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16 巣

 

『汝、打つもの覆うもの その身に鉄をまとえ

 剣は山を砕き

 弓矢は空を貫き

 鎧と盾は竜の息を防げ』



 詠唱と共に杖が鈴を鳴らす。

 しゃん。


鋼鉄ガゥループス


 三度目の詠唱がセレスティの鎧を彩り、全身が淡く光を帯びる。

 年季の入った金板かないたの胴と腰当て、革の肩当てと籠手に長い編み上げ靴。


 強化の法術だ。

 剣に用いれば剣を、鎧に用いれば鎧を、強化する。


「有難い」

「順番最後になって、すみません」


 そう言うヴィルリーアはグイドの弓、レイノルドの防具の強化と術式の連続詠唱を行い、肩を息で揺らしている。

 その肩を一度ぐっと押さえ、ヴィルリーアに微笑むとセレスティは躊躇なく駆け出した。


 グイドの放った矢がセレスティの脇を抜け、正面にいた人面獣の額に突き立つ。

 前脚を振り上げていた人面獣は巨体ごと、どうと地面に倒れた。既に二体目だ。

 それを踏み越えて跳ぶ。


 人面獣の背。

 その向こうにレイノルド。『鋼鉄』が掛かっていながらも、もうその腕や肩に幾筋か血が滴り落ちている。


「左へ!」


 レイノルドへと叫び、セレスティは振り返る人面獣の首へ、ノウムの刃を叩きつけた。

 刃は人面獣の首から右脇へ、一刀に切り裂く。そのまま衝撃が、地面に深く亀裂を穿つ。


 振り返ろうとした瞬間、背中に重い衝撃を受けた。魔獣の前脚が背を叩いたのだ。

 一瞬呼吸が止まり、息が詰まる。


「セレスティ! そのまま!」


 リズリーアの声、直後にリズリーアの放った光球がセレスティの背後で膨れ、拡散した。


 目を焼かれ軋る声を上げる人面獣――四体目へ、セレスティは気合いを吐き剣を縦に掬い上げた。背中が鈍く痛みを訴えるのを無視する。

 反対からレイノルドの剣が胴を薙ぐ。


 十字に断たれ、人面獣の躯は斜面に倒れ、滑り落ちた。


 肺に溜めた息を吐き出し、セレスティは辺りを見回した。


「これで、最後のようです」


 霧の中から不意に現れた有翼の人面獣は、四体とも倒れて動かない。


「大丈夫ですか、レイノルド殿」

「問題ありません。貴殿は」

「背中を叩かれましたが、特には。ヴィルリーアの『鋼鉄』のお陰です」


 肩を動かして見せて微笑み、すぐに表情を戻してセレスティは辺りを見回した。


「急いでラウルを探しましょう。同じように魔獣と遭遇していないかが心配です」

「ふらふらしているからだ」とレイノルドが悪態をついている。


 セレスティはレイノルドの背を軽く叩いた。


「ヴァースもオルビーィスもいる、大丈夫ですよ」

「何が――」

「セレスティ、レイ、怪我の治癒」


 駆け寄ったリズリーアにセレスティが首を振る。


「まだ大丈夫です、リズ。詠唱できる数は限られるのでしょう?」

「私のほうこそ、まだ大丈夫だけど」


 でも治癒は一人につきあと二回くらいだ、とリズリーアは顎を引いた。


「そうだね、わかった」

「ラウルの状況がわかってから、効果的に使いましょう」


 頷き、セレスティは霧の先を見た。

 今の戦いとまるで無関係に、ゲネロースウルムが立っている。


「ゲネロースウルム殿。ラウルの居場所は分かりますか」

「ああ――」


 細身の身体がまとう銀色の薄布がゆらりと揺れる。


「こっちだよ」


 と、ゲネロースウルムは霧の中で薄く微笑んだ。







「オルビーィス! オルビーィス!」


 ラウルは血の滴る剣を右手に下げたまま、オルビーィスが飛ばされた方へと駆けた。

 足元の小石が踏むごとに滑って走りにくい。

 右肩が熱い。がむしゃらに人面獣の右前脚を断ち、だが左の爪で右肩を裂かれた。


 ヴァースが動いて左の前脚を払い――

 その後追ってくる気配はない。


「オルー! どこだ!?」


 魔獣の爪で腹を割かれたように見えた。

 鼓動がラウルの身体の中で激しく鳴っている。

