不純な聖女ですが精一杯祈らせていただきます
限りなく清い水に濃い濃い濃い原液が一滴。
たちまち清水は色水に変わり、もはや二度と元には戻らない。
なんてことしやがる!
聖殿の奥の間で聖女の儀とやらの秘術を施された結果、異界の知識を得て覚醒した私の最初の感想がそれだ。
純真なうら若い純粋培養の箱入り娘だった私に、こんなくっそロクでもない記憶と知識を詰め込みやがって。
適合者は一世代で一人いるかどうか、正気での生還率が十人に一人以下と言われるだけのことはある。まったく、ここの神殿の神官ども、やってることはほぼ邪教の徒だぞ。
とはいうものの……うん。ここの世界のこの国の伝統で正当な儀礼だから仕方ないよな。事前説明はしっかり受けたし、親の同意もあるし、何より志願したのは私だ。誓約書も書いて宣誓した。
純真で世間知らずって怖いなー。
というわけで、完全に別の世界での常識と発想という視座を得たにも関わらず、この世界での元の自我と良識を失わずに己を保てた私は、正式に聖女の認定を受けた。
「だからといって、無理に私についてくる必要はないのだよ」
ティーテーブルの向こうから、心配そうにこちらを見つめているのは、我が親愛なるステラマルス殿下だ。我が国の第三王子で私の幼なじみである。
彼は私が聖女の儀を受ける前にもこうやって心配そうに止めてくれた。今だからわかるが、いい方なのだ。昔の私はもっと彼の言う事に従うべきだった。
まぁ、今となっては取り返しがつかないので、申し訳ないが今回の忠告も無視せざるを得ない。毒食らわば皿までというではないか。(異世界の言い回しは、ときに常軌を逸していると思うが、勢いはある)
彼は今度の春から、王族男子の義務である諸国遍歴の旅に出る。
王国領内をいびつな螺旋状にぐるっと一通り辺境まで巡って、各地の諸問題を解決して帰ってくる旅である。旅の間は身分を伏せることが求められ、ルートは神託という名の政治的バランスの産物によって定められ、諸侯には開示されない。
無事に帰ってこられたら王族、帰らなければ資格のなかった者として扱われる。
ポコポコ子を作った歴代の王の無節操さに対応するための、優秀かつシビアな間引きシステムとしか言いようがない。
城から同行できる配下は最大5名。
斥候や連絡員まで含んでその人数という厳しい条件だ。何も考えずに普通に外遊の編成で出かけると、辺境に辿り着く前に消息不明になれる。優秀な忠告者すら持てない浅慮で人望もない王族なんて、皆、欲していないからだ。
ちなみに三年前に出かけた第一王子は音沙汰が無い。
本人が優秀か、良い木偶になれる素材で、バックがきっちり手を回してくれると、ルートは簡潔で楽な道が割り振られ、行く先々では解決しやすい案件が協力者付きで待っていることになる。
第二王子のときは、ほぼ物見遊山の接待旅行だったと聞く。第二王子殿下の母君の実家は権勢を誇る現在の筆頭公爵家だから、さもありなんという感じである。
さて、今回旅立つ我が親愛なるステラマルス殿下はどうかと言うと、見事に消息不明確定ルートである。人望がないわけではない。本人がバカというわけでもない。ただ、いかんせん、政敵が強すぎるのだ。
我が父上は、ステラマルス殿下の母君の義理の兄にあたるので、我が家は殿下の後ろ盾という立場だ。もちろん、我が家も一応由緒ある家なのだが、現在の王宮内での権力はというと、やや心もとないと言わざるを得ない。
そこで父が用意したのが私だ。
わざわざ再婚してまで用意されたのだから恐れ入るしかない。
身命を賭して殿下を助けよ!が至上命題で、私は育てられた。
そりゃあもう真っ直ぐそういう思想で育ちましたとも!
