3 寒いと鳥はふっくらする
「ラウル、生きてたな」
声とともに、ラウルの前にぶらりと吊るされたのは二羽の兎だ。
ラウルは夕飯の支度をしようと、庭で野菜を掘り起こしていたところだった。
「グイドさん!」
兎を有難く受け取りつつ、ラウルは声の主を見上げた。
四十後半、五尺六寸(168cm)ほどのやや小柄、灰色の鋭い目をした男だ。
左頬と左耳に切り傷。肩まで伸びた灰色の髪を後頭部で括り、頭の側面・後頭部はさっぱり剃り上げている。
革鎧と薄茶の上下、膝丈外套を纏い、森の中では男が動かない限り、その存在を目視するのは困難だろう。
グイド・グレスコー。
弓の名手であり、六年前の大戦時、くらがり森から溢れ出した魔獣を狩った、この地方最大とも言える功労者の一人だ。
大戦後、王都で国王から勲章を授かっている。
オルビーィスを母親の元へ返そうという短い旅で、グイドの矢は何度となくラウル達を救った。
三本の矢を同時に番えそれぞれ異なる標的に当てる技を目の当たりにし、戦士のセレスティは感嘆しきりだった。
(今日もかっこいいな。俺、ほんとにグイド・グレスコーと冒険しちゃったんだな)
あの後、弟のエーリックにそのことを話したらものすごく羨ましがられた。
同時に危険な旅の心配もされたが、その役割は主に妹のアデラードものだ。
ラウル達だけではなく、村人や、近隣の尊敬を集め、それこそ正規軍の兵士達からも一目置かれる存在なのだ。
そのグイドは冒険が終わり解散した後も、こうしてたまにラウルの小屋に寄ってくれる。狩のついでといい、獲物を分けてくれた。
「兎ありがとうございます。代金取ってきますね。あ、お茶でも」
「茶とか構わなくていいが、一休みさせてもらうかな」
どうぞ!
どうぞどうぞ!
グイドさんの家みたいなものと思っていただければ!
「それで、オルビーィスは? また来てるのか?」
また、という響きとどことなく揶揄うような目線。
ラウルほんの少しだけ、後ろめたい気持ちになった。
今、オルビーィスがいる背後の家へ、後頭部で意識を向ける。
「え、はい、ま、また……いえそう、ごくごくたまーに……。たまーに、思い出したように、来るというか……」
グイド達の助力を得た、オルビーィスを親元へ帰すための、命の危険も伴った旅。
そのはずだったし、完遂もした。
オルビーィスは母である白竜の元に、無事帰った。
戻ってきたけれど。
(いやいや、戻ってきたっていうかね!)
自分の名誉のために言えば、時々遊びにくるのであって、そのあとはまたしっかりときりふり山に帰っている。
『今来てるぞー』
「ヴァース!」
いや、家に入ったらすぐにバレるんですけれども。
「ほお」
と、グイドの声が低い。
「何日目だ」
「イマ、キタバカリ……」
『昨日から来てるぞー。五日ぶりだなー』
「ヴァース!」
「五日ぶり?」
『いつも三日くらいいるかなー』
「ヴァ、ヴァースぅ!」
「いつも……」
グイドが呆れているのが分かる。
「ラウル」
「ハイ」
グイドの声が真剣味を帯びる。
「最初の問題を忘れてないだろうな?」
「ハイ……」
竜は慣らせない。
いずれ喰らうものになる。
そんなことを言いラウルを諭したのは、グイドの友人でもあるボードガードだった。
ラウルの家族がいるキルセン村で、飛竜の竜舎を営んでいる飛竜の専門家であり、あの旅の同行者としてグイドを紹介してくれた。
それに何より、飛竜を狩る密猟者もいる。奴等が狙うのは主に産卵期の卵だが、幼竜も狙うことがあった。オルビーィスが狙われないとも限らない。
事実、オルビーィスは拾った当日、密猟者に目をつけられこの小屋から強奪された。
あの時は密猟者も飛竜と間違えていたのだが、ただでさえ白い鱗で目立つ上、更に希少な竜だと分かったら、今度はどんな輩に狙われるか知れたものではない。
そもそも竜を危険と判断して、軍隊が派遣されてしまったりしたら。
(俺は、ちゃんと、オルーのことを考えてやらなくちゃいけない)
可愛らしさとオルビーィスがラウルを慕ってくれる心に甘えていてはいけないのだ。
俯きつつ扉を開け、ラウルは室内に首を突っ込んだ。
「オ、オルー……グイドさんだよ?」
オルビーィスは玄関を開けてすぐの居間の真ん中に、ちょこんと座っていた。
両脚を前にして、短い両手を脚の間につき、床のお椀に首を伸ばしてラウルが用意したパンのチーズと蜂蜜掛けを食べているところだ。
(かんわ)
かんわいい。かわいい。可愛い。
ころっとしていて大変大変、大変、本当に、心の底から可愛らしい。
よく食べるし、ふっくらしていて、甘いものに目がないのが現れているのがまた可愛い。
そしてオルビーィスが食べている姿を見ることが、ラウルは何より好きだった。
母竜も言っていた。オルビーィスのその姿がかけがえがなく、愛おしいのだ、と。
失ったと思っていた我が子を取り戻した母竜には、自らの手元で嬉しそうに食べている子の姿は、どれほど有難く喜ばしいことか。
いつもたくさん食べているのだ、と微笑んでいた。
(オルゥ)
可愛い。
きゃわいい。
きゃわいい。
きゃんわ
「……太ったな」
背後で低い声がボソリと呟く。
「えっ」
グイドの言葉にラウルは自分を見回した。
太った?
