森林の男女 1-2
「いやー。食べた食べた。ごめんねーなんか突然たかっちゃって。味はあれだったけど、おいしかったよ」
「はー……」
青年は矛盾する感想に嘆息するしかなかった。
あの左腕の正体は青年と同い年ぐらいの少女のものだった。
空腹を訴える少女に、青年は戸惑いながらも持っていた携帯食を与えた。
渡したそばから胃に収めてしまうものだから、もともと多くなかった備蓄の大半が無くなってしまった。
「しー……なんか歯に挟まった」
青年がこの先の食事をどうしようかと考えているなど知れず、少女はお腹をポンポンと叩きながら、小指の先で歯に隙間を突いていた。
「お、お前」
「あっ、私メフィーアよろしくね」
何か文句の一つでも言ってやろうとした青年に、反撃とばかりに少女メフィーアが青年へと手を伸ばした。
先ほどまで歯の間をいじっていた方をだ。
青年は数秒顔をしかめていたが、応じない訳にもいかないと少女の手を取った。
「ギギ、だ……よ、よろしく?」
ギギと名乗った青年。家名を名乗るか悩みあいまいな自己紹介となった。
そんな様子も気にすることはなくメヒィーナと名乗った少女はブンブンと腕を振った。
「よろしくねーギギ!食事助かったよ。本当に餓死を覚悟してたから。命の恩人だ!」
「あ、ああ。わかったわかった。気持ちはわかったから。う、腕を振るな」
ギギはメフィーアの手を強引に振りほどいた。
華奢な様子にも関わらず随分と力があるようだった。
「落ち着いたみたいだから聞くが。あんた、こんな所で何をしてたんだ。見たところ荷物も持ってないようだが」
「んーー……?私もわっかんない。気が付いたらここにいて。荷物もないし。どこか知らない?」
「し、知らないぞ」
唇に指をあててメフィーアが眉を寄せる。
そんな様子からも嘘をついていようには見えなかった。
ギギは嘆息し警戒を緩めた。
警戒を緩めた?
確かに目の前の少女への疑念は拭えないが、それ以外の脅威があるかもしれない。
そんな最中にいるにも関わらずギギは警戒を緩めてしまった。
「…………」
己の中に張りつめていた糸が弛緩していた。
ギギは目の前の少女、メフィーアを改めて見た。
茂みから出たせいか乱れた桜色の髪。いや暗闇のせいでそう見えているのかと思ったが、毛先に行くにつれその髪色はくすんでいるように見えた。
容姿からそう自分と年は離れていないのではないかとギギは思った。
服装は白を基調としており、フード付きのローブには見慣れない刺繍が目立たない程度にあしらってあった。健康的に伸びた四肢は血色が良く、無駄のない曲線から日ごろから力仕事でもしているかのように感じ取れた。
「ん……なに?」
「いや……」
ギギの視線に気づいたメフィーアは、はっと何かに思い至ったのかギギから距離を取り、体を斜めにし自らの体を抱き寄せた。
「あーーーー!やらしい目で見てたんだ私のこと。一食の恩とか言って。最悪!」
「え、冤罪もいいところだ。一食分じゃなかったんだが……いや、ほんと。その分は何か返してほしい」
人目を避けている以上、ギギには食事の調達さえ困難であった。
だが、目の前に餓死寸前の者がいれば食事を与えない訳にはいかない。
ギギはそういったものを見捨てることができない性分であった。
しかし、がつがつと食べるものだから。
つい。
ついつい。次々と備蓄を渡してしまった。
残る食材は、塩と幾つかの香辛料。後はパンのかけらと、乾燥肉が少々といったところだ。
備蓄袋の底が見える恐怖を、初めて目の当たりにしたギギだった。
「はー……この先どうすっかな」
食料の件もあるが道中の危惧もまだ何も解決はしていない。
ギギは、何度目かの嘆息を溢した。
「大丈夫?」
そんな様子にメフィーアが防御を解きギギに声を掛けた。
「どう、だろう」
ギギは力なく言葉を返しお香の煙を見た。
燻ったような白煙は消え、残ったのは黒い炭だけだった。
「ギギ、あなたすごいクマだよ。大丈夫?ちゃんと寝てる?」
「クマ?」
メフィーアに言われてギギは顔を触るがそれで確認できるわけもない。
この方、自分の身だしなみに注意を割く余裕はなかった。
自分はいまどんな表情をしているのだろうか。きっとひどいのだろうとギギは手を離した。
「餓死寸前だったあんたに言われちゃ世話がない」
「…………」
反応が無いのでなんだとギギが顔を上げた。
