13 きりふり山の山中で(その1)
ゲネロースウルムは彼女自身が口にした通り、見事に一行を護衛した。
途中出現した一間半(約4.5m)もの巨大芋虫をシュディアールで一刀両断し、水場かと思った粘着的流動体を岩ごと削り取り、立ち上がれば一間はあろうかという大熊を断った。
巨大な食人花を断ち、岩猪――その名の通り、岩のような硬い表皮で覆われた猪だ――の群れを薙ぎ払った。
「お、多くないですか?」
魔獣。
『ここらまではなー』
魔獣が現れる都度ビクビクハラハラしているラウルと対照的に、ヴァースはのんびりしたものだ。
まあ剣だし。
『しかしなかなかすげーな、あのお――す……』
ゲネロースウルムの銀の目がちらりとヴァースへ落ちる。
『うへぇ怖い』
何となくヴァースが首をすくめた気がした。剣だが。
「……」
「ゲネ姉さまが全部倒してくれるからすっごい楽」
リズリーアは朝方の件すっかり忘れたのか、革靴の靴底でくるりと回った。六枚の布を合わせた膝丈の外套が風を含んで広がる。
巨大芋虫が出た時は卒倒せんばかりの悲鳴を上げたリズリーアは、あっさり排除してくれたゲネロースウルムにすっかり懐いている。
しかしリズリーアの愛称の選び方はどんなものだろう。
「うん、僕も……」
とても安心です、とヴィルリーアが言うと、セレスティが整った面をやや傾げた。
「私は少々、物足りないというか――いずれも剣の腕を磨くため、自ら戦いたかったのが本音です」
セレスティは来年の王都での御前試合を目指しているのだ。腕を上げるための今回の登山だ。
ラウルはリズリーアと同じ思いだし、何なら一緒に悲鳴を上げかけたのをリズリーアの悲鳴で誤魔化したのだが、セレスティとしてはそういう感想になるのも頷ける。
とは言えセレスティも昨日の戦いでそれなりの負傷をしたのだが、そこら辺は特に厭わないようだった。
「まあ役に立つじゃないか。連れて来て良かったな」
とレイノルドは相変わらずツンツンしている。
ゲネロースウルムが魔獣を倒すのを感心したように見ていたのに。素直じゃないなあ。
それから。
一番、不満そうなのは――
ラウルはグイドを見た。
「矢の使い所が無ぇ」
ぼそりと呟いている。
(ですよね……)
新たに手に入れた矢を試してみたいのだろう。
弓を構える前にゲネロースウルムが全て薙ぎ払ってしまうので、まだ一度もあの(怪しい)矢を打っていなかった。
先頭を歩いていたゲネロースウルムはグイドへ首を巡らせ、微笑んだ。
「期待してくれているようで嬉しいねぇ。なら次の獲物はお前に任せよう。何、こんな場所だ、機会はすぐに来るよ」
「そんなんじゃねぇよ」
グイドは眉を顰めて見せたが、彼女の言葉は、すぐに現実になった。
「寝ちゃった」
オルビーィスはラウルの肩に降りたまま、首と尾を前と後ろに垂らし、すっかり眠っている。
「かわいいなぁ」
「大丈夫か、それ」
グイドが呆れた口調で目を細める。
「へへへ、大丈夫です。気持ちよさそうなので」
「野生に帰れるのか」
「た――」
多分。
いやきっと。
霧を抜けてから更に一刻、歩いただろうか。
とは言え斜面は色が灰色と黒か白のまだらばかりで遠目からはなだらかに見えたが、いざ近づいてみると容易に越えられない段差が少なくなかった。進むのも休み休みで距離が稼げない。
それでも、ラウル達一行は、目的地の山頂へ、ゆっくり、近づいていった。
やがて。
それまで道と言えるものは無い斜面が続いていたところに、背の高い岩が転がり始めた。
岩を縫って歩いているうちに、気付けば岩の間をくねって進む狭い道の中にラウル達はいた。
岩は一番高いところで二間ほどもあり、仰げば青い空が川のように見える。
「ええと、このまま進んで、大丈夫ですか」
そう口にしたものの、戻っても別の道があるかと言われれば、無さそうだと思う。岩の上によじ登るのなら話は別だが、それ以外はどうやってもこの一本の道に導かれるような岩の作りだったからだ。
「剣が使いにくいのが難点ですね」
セレスティが首を巡らせ、手にしたノウムの剣先を左右に揺らしてみる。セレスティの腕が伸び切る前に剣先は岩の壁に遮られた。
レイノルドが手を伸ばし岩壁を軽く叩く。
「動きが制限されて厄介だな、剣には」
『ノウムなら岩ごと斬れるぜー』
「そうかもしれません。しかしそうなると、今度は岩が崩れてくるのが怖い」
そんな会話を交わしながらも、岩の間を四十間ほど進んだ頃、ヴィルリーアが「あっ」と、斜め上を指さした。
「あ、あれ……」
「どうしたの?」
リズリーアが顔を寄せ、ヴィルリーアの指先を辿る。
「あ」
リズリーアの呟きと同時にラウルも気がついた。空が眩しく視認し難いが、何か光るものがある。よく見ようと眉を寄せる。
一つではなく、点でもない。長く、岩の間を渡る――
「――あ、あれって」
「糸ですね」
セレスティの声に緊張が含まれた。
「蜘蛛の糸、でしょうか」
岩と岩とを伝い、銀色の糸が幾つも交差していた。
視線を奥に向ければ、交差の本数は無数に増え、岩の間の道に影を落とすほど重なり合っている。
「えっ、ヤダっ、クモ? ヤダ無理」
リズリーアは頬を強張らせて後退った。
「戻――」
「リズ、足元気をつけて」
ラウルはリズリーアを下がらせようと、狭い道を右に寄った。体が斜め倒れそうになり、手を伸ばして岩壁で支える。
ビィ……ン……
手のひらの下で何かが、振動した。
「あ」
まずい。
ラウルの手が触れて――押さえているのは、細い糸だ。
そう。
蜘蛛の糸。
蜘蛛の糸といってもこれは髪の毛二本ほどの太さがある。
「ごめん!」
慌てて離した手が粘つく糸を引く。
「動くなラウル、この馬鹿!」
馬鹿とはひどいよレイノルド。
と、思ったが――
ビィィィ……ン
糸は明瞭にその振動を伝えた。
道の先を複層的に覆う糸へ、振動が伝わっていくのが、目に見える。
うん。
俺が悪い。
「ごめんなさい!」
声が終わる前に――
糸の檻の奥から、ラウルが生んだ振動以上の振動が返った。
ぞわりと。
何が来るかなど、もはや全くもって、火を見るよりも明らかだ。
蜘蛛――
「ひぃい」
リズリーアが消え入りそうな声を出し、ヴィルリーアが肩を抱えて支える。リズリーアの代わりに振動する巣の奥を睨んだ。
「リズちゃん、あんまり見ちゃダメ」
「ヴィ、ヴィリだって、く――クモ苦手」
「平気だよ」
ヴィルリーアは一つ、ゆっくりと息を吸い、ゆっくりと吐いた。
水色の瞳は連なる岩の道の、奥へ、据えられている。
「あ、あんな大きいと、なんて言うかもう……」
「お、大きい?!」
「落ち着いてね。リズちゃんは目を閉じてて」
ラウルは肩から落ちないようオルビーィスを咄嗟に押さえた。
一匹。
もうすぐ先の、糸の中にいる。
その黒々とした影。