「そ、そうですか?」
言われてみれば太ったかも。
腹回りとか。
ちょっとだるんとしてきたかなって。心なしか服がキツくなったような気もするし。
「……あの旅以来、運動していなかったから」
「お前じゃない」
「俺じゃない? でも、太ったって、グイドさん」
グイドは気がついていないのか、と呆れた表情を浮かべた。
右手を持ち上げ、ラウルの向こうを指す。
居間にてん、と座っているオルビーィスを。
「オルビーィスだ」
ラウルは矯めつ眇めつ、オルビーィスをじっくりと眺め回した。
「そう、ですか……?」
てん、と座っていて可愛い。
むちむちしているところが、また可愛い。
ころころ転がって行きそうだ。
そう言えばオルビーィス、卵の時にきりふり山のてっぺんから麓まで転がり落ちてきたんだよな。
それで無傷だったから、母竜が驚いて。
「『そうですか』?」
グイドが片眉を上げる。
あっ、今の繰り返し方、えらく呆れてる時のレイノルドみたいですよ。人の言った言葉を繰り返してみせるの、良く無いですよぉー。
「いや、太ってなんて。オルビーィスは」
だってオルビーィスは太らないはずですし。
なんと言っても竜ですし。
竜が太るなんて聞いたことないですし。
「ここまで太った竜は聞いたことがないぞ。肥えたと言うべきか。野生味がまるきり無い」
「えっ、いやいや! オルビーィスは太ってないですし、竜ですし、鱗とか、長い首とか、翼とか、野生の美しさそのものじゃないですか! ほら!」
ほら! とオルビーィスの翼の下に手を入れ、抱え上げようと力を込める。
今、軽々持ち上げて見せましょう。
「っ、……、ゔっ、……、んぐぎっ……っ、ぐふ」
まずい、この体勢腰にきそう。
ぐきっていきそう。
ラウルは一旦オルビーィスを床に下ろし、肩で息を吐いた。
改めて、てん、と座っているオルビーィスを何度か角度を変えしげしげ見回す。
「……前からなら持ち上げやすいかな」
グイドがずい、と一歩近寄った。
「現実を見ろ、ラウル。オルビーィスは太ってる」
「そ……っ」
そんな、はずが。
ぷくぷくだし。
ころころだし。
むっちりだけど。
救いを求め、ラウルは腰に帯びたヴァースを見下ろした。
いっつも一緒にいたヴァースなら分かっている。
「な、なぁ! ヴァース! オルビーィスは太ってないよね! グイドさんが久しぶりに見たから。その間すくすく成長してただけで」
また脱皮とかしたのかも。
『太ってるぞー』
腰のあたりから朗らかな声が返る。
『太ってるぞー。ぷっくり』
「いやいや、ぷっくりだなんて。ほら、きっと寒いから! 膨らんで!」
鳥類って冬は膨らんでいるのが常ですし。
『今夏だけどなー。それにオルビーィス、羽毛はないしなー』
それは、鱗が膨らんでるとか。
『腹回りすごいぞー』
お腹周り。
視線が自然、迫り出したお腹周りに向かう。
ああ……。
オルビーィスは澄んだ丸い瞳でラウルを見上げてくる。
その訴える輝き。
「オルー、お代わりす」
グイドに無言で後頭部をはたかれた。
ヴァースはもし彼に腕があったら腕を組んでいるだろう様子で、しみじみと告げた。
『いわゆる肥満体だなー。横幅が前の倍になってるー』
剣が何で肥満体なんて言葉を知っているのかね?!
心の中で叫びつつ、現実を直視したラウルはその場に膝からくず折れた。