夜の追跡(その2)
極力音を鳴らさないよう、地面に足をそっと下ろしながら進む。
五十歩ほどそうやって進んだところで、重なり合う樹々の間にちらちらと微かな灯りが見えて来た。
はじめは誰かいるのかと怖気付いたが、よくよく見ると動かない。
最後の樹が小屋と言っていたから、おそらく窓から洩れる明かりなのだろう。
じりじりと近付くにつれ、夜目にも小屋の姿が見えてきた。
「こんな場所に――」
石積みの小さな小屋だった。四角く切り出し重ねた石には苔が蒸し、小屋全体を重苦しい印象にしている。足元は雑草で生い茂げり、打ち捨てられて長いように見えた。
ラウルが暮らすところもなかなか手狭ではあるが、ここは例えば樹木伐採の仕事の休憩小屋程度の大きさだ。
右手の奥に柱四本に屋根だけという物置があり、そこに長い木材が数本寝かせられているから、実際そうだったのかもしれない。
(最近は、くらがり森で木材の伐採をやってるって聞かないし)
ラウルの父が付けていた財産台帳でも、くらがり森での林業の記録があるのは五年前までだった。
都からイル・ノーの街まで物流が飛躍的に改善して、もっと安全に伐採できる森から木材が運ばれるようになった。
(それもうちの収入が、落ちる原因の……)
梟が思いのほかすぐそばで鳴き、ラウルは肩を跳ねさせた。
逸れていた思考を引き戻し、小屋に集中する。
手元でヴァースは黙っている。ただ手の中の彼の意識を感じられた。
「――」
そっと息を吐く。
自分がこれからやることをもう一度確認する。
無理はしない。絶対に。
まず、気を付けて近寄って、中にあの男達がいるのを確認する。
確認したら朝を待たず村に行って竜舎に報告しよう。
竜舎からロッソの街に応援を呼んでもらうのだ。
応援と一緒にまたここに戻り、小屋に踏み込んで、あの子飛竜を助ける。
(よし)
深呼吸を、一つ。
(もっと、近付いて……)
灯りの漏れている窓から中を覗けそうだ。
近付くほどに体内で鼓動が音を増し、乱打している。
ラウルは時間をたっぷりかけ、どうにか灯りを湛えた窓の側に寄った。
さっきと逆だな、と何とも言い難い気持ちになる。あの男達も同じようにラウルの家の窓を覗き込んだのだろう。
あの時のことを思い起こし、今更ながらに背中が粟立った。
煤けて半ば曇っている硝子窓の隅から室内をそっと覗き込む。
暗い森に慣れた目には室内が眩しくさえ感じられた。殴られた頭は正直まだ痛いが、それでも大きな怪我がなく済んでよかった。
覗き込んだ室内はほぼ物置に近かった。部屋も一つだけのようだ。
真ん中に小ぶりの木の机が一つ。その前の椅子に男が一人、机に両足を乗せ眠っている。もう一人、椅子の背に身体をだらりと預けている男と。
(あいつらか、どうか――)
襲われた時は暗かったから、確信は持てないが。
壁際に木箱が幾つか置かれている。上に重ねるように置かれた鉄格子の――檻。
その中に。
「いた」
あの子飛竜、とラウルは目を凝らし、そのまま見開いた。
「え、違う」
子飛竜は真っ白な鱗をしていたが、檻の中に入っているのはどうやら緑鱗に見える。
その隣の檻も、その隣にも同じく緑鱗の飛竜の幼竜が入れられていた。おそらく生まれたてだ。
眠っているのか、檻の中で躯を伏せている。
壁に寄せて積まれた檻はラウルから見えるだけでも七つあるが、部屋の様子からして今覗いている窓側にもありそうだ。そしてそのどれにも飛竜が入れられているようだった。
「竜舎――」
『な訳ねぇ』
そうだ。こんな森の奥の、こんな狭い荒れた場所で。
「けどあんなに」
村の竜舎のボードガード親方は、慣れた、飛竜養育官を多く抱える竜舎でもひと季節に四、五個、卵を採取できれば上出来だと言っていた。
そして採るのはあくまでも卵だ。一つの巣から一つだけ。
生まれた後は手を出さない。
もうひとつ、ボードガードから聞いたことがある。
ボードガードの言葉を借りれば、
"密猟者は巣から根こそぎ持っていきやがる"
卵から孵すよりも時間も手間もかからない。
買い取る竜舎は当然真っ当な許可を得ている所ではなく、飼育環境は劣悪だ。
何よりも許せないのは、とボードガードが低く押し出した言葉。
"あいつらは大抵、親を殺してく"
追ってこられると面倒だという理由で。
その後のことを何も考えない、完全な荒らし行為だ。
小屋に今いる飛竜達も、みなそうして連れてこられたのだろうか。
(あの子も、もしかしたらそうだったのかもしれない)
子飛竜の青い、綺麗な瞳。
本当は親の姿を写しているはずだった。
ラウルは強い憤りを覚え、手にしていた剣の柄を握りしめた。
「――村に、知らせに……」
『まずい』
ヴァースが緊張を帯びた声を発した。
『誰か来た』
ラウルは首を引っ込め息を殺したが、室内の男達は眠ったままで、扉が開く気配もない。
「大丈――」
ヴァースの声は更に、緊張を増した。
『違う、後ろからだ』