殿下のためなら怪しい儀式も怖くなかった……というと嘘になるけれど、少なくとも怯みはしなかった。
素直な良い娘だったと思いますよ。すっかりこんな色物に成り果てましたが。
「ご一緒させてくださいまし。わたくしも旅に出たいのです。よろしいでしょう?」
「貴女をお忍びの危険な旅には同行できないよ。旅をしたいなら、貴女は十分に供回りを連れて、安全な旅をしたほうが良い」
「はい!ではそういたしますわ」
「……貴女が個人で旅に出ることまでは私は禁止できないよ」
ステラマルス殿下は、弱りきった顔で情けなく眉を下げた。
こう言っては何だが、そういう顔をすると、殿下は大変お可愛らしい。笑っていただけるとさらに愛らしいのだが、それを口に出すと不敬にあたりそうなのでけして言わないことにしている。
そもそも、微睡むハムスターや、日向ぼっこをするプレーリードッグを見て感じる和みを殿下に感じる……と言ってもこの世界に理解者はいないだろう。
これは私だけの知見だ。
こうして私は、"我儘なお嬢様の諸国漫遊の旅"に出かけた。
途中で偶然出逢った青年は、王都のさる豪商のご子息ということで、こちらも社会見学という名目の道楽旅ということだった。
お目付け役兼護衛の部下二名と下男を連れた男四人旅の相手は、何やら地元の貧乏所帯の娘に関わったせいで地廻りのヤクザ者に絡まれていた。
私は貴族令嬢として、権力を笠に着て介入した。
もちろんわかりやすく強そうな護衛をしっかり連れてだ。こういう田舎ヤクザ者相手の場合、揉めると面倒な公権力と制服組を見せびらかすのはその場での抑止効果がある。
「覚えてやがれ!」的な捨て台詞を残して去ったヤクザ者達の始末は、うちの目立たない方の護衛組に任せて、私は商家の青年と貧乏娘を、自分の泊まる宿に招いて、話を聞いた。
捨丸という今ひとつ工夫のない名前の青年は、恐縮して私に感謝の言葉を述べた。彼は、貧乏娘に代表されるようなこの街の低所得層の人々が困窮している問題を語り、非力な自分を憂いた。
「ごめんよ。僕にできることはあまりにも少ない」
「いいえ!ステ様のお陰で、うちの弟は薬が飲めて病気がよくなりましたし、行き方知れずだった父に会うこともできました。これからは親子三人で力を合わせて頑張っていこうと思います」
まぁ、何やら色々あったらしい。
礼を言って帰った健気な貧乏娘と、お人好しそうな好青年を見送った後、私は自分の連れてきた裏方衆に、こういう場合に"ありそうなこと"を探らせた。
私の取得した異界の知識は、この手の地方権力の腐敗に関するクソみたいな悪事のパターンになぜか詳しい。今も、さらっと娘の事情の概要を聞いただけで、あーそりゃぁ、裏であの役職とこの富豪が利権でああなっている典型だ……とピンときた。
はたして、戻ってきた報告は思った通りで「ひねりがない」と思ったほどだった。
「7号。聞いたとおりよ」
私は、殿下付きの影に声をかけた。王族付きは気配の消し方に癖がある。うちの護衛と裏方衆の目を盗んでこの部屋に来ているということは7号だろう。第二王子付きの4〜6号はそこまで腕が立たない。
「私なんか見張ってなくていいから、今の話をお伝えしてちょうだい。それからこれをお渡しして」
「は。お預かりいたします」
当たり前のように私の斜め後ろに現れて跪いた7号に、私は"聖鎧の呼笛"を渡した。
「我が家に伝わる品です。ご覧になれば何かはおわかりになるでしょう。必要なときにはためらわずお使いくださいと伝えて」
「承知いたしました」
7号は紫紺の袋に入ったそれをおしいただいて退出した。
消え方に品がある。やるな、7号。
そんな風に打てる手は打って待つこと1日。そろそろ頃合いかと、一人でふらりと貧乏娘の様子を見に行ったら、捨丸某の下男の八兵衛だか八五郎だかいう男とばったり出くわした。
そして二人揃ってきれいにヤクザ者に拐かされた。
誰しも考えることは……という感じだが、護衛を付けずに出歩いた途端に手を出してくるとか、短絡的すぎやしないだろうか。
