18 巣(その3)
リズリーアは駆け寄り、「骨折は? 無い? 良かった座って!」
二人を座らせて治癒の法術を素早く口ずさんだ。
暖かな光が二人を包む間も、グイドがラウルの前に立った。厳しい目に見下ろされ、ラウルは治癒を受けながらその場で姿勢を正した。
叱責は甘んじて受けなければ。
冷静になれば愚かな行為だと、つくづく恥ずかしい。
「ラウル――」
「待ってください、グイド殿」
グイドを左腕でやんわり制し、セレスティがラウルの前に立つ。
「ラウル」
セレスティの声も初めて聞くほど厳しい。
ラウルはセレスティの青い瞳を見上げた。
「貴方の先ほどの行為は決して褒められません。特に我々は、皆一人ひとりが同じ目的のもと、一人ひとりが意志を持って共に行動しているからこそ。貴方の行動はその私達を信用していないと、そう言われているように感じさせてしまう」
「そんなつもりはないです!」
ラウルは慌てて首を振った。
「絶対」
セレスティを、グイドを、リズリーアとヴィルリーアを見つめ、ラウルは深々と頭を下げた。
「ごめんなさい。みなさんを、侮辱することになってしまった」
「お前は視野が狭いんだ。昔から」
レイノルドへ返す言葉も無い。
「あたしは、ラウルはおバカだと思うし」
「リ、リズちゃん」
黒い法衣の頭巾はすっかり背中に落として愛らしい面を持ち上げ、リズリーアはほっそりした両手を腰に当てた。
「あたしもやっぱりちょっと怒ってるけど、でも、無事に戻ってきてくれたから、それでいいよ」
「僕も、し、心配、しました……っ」
頭巾の下で頬が赤く染まる。
「まあそういうことだ」
グイドが呆れを含んで見下ろす。
「ごめ――」
ラウルは彼等の前に深々と頭を下げた。
「ありがとうございます」
「ラウル」
リズリーアが頭巾に入れていたオルビーィスを抱き抱え、ラウルへと、そっと差し出した。
「オルビーィスはラウルが連れて行ってあげなきゃ」
「――うん。そうだ」
オルビーィスを抱き上げ、力を失ったその躯を抱きしめる。
「そうだね」
親許に帰してあげたかった。
それが心残りだ。
「どうする、ラウル。お前とレイノルドの傷も完全に治ったとは言えないだろう」
問われ、ラウルはグイドを見上げ、それから白い鱗へと瞳を落とした。
動かないオルビーィスの鱗を撫でる。
セレスティが背に当てた手の、暖かさ。
布越しに伝わる温度に、彼等が生きていることを実感する。そのセレスティも傷を負っている。
顔を上げ、ラウルは六人へ、それぞれ視線を巡らせた。
「すぐに下山しましょう。もうこれ以上、危険なことはできません」
人面獣達が眠っている間に、ここを離れなければ。追って来れないところまで。
そう決めたらもう停滞してる暇はない。
ラウル達は、まずこの霧を抜けることを目指し、斜面を降り始めた。
道もなく方角は明確ではなかったが、登っている時は太陽が山の右側にあり近くに渓谷はなかった。
太陽を左に見ながら渓谷を背にするように進む。
滝の音が周囲に轟き、霧は中々薄くならず、手足に絡みつくように思える。一行は黙々と、つまづきやすい足元に注意を凝らしながら歩いた。
降り始めて四半刻ほどは経っただろうか。そんなに長く歩いてはいない。
(けど)
ラウルは――ラウルだけではなくおそらく全員が、焦りと不安を覚えていただろう。
霧は全く薄くならない。
そして、轟く滝の音は、すぐ背後にあるように響いている。
(進んでるのか、これ――)
同じ場所をぐるぐると歩いているような。
先頭を行くセレスティの歩調も、時折踏み出すのを迷うように乱れる。
「――あの、グイドさん」
セレスティのすぐ後ろを歩くグイドの背へ、ラウルは恐る恐る声をかけた。
「俺達、降りてますかね……」
グイドがぴたりと立ち止まる。
「あっ、いや、貴方の案内に疑問があるとかではなくっ」
振り返ったグイドは、左腕をすっと上げた。
「グイドさん?」
グイドの険しい目がラウルを射竦める。
構えた弓――番えた一本の矢を。
「えっグイドさ」
いや、ラウルをではなく――
「俺達をここへ誘い込んだ、目的は何だ」
一番最後を歩いていたゲネロースウルムへ。
矢を向けられていることなど気にもせず、微笑んで立っている。
「誘い込んだ――? 違うよ。これが効果的な道順だ。お前達の目的を果たす為のね。まあまだ、踏むべき手順があるのだが」
「命が対価の道順か。そもそも俺達の目的? 違うな」
「グイドさ」
「お前自身の目的の為だ」
そのままゲネロースウルムを射るかと思えたが、グイドは矢筒から二本の矢を取り出し、最初の矢を番えたまま小指と人差し指の腹に挟むと、再び弓を持ち上げた。
ラウルの右手の下で、ヴァースが振動する。
「セレスティ、レイノルド、ラウル、剣を構えろ。まだ来る」
ゲネロースウルムは微笑んでいる。
グイドは忌々しそうに視線を外し、双眸を細めた。
「ここは巣だ――」
降りようとしていた方向、霧の奥で、小石を踏む音が聞こえた。
足音。一つではない。
振り返る前に右側で。
左も。
それから、後方――
「囲まれています」
「きょ、強化を……」
『鋼鉄』を唱えようとしたヴィルリーアをグイドが止める。
「あと何度も使えないだろう。攻撃系に徹してくれ」
ヴィルリーアははっとして、頷いた。
「――は、はい」
「ヴィリ、あと幾つ」
ヴィルリーアと背中合わせに立ち、リズリーアが尋ねる。
「た、多分、光の矢と、風切り、一回ずつくらい……」
少ない。
リズリーアは精一杯の笑みを広げ、両手を握った。
「じゅ、充分だよ! あたしは治癒ならあと七回くらい使えるし、光球とか、障壁、あとまだ眠り寄せも使えるもん。ヴィリと合わせれば、充分戦えるよ」
音は霧の向こうから、次第に、確実に、近付いてくる。
ヴァースの柄の振動が、静まった。
『来るぞ、ご主人――』
次の瞬間、霧が一斉に咆哮を上げた。