宛ての手紙には細心の注意を払わなければいけないだろう。
場合によっては手紙はアナスタシアに渡さず、燃やしてしまったほうがいいかもしれない。
「いきなりごめんなさいね。でも、全てあなた達のためなのよ」
アナスタシアの協力がなければ、シンディーは夜会に行けないだろう。
第二王子との接点が出来なければ前回のようなことにはなるまい。
もう一度、荒くれ者達を雇い、シンディーの部屋を監視させよう。
用もなく近づいた者は罰し、シンディーを孤立させ、誰も近づけないようにする。
第二王子の妃選びの夜会も今度はアナスタシアを連れて行き、屋敷に残さない。
とにかく、アナスタシアはベリンダの目の届く場所に置いて、その行動や周囲の動きを気にかけることが大事だ。
十七歳と言ってもアナスタシアは純粋なところがある子だ。
騙されて家族を裏切り、シンディーを助ける手伝いをさせられるなんてあまりにも可哀想である。
……娘達を守れるのは私だけなのよ。
「そういえば、風の噂で第二王子殿下のお妃様選びの夜会がもうすぐ開かれるそうよ。ドーリスもアナスタシアも、礼儀作法やダンスを今一度学び直して、殿下の目に留まるように頑張りましょうね」
たとえ娘達が第二王子の目に留まらなくても構わない。
重要なのは、第二王子とシンディーを会わせないことだ。
そして、アナスタシアは母であるベリンダが守る。
前妻の子などに娘達の幸せを奪わせはしない。
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