八と顔を見合わせる。
「お嬢、こりゃあ、えれぇことになりやしたねぇ」
「そうねぇ」
小太りで丸顔の八は、ソワソワと辺りを見回しては、小物臭い発言を繰り返し、せっせと見張りのヤクザ者の集中力を削いで苛立たせた。仕事熱心な男である。
「やいやい、てめぇら。これからどうするつもりだってんだ。こんなことをしちゃ、お天道様が黙っちゃいないぞ。おい、こら」
「うるせー野郎だ。ちょっとは静かにしやがれ」
見張りのヤクザ者達は、寄ってたかって八を殴ったり蹴ったりして黙らせた。
「およしなさい。もう気絶しているわ」
「おっと。どうやらお嬢ちゃんもかまってほしいようだな」
「いいぜ。俺たちとしちゃぁ、どうせなぶるなら、あんたみたいな女の方が楽しい」
下衆なニヤニヤ笑いを浮かべた下郎共は、縛られて部屋の隅に座っている私を取り囲んだ。
連れてこられた場所は、大きな屋敷の一角にある離れだ。少々騒ぎ立てても誰にも気づかれないだろうという立地だった。
この手のことに手慣れた風の下郎共は、今日の順番を相談し始めた。異界の知識のお陰で、奴らの隠語だらけの相談内容は概ね察せられた。最低だ。これまでどれほどの犠牲者がいたかと思うと反吐が出る。
「その非道。今さら悔い改めよと言われてもどうする気もなさそうですね」
「わかってるじゃねぇか」
「せいぜい、お慈悲をくれとせがんで見せることだな。うまく媚びて見せりゃぁ、いい思いをさせてやるぜ」
ゲラゲラ嘲笑う下衆共の汚い野次に辟易としていたその時。夜風に乗ってどこからか笛の音が聴こえてきた。
「ん?なんだ?」
出入り口にいた男が外を見ると、薄く夜霧のたなびく青白い月明かりの下に、黒いシルエットがあった。
風に乗りたる笛の音は
天堂背きし悪党ばらの
非道の災禍に泣く声か
「なんだ?何者だ!?」
どこからか響く声にうろたえる悪党ども。その誰何に応えはなく、ただ強い風が霧を吹き払うようにゴウッと吹き付けた。
天網恢恢一網打尽
疎にして漏らさず悪を討つ
月光が人影を照らし出す。
それは異様な甲冑を纏った騎士だった。やや俯いていた騎士が顔を上げると、顔を覆った兜の目の部分が鋭く光った。
強権神授!
いざ、参る!!
謎の騎士が抜き放った剣が闇を切り裂いた。
見張りの男が吹き飛び、次の瞬間には、室内に踏み込んだ騎士によって、残りの悪党は制圧された。強い。バカげて強い。
「無事か」
「はい」
縛めを解かれ、差し出された手をとって立ち上がると、ふわりと抱きかかえられた。
「安全なところまで送ろう」
カッコイイ!
均整の取れた筋骨逞しい男らしい腕に抱かれ優しい言葉をかけられて、私はあまりのことに目眩がした。このシチュエーションをいただけただけで、囮として身体を張った甲斐があるというものだ。
ただ、せっかく来ていただいたのだから、思いっきり悪は成敗していってもらわねばならない。
「いえ、今は私のことよりも正義を為すことをご優先ください。悪党ばらめら、あなた様に気付いたら証拠を処分して逃げるやもしれませぬ」
「だが……」
「聖女の務めは、聖鎧の騎士のために祈ること。足手まといになることではありませぬ。行っておのが務めを果たしてください、ステキング様」
「……何て?」
「ステキング様」
「私はそのような名前ではない」
「ステキなキングだからステキング様です。……それとも本名でお呼びしましょうか?」
聖鎧の騎士は、ゆっくりと私を下ろした。
「では、行って参る」
「首魁は二階の東奥の部屋です。どうぞお気をつけて」
私が祈りを捧げると、聖鎧はほんのりと白く輝いた。条件を満たしている聖女の祈りで、防御力、機動力、その他諸々アップのバフが掛かる仕様なのである。
さすが祝福された神聖なるファンタジー骨董品。見栄えは若干SFチックだが、エネルギー収支と性能は謎原理だ。
青白い光条をうっすらと引いて、非常識な跳躍力で悪党の本拠地に向かった正義の騎士を笑顔で見送ってから、私は八に声をかけた。
「いつまでそうしているつもり?ほら、さっさと逃げるわよ」
