9 諦めない鍛治師
「痩せさせたいって、それで俺のとこに来たのか」
キルセン村竜舎のアーセン・ボードガードは兵士と見紛う体格で腕を組み、ラウルを見下ろした。
ボードガードが兵だったら一般兵ではなくきっと指揮官級だ。
「はい。親方なら、どうやったら(食べたまま)痩せさせるか、その手法を知ってるんじゃないかと」
『……』
腰でヴァースが振動した。
ボードガードが目を細める。
「へえ」
「オルビーィスはまだ小さいですし、(食事制限とか)あまり無理なやり方はこの先の生活に良くないかと」
『……』
腰でヴァースが振動した。
ボードガードが目を細める。
「ほお」
「(食べるの大好きなオルビーィスに嫌われたくないからなるべく楽して)健康的に痩せる方法をぜひ、ご教授いただけないかと!」
『……』
腰でヴァースが振動した。
ボードガードが目を細める。
たっぷり溜めて、息を吐き出した。
「悪いが、お前のその心の中の願望を実現しつつ痩せる方法は知らねぇぞ」
さすがグイドの長年の友人、これまた心を読んでくる。
「駄目ですか……」
「駄目だな」
ラウルが項垂れたのを見て、ボードガードが苦笑する。
「まあそう落ち込むな! 単に今のお前の考えが甘いだけだ!」
「うう……」
「なんとかなる!」
背中を一つ叩かれ、ラウルはつんのめった。
「ぐふ」
重い一撃だ。
「俺からの助言は一つだ。長年の飛竜育成経験を踏まえてお前に教えてやろう」
両腕を肩まで持ち上げて曲げ、力を込めてぐぐ、と二の腕を膨らませる。
筋肉が丸太のようだ。半袖がはち切れそうになっている。
「グイドの奴も言ってたんだろう。運動! 運動あるのみ! 脂肪の燃焼を助けるのは筋肉だ、今以上に筋肉をつけさせろ! 筋肉はいいぞ、筋肉は!」
筋肉は裏切らないみたいなこと言い出した。
『親方、飛竜の育成経験関係なかったなー』
ラウルは項垂れながらトボトボと歩いた。
「みんな、どうしちゃったんだよ……オルーはまだ生まれて一歳にもなってないんだよ? それを痩せろ痩せろって」
相談には全て筋肉で……ではなく、食事制限をし運動して消費させろという方向でしか答えが返ってこない。
おかしい。
「世の中は食べながら楽して痩せる方法をこんなにも求めているのに」
『なんだそりゃー』
「不老不死の方法を求めるが如くだよ」
『そこまでかー?』
そもそもさ、とラウルは口を尖らせる。
「無理にご飯少なくして運動なんてさせたら、却って身体を壊しちゃうよ」
ねえ、ヴァース!
と強めに同意を求めると、ヴァースは珍しく
『まあなー』
と頷いた。
『普通ならそんな無理させないよなー』
「だよね、だよね?!」
キルセン村からの帰り道、家へ辿るくらがり森の小道だ。
陽は傾きかけ、やや空気が冷たくなってきたが、もう家まで後少し、鍛治小屋の煙突が樹々の間に見えている。
『まあでも、オルーがふつうじゃないしなー』
「何を以て普通かね。一体どこの誰が普通を決めるんだね。いいかい、よく聞きたまえ。普通という基準なんて、どこにもないものだよ」
『うわー、めんどくせーなー』
うわー?
何だねうわーとは。
今ラウル達が歩く小道はゆるくまがりくねりながら西へ伸び、その途中で右へ、分岐している。そこを曲がるとその先にラウルの家がある。
鍛冶小屋と、暮らしている平屋が正面に見えた辺りで、玄関の扉が開いた。
誰か来客――ではなく
「オルー!」
丸っこい白い塊――でもなく
オルビーィスが口で把手を捻り、器用に小屋から出てくるところだ。
もう扉も自分で開けられるようになっちゃって、エラいなぁオルビーィスは、とラウルは足取りを弾ませて近付いた。
「ただいま! オ」
オルビーィスは玄関先から飛ぼうとし、バタバタと何度か翼を動かして――
高くは浮き上がらず、諦めてすぐに着地した。
玄関への短い階段の上に。
みしばきべきぼきどっ。
「えっ?! えっ、なっ」
『みし、は階段の踏み板が軋んだ音でばき、は割れた音でべきぼきは穴が広がった音で最後のどっ、がオルーが階段下の地面に落ちた音だなー』
「わあ擬音てすごいね! オルー! オルー大丈夫?!」
ラウルは慌てて駆け寄り、階段に開いた穴を覗き込んだ。
階段の下はただの空間になっていて、地面は土だ。
オルビーィスはてん、と座って何事もなかったかのようにラウルを見上げている。
ぱちりと瞬く青い瞳が愛くるしい。
「オルゥ……」
腕を伸ばして翼の下に手を入れ、持ち上げようとして
「……あ、腰ヤバい」
ラウルは諦めた。
オルビーィスの背丈的に、階段の高さがちょうど首辺りだ。
そのまま出られてしまうと階段はもう完全に役割を終えてしまう。
「オルー、出ておいで。あんまり空間ないね、飛んで出られるかな?」
『横から出られるぞー』
ヴァースの言葉が判ったのか、オルビーィスは階段の横から這い出した。
怪我はないかと見れば、割れた踏み板の端で少しくらい引っ掻いていそうなものだったが、白い鱗には傷一つない。
「良かった良かった、怪我は無いね。オルーは強い子だね」
「ぴい!」
『強すぎて階段に被害があるけどなー。これ使うのは無理だろー』
ヴァースの言うとおりで、二段目と三段目がほぼ落ちている。
修理が必要だ。
板を用意しなくては。
ラウルは割れた踏み板を検分した。厚みは親指の爪くらいはあるが。
うん。
「板木が腐ってたんだねぇ」
『オルーの体重だと思うぞー』
「師匠も若い頃から住んでたって言ってたし」
『セレスティが踏んでもミシリとも言わなかったぞー』
「セレスティはほら、伯爵家の出だし、足の踏み出し方もなんだか優雅っていうか」
セレスティ・ヨハン・バルシュミーデ。
戦士で、北ゴース、バルシュミーデ伯爵家の四男である。
『伯爵家を出て御前試合の為に修行してるようなヤツだぞー。大剣振りたがるしなー』
巨大な鉄の塊とも言うべき全長半間(約1.5m)超えの大剣、シュディアールを使いたいという奇特……ではなく気骨溢れる好青年である。
今でさえ充分逞しいのだがシュディアールを持ち上げることが叶わず、修行を積んでいつかシュディアールを振れるようになると、そう誓って旅立った。
「セレスティがシュディアール持って階段登ったらそりゃ板も割れるかもしれないけどね」
筋肉と剣の重量で。
『オルーだけで割れたんだぞー』
ラウルは両手で耳を塞いだ。
『食事制限と運動』
塞いでも変わらず聞こえてくる。
同じ言葉が何度も何度も何度も何度も。
もしかして心に語りかけているのだろうか。
「キコ……」
『?』
「キコエ、マスカ、イマ……アナタノココロニ……ハナシカケテイマス……」
『ご主人?』
「タベナガラ、ヤセルホウホウハ……アル……アルノデス……」
『ご主人ー?』
「タベナガラヤセルホウホウ……サガシテ……」
『大丈夫か?』
「イエ……」
『食事制限と運動して絞るしかねー』
ヴァースはさっくり話題を戻した。
「――」
『食事制限と運動、これしかねぇぜご主人ー』
「うう」
『明日から、いや、今日から特訓だー』