開会の儀 1ー1
天界と呼ばれる大地なき大地。
その天界の端にある『時渡しの門』と呼ばれる場所。
四つの城門にも匹敵する大扉の前にいくつかの人影。
中央に位置する飾りっ気のない壇上に立つ男が一名。
名を、ボアザテート・アーレット。
現天界の神である。
神はその名を冠する様に、仰々しく腕を上げ、眼下にて跪拝する二人に言の葉を授けた。
「――――以上が開会の儀である。両者、委細承知したか」
問われ、眼下の二人が静かに首肯した。
それを神は恭しく受け取り、咳払いをする様に口元に手を当てた。
「よろしい。では二人とも楽にしてよい」
その言葉を耳した瞬間、いち早く一人が体を大きく広げ伸びをした。
「んっーー~……やっと終わった。長い、長いよ。途中で寝ちゃいそうになった」
神のありがたいお言葉を聞いた後にも関わらず、灰色がかった桜色の髪の少女は、この場の空気などお構いなしに四肢を伸ばす。
「こら、少しは緊張感をもて」
そんな彼女の様子を戒める様に、もう一人の赤髪の女性が膝をついた姿勢のまま上目で睨んだ。
「だって、さんざん聞いた事だったんだもん。床も硬いし。一生に一度の経験でいいね」
すらりと引き締まった脚部を撫でながら赤髪へ言葉を返す。
「はー、少しは神族としての自覚をだな。お前は」
言い返され赤髪は立ちあがった。その時、全身を覆う特徴的な深紅のマントが翻った。
「まあまあ、二人とも」
言葉を遮るように一つの影が間に入った。
いつのまにか壇上から降りていた神が二人の間に立ち、仲裁するように双方に掌を向けた。
「メフィーア。神族としてもっと慎ましさを持ちなさい。カリラ。いつも愚女が惑を掛ける」
両者はそれぞれの名を呼ばれ、同じ地に立つ神に改めて向き直る。
「愚女ってひどくない。いつもよそでは私のことそう言ってたんだ。フーン、あっそう……フーン」
一人はメフィーア・アーレット。
現神であるボアザテート・アーレット神の娘その人である。
権能の管理者を担う彼の一族は、ボアザテート・アーレット神からさかのぼり三代続いて神の座に就いた一族として、その力が有力視された。
メフィーアの見た目は人の10代半ばごろの少女。白を基調としたフード付の野外向けコートにひざ丈のパンツという軽装。
父親譲りの凛とした面立ちで、どこかあどけなさが残る容姿。特に目を引くのは、父親の黒髪とは異なる肩上まで伸びた灰色がかった桜色の髪と、父親譲りの銀色の瞳。左手首には軽装には不釣り合いなゴテゴテとした腕輪をはめていた。
「そう言われたくなくば、ボアザテート神の御言葉に少しは耳を貸せ。晴れ舞台でそれでは心配になるのも頷けるというものだ」
またも、メフィーアに小言を言う赤髪。
御三神である、地獄の管理者を担うベルクァーガ家の娘。
カリラ・ベルクァーガその人である。
齢は見た目からメフィーアと同じぐらいか少し年上の印象。短く切り添えられた赤髪とやや吊り上がった深紅の瞳。
黒を基調としパンツと肩を大きく出したシャツの上に、細身にはやや大きく見える深紅のマントを羽織っている。マントが揺れるたびにコルセットに埋め込まれた金属片が覗き、鈍く光を反射した。
「お前たちいい加減になさい」
なによ。なんだ。と両者が視線をぶつけていると外野から声が掛かった。
ちなみにに偉大なる神ボアザテートは、先の発言の弁解について愛娘の横で何かゴニョゴニョと呟いていた。
神とそれに連なる者に声を掛けることは恐れ多いこと。
まして叱咤できるものなどこの儀式に参列を許された中でも数人といないだろう。
「あ、アルトト」
ボアザテート神に名を呼ばれたのは長身の端整な顔立ちをした男性。
先の発言は彼のものだ。
男は神の傍へよると頭を垂れた。その際に白銀の長髪が肩から落ち、長いまつげが伏せられ青い瞳に影がさす。
「ボアザテート神。神務中でございます。配下の目もあるのです。自らの立場をご理解ください。身内がいる中で神務と家庭を混同してしまうのは致し方ないかもしれませんが、これはこれ。それはそれ。もう一度言います。自らの御立場を今一度お考え直していただきたい。さすれば、自ずと神として、親としての威厳というのも自然に周囲に知れ渡りましょう」
「う、うむ」
視線は下げたまま、歌うように告げる言葉は聞き入ってしまう魅力があるが、内容は辛辣そのものだ。
アルトトは、アーレット家につかえる者。服装は純白のローブを身にまとい、腰回りには淵が橙色の赤い帯を巻いていた。
通常はボアザテート神の補佐を行っているが、ここ『時渡しの門』の管理をも担っている。そのため、儀式の監督者としてここに参列していた。
そしてもう一つの顔として――――
「メフィーア。カリラ。お前達二人もです。これから下界に向かうというのに、斯様な様子に私は心配なりません。やはり時期尚早ではなかったのかと改めて思わされます」
「うぐ」
アルトトの言葉にメフィーアが耳を抑えた。都合が悪い事を言われるとメフィーアが行う仕草であった。
「せ、先生!私もですか?」
先生と呼ばれアルトトがカリラへ顔を向けた。
アルトトのもう一つの顔は神となる者の教育。博識である彼は、その才を認められ教育係として彼女らを導いていた。
「カリラ、あなたは正しさを求めるばかり強情になる傾向にあります。押し付けるのではなく時には諭し、共感を示すことを心掛けなさい」
「……はい」
心当たりがあるのだろうか、カリラがしゅんと床に視線を落とす。
先までの偉業なる空気が、なぜか今はお通夜のような有様になり果てていた。
儀に参列していた他の者も、どうしたものかと視線を交わす。そこで仕方がなくと動く影が二つ。
「アルトト、それぐらいでいいだろう」
「そうだぜ。今日は晴れ舞台なんだぞ。気持ちよく送り出してやろうぜ!」
二人の男がその輪に加わった。
「兄さま」
先に声をかけた男にカリラが反応した。
ヴァラル・ベルクァイーガ。
カリラの兄にして長男。カリラと同じく朱のマントを羽織った赤色の長髪の男性。妹に似て吊り上がった目には感情を思わせない雰囲気があったが、掛けれた声音は優しかった。
「ダレス兄」
もう一人は、メフィーアの兄。
ダレス・アーレット。
この中で一番ガタイがよく、着用している甲冑のせいもあってよりそれが際立った。父と同じ黒髪の短髪で、優しそうな顔立ちの好青年だ。
今は嫌がるアルトトの肩を無理やり抱いていた。
二人の兄貴たちがこの場に来たことで、場の空気が弛緩した。