すると視線の先にはガバッと立ち上がったメフィーアがギギを見下ろしていた。
「よし。まかせてもらおうか!何か事情があるみたいだし。私が見張っててあげるから寝てていいよ」
「は?」
メフィーアは自らの薄い胸を叩き、任せなさいとばかりに決め顔をギギに向けていた。
「いや。いやいや。お前だって、餓死寸前だったじゃないか。そっちが」
「いーえ。あなたの方が死にそうだから。ちゃんと食べて、ちゃんと寝るのが大事って先生も言ってたし」
「先生って誰だよ」
「それに、食事のお礼をしてほしいんでしょ。正直いまそれぐらいしか返せるものがない。だから、ね?」
その声音は気遣わしげであった。
ギギはそれでも断りを入れようとしたが、メフィーアに見られない様に軽く唇を噛んで抑え込んだ。
「そうか……なら、頼んでいいか。その……正直助かる」
「うん」
メヒィーアの返事を聞いた途端ギギの瞼が一層重くなった。
張りつめていた糸が今度こそ切れた。
「お前も……つらかった、ら……ねて、も。いい…………ぞ……っ」
最後の抵抗とばかりに言い掛けた言葉も途中にギギは倒れる様にその場で横になった。
「ほんとに限界だったみたい」
メフィーアは横たわるギギの姿勢を寝やすい様に調整してあげた。
「これでいいか。鎧は流石に脱がせられないし、何か掛けるものとかないのかな。……見たかんじなさそうだし仕方がない」
そう言うとメフィーアは羽織っていた上着を脱いでギギに掛けた。
「ないよりはましでしょう」
今の時期の帝国は夜になるとそれなりに冷える季節であった。
メフィーアは四肢を出した格好をしていたが、それを気にとめる様子はなく、近くの木に背中を預け地面へ座った。
「劇的な出会いを求めて居たわけじゃないけど……これはこれで」
メフィーアは目を閉じた。
聴こえるのは葉のこすれる音とのざわめき。聴きなれない動物か何かの鳴き声。
香るのは、土の匂いと焦げた何かの匂い。
後は、先ほど食べた異臭した食べ物の残りがだろうか。
顔を上に向け目を開く。
視界には空をギザギザに切り裂く葉の群れ。
その隙間から、覗くのは様々な輝きを放つ光と、その中で一番明るい半円の光源。
「これが地上の空か」
似ているようで似ていない。
どこか異なる夜空。
メフィーアはようやく、自分が見知らぬ世界に来たことを実感した。
予想外の始まりではあったが、メフィーアは楽しそうに口の端を上げた。
なぜか無性に叫びたい気持ちがこみ上げてきた。
しかし、近くで寝ている者もいる。寝ていいといった自身が起こしては立つ瀬がないと、ぐっとメフィーアは堪えた。
そこでメヒィーナは何かの視線を感じ気配の方へ眼を向けた。
「あら。あなたもいたの」
そこには、長い首の後ろに毛をたずさえ、細い四肢を器用に折り曲げた真っ白い動物が座っていた。
丸っこくつぶらな瞳が静かにメフィーアを捉える。
「うま……こっちの奴もあんまり変わらないか」
白馬はメフィーアの発言に特に反応する様子はない。
ただ静かにメヒィーナを見据える様にその視線が向けられていた。その瞳にメフィーアは苦笑で返した。
「大丈夫よ。ちゃんと見張ってるから。あなたも寝たらどう」
メフィーアの発言を理解したのかはさておいて、白馬は大きい鼻を鳴らすと首を折り曲げる様に地面へおろした。その視線の先には、主人であるギギが収まっている事だろう。
「けなげだねー」
そんな馬の忠誠心に、メフィーアは口元を緩めた。
馬が見つめる先、ギギと名乗った少年は静かに寝息を立てていた。
その吐息が無ければ、死んでいるのはないかと思えるほど身じろぎせずに横たわっている。
優しい人だと思う。
見ず知らずの人にご馳走してくれて。
自分も今にも倒れてしまいそうな顔をしていたにも関わらず、メフィーアの事を気遣ってくれた。
馬にも好かれているようだしと、それだけでもメフィーアは好感が持てた。
何か事情がある事は察せられた。
だが、メフィーアにとってはどうでもよかった。
決めていたのだ。最初の相棒は最初に目がった人にしようと。
それが彼だっただけだ。
「運命……か。さてはて、一体どんなめぐりあわせを用意してくれたのか」
またも空に視線を向けた。
それは空にきらめく星よりも遠くを見つめているようで、微かな憂いと期待がこもっていた。
「楽しみだぜ」
不敵に笑ったメフィーアを、星々は歓迎する様に静かに二人と一匹を照らしていた。