1 迷える鍛治師(その1)
ふいごを押して火床に風を送る。
細長い火床に敷き詰めた炭が赤々と燃え、薄暗い小屋の中に鮮やかに火花を舞い上げる。
火床に入れた鋼が次第に灼熱に輝き、それはやがて白く澄んでいく。
火箸で挟み、素手で触れれば骨まで溶かすだろうそれを取り出す。
金床に乗せ、槌を何度となく振り下ろす。
鋼と槌が打ち合うその瞬間に散る光。夜空を流れる一瞬の星の光にも似ている。
瞬きに満たない刹那――或いは永遠。
鑿を立て、打ち叩いて伸ばした鋼を折る。
素早く叩き、重ねた鋼を再び一つに合わせていく。
粘土を溶いた水を掛け、灰をまぶし、火床に戻す。
火の熱と金槌の音が響く狭い鍛冶場がまるで、静寂に支配された広大な空間に思える。
槌を振り下ろし、振り下ろし、振り下ろし。
一心不乱に、槌を振り下ろす。
不純物は叩き出されて散り、次第に長く打ち延べられていく鋼。
それはやがて剣になる。
ゴツゴツと無骨な鉄の塊から、長く、鋭利に、美しい剣へ、姿を変える。
人の手の、一つ一つの工程が造り上げ、形を成してて行く、その美しさ。
鍛治師の腕が、技が、魂が、生み出す一振りの剣。
のはずが、この鍛治工房の主は少々異なった。
「えっ、何?」
槌を振り下ろす。
硬く重厚な音。
散る火花。
「えっ、でもさっきは片手剣って――えぇ……、うう、ううん」
はたから見てラウルはそれなりの大きな声で独り言を言いながら剣を打っている。
この鍛治小屋に他に人がいなくて一安心だ。
火床に戻し、灼熱の輝きを取り戻した鋼を金床へ。
水桶から滴を滴らせた槌を、灼けた鋼に打ちおろす。
火花が散る。
槌を振り下ろし、振り下ろし、振り下ろし。
「――ええぇ? いやいや、ちょっとそれはもう今更変えられな……え、可能性は無限大? いや、まあそう、そうなんだけどね、それは理想というか無理筋というか」
手元が振動した。
そう言われても。
困ったな。
うーん……。
まあ仕方ないか。
「今回だけだよ」
息を吐く。
延ばした鋼を鑿で折り、合わせ、泥水をかけ、灰をまぶし。
火床に戻し。
叩き。
延ばし。
叩き、延ばし。
叩き
「ええ? ちょ……、だってもうここまで――そろそろ仕上げにっていうか。俺も疲れちゃったなって、いや、いやいや! 違うよ? 違うって。魂込めて打ってるよ!?」
眉を寄せて手元を見る。
「いや、分かるよ、分かってるよ、君の気持ちはね――」
汗が顎へ伝うのを手で拭う。
集中していた気持ちが崩れたせいか、汗が今更のように吹き出してきた。
いや、困惑からかもしれないが。
「え、そうなの――? ううん。まあねぇ……まあ、そこまで言うのなら……」
心を決めて息を吐く。
仕方ない。剣のためだ。
何としてもいい剣を打って、今度こそ買ってもらいたいし。
延ばした鋼を鑿で折り、合わせ、泥水をかけ、灰をまぶし。
火床に戻し。
叩き。
延ばし。
叩き、叩き、叩き、延ばし。
叩き、延ばし。
それを何度繰り返したか――
次にぴたりと槌を振り下ろす手を止め、すっかり夕暮れの陽が差し込む小屋の中で一人、ラウルは音を上げて叫んだ。
「いや! もう! もう落ち着こう! もうここで決めよう! ここで! これで!」
延ばし、延ばし、火床に差し込み、白く輝かせ、叩き、延ばし、叩き、延ばし、叩き、延ばし。
水桶に差し入れ、冷やし。
何度となく変わる要望にその都度対応してきたが、限界だ。
「もう終わり! 終わりだよ!」
言い聞かせるように力を込めてそう告げると、ずっと喋り続けていた鋼はやや不満げに鎮まった。
「――」
まだ何か言うのではないかとつい耳を傾ける。
だが流石にもう、注文をつけるのは終わりにしたようだ。
「そうじゃなくちゃ困る」
念押しするように深く息を吐き、それからラウルは手にした剣を身体の正面に掲げた。
まだ磨き上げる前の鈍い光りながら、姿は良い。
「うん」
自然と頬に笑みが浮かぶ。
とても、美しく仕上がると思う。
刃渡り二尺(約60cm)弱。
ラウルの打った十一振り目の片手剣だ。
三日前から制作に入り、ようやく最後の段階まで漕ぎ着けた。
ラウルはまだ肺の底に溜まっていた残りの息を、ゆっくりと吐き出した。
「――後は磨いてやって、完成だ」
ちらりと窓の外を見て、迫る夕暮れに「磨くのは明日にしよう」と頷く。
そこへ、
『なあなあ、ご主人ー』
ラウルの他に人の姿は無いはずの鍛治小屋の中で、剽軽な声が話しかけてきた。
「何、ヴァース」
ラウルは視線を落とし、自分が立つ斜め前の道具台を見る。
金床の横にある道具台に立てかけてあるのはこれも片手剣。
今は鞘に収まっているが、引き抜けばすらりと澄んだ剣身が美しい。
たった今打ち上がった剣の一つ前、ラウルが春先に打ち上げた剣だった。
切れ味も良く、戦闘に大いに役立つことも証明済みだ。
喋るけれども。
『刀鍛冶ってかなり重労働だよなー』
労ってくれるのか、とラウルはうんうん頷いた。
「そうだよーそうだよー。夏も冬も小屋にこもってずっと打ってるし、炉とか火床は熱いし、火花も熱いし、目も悪くなりそうだし、もしかしてこれ一人でやる仕事じゃないんじゃないかって思ってるんだけど、とにかくまずは根性がいるんだよね」
『かなり力も使うだろうしなー』
「そうだよーそうだよーそうだよー」
労ってー労ってぇー
『なのに何でご主人、おれ様どころかスキアーも満足に振れないんだろうなー?』
うぐう。
剣ならではの鋭い刺し味にラウルは胸を押さえた。
スキアーというのはラウルが打った剣の一振りで、とても薄い刃をした片手剣だ。紙すらすっと切れそうな。
「ヴァ、ヴァース君」
胸を押さえたまま、ラウルは気を取り直して背中を伸ばした。
いいかい。
よく聞きなさい。
一度だけだなんて言わない、何度でも言うけどね?
「それがなぜかと言うとだね、剣を打つのと振るのと、使う筋肉が違うのだよ。先端に重心がある一尺もない短い槌を縦に振り下ろすのと、二尺もある重い棒状の鉄を振り回すのとでは使う筋肉が違うのだよ。そして何より、普段使わない筋肉が自然と育つわけがないのだよ」
お分かりいただけるかね?
『根性もないしなー』
聞いてる?
ヴァースは聞こえていていないのか、その興味は打ち上がったばかりの剣に移った。
『それにしても今回のヤツ、よく喋ってたなー』