4 名付けられぬもの
それがいつ産まれたのかを知る者は無かった。
初めからこの地に在ったのか、どこか別の地からやって来たのか。
それは形を持たず、声を持たず、他に縁も無かった。
初めに触れたものと似た形を取る。意思の疎通は声によらず行なった。
それが滅ぼしたものは数知れず、だがその都度、それは活動を止めた。
周囲を滅ぼし、近づくものが無くなれば、ただ飽きたかのように。
そうなるとそれは、深い地の中で眠る。
それが何十回目かの眠りについた後、空から火の矢が無数に落ちた。
大地は割れ、波の如くうねり、火の山が震え地の熱を吐き出す。
吹き上がった灰塵が空を覆う。
降り注ぐ岩と土と灰でそれの眠る場所がすっかり閉ざされるのと比例して、大気は著しく温度を下げ始めた。雪が降り続け、大地は日一日と、覆う氷を厚くした。
それは厚い氷に閉ざされ、存在に気付かれないまま。
定命のものにとっては悠久の、それにとっては泡沫の歳月が流れる。
時間と雪と氷が積み重なる。
ぶ厚く覆う積層の下で眠り続けていたそれが、ふと目を覚したのは、小さな音を捉えたからだ。
これまで、聞いたことのなかった音。
目を開けて眺めた先に、いくつかの光が揺れていた。
火。
火は透明で小さな箱の中に揺れている。それが氷でできていると知ったのは少し後のことだ。
氷というもののことも。
今、それの前にいるのは灯りを持つのは幾重にも布を纏った腕。
二本の足で直立し、表皮にはほとんど毛がない。
これまで見たことのない姿に、それは少し戸惑った。
だが何より意識を引くのはやはり『音』だ。
音は揺れる光と合わせ、漣が耳を撫ぜるように聞こえてくる。
その音が何なのか、思考を巡らせる。
眠る前に、幾たびと触れてきたもの。
――思い出した。
声。
声だ。
生物が発する、何らかの意思。
驚き、恐怖、怒り、飢え、苦痛、嘆き、絶望。
幾たびも、それは声を飲み込んできた。
幾たびも、彼等は近づいてきた。
だが、今回の声は何かが違う。
何だろうと、耳を傾ける。
微かな記憶の底から以前の声を引っ張り出して思い浮かべ、比べる。
一つは驚き――そう、あれは驚きという感情だ。
恐怖。知っている。
一つは飢え。
一つは苦痛。
一つは嘆き。
知っている。
だが幾つか、それの知らない感情があった。
そして声は今までに無い複雑な音を発しながら、互いの意思を交換しているようだった。
彼等は最初、それの周囲を遠巻きに囲むだけだったが、目覚めて数日か数年か――それにとって特に意味を持たない時間が経過したころ、三つの火が近付いてきた。
意識を撫でる新たな感情。
それは初めて、欲望を知った。