 頭がくらくらした。


『ご主人』

「ヴァース、君はオルビーィスがどこに行ったか、分かるんじゃないか? どこに」

『落ち着け』


 握った手から直接響くような声が、たかぶっていたラウルの精神を抑えた。


『ご主人、おれ様の言うとおり進め』


 何とか冷静さが戻る。

 ヴァースの真剣な声には必ず理由があるのだ。


「う、うん――わかった、すまない」

『滝の音がするだろう。下手をしたら落ちるかもしれない』

「う、うん」


 滝の音がまた耳に入るようになり、腹の底がスッと冷えた。

 どれほどの高さかわからないが、音から想像する滝は、空から麓の地面へと落ちて行くようにすら思える。足を滑らせたらただでは済まないだろう。


 湿った小石に足を取られて転びそうになりながらも進むラウルを導き、ヴァースの剣先が動いて方向を示す。


『もう少し先だ』


 走る方向に滝があるのか、轟く音はもう、全身を包むまでになっている。

 呼吸をするごと、口の中に水を感じるようになってきた。


『まっすぐ――ちょい右。あと一歩』


 もう一度、オルビーィスの名を叫ぼうとした時、ラウルはほんの少し先の地面の上に倒れている小さな竜の姿を捉えた。


「オルー!」


 駆け寄り、膝をつく。


「オルー!」


 ぐったりとしたオルビーィスを抱え上げ、ラウルは思わず短い叫びを上げた。

 オルビーィスの白い艶やかな鱗が、胸から腹にかけて裂けている。

 頭が真っ白になった。


「オルー! オルビーィス! 大丈夫か!? オルー!」


 何度呼びかけても目を開けない。

 それがどう言うことか――


「まさか、まさか」


 冷たい鱗の奥から、鼓動を感じない。


「まさか――オルビーィス!」

「ラウル?! ラウルか!?」


 二つの光がラウルの目に映った。

 駆ける足音。すぐに霧を払ってレイノルドが姿を現した。


「ラウル!」


 右手の掲げた剣が光を放っている。

 もう一つの光も、すぐにリズリーアの杖だとわかった。


「この馬鹿、ふらふらと――」


 レイノルドは途中で言葉を飲み込み、ふいに狼狽えた。


「ど、ど、どう――どうしたんだ」

「えっ、どうしたのレイ」


 リズリーアが駆け寄り狼狽えているレイノルドを見て、慌ててラウルを見た。


「ラウルがどうか――泣いてるっ」


 リズリーアは涙を流しているラウルに驚き、それからその腕に抱えられたオルビーィスに気が付いた。

 柔らかな輪郭の頬がさっと強張る。


「オルビーィス……? ヤダ、ラウル、まさか」


 ラウルの横にしゃがみ込み、オルビーィスの背に手を触れた。

 その手をぎゅっと握る。


「……っ 今、今治癒の法術をかけてあげるから!」


 杖の鈴を鳴らし、リズリーアが早い詠唱を紡ぐ。

 柔らかな光がぐったりとしたオルビーィスの身体を包む間も、そして光が白い躯に吸い込まれ消えてからも、ラウルはオルビーィスを庇うように抱き抱え、俯いていた。


 リズリーアは二度、治癒の術式を唱え――


 大きく、深く、溜めていた息を吐きだした。


「リズちゃん――」

「うそ。こんなのって……。私たち、何のために――」


 ヴィルリーアが震えるリズリーアの肩を抱える。


「まさか。オルビーィスは竜です。小さくてもとても頑丈だ。そうでしょう」


 セレスティは俯くラウルの前に膝をついて覗き込み、その鱗に触れて――、口を噤んだ。


 グイドは無言でその様子を見下ろしていたが、ふと、首を巡らせ後ろを振り返った。

 そこに、ゲネロースウルムが立っている。


 普段とまるで変わらず――いや、どこか驚いたように、銀の双眸をほんの僅か、見開いている。


「おい」


 グイドの呼び掛けに、美しい瞳を上げる。


「お前がここに来た目的は、達成できるのか」


 ゲネロースウルムは、ゆっくりと笑みを広げ、何か言葉を綴った。


「    」


 それは周囲から沸き起こった幾つもの咆哮に掻き消された。