「へ、へい。お嬢」
裏町のヤクザ者と繋がった大手薬問屋の主人と、その偽薬品認可で大儲けしていた田舎貴族は、その夜の屋敷の不審火の検分に来た役人に不正の証拠を見つけられ、お縄になったそうだ。麻薬取引に人身売買の余罪もついて、取引先のリストで関係者も芋蔓式に検挙される見込みらしい。
「とにかく、貴女もうちの八も無事で良かったよ」
「ご心配おかけしました」
「貴女は良家のお嬢様なんだから、独り歩きなんてしてはいけないよ」
心配そうに眉を下げる捨丸さんは、とてもお可愛らしい。
「昨夜は偶然、謎の誰だかに助けられたそうだけれど、いつも都合良くそんな助けが間に合うとは限らないからね」
「そうですわね」
私はニコニコして頷いた。
「では、この先は貴方とご一緒させていただきますわ」
「ええっ」
「とても恐ろしい目に遭ったんですもの。女の一人旅は心細いですわ」
目の前の青年は、臆面もなくそういった私と、私の後ろにずらりと控えた筋骨隆々の制服組の護衛隊を、交互に見て目を白黒させた。
「せめて次の街までは。いかがでしょう?」
「次の街まででしたら……」
こうして私は彼に同行を認めさせ、その後、なし崩しに既成事実を既得権益化することに成功して、旅のレギュラーメンバーとしての座を勝ち取った。
行く先々で、気弱で頼りなさげだが心優しい捨丸青年は、厄介事に巻き込まれ続け、ついでに"無謀で無防備なお嬢様"である私も渦中で危機に遭遇し続けた。
「助けて〜、ステキング様〜!」
「きゃー、素敵〜!ステキング様〜!!」
「ありがとう。ステキング様〜」
「…………無茶は控えよ」
「はい!」
聖鎧の騎士の活躍は目覚ましく、行く先々で悪い奴らを気持ちよく成敗し続けた。
正体不明(笑)の超法規的暴力装置による強権世直しに、世の悪党、腐敗官僚、及び悪徳貴族は震え上がった。
もちろんバカ強い単騎が暴れた程度で、諸問題が即座に解決するわけではないのだが、そのドサクサに紛れて7号やうちの裏方衆が集めた証拠物件や裏資料を、その都度まとめてうちのお父様に送りつけて、政治的後始末はおまかせしているので、まぁまぁ無難な解決はできていると思う。お父様は正直な人でも正義感の強い人でもないが、そういうお仕事はとても得意なのだ。
旅の途中で、山奥でスローライフにいそしむ第一王子と出会ったり、聖鎧のパワーアップアイテムを古代遺跡で発見したり、色々とあったが、ついに私達は旅の最終目的地である辺境までやってきた。
「ついに魔族共、軍勢を出してきたか」
「とんだ大事になりましたわね」
諸国漫遊の世直し旅のクライマックスとしては、人魔大戦はいささかジャンルを超過している気がするが、気にしたら負けである。人の世の平和のために、ここで正義が負けるわけにはいかない。
この世界の魔族はガチで魔物で、話し合ったり和解したり愛し合ったりは到底できない相手なのだ。
そのあたりは異界の知識はあくまで異界のものなんだなぁと思う。
魔物の擬人化はこの世界では信じては危険なフィクションである。
「どうなさいます?捨丸さん……いえ、ステキング様」
「僕は……私は貴女とここにいる以上、もう逃げる気はありませんよ」
「単身で戦う必要はないのですよ」
「貴女の祈りが常に私とともにある以上、私は独りではありませんから」
「無茶は控えてくださいね」
彼は、これまでいつも私がそうしてきたようにとてもいい笑顔でそれを了承した。
つまりこれから全部承知で無理無茶無謀を敢行するということだ。
まぁ、しょうがない。
そういうことなら付き合おうではないか。
今この場にいる仲間も皆気持ちは同じはず!
「聖鎧の力は直系王族男子のみに与えられるものではありません。彼の者と心を同じくする仲間ならば、共に戦うことができます!」
「いや、待て。俺は山に帰らせてくれ。俺は猫と一緒に平和でのんびりした生活を……」
シャーラップ!
私は逃げ出そうとする第一王子の襟首を掴んで、もう片一方の手で遺跡で見つけたアミュレットを掲げた。
共権神授!
