次姉、謝罪する。
バチン、とお母様が義妹の頬を平手で打つ。
勢いが強かったようで、義妹が「きゃっ」と小さく悲鳴を上げて座り込んだ。
涙ぐみながら唇を引き結んで俯いた義妹に、お母様とお姉様が罵声を浴びせる。
「まだ掃除が終わらないなんて本当に愚図ね!」
「それにあなた、私のドレスを直しておいてと言ったのにまだ出来てないじゃない! こんなことも出来ないくせに、自分のものを買いに行く暇はあるなんていいご身分だわ!!」
その様子を後ろで見ながら、ぱちん、と頭の中でシャボン玉が弾けるように記憶が駆け巡る。
性格の悪い継母と姉二人に虐げられた前妻の子。
王子様の妃を選ぶ夜会に、魔法使い。ドレスにガラスの靴、馬車。
王子様と義妹がダンスを踊り、別れ、そして王子様義妹を探し、ガラスの靴の片方を手に迎えに来る。
義妹は王子様に助けられ、悪い継母と姉達は罰を受ける。
……え? ここってシンデレラの世界なの?
唐突に頭の中に浮かんできた記憶の中には、こことは別の世界のものもある。
そこでわたしはもうすぐ社会人になるところだった。
けれど、事故に遭って、恐らく死んだのだと思う。
そこで、ふと自分がその悪い継母と姉達の──……片方の姉だと気付く。
わたしはシンデレラを虐める二人の姉のうちの一人、アナスタシア・フォートレイルだった。
窓ガラスに映る姿は燃えるような赤い髪に緑の目をした、そばかす顔の、笑えば愛嬌のある顔立ちの女の子である。可愛く美しい義妹に嫉妬して虐めていたけれど、こうして見ると方向性が違うだけで、そんなに卑屈になるほど悪い顔ではない。
……というより、普通に可愛くない?
もしかしてアナスタシアがモテなかったのって義妹をいじめていたからでは……。
いや、思い返してみてもなかなかに性格が悪かったので、多分、そういうのが顔に滲み出ていたのかもしれない。性格の悪さが顔に出ていて好かれなかったのだ。
もう一度、バチン、と音がして我に返る。
お母様がまた義妹の頬を叩いたのだ。
……いやいや、何てことしてるの!?
慌ててお母様の腕に縋りつく。
「お、お母様、やめてください!」
いきなり止めたわたしにお母様とお姉様が振り向く。
お母様はこのフォートレイル伯爵家の女主人であり、わたしとお姉様の実の母親だが、そこに座り込んでいる義妹──……シンディーの母親ではない。シンディーは伯爵の前妻の子である。
お姉様、ドーリス・フォートレイルはわたしの実の姉で、黒髪に緑の瞳をした、お母様とよく似た色彩と性格だった。わたしはいつもお姉様にくっついてシンディーを虐めていた。
二人の怪訝そうな表情に慌てて言葉を続ける。
「ほ、ほら、もうお買い物の時間です! 馬車の用意も出来ているみたいですし!」
そう言えば、二人が納得した顔をする。
「あら、そうね、ブティックに行かなくちゃ」
「気分転換に新しいドレスがほしいわ」
と、二人の意識がシンディーから逸れる。
「わたしは急用を思い出したので、お母様とお姉様で行ってください」
「あら、新しいドレスはいいの?」
「はい、また今度で大丈夫です」
お母様がわたしに向ける視線は、愛する家族に対する優しいものだ。
わたしとお姉様には優しくて甘やかしてくれるお母様だが、前妻の子のシンディーを虐げるのはダメだ。受け入れられなかったなら、せめて距離を置いてそっとしておくべきだった。
お母様とお姉様を見送り、振り向けば、シンディーがびくりと体を震わせる。
……それはそうだよね。
これまで散々いじめられてきたのだから、当然の反応だ。
シンディーのそばに膝をつき、手を伸ばすと、シンディーの体が震える。
傷に触らないように気を付けつつ、シンディーの頬を確認する。
怪我はしていないようだが赤くなってしまっていた。
「シンディー、大丈夫?」
わたしの言葉にシンディーが目を丸くした。
戸惑う様子の彼女に、わたしは頭を下げる。
「今まで酷いことをして、ごめんなさい」
記憶を取り戻したからこそ分かる。
このままでは、お母様もお姉様も、わたしも、破滅する。
何より、シンディーに申し訳なく思った。
