10 諦める鍛治師(その1)
訓練初日。早朝六刻。
ラウルは戸外に出て気持ちよく伸びをした。
やる気が全身にみなぎっているのを自覚した。
八月も半ば、樹々の枝葉の隙間から覗く空は高く青く澄んで、今日はよく晴れるに違いない。
訓練だ。
「オルー! ついておいで!」
まずは走ろう。
身近な場所を利用するのが一番効率が良く続きやすい。
森の中は足元に起伏があり、走れば自然と足腰が鍛えられる。それに夏でも涼しく、早朝ならば森の香気もより爽やかだ。家も近い。
森の中をラウルは走った。
とにかく走った。
樹々の間、まだ小さいとはいえ竜には走りにくいだろうに、オルーは地面を律儀に走ってラウルを追ってくる。
二つの脚で地を蹴り尾で支え、時折短い両手で地面を掻く。その姿が微笑ましい。
どしんどしんざざっざざっ。
どしんどしんざざっざざっ。
(わー、あんなに小さいのに地響きすごーい)
どしんどしんざざっざざっ。
だっだっだっだっ。
ラウルも走る。
どしんどしんざざっざざっ。
だっだっ、だっだっ。
どしんどしんざざっざざっ。
だっだっ、だっだっ。
とにかく、まずは走るのだ。
オルビーィスの健康のために。
ラウルは走る。
どしんどしんざざっざざっ。
たったっふーふー、たったっ、ふー、ふー。
オルビーィスの、け、健康の、ため、に。
ラウルの目は虚ろになっている。
どしんどしんざざっざざっ。
ふー……ふうう……フ、ゥゥゥ……ヴ
ラウルの顔は紙のように白くなった。
どしんどしんざざっざざっ。
一人と一匹は四半刻(約15分)弱も走っただろうか。
ラウルはよれよれになった足の、懸命なもう一歩を踏み出し、
「オ、――オ、ルー……ご……」
ごめんね……
キラキラ輝き溢れる木漏れ日。
朝露がまだ葉の先に光っている。
キラキラ。
ラウルは倒れた。
訓練二日目、朝八刻。
樹々の枝葉の隙間から覗く空は今日もよく晴れている。
今日は昨日よりも暑そうだ。
「オルー! ついていくよ!」
ラウルは日和った。
森は緑が濃く、夏の強い陽射しも我関せずの涼しさだ。足元にジュニスという薬草が小さな白い花を散らしていて、鳥の鳴き声も気持ちいい。
重なり合う樹木、茂る葉の陽光に透ける葉脈、薄く柔らかな花弁の一つ一つに生命を感じる。
この森全体に、生命が満ちて広がっている。
森の香気をいっぱいに吸い込む。
自分がこの森から恵みを受けているのだと、ラウルは呼吸の内に実感する。
計画では午前中また走ろうと思っていたが、オルビーィスは何にでも興味を持ち、すぐに道を外れてしまう。
「もう、オルーはぁー。仕方がないなぁ」
まったくもぉー。
オルビーィスは足元に低く咲く花の香りを嗅ぎ、つやつやの苔を見つけては転がった。
倒木の下をくぐり、木の根元に小動物の穴を発見し首を突っ込む。
生き生きとしてとっても楽しそうだ。
きゃっきゃっ。
「あ、そろそろお昼にしようかー」
オルビーィス用のお昼のお弁当をいそいそと広げる。
ボードガードに指定された最小限の用意しなかったために、オルビーィスは一瞬で食べてしまった。
うふふ。
可愛いなぁ、可愛いなぁー。
「もうないよぉ」
物足りないのかきゅうきゅう言っている。
首を傾げ、おかわりは? と訴えかけてくる。
超絶、愛くるしい。
おかわりをあげられないだなんて切なくなる。
いやいやダメダメ、いくら可愛くても切なくても今は食事制限しなくちゃならないんだから。
「ないんだよぉ」
ラウルは決意している。
オルビーィスは諦めず、青いつぶらな瞳でじっとラウルを見上げてくる。
じいい。
じいいいい。
じいいいいい。
長い首をすりすり。
ラウルは決意を捨てた。
「仕方がないなぁ」
やはりお腹を空かせてはかわいそうだ。
いきなり初めから厳しすぎるのではないか。
うん、そうだ。
自分のお昼を分けてあげればいい。
背負い籠いっぱいがっつりたっぷり持って来たしね。
「今日だけだよぉ」
籠に入れていたものを敷物の上にお店よろしく広げると、オルビーィスは飛び上がるようにしてまずは干し肉に齧り付いた。
半刻後、背負い籠一つ空にして、すっかり満足したようだ。
えへへ。良かったねぇ。
お腹いっぱいになったあとはまた花の絨毯や樹々の足元の茂みに鼻先を突っ込み、兎を追いかけ、狐を追いかけ、蝶を追いかけ、小鳥を追いかけた。
「元気だなぁ。お腹いっぱい食べたからだね」
鹿を追いかけ、川で魚を追いかけ、
「わんぱくだなぁ、ふふ」
熊と出会して熊を追いかけた。
「ひいい」
怖い。
熊は怖い。
自分がお腹いっぱい食べられちゃうかもしれない。
熊は放っておこう。
さすがに森に深く入り込みすぎたかと、ラウルはそそくさとその場を後にした。
オルビーィスも森で遊ぶのに満足したようなので、その日は陽が沈む前に家に帰ってきた。