アミュレットから強い光条が溢れ出し、周囲にいた仲間たちの体を包んだ。
「おおっ、これは!」
「殿と同じ鎧が、拙者にも!?」
「ステ様とお揃いですわん」
「なんてこった。あっしもステキングになれた」
「八、お前はせいぜいステポーンだから」
「ええっ、そんな捨て駒みたいな名前イヤですよう」
各々に特化した聖鎧を身に纏った仲間たちをグルリと見て、我が親愛なる殿下は感慨深そうに大きく息を吸い込んだ。
そして次に吐いた息は、深い響きの号令となって発せられた。
「よし。共に戦おう」
「皆様のご無事をお祈りいたします」
地を埋め尽くすような魔族の軍団に、聖なる戦士達は勇敢に立ち向かっていった。
あるいは剣で、あるいは槍で、あるいは弓で、あるいは体術で。
聖鎧は各々の能力を存分に引き出し、強化して一騎当千の力を与えていた。
しかし、魔族もまた強力だった。
「龍と巨人だと!?」
「あんなデカブツどうしろっていうんだ」
「もうおしまいだ〜。俺を山小屋に帰らせてくれ〜」
人がいかに強化されていようとも、如何ともし難い体格差のある敵の出現に、皆の顔に、絶望が過ぎった。
「いいえ!まだ手はあります」
私はアミュレットの中央から宝玉を抜きとって、両手で包み込むように握りしめた。
最後の手段はいつだって残してある。
祈りによって引き出された宝玉の力が私を包み込むのを感じた。
天変霹靂驚天動地
いでよ!強蝕装騎
大巨神!
大地が割れて、光の柱が立ち上り、ゆっくりと巨大な人型のシルエットがせり上がって行く。
『この力、お使いください』
巨大な人型決戦兵器の額の部分に埋め込まれる形となった宝玉の中から、私はこちらを見上げる殿下に微笑んだ。
聖鎧の装甲のせいで殿下の表情は見えなかったが、きっとあのお可愛らしい困ったお顔をなさっていたに違いない。なんて愛おしいお方だこと。
逡巡を振り切り、大きく跳躍して、私が開いた胸部装甲の間の搭乗口に入った殿下は、大巨神の心臓部に収まった。
全権神授
私のすべて、あなたに預けます。
聖なる巨神は、巨大な龍も巨人もものともせずに薙ぎ倒した。
それはそうだ。サイズとパワーが遜色ないなら、戦闘能力がバカ高くて、頭のいい殿下がトカゲやデクノボウに負けるはずがない。
しかしながら、いかな殿下とても、こんな人外レベルの巨身での戦闘は初めてで勝手がわからぬようで、周囲を飛び回るワイバーンや、足元のザコ魔族の対処にお困りのようだった。
巨人と組み合っているときに、周囲からチクチク攻撃されるのはなんとも鬱陶しい。
なるほど。このようなときのために異界の知識は必要だったのか。
私は己の中にある常軌を逸した無駄知識の存在意義を痛感した。
この非常識な聖なる力を余すところなく顕現させるためには、この世のものならぬ情景をイメージできる力が必要なのだ。
『殿下、上空の小うるさい者共を一掃します』
「できるのか」
『おまかせを』
まずはこのガッチリこちらと組み合っているデカブツから一旦離れる。
ホーリーコレダー!
加速されたエネルギー粒子の本流が両腕から発射され巨人を焼く。
今だ。
ホーミングレーザー!
肩と上腕から発射された無数の光条がワイバーンを始めとする飛行系の魔物を撃ち落とす。
よし。いける。
敵本陣を丸ごと薙ぎ払ったホーリーブレスは、むしろ地獄の業火のようだったと、後に第一王子に言われた。大地が融解するレベルの放射火炎というか、大出力ビーム兵器だったので、そう言われても仕方がない。我ながらいささか調子に乗りすぎたのは認めざるを得ない……。
こうして、我が親愛なる第三王子殿下は無事にその旅を終えられた。
不正や汚職の摘発で支持基盤の貴族を多く失った第二王子派閥は弱体化し、筆頭公爵家出身の宰相は引責辞任した。
我が父上は巧妙に政治的立場を強くして第三王子の権力基盤を固めた。最近、白髪が減ってイキイキしている。ぜひ長生きしてもらいたい。
「私は実のところ、王位にはそれほど興味はないのだけれどね」
「そうなのですか?」
「上の兄上のお気持ちもわからないではないよ」
ティーテーブルの向こうで、ステラマルス殿下は、苦笑した。
私は、"探さないでください"と書き置きしていなくなった第一王子殿下のことを思った。なんだかんだぼやきながら、人魔大戦の後始末まで一通り付き合ってくれた良い人だった。どこかの山奥でちゃんと愛猫と静かに暮らせているだろうか。