前妻の子で、新しい父親である伯爵はシンディーを愛していて、わたしとお姉様は連れ子だから伯爵家も継げないし新しい父親との仲も微妙だ。可愛くて美人で性格も良いシンディーに嫉妬した。
……いじめたところで自分の評価を落とすだけなのに。
わたしもお姉様も、そんなことすら分かっていなかった。
シンディーは突然現れた継母と義姉達に虐げられて怖かっただろう。
毎日、使用人の仕事をやらされて、ドレスも取り上げられて、貴族の令嬢らしいことを何一つ許されなくなってつらかっただろう。手紙はお母様が全て燃やしてしまうから、父伯爵に助けも求められない。使用人達も手伝えば罰せられるから何もしない。
味方も誰もいない中、シンディーは三年も耐えてきた。
「許してほしいなんて思ってない。謝るのはわたしの勝手で、自己満足だから。でも、もうわたしはあなたをいじめない。……お母様もお姉様も間違ってる」
頭を下げたまま、続ける。
「シンディー、フォートレイル伯爵に手紙を書いて。わたし達にいじめられているって。それをわたしが伯爵に送るわ。そうすればお母様の目は誤魔化せるし、きっとすぐに伯爵は来てくれる」
「……どうして……」
シンディーの呟きに思わず顔を上げた。
窓から差し込む日差しにキラキラと金髪が輝き、綺麗な青い瞳が見つめてくる。
「どうして、急に……?」
疑念のこもった視線には怯えの色も浮かんでいた。
「……わたしね、シンディーが羨ましかったの」
「え?」
「お母様とお父様……わたし達のお父様はね、仲が悪くて、結局離婚したの。お父様はわたしやお姉様を愛してくれなかったわ。だから、綺麗で可愛くて、性格も良くて……父親から愛されているあなたが羨ましくて、妬ましかったのだと思う」
お父様は裕福な子爵家の当主で、お母様と結婚したけれど、お父様は愛人を作った。
お母様とお父様の仲は冷め切っていて、お父様は娘しか産めなかったお母様を不要だと言った。愛人の男爵令嬢が男児を産んだから、そちらと結婚して家を継がせると。
その代わりお母様は莫大な手切れ金を受け取って離婚した。
それから、当時前妻を失った上に金銭的に苦しかったフォートレイル伯爵家に縁談を持ちかけ、金銭的な援助をする代わりに結婚し、お母様は伯爵夫人に、わたし達は伯爵令嬢になった。
当たり前だが政略で受け入れただけのわたし達を伯爵が愛することはないだろう。
そもそも伯爵は領地にいて、わたし達は王都で暮らしている。
会ったのはお母様と伯爵が再婚した時だけだ。
「初めてシンディーと会った時、すごく綺麗な子で、性格も良くて、みんなから愛されていて……そんなシンディーが眩しかった。わたしはお父様に捨てられたのにって思ったら、憎らしく感じた」
だから、お母様とお姉様がシンディーを虐げ始めた時、わたしもそれに加わった。
「でも、今は『わたしは馬鹿だなあ』って思うよ。幸せになりたいなら、愛されたいなら、自分から動かなくちゃいけないのに、何もしないでシンディーを虐めて。……そんな人間が好かれるわけがないのにね」
記憶を取り戻したからこそ分かる。
わたしは自分の悲しみや苛立ち、不満をシンディーにぶつけていただけだ。
十七歳にもなっても中身はまだ子供のままだった。
話を聞いていたシンディーが口を開く。
「私のこと、もう、いじめませんか……?」
それに大きく頷き返した。
「うん、もういじめない。義理とはいえ、姉なのに、姉らしいことをするどころか、今までずっと虐めていて、本当にごめんなさい。これからは行動でわたしの気持ちを示すから」
シンディーはジッとわたしを見つめた。
それから、真剣な表情で小さく頷いた。
「アナスタシアお姉様の言葉を信じます」
シンディーが視線を手元に落とす。
「許すのは、まだ、難しいけど……」
「許さなくていいし、疑っていいよ」
緑の目を丸くして、シンディーがわたしを見る。
それにわたしは出来るだけ優しく微笑んだ。
「許されなくて当然のことをしてきたから」
シンディーは三年も使用人のようにこき使われて、暴力を受け、ドレスも装飾品も奪われた。
装飾品のいくつかはわたしの手元にあるが、他はお母様とお姉様が売り払ってしまった。
……さすがにもう買い戻せないよね……。
売ったものがどこにあるのかも分からない。