 グイド、セレスティ、レイノルドがさっと身構える。

 リズリーアとヴィルリーアも杖を立て、背中合わせに立ち上がった。

 ラウルはまだオルビーィスを抱えたまま、ただ虚ろに顔を上げた。


 地面に置かれたままのヴァースが振動している。


『囲まれてる――ご主人』


 周囲を包んでいた霧が、そこだけ後退したように薄くなった。

 まず耳についたのは水の轟き。

 一行は、今自分達が立っている場所がどこかを理解した。


 右側、ほんの一間ほどしかないその先は、深い亀裂が穿たれたように落ちていた。

 断層。絶壁。


 光の届かないそこから、落ちて行く水の音が轟いている。

 もうもうと湧き起こる水飛沫が霧を作り出していた。

 それから。


『さすがに、まずそうだぜー』


 ヴァースの言葉も、ラウルはまだ思考が漂ったまま聞いていた。

 自分達を囲む、人面獣の群れ。

 人の顔に灯る双眸は無機質でいて、獰猛さと獲物を裂き血肉を喰らうことへの舌なめずりを思わせる。


「抜け道はありません」


 セレスティが低く声を押し出す。

 右側は絶壁、正面と左と後方とに、十数体の人面獣が囲んでいた。


 一匹が一人、自分達を引き裂いても足りないな、と、ラウルはぼんやりと思った。

 ここで終わり――


(でももう、オルビーィスも死んでしまった)


 この旅は無意味になってしまった。

 あとはせめて――


 ラウルはオルビーィスの小さな躯を名残惜しく下ろし、ヴァースを掴むとふらふらと立ち上がった。

 せめて。


「みんなは、俺が喰われている間に逃げてください」

「――はあ?!」

「何言って――」

「オルビーィスを、連れて帰ってほしい。食べるのが好きだから、たくさん美味しいものを供えてあげて」


 ラウルは微笑み、レイノルドの手からフルゴルを引ったくり奪うと頭上に掲げた。


「ラウ」

「目を閉じて! ――フルゴル、光れ! 太陽よりも!」


 煌々と、天頂の太陽の如くフルゴルが光る。そこにいる全てのものの影を黒々と霧の中に落とした。

 人面獣が咆哮を上げ身を捩る。


「ヴァース、フルゴル、俺に付き合って!」


 ラウルは斜め左前を塞いでいた人面獣へ、ヴァースを振り翳して突っ込んだ。

 まだ目が眩んでいる間に剣を振り下ろす。

 前脚を断つ。


 更に奥に突き進み、右にいた人面獣へ剣を薙ぐ。

 フルゴルは煌々と光り続けている。


「こっちだ! 俺を追って来い!」


 倒しきれはしないが、それでもラウルに注意を引きつけ、そしてここから離れれば目的は果たせる。

 自分がセレスティを、グイドを、リズリーアとヴィルリーアを、そしてレイノルドまでここに連れて来てしまったのだから、自分が責任を果たさなければ。


 爪と牙が迫る。どれもまるで杭のように太く鋭い。

 何とか躱したが、左肩と右上腕の肉が抉れた。

 痛い。

 でも。


 喰らいつかれて引き倒される前に、少しでも。


 フルゴルを掲げ、ヴァースを振るう。

 少しでも。


 何かがふくらはぎに喰いついた。

 見れば蛇――人面獣の尾の先端にある蛇の頭だ。

 くらりと目が回った。


 足を踏ん張る。

 彼等が逃げる時間を。


 少しでも――



 意識が、落ちる。




「ラウル!」


 叩かれたように目を見開いた。

 ラウルの目の前に立ったレイノルドの肩に、杭のように鋭い鉤爪が、突き立っている。


「ふざけるなこの、大馬鹿が!」

「――レ、レイ!」


 爪が突き立ったままレイノルドの身体が引きずられ、空へと浮く。その向こうで翼を鳴らす人面の魔獣。

 意識せず、ただ身体が動く。


 ヴァースを握った腕が動き、剣はレイノルドを掴む脚を断った。

 血飛沫が舞い、魔獣が空へ戻る。


 ラウルは懸命に腕を伸ばし、落ちるレイノルドの身体を抱えた。


「レイ! レ――」






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