8 再戦(その2)
ラウルは何度――何十回目か、足を止めた。
次の樹を辿ろうとして、辺りを見回す。
最初のあの場所から、半刻は歩いただろうか。決して歩きやすくはないが、それなりの距離を進んだと思う。
左は切り立った岩壁が遮り、森は右手へ広がっている。
「ラウル、次は――」
レイノルドの問いを、片手を上げて半ばで押さえる。
声を立てず口の形だけで返した。
"近い"
これまで蛇怪の去った方向を指し示してくれた声が、次を示さない。
そのことが示すもの。
「この辺りが――」
言いかけて、ヴァースが微かに、ひと揺すり程度、振動したことに気付きラウルは息を潜めた。
ごく、静かな警告。
「え」
喉が鳴る。
「どうしました」
「ここが」
ヴァースはここだと、そう言っている。
近寄ろうとしたセレスティとレイノルドの足を、押さえた声が止める。
「動くな」
グイドが何を告げているのか、三人は瞬間的に理解した。
同時にグイドの矢が放たれる。ラウルの頭上へ。
「退がれ。リズを囲む」
布を擦り合わせるのに似た音。
ラウルのすぐ後ろの楡の木が梢を揺らす。
その意味に気付いて背筋が凍った。
ぽた。
頬にひと雫、血が滴り落ちる。
(血)
赤い。
身体がすっと冷えた。
誰の血だ。
(まさか)
『ゆっくり退がれ、ご主人――』
足を極力ゆっくりと引きながら、ラウルは顎を持ち上げ、樹上を見た。
見るんじゃなかったと後悔する。
女の顔が枝の間に逆さまに浮かんでいる。初めに見た時も樹の上だったが、今、距離は一間ほどしかない。
その姿が、細部まで見えた。
のっぺりとした顔。青白い肌は死人を思わせる。
人の女の上半身と蛇体の下半身、それぞれ異なる色の鱗に覆われ、その鱗一枚一枚がゆっくりと動き、躯を揺らしている。
ぬめった手で喉元を掴まれるような、何とも言い難い悍ましさ。
裂けた唇から、赤く細長い舌がちろりと覗く。
落ちた沈黙は、一瞬だった。
急激に、蛇怪が上半身を伸ばし、直下にいたラウルへと七本の腕を広げた。
矢がその首に真横から突き立った。矢尻がぶつんと首の反対側に抜ける。
腕がラウルを捕えず掠め、再び樹上へと消える。
木の枝から枝を這う音。
移動している。
それよりも。
「く、首を、貫かれて死なないとか――っ」
「ラウル!」
レイノルドが戻れと叫ぶ。
ラウルはヴァースを構え、転びそうになるのを踏みとどめながら数歩下がった。
「毒でも仕込めりゃ良かったが――まあ毒も効くんだか」
リズリーアを囲み、セレスティを正面中央、ラウルとレイノルドを左右に、グイドは後方に陣取る。
ノウムとレイノルドの剣、そしてヴァース、それぞれ抜き放たれ、移動し続ける音へと切先を常に動かした。
一本の木が大きく揺れる。
――降りてくる。
ラウル達の視線の先で、それは木の幹を巻くように伝い降り、白くやや虹色の光沢を帯びた上半身を地面に降ろした。
ぺたりと腹から胸がつく。濡れたような長い黒髪が背と地面に散らばる。
顔をもたげる。
面こそ人の女だが、そこに浮かぶ笑みは到底、人が浮かべるものではない。
「来るぞ」
グイドの声にセレスティが前に出した右足にほんの僅か体重を傾ける。
「私が、最初の突進を止めます」
セレスティの囁く声。
静寂は――わずかひと呼吸。
七本ある、それぞれの腕が船の櫂のように土を掴み、蛇怪は土の上を這い進んだ。