私は我が親愛なる殿下を見つめた。
「殿下が失踪するときは、ぜひ、わたくしもお連れください」
「私が失踪なんて選んだら、貴女の父上は私を見捨てるよ」
「わたくしは殿下を見捨てたりしませんよ」
「私を連れ戻して傀儡にでもするかい?」
殿下は少し目を細めて口角を上げた。へーぇ、こういうお顔もなさるのか。なるほど。
「わたくしは殿下と共に在りたいです」
「私は貴女の思っているような男ではないかもしれないよ」
「でしたら教えてくださいまし。知らない貴方様を知る事ができるのは喜びですわ」
頼りない優しいだけの男でも、ひたすら強い正義のヒーローでも、与えられた女を利用するしたたかな策略家でも、大きすぎる力を持て余した冷めた厭世家でも、どんな面を見せられても、私はその一面が貴方の真実で他は虚構だと思わない程度にはひねくれた思考回路に成り果てている。
ふふ、そうやって自分を演出しちゃう外連味がある殿下も好きですよ。
ニコニコしている私を見て、殿下はとても困った顔をなされた。
あらやだ。私、本当に心底この方が好きだわ。献身じゃなくて恋愛ですって伝えるにはなんて言ったら良いのかしら。
「今、気づいたのですけれど。わたくし殿下を心からお慕い申しておりますわ」
「今、気付いたのかい?」
「ええ」
「これまでは?」
「身も心も捧げておりましたから、気づきませんでした」
間抜けな話だ。笑われても仕方がない。
しかし殿下は笑わなかった。
「……貴女は私にではなく神に自身を捧げた聖女であろう」
ああそうか。捧げるのではなく愛すると、愛してもらえないことで胸が痛むのだな。
私は背をただして静かに微笑んだ。
「わかっておりますよ。殿下が好いておられたのは、元の無垢なわたくしで、聖女としてこの娘の姿を借りている私は疎んでおいででしょう」
何も知らなかったときは、自分が本当に大切なものを得ていることすら気づいていなかった。そして、その大切なものを永遠に失うことで得た知恵で、そのことに気づいたのだ。笑ってしまう。
貴方の力になるために、私は貴方が好いていた娘を殺した存在だといえる。それが今さら貴方が愛おしいなどと、なんと浅ましいことか。
「申し訳ありません。すぎたことを申してしまいました」
私は俯いて、祈りの形に手を組んだ。そうだ。私は求めてはいけない身だった。私にできることはただ祈ることだけ。私は手を伸ばしてはいけない。
ティーテーブルの向かい側から、殿下の大きな手が伸びて、私の手に重ねられた。
「もし貴女が……」
顔を上げると、少し身を乗り出した殿下が真剣な表情で私を見ていた。
「聖女としてではなく……神ならぬ私に、第三王子という意味ですらない私自身に、そのすべてを与えてくれるというのなら……」
「殿下。王族たるもの一時の情で判断を誤ってはいけませんよ。こう言ってはなんですが、殿下にとっては一人の女としての私よりも、聖鎧の力を引き出せる聖女の方が使いではあります」
きっぱりそう拒絶した私の防壁を打ち砕くように、我が愛しの殿下は、悠然と微笑んだ。
「それでも私はもう、貴女が心を隠し持っていることを知ってしまったからね」
貴女がどんな人なのか、貴女のすべてを余さず知りたい。
祈りの形に組まれていた私の手は、彼の手に解かれて、両手とも向かい合った彼の手と指を交互に絡めるように握られてしまった。
殿下!ダメです!!
そんな顔でこんな距離で見つめられたら、不純な私はこの後、貴方が何をお望みかわかってしまいます!
というわけで。
私は大人しく目を閉じた。
不純で碌でもない知識はとても役に立つ。でも今はそれは脇においておこう。
私はただ真っ直ぐな心で、愛しい人と思いを交わした。
もし第三王子殿下があと半歩ヘタレだったら、不幸な両片思いになった二人です。殿下良くやった!
そしてこの後、あなたがこういう人だったとは→惚れ直した、をお互いに何セットかやりますw
ちなみに第一王子は猫嫁とのんびりスローライフを……多分おくれたはず!
トンチキ盛り合わせなやりたい放題のバカ話に最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。よろしければ、感想、評価☆、いいねなどいただけますと大変励みになります。