12 霧は晴れ(その1)
リズリーアとヴィルリーアの悲鳴二重奏で、きりふり山での三日目は始まった。
あの魔猿の首でもう一つギョッとしたのは、オルビーィスが嬉々として首にかじりつこうとしたことだ。
思わず止めてしまったが――
(本来オルビーィスの食性ってあそこらへんも含むんだろうし、止めなくても良かったかな。お腹空くもんね、食い尽くし系だもんね。食べたかったなら食べさせて――いやいや、お腹を壊しちゃうかもしれない)
オルビーィスには昨日途中で獲った兎で我慢してもらったが、大猿の首に未練があったのかきょろきょろし、その後は脚でやたらあちこちを掻いていた。
朝食を済ませた一行は霧が流れる道を、少しずつ登っていく。
「ああいうのホント、いいから! 持ってこなくていいから!」
「そうかい? 私が仕事したことが分かりやすいと思ったんけどねぇ」
「分かりやすいとかいいから!」
リズリーアが懸命に抗議している。
ラウルも心から同意していた。
(やめてほしい)
心臓に悪いから。
「ははは」
先頭を歩くセレスティが朗らかに笑う。
顔が良いので爽やかさが二割り増しだ、が。
「そう言えば私の生家で飼っていた猫が、よく鼠や小鳥を取っていました。朝、起こされると枕元に置かれているんですよ。褒めろと、こう言うんですね。懐かしい」
「鼠じゃないし! そもそも猫は可愛いし!」
「私は可愛くないかい?」
「ゲネ姉様は可愛いとかじゃ――」
リズリーアはふと口を閉ざして眉を寄せ、女をそっと見上げた。
「――えっともしかして、褒めて欲しいとか……?」
「リ、リズちゃん」
「おや、褒めてくれるのかい? それは嬉しいねぇ」
微笑みは一瞬、無邪気さを滲ませた。
「もう二、三匹、持ってくれば良かったかね」
「ぎゃっ、不要だし!」
リズリーアは黒髪を力一杯振った。
「魔獣を退治してくれたのは嬉しいけどっ、ほんとにほんとにほんとに、持ってこなくていいからっ!」
「ところで」
改まり、セレスティはリズリーアに微笑んで、女に並んだ。
ラウルはセレスティの動きを目で追った。
(あー)
「ゲネロースウルム殿、一つ、お尋ねしてもよろしいでしょうか」
「構わないよ。私に答えられることならねぇ」
「はい。そのお手元の」
と、セレスティは女が手にしている大剣を指差した。
(やっぱりー)
「貴方がラウルの工房の中から、その剣を選んだ理由を、お聞きしたいのです」
「ああ、この剣かい?」
ひょい、と危うげもなく、大剣をセレスティとの間に持ち上げる。
なお歩いている時は左手に、杖でも下げるように提げている。切先を後ろへ向ければ後続のラウル達が危険なので、刃は前に。
前に重心があると持ちにくいと思うのだが、気にしていなさそうだ。そもそもシュディアールの重量も。
「他の剣も悪くはないんだが、私には頼りなさ過ぎてね」
と笑って言う。
「その点これはいい塩梅だ」
(いいんだー)
新鮮な評価だ。
自分の仕事を認めらるのはどこかくすぐったい。
(あれでいいんだー)
「撫で斬るにはもう少し重量が欲しいところだが」
(ええー)
もっと重くていいんだー
「ラウル。頭を人の基準に戻しとけ」
グイドが後ろからボソリと突っ込む。
(はっ)
セレスティは頷いた。
「他の剣達も素晴らしい出来ですよ。このノウムも切れ味が他に類を見ません。しかし貴女がシュディアールを選ばれたお気持ち、よくわかります」
熱く語り始めた。
「大剣を自在に振るうことは剣を扱う者として、一度ならずと憧れを抱くものです」
そうなんだー
「大剣が空を切り裂き敵を撫で斬る様は、想像するだに心が踊ります。昨日の貴方の所作はまさに常日頃私が憧れていた姿でした。私もシュディアールを扱いたいと手にしましたが、まだ私には扱いきれず、己の未熟さをつくづく思い知らされた次第です」
未熟云々の問題だろうかー
「恥ずかしながら持ち上げることさえ叶わず……しかしいずれは! 私も心身を鍛え上げ、自らの力でシュディアールを扱ってみせるつもりです」
まだ諦めてなかったのですかー
ていうか貴方の目的は王の御前試合でしょー
「そうか。ではお前に私の腕をやろうかね?」
なるほど腕をー
……
――何て?
女はにこりと笑った。
腕を……
――――っこっ
こッッわ!
えっ、腕ってもしかしてこの人切ってもまた生えてくる派とかなの? 生えてくる派というより生えてくる属?
――いやこっわ!!!
「だめだめ、何かだめ!」
リズリーアがセレスティの腕を引く。
「腕なんかもらっちゃだめだからね! セレスティ! 絶対ダメだから!」
「そうかい? セレスティの意志次第だがねぇ」
「ダメなの!」
セレスティを庇うように前に出て、精一杯両腕を広げる。
そのリズリーアの前に出たのはヴィルリーアだ。両腕を広げた。
「ヴィリ」
オルビーィスが二人の真似をして、ラウルの顔の前で翼を広げる。「あ、ちょっと見えないからね、オルー」と、ラウルはオルビーィスの翼の下に手を入れ、前に抱えた。
(あれ、なんか、感触)
ごわっとした。
「あ、あの、お気持ちは……でも、ぼ、僕も、そういうのは、ちょっと、良くないって、思……」
ヴィルリーアは大きな水色の瞳に涙を滲ませながらも、懸命に頭ひとつ高い位置にある女の顔を見上げている。
「そうかい」
気を悪くした様子もなく、三度そう言い
「じゃあ次はしないよ」
ゲネロースウルムは艶やかな笑みを零した。
「怖ぇ」
ラウルの後ろでグイドが呟いた。