「わたし達を許さなくていいんだよ」
もう一度そう言えば、シンディーの目から涙がこぼれ落ちる。
抱き締めたくなったけれど、今までいじめてきたわたしがそんなことをしても、シンディーを怖がらせてしまうだけだろう。代わりに、その背中を優しくさする。
シンディーは十六歳で、わたしよりも一つ年下だ。
しばらくそうして過ごし、シンディーが泣き止んだところで立ち上がらせる。
「今更だけど、主治医に診てもらおう? 頬、きっと腫れちゃうから」
シンディーをわたしの部屋に連れて行く。
「あなたから取り上げたものも、全部返すよ。でも、お母様やお姉様が取っていったものは難しいかも。二人を説得してみるけど、もう売り払われた後だと思う」
シンディーは何も言わず、わたしに黙って手を引かれて歩いている。
わたしとシンディーの様子に、通りかかったメイドがギョッとした顔をした。
そのメイドに、わたしの部屋に主治医を呼ぶように伝え、部屋に戻った。
ソファーに座らせ、控えていた侍女に声をかけて布と水を持って来てもらい、布を水に浸して絞り、シンディーの頬に当てる。
「口の中とか、切れてない?」
シンディーが無言で頷く。
それから、伯爵家の主治医が来たのでシンディーを診てもらった。
頬は少し腫れるものの、それほど酷くはならないらしい。
ただ、栄養失調と風邪気味だということだった。
「シンディー、わたしのベッドで寝て。お母様にはわたしが風邪を引いたから面倒を見させるとでも言っておくから、部屋に食事も持って来させるし、今はゆっくり休んで」
主治医にはこのことを黙っていてもらう代わりに金を握らせ、風邪用の薬も出してもらう。
お母様とお姉様には風邪を引いたのでしばらく部屋にこもること。
移すと悪いから、お見舞いは来なくていいこと。
面倒はシンディーに見させることなどを手紙に書いて侍女に渡す。
「お母様とお姉様に渡しておいてもらえる? シンディーについて訊かれたら、わたしがあれこれわがままを言って困らせてるって言っておけば大丈夫よ」
侍女は少し困惑した様子だったけれど、頷いた。
シンディーを入浴させ、少し大きいけれどわたしの寝間着を着せて、ベッドに寝かせる。
「……アナスタシアお姉様は、どこで寝るのですか?」
と訊かれてわたしは笑った。
「大丈夫、わたしはソファーでも十分眠れるから」
シンディーが倒れても、きっとお母様もお姉様も放置するだろう。
……本当に何もかもが今更だけど。
記憶を取り戻した今、もう以前のアナスタシアのような振る舞いは出来なかったし、したくない。
侍女にお母様とお姉様が来ても『寝ているから』と断るよう伝えておく。
それと、胃腸に優しい食事とシンディー用の食事を持って来てもらった。
胃腸に優しい食事はシンディーに食べさせる。
わたしは逆にシンディーがこれまで食べていたものを食べる。
やや固いパンに野菜が多くて肉はあまりないスープ、チーズ、サラダ。
使用人が食べる食事と同じなのだろう。
あまり味気ないそれを食べながら、やはり今の状況を何とかしなければと思う。
アナスタシアは性格もあまり良くないし、シンディーをいじめていたけれど、お母様とお姉様のことは愛している。家族を失いたくないという気持ちを強く感じた。
今はもうわたしはアナスタシアなのか、そうでないのか分からないが、記憶を取り戻してからはわたしの割合のほうが強い気がする。元よりアナスタシアは卑屈で、家では気が大きいけれど、外では俯きがちで引っ込み思案なタイプだからだろう。
食後にシンディーに薬を飲ませて寝かせる。
よほど疲れていたのかシンディーはすぐに寝入った。
昼間は屋敷のあちこちの掃除をさせられ、夜は針仕事、合間に皿洗いや洗濯などもさせられていたのだから疲れていて不思議はない。時には食事を許さないこともあった。
……ごめんね、シンディー。
アナスタシアが酷いことをして、つらい思いをさせた。
「……よし、今のうちにシンディーから取り上げたものを全部まとめておこう」
シンディーが起きたら全部返そう。
それから、お母様とお姉様も説得しなければ。
……耳を貸してくれるか難しいところだけど……。
何もしないままよりかはずっといいだろう。